第6章 競馬狂の詩 14
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券が唯一の生活の糧だ。共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 欲望の渦の中で その9
俺はクルマを降りたその時から、建物とその廻りをつぶさに観察した。
周囲はアスファルトで舗装されている。針葉樹が生い茂った山合いの大きな窪地の中に建っているようだ。おそらく温泉街の方へと向かう国道からは見えない位置にあるのだろう。これほどの巨大な建物でありながら周りの風景がすっぽりと隠しているようだ。
建物に入口はひとつしか見えない。他にもあるのかもしれないがここからは確認できなかった。2階と3階部分だろうか。高い位置に小さな窓がいくつか見える。こんなものでは採光になるとも思えない。おそらくは外を偵察するための覗き穴といった感じだ。
外観は灰色のコンクリート一色だった。
入り口に立つ男は俺たちの体ねちねちと触り、凶器を隠し持っていないかどうかを入念に調べられた。
「よしいいぞ」との声とともに中へ誘導された。
少し廊下を歩くと『ファンルーム』と書かれた学校の教室ほどの大きさの部屋があった。そこには長テーブルがUの字の形で置かれており、それぞれの対面に椅子が置かれたいた。すでに7人ほどの入会者らしき者たちがマンツーマンで面接をしているようだった。
俺たちは空いている椅子を促されて対面に座る道場関係者と面接する形になった。
俺の前には青白い顔の30歳位の痩せた男がいた。胸につけた名札には『コ―マンサウンド』とあった。俺はその名札にくぎ付けとなった。
「ようこそ当道場へ。あ、これですね。ここの職員は幹部になると、かつてのオープン馬の名前を授かるんですよ」
「へええ。そうなんだ」確かに、昔そんな馬がいた。けどいったいどんなサウンドだよ。
それから約20分ほど、おれはコ―マンサウンドから様々な質問を受けた。これまでの生い立ちや経歴、仕事、家族、そして競馬に対する情熱の度合いなどだ。その結果、俺は合格となり晴れて1クラスの受講生となった。1クラスというのは会費38,000円、日帰りのコースだった。複勝狙いで回収率103%を狙おうという最低レベルのクラスだ。ただ、受講後に興味があればすぐに次のクラスへランクアップも可能だという。もしも1クラスで満足であれば、どうぞお帰りくださいという内容だった。
俺たち3人が面接を終えた頃、さっきのマスクと野球帽の男が引きずられるように入ってきた。すでにマスクは外しており、その素顔は半開きの口元からよだれを垂らして濁って眼で明後日の方向を見つめていた。
『タイキブリザード』という名札の職員が何を質問しても「ふへへへ」と笑うばかりだった。それでもなぜかすぐに合格となり、俺たちのあとに続いた。
そして俺たちは『ファンルーム』を出て細長い廊下を歩きだした。
「ちょっと待った、そこのあんた!」俺たちに向かって呼び止める声がした
振り返るとタイキブリザードだ。
「岩元鉄三郎、お前戻ってきたのか?」
鉄三郎は瞬間、青ざめた。「はあ。すんません。俺、もういっかいここで……」泣きそうな声を出した。俺は正直焦った。だが想定内のことだ。まずは成り行きを見守るしかなかった。
「良く戻ってきやがったな。この野郎! ま、来るもの拒まずがここの精神だ。今度こそしっかり修行しろよ。必ず自分の力になるから。我らの魂はいつもホースとともにある」
「お、おう……今度こそな。一からやり直すよ」鉄三郎は笑って応えた。
タイキブリザードは親指を立てて片目をつぶりながら「がんばれよ」と言った。
俺はほっと一安心だった。
そのあと迷路のように入り組んだ廊下がくねくねとどこまでも続き、かなりの距離を歩かされた。そしてたどり着いたのは『ファンルーム』よりもはるかに大きな体育館ほどの広さの部屋『バッケンジャー大回廊』だ。
「ここが噂の、来る者すべてを狂わせる『悪魔の広場』でさ」鉄三郎が小声で言った。
その中では競馬中継のアナウンサーの声が四方八方から大音量で響き渡り、数百ほどの人間が首を振り回したり、両手を捧げて土下座のポーズをしたり、ブリッジをしたり……異様な光景が待ち受けていた。
続く




