第6章 競馬狂の詩 12
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券が唯一の生活の糧だ。共犯者優香とのあらたなるサバイバルの日々を綴ってゆく」
(2) 欲望の渦の中で その7
週末は慌ただしく過ぎ、取りあえず道場への潜入の準備は整った。
優香には、1週間でケリを付ける。それで万が一戻らなければ即、岡林探偵事務所に連絡し警察やその他の機関に動いてもらうということを約束してしぶしぶの了解を得た。
とにもかくも、明日の決行となった。
金曜の夕刻、俺は久しぶりにゆい吉先生のもとを鉄三郎と訪ねた。
このところ季節外れの暖かさが続いていたが、今日は冷え込んでいる。平年並みの気温なのだが、寒暖の差が余計に寒さを感じさせる。
「やあ、元気かい」
ゆい吉先生は相変わらずの気さくな笑顔で俺を迎えてくれた。
「お忙しいところすみません。あの、息子さんは……その後」
「おお。すごく良くなりつつあるよ。よほど免疫療法が効いたらしい」
ゆい吉先生は満面の笑顔で答えた。
「そうでしたか。それは良かった」
「ありがとう。第一に君の協力のおかげだよ」
「いやいやそんな」俺はひたすら頭を下げるしかなかった。
「そちらの方は?」ゆい吉先生は鉄三郎を見た。
「こちらは岩元さんです。実は以前、ある教団と言うか反社会的な集団の中に捕らわれたんです。その時、怪しい薬を投与されたんですよ」
ゆい吉先生には探偵事務所で仕事を始めたことは伝えてあったが、今回の事件のことを話すのは初めてだ。
「どんな薬を?」
「内面の全てをさらけ出して従順になる……そんな薬らしいんですよ。どんなものなのかアドバイスを頂けたらと思いまして」
「なるほど……岩元さんはその薬を、どのように投与されましたか?」
「あ、はあ。白い粉グスリをストローみたいなもんで鼻から吸い込めと言われまして……ええ俺もさすがに怪しいと思いましたよ。でも、予想というか当たり馬券の映像を脳内に引き寄せるんだとか言われて……なんでも普段使われていない脳みそまで働かせるとか
「なるほどねえ。おそらくコカインの一種かあるいはアヘンか」
「やっぱり麻薬ですか」
「そうだねえ……麻薬というのは難しいんだよ。普通の薬と違ってまず致死量というのが定まっていない。だから、効能が良く解らないというのが現実なんだよ。わからない物は触るな服用するなというのが今の麻薬取締法だ。そうは言っても鎮痛剤としてのモルヒネや麻酔薬などは普通に使われている。昔はヒロポンという名で普通に覚せい剤が町の薬局で売られていたんだよ。ニコチンやアルコールの方がよほど依存性が強いのに禁止されない。不思議だよ」
ゆい吉先生は文献を引っ張り出して真剣に応えようとしてくれた。
ズボンの裾から網タイツを覗かせているのを見逃さなかった。さすがだ。息子さんのために死ぬ気で闘っておられるんだと感心した。
「実際にその薬物をちゃんと検査しない限りわからないがいくつかの麻薬を組み合わせた物のようだね。確かに大変危険だ」
「そうでしょうね」
「ただ興味深いのは、幻覚を見るとか気分が高揚するのと他人の命令に従順になるというのは全くの別物だ。その薬物がもしも人間を従わせる効能があるとしたら、これは大発明だよ。だとするとその集団の真の目的は……かなり恐ろしいものかも知れないね」
俺と鉄三郎は顔を見合わせて武者震いをした。
次の朝、ほとんど着のみ着のままという出で立ちで俺たちは事務所をあとにした。噂の「ステイション」へと向かった。
「ステイション」とは裏街道の路地にひっそりと立てられた小屋のようなもので『道場』への入り口といわれる端末施設なのだが、ただのバス停と変わらないような待合所だった。ここで待てば『道場』からの使者が定期的に現れるのだという。
「おーい待ってくれ」大声で俺たちに呼びかける姿があった。ウサミさんだ。必死に走って来る。「おれも行くよ。その方が心強いだろう」
心強いかどうかは微妙だったが、嬉しくはあった。
続く




