門番は勇者におかえりを言いたい
「魔獣討伐の『勇気持つ者』は、王城勤めのアリーとする!」
という宣言が陛下によって行われたというのは、その日の夕方の勤務明けに同僚から聞いた。
その時間、俺は東門の門番をしていて広場の様子など知りようがなかったし、貴族や王族御用達の商人が利用する東門には、門番相手に噂話をするような者は通らない。
俺は、『勇気持つ者』、通称『勇者』に選ばれたのがアリーだと聞いて、愕然とした。
アリーは同じ年に王城に働きに上がったという縁で仲良くしていて、休みが合えば城下に遊びに行ったり、仕事の愚痴を言い合ったり励まし合ったりしている仲だ。俺は勝手に友人以上恋人目前だと思っていて、告白のタイミングを見計らっていたこの時期に、まさかアリーが『勇者』に選ばれてしまうなんて。
この国では、数十年に一度、魔獣の大量発生が起きる。それを討伐するために、優秀な騎士や傭兵や神官戦士、それに旅の世話をする義勇兵が選抜されて討伐隊が組織される。そして、討伐隊には、民の中から一人、『勇気持つ者』が任命される。
その昔、討伐隊の後を付いてきた男の子が、戦いに疲れ切っていた討伐隊のメンバーに民を守るという使命を思い出させ、苦難を乗り越えることができたという逸話から、討伐隊には必ず一人、民から『勇気持つ者』が選ばれる。
魔獣を討伐することは勿論だが、『勇者』に傷をつけずに守り通すことが、討伐隊の使命であり一番の誇りだ。
『勇者』は巫女の託宣により選ばれるが、健康な民であれば誰でも選ばれる可能性がある。身分も職業も性別も関係ない。
だからといって、魔獣討伐なんて危ない任務に、王城の下働きを始めて二年目になったばかりのアリーが選ばれるなんて、想像するわけがない。アリーは、運動神経は確かにいいが、剣や武術に通じている訳でも、薬草術などに秀でている訳でもない、ごく普通の女の子だ。
魔獣討伐は、一年ほどかけて行われ、その間、討伐隊は王都へ戻らない。
俺は門番だから、王城から離れられない。討伐隊に入りたくても、兵士になって二年目の俺ではその資格も実力もない。
このままだと、俺は彼女に一年も会えないままになってしまう。
恋人になるどころか、一年後に今の関係に戻れるのかも分からない。
◇◇◇◇◇
『勇者』に選ばれて多忙になってしまった彼女とは、これまでのように簡単に会うことはできなかった。
何とか彼女の同僚に頼み込んで伝言を伝えてもらい、二人きりの時間を作れることになったけれど、アリーの顔を見てしまうと、俺はなんと言っていいか分からなかった。
彼女は、覚悟を決めた目をしていた。危険な魔獣討伐に赴くことになるのに、これまで危険な場所に足を踏み入れたこともないだろうに、『勇者』の役目を果たそうとする強い意思が伝わってくる。
本当は、彼女の背を押して、応援する言葉を言わなければいけないのだと分かっているのに、その言葉が出てこない。
頭に浮かぶのは、彼女を引き止める言葉ばかりで。
……『勇者』には別の人を選び直してもらったらいいじゃないか、これまで通り王城にいちゃ駄目なのか。
……兵士をやめて、俺も義勇兵として討伐隊に参加する。アリーと一緒に行く。
……危ない場所に行って欲しくない、俺の近くにいて欲しいんだ。
情けない台詞だと自覚している。仕事に真面目で責任感の強い彼女にそんなことは言えない。
でも、頑張ってこいなんてもっと言えない。もし俺が。俺が、
「門番なんかじゃなくて、もっと別の、俺が騎士だったら、アリーと一緒に行けたのに」
ぽろりとこぼれた言葉に、アリーが目を見開いて、それから大きな目でこちらを睨みつけてくる。
「なんか、なんて言っちゃ駄目でしょう!王城を守る大事な役目なのに!私や討伐隊の皆が帰ってくる場所を守る仕事じゃないの!」
アリーが本当に怒っている声で言う。
門番「なんか」と思ってしまった自分に気づいて、自分の仕事を貶してしまった自分に落ち込んで、それを怒ってくれるアリーの声が嬉しくて。
「なんか」なんて言ったことを反省する。二年目の俺に任された、大切な仕事だ。彼女が帰る場所を守る仕事だ。
「ごめん。俺が間違ってた。俺の仕事は門番だもんな。俺は王城でアリーの帰りを待つよ」
俺がするべきことは、彼女を引き留めることでも、彼女を追いかけることでもなくて、彼女をここで待っていること。
ちゃんとアリーに向き合って、目を見て、言葉を言い直す。彼女はほっとしたように表情を緩めて、笑った。
「じゃあ、ロイは門で出迎えてね。私、頑張ってくるから。それで、帰ってきたら真っ先にただいまってロイに言うから、ちゃんとおかえりって言ってね」
俺と彼女は二人とも王城勤めで、長い時間離れるようなことはこれまでなかった。だから、改めてただいまやおかえりを言うことなんて必要なかった。
だけど、今回の魔獣討伐は違う。これまでの『勇者』は皆、元気に帰ってきた。だからといって、心配しない訳がない。
魔獣討伐からの帰還の最初のあいさつを、俺にくれると彼女は言う。
魔獣討伐の任務を終えて、最初に挨拶に行くのは、一番大切な人のところだと誰だって知っている。
だから、彼女の顔は赤くなっているし、俺の顔だってきっと赤い。
やっぱり、『勇者』に選ばれるだけのことはある。アリーは、いつでも俺の背中を押して、恐れずに一歩踏み出す言葉をくれる。
敵わない、といつも思っている。
「分かった。ちゃんと待ってるから、無事に帰ってこいよ」
「うん!」
満面の笑みで飛びついて来る彼女をいつものように一回転振り回す。いつもはそれで終わりだけど、彼女がいたずらっぽい表情で見上げてくるから、こわごわと腕を回してそっと抱きしめる。
今日はここまで。この先は、一年後。時間と距離に引き離される彼女が、また俺の側まで戻ってきてくれてから、だ。
◇◇◇◇◇
討伐隊一行は、王城の南門から旅立っていった。
大きな行事があるときにだけ開放される、一番大きくて一番立派な門。門番もずらりと左右に並ぶ。
俺はたまたま南門の当番で、旅立つ彼女に恥じることがないように真っ直ぐ前を見て、門番の役目を全うする。
一番豪奢な馬車がジャラジャラと装飾品が鳴らす音を響かせながら通り過ぎたとき、
「行ってきます!」
アリーの大きな声が響き渡った。
俺に向けての言葉だと分かった。一年後、彼女が無事に戻り、ただいまを言うための、旅立ちの言葉。
仕事中の俺は言葉を返せないけれど、代わりに、心の中で返事をする。
……元気でな!無事に戻れ!おかえりって言うの、ずっと待ってるからな!
やがて一行がゆっくりと遠ざかって行き、真っ直ぐに固定していた視線の先に、彼女の姿が入ってくる。
おぼろげに見える表情は、きっと笑顔。『勇者』の紋章が入った旅装束は見慣れないが、よく似合っている。でも、俺はいつもの制服姿で下働きを頑張っている彼女の方が好きだ。
だから、無事に帰ってこいよ。待ってるからな。
何度も何度も、討伐隊が視界から消えるまで、口には出さずに願いをかける。
そうして、俺と彼女の一年が始まった。
◇◇◇◇◇
とうとう、この日が来た。
今日、アリーが帰ってくる。
王城は何日も前からその話題で持ちきりで、誰も彼もがそわそわと討伐隊の帰りを待ちわびて落ち着かない。
今日の俺の当番は、西門だ。討伐隊一行が通るのは南門。残念ながら、凱旋の様子を見ることはできない。
事情を知る同僚が、非番を代わろうかと言ってくれたが、断った。
彼女が、懸命に役目を果たして帰ってくる日に、私情で持ち場を離れるなんて、それこそ彼女に顔向けできない。
王城の中では下っ端の仕事だけど、門番だって大切な役目だ。今の俺にはちゃんと分かっている。ちゃんと門番の役目を全うして、恥ずかしくない自分で彼女に再会したい。
王城だけでなく、王都に住む人々も南門に詰めかけているらしく、普段はそれなりに混み合う西門も今日だけは閑散としている。
南門の方向からは、大きな歓声が響いてくる。音だけではなく、地面を揺らす振動も届いて、人々の歓喜が伝わる。
そちらに気を取られそうになるのを堪えて、ぐっと正面に視線を固定し、周囲に注意を払う。こんな時こそ、西門をしっかりと警護するのが俺の仕事だから。
やがて、歓声が少しずつ小さくなり、南門が閉まる音が響いてきた。討伐隊一行が無事に王城へ入ったということだ。
ほっとして小さく息をつく。討伐隊の主立った面々は、この後、謁見の間で陛下に討伐の成果を報告して、その後は夜の祝賀会だ。明日以降も、歓待の予定が詰まっていて忙しいと聞いている。
この日をずっと楽しみにしていたが、『勇者』の役目を終えたアリーが俺に会いに来てくれるのはいつになるやら。
門番の俺は今日の祝賀会には出席できないが、王城の食堂でいつもより豪華な夕食が振る舞われる。夕方に業務を引き継いだら、ご馳走を腹一杯食べて、その後はどうしようか。
王城も王都も今日からしばらくはお祭り騒ぎだ。同僚を誘って、王都を見て回るのもいいかもしれない。きっと彼女にちなんだ菓子なんかが売られるだろうから、買って帰って彼女に感想を言ってやろう。
交代まで数刻。それまでは、気を抜かずに門番を続けよう。
◇◇◇◇◇
森と空の境がオレンジ色に染まり始めた頃、交代の兵士がやってきた。
いつもより少し早くやってきたそいつは、なぜかニヤニヤと面白そうに笑っている。自分が笑われているのは分かるが、理由が分からない。
なぜか急かされながら引き継ぎをしていると、詰所の方から妙にザワザワと人の多い気配がする。気になるが、そちらに背を向けているので様子が分からない。
「よし、引き継ぎ終わりだ。行けよ!」
背中を強く叩かれてつんのめる。振り返ってまだ笑っているそいつを睨みつけてから、視線を戻す。
詰所の入り口の前。いつもはない人だかりの奥から、小柄な人影が飛び出してくる。もちろん見間違えたりはしない。
髪が短くなっている。ちょっと顔が痩せた。旅立ったときと同じ『勇者』の紋章が入った旅装束。それから、ちょっと泣きそうになっているけど、それに負けない顔いっぱいの笑顔。
「ロイ!」
大声とともに、アリーが猛然とこっちへ走ってくる。多分、過去最高速度だ。特に荷物になる物は持っていないから、両手を広げて待ち構える。
勢いをゆるめることなく走ってきた彼女を正面から受け止めて、彼女を抱えたまま一回転ぐるりと振り回してから地面に下ろし、我慢なんかできなくて、思い切りぎゅっと抱きしめる。彼女の温度が懐かしくて、俺もちょっと泣きそうだ。
「ロイ!」
彼女の顔は俺の胸に埋まっているから、声はちょっとくぐもっている。
「アリー」
彼女の名を呼ぶのも一年ぶりだ。一年分の思いが溢れ出してきて、胸が熱くなった。
彼女はどうなのだろう。同じように、胸を熱くしてくれているだろうか。
「南門でロイを探したけど、いなくて。謁見終わってから聞いたら夕方まで西門だっていうから、仕事の邪魔はできないし、詰所でこそっと待ってたの」
ぽそぽそとつぶやく声に周囲を見渡すと、ハンカチで目元を拭う女性やら拳を握りしめた男性やらが、柱の陰や茂みの奥からこちらを窺っている。
今日の主役の一人がこそっと詰所にいたら、それは注目を浴びるだろう。そしておそらく、先ほど引き継ぎをした同僚が、俺と彼女の関係を説明してしまったに違いない。
そうでなかったら、全員が全員、こうも訳知り顔でうずうずとこちらをみている説明がつかない。それはあいつもニヤニヤするはずだ。
衆人環視の状況に恥ずかしさがこみ上げてくるが、だからといって場所を変えるような余裕など欠片もない。
彼女が、ごそごそと動いて、俺から一歩距離を置く。彼女が何をしたいか分かっているから、俺は動かず彼女の言葉を待った。
王城の中から門番へ向かって言うなら、普通は「行ってきます」が定番文句だけど、その言葉はもう一年前にもらっている。だから今日は。
「ただいま、ロイ!私、帰ってきたよ!」
言い終わるや、飛び上がるようにして首に抱きついてくる。
彼女の背中と腰に腕を回してぎゅっと抱きしめて、この一年ずっと言いたくてたまらなかった言葉を耳元に囁く。
「おかえり、アリー。ずっと待ってた……!」
もう周りなんて気にならなかった。拍手と歓声が沸き起こっていたけど、今はどうでもいい。
夕日が濃く色を沈ませてゆき、彼女が祝賀会へ、俺が食堂へ引っ張っていかれるまで、俺は彼女を腕の中から離せなかった。
ちなみに、『勇者』には、旅からの帰還後に何か一つ、陛下に願いを言うことができるという決まりがあるのだが、今回の『勇者』は、「ロイがおかえりって言ってくれたら、ロイと結婚させて下さい!」という、陛下に願うまでもない願いを申し出て、公開プロポーズ予告とか『勇者』マジ勇者、とかそんな話が瞬く間に広がり、『真の勇者』と呼ばれるようになった。
そんなことしでかしたんなら、そりゃ、あれだけギャラリーが集まるわけだよ……。
◇◇◇◇◇
さてその後はと言えば。
門番を無事に勤め上げて王城内の建物外警備に昇格になった俺は、同じく『勇者』から下働きに戻ってそこから食料庫管理担当に昇格した彼女と、無事結婚した。
稼ぎはまだまだ少ないけど、俺たちもまだまだこれから出世するつもりだから、問題ない。
彼女がもらった『勇者』の報奨金は、将来子供が生まれたときのために貯蓄している。
子供には、お前の母ちゃん、『勇者』に選ばれて世界を救った英雄なんだぜ、すげーだろって自慢するのが今から楽しみで仕方ない。(『真の勇者』のくだりは恥ずかしいから俺からは言わない。)
そして、地味だけど、その間、父ちゃんは王城の平和と、母ちゃんの帰る場所を守ってたんだって、そう言ってやろうと思う。
妹からのお題。
・定番のすれ違いからのハッピーエンド系ファンタジー
・バトルか仕事がメインで恋愛は帰ってきてから
・片方が門番(西門)
・片方が勇者一行
すれ違いとバトルはどっかに消えましたが、西門が登場したので許してもらえました(笑)
◆◆◆アリー視点のおまけ◆◆◆
『勇者』に選ばれて目が回るような忙しさの中、久しぶりに会ったロイは、混乱で頭がぐるぐるしてるのがよく分かる表情でこっちを見ていた。
情けないことを考えてるんだろうなーと思う。
腹をくくっちゃったら後はびっくりするくらいに肝が据わるくせに、それまでは優柔不断で意気地なし。
それに、ロイは恋愛事に弱いところがある。自分で言うのもなんだけど、私が絡むと、とたんに頭の働きが馬鹿になっちゃう。
「門番なんかじゃなくて、もっと別の、俺が騎士だったら、アリーと一緒に行けたのに」
色々考えた中で多分ましな方の言葉だったんだろうけど、「なんか」なんて言われたら黙ってられない。
二人とも、仕事の少ない田舎から出てきて、ようやくつかみ取った王城の仕事。王都出身の人にはそう難しくないらしいけど、まともな教育機関のない田舎の人間には、すごく難しい。
苦労してなった門番の職を「なんか」なんて、それを私が言わせてるなんて、我慢できない。
「なんか、なんて言っちゃ駄目でしょう!王城を守る大事な役目なのに!私や討伐隊の皆が帰ってくる場所を守る仕事じゃないの!」
発破をかけるために、いつもより強めに、怒ってる感じを出して睨みつける。
ロイが、みるみるうちに萎れていって、落ち込むのが分かる。でも、ロイは、ここからが強いんだ。
「ごめん。俺が間違ってた。俺の仕事は門番だもんな。俺は王城でアリーの帰りを待つよ」
決めたって目をしてる。よかった。私を待つって言ってくれた。ロイなら、ちゃんと一年間、待ってくれるんだろうなって分かる。
ロイがその言葉を言ってくれたから、私も勇気を出して言ってみる。私たちの関係を一歩進める言葉を。
「じゃあ、ロイは門で出迎えてね。私、頑張ってくるから。それで、帰ってきたら真っ先にただいまってロイに言うから、ちゃんとおかえりって言ってね」
ロイは鈍くないから、私の言いたいことはちゃんと伝わった。面白いくらいに顔と首が真っ赤になっている。私もきっと真っ赤だけどね!
「分かった。ちゃんと待ってるから、無事に帰ってこいよ」
「うん!」
嬉しくて、ロイに走り寄って飛びついてしまう。ロイは、私を一回転ぐるりと回して着地させてくれる。昔、妹相手にやっていたらしいんだけど、これ、体がふわっと浮くのがすごく気に入ってる。ロイも楽しそうだしね。
表情で催促してみたら、ロイがふわりと抱きしめてくれた。ちゃんとこうしてくれたのは、これが初めて。
次は一年後かーと思うと、長いけど。
でも、私だって、それくらいのご褒美がないと、一年間やっていられない。
急に魔獣討伐とか言われたって、本当は恐い。『勇気持つ者』とか言われたって、全然平気とはいかない。
でも、帰ってきたらロイが待ってる。おかえりって言ってくれる。そう思ったら、頑張らないわけにはいかないからね!
『勇者』の特典、どう使うか、実はもうぼんやり決めちゃってるんだけど。ロイ、驚くだろうなぁ。
続きは一年後。時間と距離に引き離された私が、ロイの側まで戻ってきたら。