彼は友人を昼食に誘う
四限目の体育が終わって教室に戻ると、既に女子達が制服に着替えて雑談をしていた。
女子の体育は運動場で行われていた。
女子更衣室で着替えて教室に戻ってきたという事を考えると、男子よりもかなり早く授業が終わっていたらしい。
男子は各々の席に行って着替え始める。
男子更衣室も用意はされているのだが、男の着替えを見られたところでどうなるものでもなく、全学年を通して更衣室で着替える男子というのは数えるほどしかいなかった。
斯く言う俺も大多数の一員である。
喧騒の中自分の席に歩を進めると、一息に体操服の上着を脱いだ。
机の上に畳んで置いていたシャツを手に取って広げていると、周りがやけに静かなのに気付いた。
そして多くの視線を感じる。
ふと気になって見渡すと、周りの人達は慌てて目を反らす。
何かおかしなものがあっただろうかと身体を見るが、何もない。いつも通りだ。
気にせずシャツを着ようとしたところで、修三から話しかけられた。
「な、なぁ歩。お前って、何かしてるのか?」
質問の意図が掴めない。
「何か、とは何だ?」
「いや、ほらこう……スポーツとか?武道とか?」
「いや、これといってしてはいないな。」
少なくとも現界では。
「その割にはなんつうか………すげぇな。」
「………?……何がだ?」
「いや、その身体だよ。」
と言われて再度確認する。
うむ、いつも通りだ。
「……………何がだ?」
「えっ!わかんねぇの!?まじで!?」
急に興奮する修三。
何が言いたいのかまるで理解できない。
「すまん、俺の身体になにかついているか?」
「いやいやいや、そうじゃなくてさ!何なんだよその鍛え込まれた肉体はよぉ!」
そう言われてまたもや視線を落とす。
程よく日に焼けた健康的な肌。
がっちりとした肩に盛り上がる僧帽筋。
くっきりとした流麗な線が走る三角筋、上腕二頭筋。
思いの外太い上腕の形を美しく整える三頭筋。
男にしては綺麗な肌に血管が浮き出る前腕。
胴体に目を向けると、程よく盛り上がった大胸筋にくっきりと美しく別れた腹直筋。
みっちりと引き締められた前鋸筋。
僅かにくびれを作る腹横筋。
下腹部に綺麗な逆三角形を刻む腹斜筋。
それらの肉体に刻まれている大小の傷痕。
……………うむ、いつも通りだ。
しかしなるほど、確かに何もしていない人間と比べると鍛えられているように見えるかもしれない。
これも日課の成果だ。
「……………鍛えているからな。」
「いや、それってそういうレベルなのか………?」
修三が呆れたように首を捻る。
体育前は皆慌てていたから見られなかったのだろう。
確かに少しは目を引く身体をしているかもしれないが、こうして全員が見るほどかと疑問に思った。
これ以上見られているのも気分が良くないので、手早く着替えてしまった。
クラスメイトも視線を外し、徐々に喧騒が戻っていった。
昼休みに入り、各々が行動を開始する。
ある者は持参した弁当等を取り出し、ある者は財布を持って学食か売店へと足早に向かう。
机を寄せ合ってグループで食べるところもあれば、一人で食べたり、隣の席の人と喋りながら食べたりする者もいた。
修三は数人の男子と一緒に学食へ向かったようだ。
俺は一年の時同様、弁当を持って屋上に向かおうとした。
四高では、学校にしては珍しく屋上を普通に解放しており、ベンチや机なども設置されている。
清掃も行き届いている為、夏などの暑い時分にはそこそこの生徒が集う人気スポットだ。
変なことを考える生徒がいないとも限らない為、網のフェンスはやや高めのもので、その上には有刺鉄線が三列で設置されている。
暑くなると人が多くなり始めるが、それ以外ではあまり人が多くない為、俺はよく屋上で昼飯を食べていた。
せっかくの屋上だが、わざわざ登るよりも教室の方が楽だし居心地が良い、というのが皆の本心なのだろうと思う。
俺のように一人でも落ち着きたい奴にはうってつけの場所だ。
桜さんお手製の弁当を持って廊下を歩いていると、売店でパンを買ってきたらしい恵恋に遭遇した。
お互いに顔を見て歩を止める。
先に口を開いたのは恵恋だった。
「歩君、どこかでお弁当食べるの?」
目線は手元の弁当に向いている。
「あぁ、屋上で食べようと思ってな。恵恋は弁当じゃないのか?」
「うん、僕は大体パンかな。」
「そうか、それじゃまた後でな。」
「あ、うん……また後でね。」
何か言いたげな空気を感じたがそれも一瞬。
恵恋はにこりと笑って通りすぎて行く。
ふと考えた。
友達なら一緒に飯を食べるのも良いんじゃないか?と。
俺は咄嗟に振り返って恵恋を呼び止めた。
「恵恋、ちょっと待ってくれ。」
「ん?どうしたの?」
恵恋もこちらを振り返って首を傾げる。
「良ければ一緒に食べないか?」
恵恋は暫し目をぱちくりとしていたが、やがて爽やかな笑顔を浮かべて大きく頷いた。
恵恋と連れ立って屋上へ向かう。
屋上の扉を開くと、気持ちの良い暖かな風が顔を撫でた。
「ふわー……良い天気だね!」
と微笑む恵恋。
昼前は少し雲が出ていたが、いつの間にか快晴となっていたようだ。
いくつかのグループがテーブル席に陣取っていた。
適当に空いている所に向かおうとすると、聞き覚えのある声に話しかけられた。
「あれ?歩センパイ?」
ふとそちらを見ると、小動物っぽい後輩が一人で座っていた。
橘六花である。
「六花、昨日振りだな。」
「うわー、やっぱりセンパイだ!何でここにいるんです?」
ぴょんっと立ち上がって寄ってくる。
「昼飯を食おうと思ってな。……こいつはクラスメイトの恵恋だ。恵恋、こいつは一年生の六花だ。」
「初めまして!橘六花です!」
「あ、初めまして、歩君のクラスメイトの霧崎恵恋です。」
両方に紹介すると、互いにちょこんと頭を下げて自己紹介する。
「霧崎センパイですね!あたしの事は六花って呼んで下さい!」
「六花ちゃんだね。僕のことも恵恋って呼んでね。」
「はい、恵恋センパイですね!宜しくです!」
それから六花を交えて話していると、屋上の扉が開き、京華が歩いてきた。
京華は俺の顔を見ると目を丸くし、パタパタと走ってきた。
「歩くん?どうしてここに?」
さきほどの流れと同じなので以下省略。
京華と恵恋が自己紹介をし、折角だからと四人で昼飯を食うことになった。
四人でテーブル席を陣取り、弁当を開く。
「うわー!歩センパイのお弁当美味しそう!」
「こら六花、そんなはしたないことしないの!」
キラキラと目を輝かせる六花を京華が窘める。
「京華、気にするな。構わないよ。」
「歩くんがそう言うなら………。あっ、確かに美味しそう………」
「でしょでしょ!?歩センパイ、それって例の桜さんが作ってくれたんですか?」
「あぁそうだよ。桜さんがいつも弁当を作ってくれるんだ。」
「例の?さくらさん??」
恵恋が話についてこれずちんぷんかんぷんのご様子。
ここ最近何度かした説明をする。
「へぇー、歩君の家には家政婦さんがいるんだねぇ。」
やや驚いた表情を浮かべる。
「まぁな。」
と言いながら、俺は橘姉妹の弁当へと目を向けた。
女の子らしい小さめの弁当箱。
同じ形の色違いのようで、六花が黄色で京華が桃色だ。
らしい色だなと思った。
中身を見ると、同じものが入っているようだ。
「二人の弁当は誰が作っているんだ?」
「ふっふっふっ、それはなんと………じゃじゃーん!お姉ちゃんの手作りでしたー!」
よくわからんハイテンションで六花がない胸を張る。
なぜお前が偉そうにするんだ。
「いつも京華が作っているのか?」
「うん。両親は忙しいから、いつもは私が二人分作ってるの。」
「凄いじゃないか。見たところ栄養バランスにも気を配っているようだし、出来も良い。良い腕をしているな。」
上から目線の言い方になってしまったが、これも偽らぬ本心だ。
褒められた京華は顔を赤らめて俯く。
「い、いえそんな……これでも一応、料理部ですから……」
初耳だ。
「ほう、京華は料理部だったのか。」
「知らなかったの、歩くん?」
何故か恵恋が不思議そうな顔をする。
「なんだ、恵恋は知っていたのか?」
「料理部の橘さんって言えば、僕らの学年じゃ結構有名だと思うよ。一年の頃からよく話題になってたみたいだから。」
「ほう、そうなのか?」
と京華を見ると、照れたような困ったような顔をしていた。
すると、代わって六花が口を開いた。
「お姉ちゃんは昔からモッテモテなんですよ!高校に入ってからもよく告白されてたみたいだし!」
「ちょっと六花!余計なこと言わないで!」
ニシシと笑いながらからかうように言う六花に、京華が顔を赤くして可愛く怒る。
…………まぁ気持ちはわからんでもない。
京華は可愛いからな。可愛いから仕方ない。
「でもそんな話もよく聞いたな。サッカー部の池浦君が告白して振られたとか。」
と恵恋が思い出すように言った。
サッカー部の池浦…………知らんな。
「池浦綿投君、運動神経良くてイケメンだって評判だよ。」
メントス!?それ名前なのか!?
「イケメンで性格も悪くないのに、その名前のせいで彼女ができた事ないんだって。」
駄目じゃないかメントス。駄目じゃないか。
「そのメントスが京華に告白して振られたのか………やはり名前が嫌だったのか?」
「い、いやいや、そんなんじゃないよ?ただ……私、あんまり池浦君のこと知らなかったから………」
なるほど。
「ふむ、そうか。」
そういう事もあるだろう、と思った。
それにしても恵恋は以外と情報通だな。
お前もぼっちだと思っていたのに。
「休み時間は周りの話を盗み聞いていつでも話せるようにしてたんだ!………ついに話す機会は訪れなかったけどね。」
だってさ。
あまりにも寂しげな表情をするのでこれ以上は踏み込めなかった。
「あっ、でもでも、歩センパイもモテるんじゃないですか?」
微妙な空気を払拭しようと話題を提供する六花。
「俺がモテる?」
何を言っているんだ?六花はアホの娘なのか?
「だって歩センパイってば結構イケメンだし、クールでカッコいいじゃないですか!ね、お姉ちゃん?」
イケメンと言われるのは嬉しいがクールってのはただ無表情なだけだと思う。
話を振られた京華はオロオロする。
「あっ、う、うん……私もそう思うよ!」
何か無理してる気がするのは俺だけか?
「京華、無理をするな。」
「む、むむ無理なんてしてないよ!?歩くんはほんとにその………か、カッコいいと思う!」
「そうか………ありがとう。」
世辞だとしても受け取っておこう。
俺はデキる男なのだ。
「それで、そこんとこどうなんですか、恵恋センパイ?」
問いかけられた恵恋は悩む様子を見せる。
いや、いくら恵恋でも俺のことは知らんだろう。
「うーん………歩くんも有名と言えば有名なんだけど………」
え、そうなの?
「ただそれは何て言うか……その…………」
恵恋はチラチラと気まずそうにこちらを見る。
「どうした恵恋?何か言いづらい事でもあるのか?そもそも俺の名が有名とかいうのは初耳なんだが。」
「んー…………ほら、去年の春に色々あったでしょ?あれで歩くんの名前が広まったんだよね。」
去年の春、か。
……………………ふむ。
「去年の春?何か知ってる、お姉ちゃん?」
「えっ、う、うん………一応、ね。」
京華も言いにくそうに俯く。
微妙な空気になって六花はオロオロしている。
「あ、あれ、これってもしかして、聞いちゃいけないやつでした?」
ちょっとだけ涙目になってこちらを見る六花。
……………まぁ、他人に話させるものでもないか。
俺は小さく溜め息をこぼし、口を開いた。
「去年の春、まだ俺らが入学して一ヶ月も経っていない時の話だ。」
やや緊張した面持ちの六花を見つめる。
「俺はーーー」
ーーーとある事件を起こして停学になったんだ
池浦綿投
サッカー部のイケメン。
京華に告白して振られた。