(7)先輩は暗殺者:2
作中に「ボーイズラブ」という言葉が出てきますが、そういった展開は一切ありません。今後もそのような展開は書きませんので、どうぞご安心くださいませ☆
突然一年生の教室に現れた鮫尾先輩に見つめられ、私はその視線から逃れる術を持たない。ひたすらに、ジッと視線を重ね合わせる。
しばらく視線を交わしていたものの、先輩には一切の動きがなかった。
部活に行こうとしたり、帰ろうとしていたクラスメイト達は、いきなり登場した鮫尾先輩に恐れおののき、教室前方の入り口からそそくさと出ていく。
中には、美形な鮫尾先輩に見惚れている女子たちもいる。魚類最強と謳われるホオジロザメを彷彿とさせる先輩に見惚れるとは、なかなか肝の座った女子たちだ。
まぁ、昨日は私も見惚れたのだが、あれは今と状況が違う。
目を閉じた先輩はかっこいいのに綺麗で、おまけに目付きの鋭さが薄れていたから、見惚れることができたのだ。こんな威圧感バリバリのビームを発している先輩に見惚れるなど、小心者の私には逆立ちしてもできない芸当である。
――な、なんか、怖い……
このまま先輩を見ていることができなくて、私はゆっくりと顔を前に向け始める。
すると、次の瞬間、先輩の目がカッと見開かれた。あまりに鋭い視線は、まるで殺人ビームでも出ているかと思えるほどだ。
ビックリした私はそのまま固まってしまい、顔を動かすことができなかった。
ふたたび先輩との視線ががっつり絡み合うと、途端に先輩の殺人ビームの威力がほんの少しだけ弱まる。
――な、なに? 先輩から視線を逸らしたらダメってこと?
背中に冷や汗を流しながら動かない私に、赤石君が声をかけてきた。
「おい、木野。どうしたんだよ、急に黙り込んで。こっち向けよ」
――む、無理でござんす。先輩から視線を逸らした瞬間、私はきっと頭からガリガリと齧られるでござんすよ。
動揺するあまり、心の中の独り言がおかしな語尾になっている。動揺するにしても、あまりにお粗末だ。
だが、それだけ私に向けられる先輩の視線が鋭いのだ。
いや、睨まれているという訳ではないと思う。昨日、裏庭で見た表情と、ほとんど変わりはない。
だた、とにかく視線が鋭いのだ。
――私、なにか悪いことをしたのかな?
しかし、原因については、まったく見当がつかなかった。
今日の私は今の今まで先輩と会うことはなかったので、先輩が不機嫌になる原因を自分が作ったとは考えられない。
ならば、どうして鮫尾先輩は暗殺者のごとき視線をこちらに向けているのか。さらには、どうして私がいる教室が分かったのか。個人情報としては、兄がいるというくらいしか明かしていなかったと思うのだが。
そんなことをグルグル考えていたら、私の肩に明石君の大きな手が乗った。
手の平の感触により、私は金縛りが解けたかのように、ハッと我に返る。
「な、なに?」
思わず視線を先輩から赤石君に移し、私は首を傾げた。
わざとではないが、しばらくの間、赤石君を無視した形になっていたのだ。呆れて、さっさと立ち去ったかと思っていた。
ところが予想に反し、彼はバツが悪そうな表情を浮かべていた。さきほどのいじめっ子みたいな感じは、少しだけ薄れている。
「赤石君?」
首を傾げた状態で名前を呼ぶと、彼は凛々しい眉をキュッと真ん中に寄せる。
「もしかして、俺がからかったから不貞腐れているのか? あ、あれは、お前を馬鹿にしたんじゃなくて、その……」
いつもはズバズバと物を言う赤石君にしては、かなり歯切れの悪い物言いである。そんな彼の様子が気になり、私はさらに首を傾げる。
その時、いきなり後ろから腕が伸びてきて、私のことを拘束してきた。誰かさんの右手が私の左肩を、そして誰かさんの左手が私の左肩をやんわりと掴むように、体の前で交差している。
後ろに立つ誰かさんはかなり背が高いようで、私は回された長い腕の中にすっぽりと納まっていた。
「え?」
突然のことに、私も赤石君も目がまん丸になる。赤石くんは、顎が外れそうなほど口を開けていた。
「ど、どうして、先輩が……」
唖然としている赤石君の口から、やっとという感じで言葉が出てきた。
彼が『先輩』といったおかげで、誰かさんの正体が分かる。
「さ、鮫尾先輩!?」
「正解」
グリンと首を捻って後ろを見れば、例のごとく、短い言葉が返ってくる。
先輩と目が合うと、回されている腕にキュッと力が入った。痛みはなく、いっそう抱き込まれた感じである。
切れ長の目はジッと私を見ているけれど、さっきのような鋭さはない。
――どうして、あんなに怒ったような目をしていたのかなぁ。
しかし、今はのん気にそんなことを考えている場合ではない。
クラスメイトが残る教室で、しかも目の前に赤石君がいる状況で抱き締められているのだ。恥ずかしさのあまり、体が木っ端みじんに爆発しそうだ。
「あ、あ、あの、先輩、放してくださいっ」
「嫌だ」
「だ、駄目ですよ。ここは教室ですし」
「嫌だ」
「お願いします、放してください!」
「嫌だ」
昨日と同じく、なにを言っても『嫌だ』の一点張りだ。
ウチの高校は男女交際について禁止はされていないが、それでも、この行動はマズい。先生に見つかれば、確実にお小言を食らうだろう。
というか、私は先輩とお付き合いしていないので、身に覚えのないことでお小言を食らうのは納得いかない。
ガッチリ組まれている先輩の腕を引きはがそうと躍起になるものの、残念なことにビクともしなかった。遠慮なく引っ張っても、パチパチと叩いても、まったく状況は変わらない。
「な、なんでこんなことをするんですか?」
混乱と恥ずかしさで、じんわりと涙が浮かんでくる。そんな私をじっと見つめ、鮫尾先輩はポツリと言った。
「牽制」
「はい?」
先輩が口にした言葉が理解できず、私はパチクリと瞬きをする。
――けんせい? 県政、憲政、権勢、県勢、顕性、健成、研成……
思いつく限りの「けんせい」を漢字変換してみるものの、どれもしっくりこなかった。いったいどういうことだろうかとジッと見上げれば、先輩の顎が私の頭に乗る。
そのため先輩と目が合わなくなったが、恥ずかしさは倍増した。
――な、な、なにこれ!? なんで、こんな少女漫画展開になってるの!?
背の高い彼氏が背の低い彼女を後ろから抱き込み、ポスッと顎を彼女の頭に乗せるシーンは、身長差カップルの醍醐味である。
ちびっ子の私も、もれなくこのシーンに憧れを抱いているが、それを実現するのは今ではないし、希望する相手は鮫尾先輩でもない。
――このままだと、本当にマズい! 先生たちに見られたら、どんな言い訳しても通用しそうにないよ!
私はますますムキになって暴れるけれど、先輩の腕はやはりビクともしない。無意味に私が疲れる結果になっただけだった。
――ちくしょう、細マッチョめ! 腕力を無駄使いしやがって!
心の中で先輩に悪態をついた私は、グタリと力を抜いた。
甘えるつもりは一切なく、単に疲れたから先輩にもたれかかる形になったのだが、私の様子を見た赤石君の目が、零れ落ちそうなほど大きくなった。
「き、木野!?」
日頃はふてぶてしいといった態度ばかりが目に付く赤石君が、こんなにも唖然とした顔を見せるなんて、明日は雪でも降るのではないだろうか。
それにしても、彼はどうしてそこまで驚いているのだろうか。鮫尾先輩が現れたくらいでは、そんなに驚くほどでもないだろう。
それなら、学校一の有名人が、なんの取り柄もないちんちくりんの私を羽交い絞めしていることが原因だろうか。
まぁ、それなら分からなくもない。接点がないはずの私が、先輩に捕獲される理由など、いくら考えても思い当たらないだろうし。
「木野、お前、まさか先輩と……」
赤石君はそこで言葉を区切り、悔しそうに歯ぎしりをする。握った手がブルブルと震え、声は押し殺しつつも、ギラギラした視線がこちらに向けられた。
その様子では、私たちのことに嫉妬しているようではないか。
――嫉妬ねぇ。あはは、いったい、なにをしっとするんだか。私と先輩は、なんの関係もないんだし。
自分の想像があまりにばかげていたので、私は心の中で苦笑いを零した。だが、あることに思い至り、私は息を呑んだ。
――ま、ま、まさか、赤石君の好きな人って……
私は目の前に立つ赤石君を、じっくりと観察した。
普段とはまるで違う様子を見せてくる赤石君は、それだけ真剣だということだ。つまり、真剣に鮫尾先輩を好きだということだ。
世の中ではボーイズラブというジャンルが確立され、男子同士の恋愛にキャッキャウフフと盛り上がる人種が存在するという。
しかも最近では、ボーイズラブを愛読する腐男子という人種も現れたとか。彼らは作品を楽しむだけで、恋愛対象は女子らしい。
だが、赤石君は恋愛対象が男子の腐男子なのだ。そして、好きな人というのは鮫尾先輩なのだ。
だから、先輩の腕の中にいる私に嫉妬しているのだろう。ああ、そうだ。そうに違いない。それ以外に、彼が苛立ちを露わにする理由が見当たらない。
私は慌てて口を開いた。
「あ、赤石君! 違うから、安心して!」
私は赤石君の恋路を邪魔したりしない。人には言えない恋心は面白い、いや、その、ゲフン、ゲフン。片想いの切なさは分かるつもりだから(少女漫画でさんざん予習しているからね)、応援してあげたいと思ったのだ。
ところが、赤石君は怪訝な顔で私を見る。
「なにが違うんだよ?」
彼の表情は『こんなに親密そうに抱き締められておいて、お前はなにを言っているんだ?』と物語っているが、それは盛大な誤解である。
「わ、私、その、先輩とは、なんの関係もなくて……、いででででっ」
弁明をしようとした途端、先輩のあご先が私のつむじをグリグリと抉った。あまりの痛さに私はジタバタと暴れる。
そのせいで、先輩の腕が僅かに緩む。私はグルンと向きを変えて、先輩に向き直った。
「痛いです! なにをするんですか!」
だけど、先輩は私を見ていなくて、どういう訳か赤石君を見ていた。威力を増した殺人ビームを目から発しながら。
すると、赤石君は慌てて教室を出ていった。
至近距離で浴びるビームの威力に恐れをなしたのか、いや、きっと、鮫尾先輩に見つめられたことが恥ずかしかったのだ。
たとえどんなに鋭い視線だろうと、大好きな人に見つめられたらドキドキするものだ。
――赤石君、私は君の味方だからね。内緒の恋、バッチリ応援するからね!
バタバタと忙しなく遠ざかる赤石君の足音を聞きながら、クラスメイトの切ない恋路を
全力で応援しようと決めた私だった。