(6)先輩は暗殺者:1
翌日。
放課後を迎え、私は思案に暮れていた。
それは、五時間目の現代国語で出された宿題が、どうしたって一人で解けそうにないからではない。
いや、一人で解けないのは事実なのだが、そういう場合は『必殺★友達パワー♪』を炸裂させるので、まったく問題はないのである。
この技は、泣き落としの次に私が得意とする必殺技。自分がピンチに陥った時、半泣きで友達に頼み込めば、大抵のことに協力してもらえるという、非常にありがたい必殺技なのである。
……必殺技といいつつ、結局、友達の力に頼っているので、「どこが必殺技だ!」と突っ込まれこと請け合いだが、深く追求するのはやめて頂こう。
そして、本日、私の身長がクラスの女子内で一番低いことが決定したことに、頭を悩ませているわけでもない。
入学後に行われた身体測定では、百四十八センチジャストだった私。だが、この時点では私よりも背の低い女子が一人いた。
ところが、百四十七センチだった子が、昼休みに遊び半分で身長を測った結果、なんと、百四十八、三センチになっていたというではないか。
誰から見ても私はチビの範疇だが、それでも、自分より背の低い子がいるという事実が、私の心を支えていた。
それなのに、それなのに……
ちなみに、その話を聞いた私がすぐさま保健室に出向いて身長を測ってみたところ、百四十七、四センチだった。
おかしい。なぜ、彼女は背が伸びて、私は縮んだのか? 身長測定器がまさかの反抗期なのか?
――解せぬ……
ガックリと落とした私の肩を、保険室の主であるおじいちゃん先生がポンポンと優しく叩く。
「身長を測定する時間で、数ミリの誤差は出るんだよ。時間が経つにつれ、頭の重みで首や背骨の関節が縮まるからね」
それを聞いた私は、即座に復活。
やはり、私は百四十八センチの女なのだ! 先ほどの数値は、本来の私の身長ではないのだ!
意気揚々と保健室を出ようとした瞬間、「それでも、百四十八、三センチの子よりは低いんじゃね?」ということに気付き、ふたたび肩を落としたものだった。
しかし、今の私を悩ませているのは、宿題でも、身長のことでもない。お気に入りの裏庭に行くべきか、ということについてであった。
鮫尾先輩からは私が行っても邪魔にはならないと言われたので、裏庭に出向いたとしても、おそらく問題はないはず。
それでも、なんとなく足を運ぶことにためらいがあった。
――だって、あんなことをされたら、先輩と顔を合わせにくいよ……
イチゴ牛乳を飲むまでの謎の儀式。
先輩の膝の上で過ごした数分間。
それを思い出すだけで、いたたまれなさがこみ上げてくる。
「はぁ……」
私はため息とともに机に両腕を投げ出し、グタッと頭を付けた。
美形長身の先輩とのスキンシップが気恥ずかしい思いもあるけれど、それ以上に、戸惑いが大きい。
個人的にはなんのつながりもない先輩で、しかも学校一の有名人とのコミュニケーションは先輩の理解不能な行動のせいで頭が痛かった。
先輩が私に危害を加えようとしていなかったのは分かっているし、イチゴ牛乳は善意によるプレゼントだろう。
どうして、知り合いでもない私にイチゴ牛乳をプレゼントしてくれたのかを考えると、さらに訳が分からなくなりそうなので、今は無視してしまおう。
機会があれば、どうして私にイチゴ牛乳をくれたのかを尋ねてみたい気もするが、そうそう顔を合わせたい人ではない。
――今日は、行くのをやめようかな。
確かにあの裏庭はお気に入りで、毎日だって通いたいけれど、気まずい思いをしてまで足を運びたくないというのが正直なところだ。
――たまには、友達と交流を深めるのもいいよね。
このクラスには、お弁当を一緒に食べたり、冗談を言い合ったりする仲良しな友達が二人いる。
彼女たちは合唱部に所属しているので、放課後はいつも部活に勤しんでいた。
でも、今日は顧問の都合により、部活が休みになったと聞いている。この機会に、中学の頃には許されなかった寄り道を存分に楽しもうではないか。
私はガバッと席を立ち、帰り支度をしている二人に駆け寄った。
「茜ちゃん、琴乃ちゃん。一緒に、甘い物でも食べに行かない? あ、カラオケもいいよね」
にっこり笑いかけると、二人は互いに顔を見合わせてから、申し訳なさそうに私へと視線を移した。
「……私、これからデートなんだ」
「……あ、私も」
私は愕然とした表情で、二人を見つめた。
――な、ん、で、す、と! 高校生になってまだ三ヶ月も経っていないのに、もう、彼氏をゲットとな!?
いや、まぁ、二人とも可愛いので、理解できる。
ちんちくりんの私と違って、スラッとしているし。出ているところは出ていて、締まるところは締まっているナイスボディの持ち主である。
友達の欲目ではなく、顔立ちも可愛いと思う。
近藤茜ちゃんはパッチリした二重の持ち主で、柔らかなウェーブがかった天然パーマのこげ茶の髪は、優しい雰囲気の西洋人形を思わせる。
対して志摩琴乃ちゃんは、きれいな形をした奥二重で、腰までまっすぐ伸びた黒髪が、上品な日本人形みたいだった。
そんな二人に、彼氏ができてもおかしくはない。……おかしくないけれど、裏切られた気分だ。
言葉をなくした私に、二人は慌てて「ごめんね」と謝ってくる。
――ええい、謝ってくれるな。かえって、自分が情けなくなってしまうではないか!
ズドンと肩を落とす私に、二人がいそいそと手を差し出す。
その手の上には、イチゴ味の飴と、イチゴ味のチョコが乗っていた。どちらも、私の大好物だ。
途端に、気分が上向きになる私。
「いいの!?」
パアッと表情を明るくする私に、二人はホッと息を吐く。
「うん、食べて食べて。真知子、イチゴ味のお菓子、好きだもんね」
「遠慮しないで。真知子ちゃんのために、買ったんだから」
「ありがとう!」
私は茜ちゃんと琴乃ちゃんの手から、お菓子を受け取った。やった、思いがけなく、お菓子ゲット!
ホクホク顔の私の頭を、二人が交互に撫でた。
「今度は、三人で美味しいドーナツを食べに行こうよ」
「カラオケにも行こうね」
「分かった、楽しみにしてる! じゃ、デートを楽しんできてね!」
私は教室を出ていく二人に、ブンブンと大きく手を振った。
我ながら単純だけど、大好きなイチゴ味のお菓子を出されたら、機嫌だってよくなるってものだ。
それに、本気で二人を裏切り者だとは思っていないしね。大事な友達だから、彼氏さんとも仲良くしていてほしいし。
二人を見送った私は、ご機嫌でお菓子を自分のバッグにしまった。家に帰ったら、もらったお菓子を食べながら、お気に入りの漫画を読もう。
そう考えていると、一人の男子がやってくる。
「おー、なんだ。木野はデートじゃないのかぁ?」
ニヤニヤしながら話しかけてくるのは、クラスで一番背が高い男子である赤石君だった。鮫尾先輩よりは低いけれど、それでも、私よりも頭一つ以上は大きい。
身長差による威圧感に加え、彼はなにかにつけて私をからかってくるので、ちょっと苦手だ。
私は黙って帰り支度を始める。
すると、私の机に赤石君がドンと腰を掛けた。
「近藤も志摩もデートだっていうのに、木野は一人ぼっちで帰るのかぁ」
さらにニヤニヤと笑う赤石君を、キッと睨み付ける。
「うるさいな、赤石君には関係ないでしょ」
そっけなく言い返せば、彼は私の顔を覗き込んできた。
「そう、怒るなって。この俺が、寂しい木野とデートしてやるからさ」
「は?」
思わず手を止めて赤石君を見ると、彼はニンマリと口角を上げる。
「優しい赤石様が、木野に救いの手を差し伸べてやる。感謝しろよ」
どこが優しいの?
なんで感謝しなくちゃいけないの?
ますます不機嫌になった私が文句を言ってやろうと口を開きかけた瞬間、突き刺さるような視線を感じた。
――な、なに?
私は本能的な身の危険を感じ、慌てて振り返る。
すると、教室後方の入口に立って、こちらをジッと見ている鮫尾先輩と目が合った。
――えっ!? どうして先輩が一年の教室に?
疑問が渦巻くものの、学年が違うとはいえ、二年生が一年生の教室が並ぶ階に来ても、特に問題はない。もしかしたら、この教室に知り合いがいるのかもしれない。
というのは、私の現実逃避だろう。
鮫尾先輩の視線は、確実に私を捉えていた。
――や、殺られる……
目を逸らしたら、確実に捕食される。そう思った私は、じっと先輩を見つめるしかなかった。