(51)嬉しさ3、恥ずかしさ7の初デート:6
かなりの疲労困憊に陥りながらも、私は最後まで苺ミルクを美味しくいただいた。
先輩も、私と同じくらいのタイミングでコーヒーを飲み終えた。
特に感想を言わないけれど、今の先輩は穏やかに微笑んでいるので、きっと美味しいコーヒーだったのだろう。
それにしても、ただコーヒーを飲む姿でさえ絵になる人だ。改めて、ずば抜けてかっこいい人なのだと感心する。
――これで、中身がアレじゃなければよかったのに。
思わず、私は心の中で呟いてしまう。
こんなにも、中身と外見がズレまくっている人が見たことがない。ギャップ萌えの範疇を明らかに超えていると、つくづく感じる。
――いや、中身がアレだから、ちんちくりんキノコな私のことを好きになったんだよね。
先輩が見た目と同じように中身も完璧だったら、私のことなど見向きもしなかった可能性が高い。
それを考えると、先輩の中身がアレでよかったのかもしれない。……と考えるには、先輩の宇宙人的思考回路は、ぶっ飛びすぎている。
――もうちょっと、人並みの感覚になってくれたらいいんだけど。
しかし、それでは今考えたように、先輩は私を選ばず、美人さんとお付き合いをしていたはずだ。
そうなると、結局、私はアレな先輩と付き合っていくしかないのである。
――罰ゲームなのか、ご褒美なのか、どっちか分からないなぁ。
グラスの中に残っている氷をストローで掻き混ぜていたら、ふと視線を感じた。
ハッとなって顔を上げると、テーブルに頬杖をついている先輩が、ジッと私を見つめている。
嬉しそうな微笑みを浮かべて。
「な、なんでしょうか……」
ドギマギと声を掛けたら、先輩がグラスを指さしてきた。
「それ、おまじないでしょ」
「……はい?」
なんのことか分からず、私は首を捻る。
すると、先輩がうっすらと目元を赤く染めた。
「だから、『好きな人とずっと仲よしでいられるためのおまじない』でしょ」
――なに、それ。
私は無意識で遠いところを見つめる。
そんなおまじないがあるはずがない。
もしこれが実在するおまじないで、効果が保障されているとしたら、恋に悩む女子や男子は、一心不乱にグラスの中の氷をストローで掻き混ぜまくるだろう。
その光景は、微笑ましいどころか、狂気の沙汰でしかない。
「い、いえ、これは……、その……、手持ち無沙汰と言いますか……」
モゴモゴと言い返したら、先輩がパチリと瞬きをする。
「そうなの?」
「ええ、まあ……」
「そっか」
ポツリと呟いた先輩がいきなり頬杖を解いて手を伸ばし、ストローを持っている私の手を握った。
「な、な、なにを?」
ギョッと目を瞠る私に、先輩がサラリと告げる。
「手を持ってほしいって言われたから」
――この人、頭がいいのに『手持ち無沙汰』って言葉を知らないのか!?
「ち、違いますよ! そんなことは言っていません!」
グイッと引っ張って右手を取り戻した私は、ストローをグラスに差して席を立つ。
特別急ぐ用事はないけれど、先輩の宇宙人的思考回路がまた炸裂するのかと不安なのである。
「あ、あの、行きましょうか」
私はスッと伝票に手を伸ばした。
先輩の分を奢るほどお小遣いに余裕はないけれど、せめて自分の分は払わなくては。
金額を確認しようとしたところ、先輩も伝票に手を伸ばしてきた。
いや、正確には、「私の手に」である。
私はとっさに手を引っ込めたのだが、そばにあったお冷のグラスに手が当たってしまった。
グラスには半分ほど水が入っていて、音を立てて倒れたと同時に、テーブル上に水が勢いよく広がっていった。
「あっ!」
慌ててお絞りのタオルを取り、テーブルを拭いていく。
ただ、慌てすぎたために先輩の分のお冷のグラスに私の手が当たり、またしてもグラスが倒れた。
しかも、今回は勢いよく手が当たってしまったため、グラスがテーブル上を転がってしまう。
そして、そのグラスがテーブルの端へと向かっていった。
床は木製だけど、グラスがガラス製だから落ちたら衝撃で割れてしまうだろう。
だけど、私の反射神経はお粗末なものなので、グラスが落ちていくのを見ているしかできなかった。
その時、先輩がパッと腕を伸ばし、落ちていくグラスを受け止めてくれたのだ。
「……え?」
私はその光景を目にして、口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。
先輩はグラスをテーブルに戻すと、私のところにやってくる。
「チコ、服は濡れてない?」
先輩は優しい声で私に問いかけてきた。
グラスを倒したことも、水をテーブルに零してしまったことも、グラスを落としてしまったことも、先輩は責める様子もなく、私のことを真っ先に気遣ってくれる。
中身はアレでも、先輩は私に優しい。
そんな先輩の態度が嬉しいけれど、申し訳ない気持ちのほうが大きく膨れ上がった。
「服は、濡れていません。あの……。ごめんなさい、私のせいで……」
小さな声で謝ったら、先輩がパチリと瞬きをする。
「どうして、チコが謝るんだ?」
「それは……、先輩に迷惑をかけたので……」
すると、先輩はまた瞬きをした。
「迷惑?」
「はい……。私、鈍くさいから……」
泣きそうな顔で笑ったら、先輩が私の右手を両手でソッと包み込む。
そして、先輩はフッと目を細めた。
「そこが可愛いのに」
私は力なく首を横に振る。
「そんなはず、ないですよ。今日だけじゃなくて、この先もきっと、ううん、絶対先輩に迷惑をかけてしまいます……」
落ち着いて行動しようと何度も自分に言い聞かせているのに、いまだかつて改善の兆しは見えない。
先輩の言動が一生変わらないなら、私の鈍くささも同じように変わらないのだろう。
しょんぼりと眉尻を下げたら、先輩が力を込めて私の手を握る。
「俺は、本当にそういうチコを可愛いと思ってる」
先輩の声はやっぱり優しくて、嘘を言っているようには感じなかった。
だからこそ、「どうして、私なんかを好きなの?」という疑問と、「優しい先輩でも、いつかは呆れてしまうのでは?」という不安が消えない。
俯いて黙り込む私に、先輩がさらに話しかけてくる。
「チコは自分の失敗を責めているけど、俺はそういうチコを守ってあげたいと思ってる」
「……今はそう思っていても、絶対に私のことが嫌になりますよ」
「ならない」
「なりますって」
「ならない」
「なるって言ってるじゃないですか」
「チコがそう言っても、俺はチコを嫌いにならない」
「そんなはずないです」
どっちも引かずに言い合っていると、先輩が「だったら、証明する」と返してきた。
「どうやって?」
怪訝な表情を浮かべる私に、先輩は真剣な視線を向けてくる。
「まず、俺とチコが結婚する」
「……え?」
私は自分の耳を疑った。
――なんで、結婚することになるの? それが、なんの証明になるの?
私がポカンとしているうちに、先輩が続けて口を開く。
「限界まで長生きした俺が息を引き取る間際に、『チコが好きだ』と言う。これで、解決」
なに、その長期かつ暢気な証明方法は。……ていうか、これじゃ先輩と結婚することになるではないか。
それに、私が先輩の最後の言葉を聞くまで生きているという保障もない。
「はは、ははは……。なんですか、それ……。はは……」
私は泣きそうになるのを誤魔化ように笑い始めた。
なんだ、そのめちゃくちゃな方法は。
なんだ、その愛情に溢れた方法は。
呆れるやら照れくさいやら、私はもう、笑うしかなかった。




