(49)嬉しさ3、恥ずかしさ7の初デート:4
先輩の発言を気にしないようにするため、私はひたすら苺ミルクを飲むことに集中する。
ゴクゴクと勢いよく飲みたいけれど、じっくり美味しさを味わいたいとも思う。
私は早く飲んだり、時にはゆっくり飲んだりしていた。
――こんなに美味しい苺ミルクが飲めるお店があったなんて。絶対、これからも来よう。
百円で買える紙パックと違い、一杯五百円のこの苺ミルクは私のお財布に大打撃を与える。
それでも、この味を忘れるなんてできそうにないから、なんとかしてお金をやりくりしなくては。
幸いにも、ウチの学校は届け出を出したらアルバイトが許可される。
自宅近くの商店街で募集がかかっているかもしれないから、近いうちに確認したほうがいいかもしれない。
それと、お小遣いの金額を下げられないためにも、それなりの成績を取らなくては。
こちらもありがたいことに、優秀な頭脳の持ち主である――勉強以外は残念だけど――鮫尾先輩が彼氏なのだ。
いくらでも教えてあげると言ってくれた先輩に甘えることにしよう。
次はいつこの喫茶店に来ようかと考えていたところに、「チコ」と名前を呼ばれた。
私はストローから口を外し、視線を上げる。
「なんですか?」
首を傾げたら、先輩はフッと目を細めた。
「なんでもない」
「そうですか」
――どうしたのかな? 言いたいことを忘れちゃったとか。
私は特に気にすることなく、ストローを咥えた。
しばらくすると、また名前を呼ばれる。
さっきと同じようにストローを口から外して視線を上げると、やっぱり同じように「なんでもない」と言われた。
二回も続けてなんでもないと言われて、「はい、そうですか」とはならない。
なにしろ、先輩の思考回路は平凡な地球人である私には到底理解できないぶっ飛んだものなのだ。
雰囲気から読み取るなんて、絶対に不可能である。
「言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってください。私は察しがよくないので」
そう伝えると、先輩が困ったように笑った。
「その苺ミルク、グラスごと粉々にしたいなって」
「……は?」
先輩の言葉に、私は目を丸くして固まる。
なにがどうなってその発言に至ったのか、私にはさっぱり理解できなかった。
ポカンとしている私に、先輩が苦笑を深める。
「俺といるのに、チコは苺ミルクしか見ない」
確かに、その通りである。
だって、そうでもしないと、先輩のことを意識しすぎて、どうにかなってしまいそうだから。
先輩のことをちょっと面倒だと思っていても、やっぱり彼のことが好きなのだ。
しかも、想いが通じ合ったばかりなので、気恥ずかしさが半端ないのである。
なにしろ、正面に座っているのは、道行く人が振り返る超絶美形様だ。ドキドキしないはずがない。
それを先輩に指摘されないために、考えごとをしたり、苺ミルクに集中していたりしていた。
だけど、それは彼女として褒められたことではないだろう。
いくら恥ずかしさを誤魔化すためでも、先輩のことを無視するような形はよくなかった。
私は両手を膝に置き、ペコッと頭を下げる。
「ごめんなさい」
謝った私は膝の上でモゾモゾと手を動かしながら、モゴモゴと口を動かす。
「あ、あの……、こう見えて、けっこう緊張していて……。だから、先輩の顔をちゃんと見られないと言いますか……」
鈍感で大雑把なようであっても、私は意外と気が小さいのである。
「緊張?」
問い返されて、私はコクンと頷く。
「これまで、先輩の顔を正面から見ることが、そんなになかった気がして……。裏庭の
ベンチだと、隣に座っていましたし……」
と、言ったところで、隣にではなく、先輩の膝の上に乗せられたことのほうが多かったと気付く。
でも、その時は俯いてばかりだったので、先輩の顔はちゃんと見ていなかったのだ。
それもあって、今ほど、緊張していなかったのかもしれない。
「嫌な思いをさせて、本当にごめんなさい。できるだけ早く慣れるようにしますから」
伏せた視線をチラリと上げたら、先輩は眉間に縦ジワを寄せていた。
「俺の顔が問題?」
深刻な声で問われ、私はフルフルと首を横に振る。
「えっと、悪い意味じゃないですよ」
「でも、チコに見てもらえないなら、悪い意味でしかない」
そして先輩は厳しい表情のまま、ゆっくりと視線を巡らせる。
自分の気持ちを落ち着かせるため、あえて店内を見回しているのだろうか。
なんと言っていいのか分からない私は、黙ってその様子を眺めていた。
やがて先輩の視線が一回りして、ふたたびテーブル上へと戻ってくる。
そこで、先輩がピタリと動きを止めた。
しばらくある一点を見つめていた先輩が、深刻な面持ちでゆっくりと口を開く。
「俺の顔に苺ミルクを掛けたら、チコに見てもらえる」
――なに、その結論は。
今の今まで先輩に対して抱いていた罪悪感が、バラバラに砕け散った。
確かに私の大好物は苺ミルクである。
だからと言って、苺ミルクを顔に掛けた人を見つめるかとなったら、答えはもちろん「いいえ」だ。
むしろ、いっさいそちらを見ないだろう。
唖然としている私をよそに、先輩が静かに苺ミルクのグラスに手を伸ばしてきた。
ハッと我に返った私は、とっさにグラスを掴んで先輩の手から遠ざける。
「やめてください」
私は顔を引きつらせたまま、低い声を出した。
すると先輩は肩を落とし、ボソリと呟く。
「チコに見つめてもらう名案だったのに」
――いったい、どこが名案だ?
「……そんなことをされたら、絶対に見ませんよ。それに、隣を歩くのも嫌です」
本気で落ち込んでいる先輩を、私は容赦なく切り捨てた。
ただでさえ、先輩はたくさんの人に見られている。
それが苺ミルクをぶっかけた状態となったら、違う意味で注目を浴びる。
これまで向けられていたのは女性の熱い視線だったが、不審なものを見る目付きに変わるだろう。
ヘタをしたら、通報されるレベルだ。
ヤレヤレとため息を零す私の耳に、先輩の呟きが届く。
「そうだ、コスプレ」
「……苺ミルクの紙パックのコスプレは大反対です」
「どうして分かったんだ?」
切れ長の目が、僅かに見開かれていた。
私としては、先輩の宇宙人的思考回路を理解したくなかった。即座に分ってしまった自分に呆れてしまう。
「どうしてって……。そんな気がしたんです」
深々とため息を零したら、なぜか先輩が嬉しそうに微笑む。
「チコと俺は、以心伝心。最高の夫婦だな」
「……まだ、夫婦じゃないです」
ボソリと言い返し、私はふたたび苺ミルクを飲み始めた。
視線を上げない私に構わず、先輩が楽しそうに話しかけてくる。
「父の知り合いで舞台衣装を手がけている人に頼むから、仕上がりは完璧だ。俺の身長にピッタリ合ったものを作ってくれる」
ストローから口を離した私は、またボソリと答えた。
「……私は、出来栄えについて心配しているんじゃないんです」
先輩が言うコスプレは単なる被り物ではなく、全身着ぐるみ状態のようだ。私の想像よりも、状況は酷い。
そんな姿の先輩を見たら、私は全速力でその場から逃げる。絶対に逃げる。
「とにかく、体に苺ミルクをかけることもコスプレすることも反対です」
きっぱりと言い切った私は、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、顔を上げて先輩を見つめる。
「私が先輩の顔を見られないのは、先輩がかっこいいからです。どうしても、照れてしまうんです」
正直に答えるのは恥ずかしいけれど、先輩が奇行に走って通報されるよりはマシだ。
「分かりましたか?」
自分でも顔が熱くなっているのを自覚しながら、先輩に問いかけた。
すると、先輩が緩やかに目を細める。
「チコが可愛いと、改めて分かった」
その答えは私が求めたものとズレているけれど、疲れるので追究するのはやめた。




