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(48)嬉しさ3、恥ずかしさ7の初デート:3

 しばらくお冷のグラスを当てていたけれど、先輩が「もういいよ」と言った。

「え? 大丈夫なんですか?」

 時間にして、三分も経っていないだろう。

 グラスを外さないでいると、先輩が空いているほうの手でソッと私の手を押しやる。


 ……のではなく、私の手をギュッと握ってきた。


「なに、してるんですか!? やめてください!」

 私たちの他にお客さんがいるので、潜めた声で注意する。

 だけど、先輩はちっとも私の手を放そうとしなかった。

 強引に手を引き抜きたいけれど、水が入っているグラスがあるので、ヘタに動くと水を零してしまう。


――もしかして、それが分かっていてやってるの!?


 チラッと先輩の様子を窺ったら、掴んでいる私の手を見つめて、満足そうに微笑んでいた。

 これは、確信犯である。

「先輩、放して!」

 私はグラスを持っていないほうの手で、私の手を握っている先輩の手を引き剥がそうとした。

 すると、そうはさせまいと、先輩ももう一方の手を伸ばしてくる。 

 しかも、先輩はその手でも私の手を握り締めようとしているので、私はとっさに避けた。

 そこで、先輩が私の手を追いかけてくる。

 迫ってくる先輩の手を、素早く押し返した。

 先輩は、負けじとさらに手を伸ばしてくる。

 小さなテーブル上で、奇妙な手押し相撲がスタートした。

 私が必死になって先輩の手を押し返しているのに、先輩は目を細めて楽しそうに微笑んでいる。

「もう、先輩! いい加減にしてくださいよ! それより、なんで笑っているんですか!?」

 迫りくる先輩の手を打ち払いつつ睨み付けると、クスッと小さな笑いが返ってきた。

「チコが一生懸命で可愛い。あと、チコの手が小さくて可愛い」

 いきなり可愛いと言われ、照れくさくなった私は思わず動きを止めてしまう。

 その隙に、先輩が宙に浮いた私の手をギュッと握り絞めた。

「捕まえた」

 嬉しそうに微笑む先輩がかっこよくて、私は不覚にもキュンときめく。

「こ、ここは、お店の中ですから、こういうことは、よくないです!」

 照れ隠しにムウッとむくれて見せたら、こちらに向ってくる店員さんの足音が聞こえてくる。

「残念」

苦笑を零した先輩は、さすがに手を放してくれた。


――最後まで手を放さなかったら、先輩の足を蹴っ飛ばすところだったよ。

 

 ヤレヤレと内心ため息を零したところで、さっきの店員さんが飲み物をテーブルに置いてくれた。

 私が頼んだ苺ミルクは、写真で見るよりも色鮮やかだ。それに、苺の香りがはっきりと感じられる。

「うわぁ、美味しそう!」

 お世辞ではなく本気で言うと、店員さんが「ありがとうございます」と返してくる。

「どうぞ、ゆっくり楽しんでください」

 穏やかに微笑んだ店員さんは、静かに立ち去って行った。


――本当に美味しそう。


 先輩のせいで気持ちが乱れていたけれど、大好物の苺ミルクを前にして、私はあっという間に機嫌を直す。

 さっそくストローを咥え、一口ゴクリと飲み下す。

 ジャムを混ぜていることで、フレッシュな苺を使うよりも味がしっかりしている。

 それに濃厚なミルクと甘酸っぱい苺の相性が抜群で、私は夢中で半分ほど飲んでしまった。

 普段飲んでいる紙パックの安い苺ミルクもそれなりに美味しいと思っていたけれど、これはレベルが違う。

「こんなに美味しい苺ミルク、初めてです!」

 感動しまくっている私に、先輩はソッと微笑みかけてくる。

「それはよかった」

 その微笑みがすごく温かくて、また照れくささがぶり返した。

 私は視線をグラスに戻し、モジモジとストローを弄る。

「せ、先輩も、コーヒーを飲んでください。冷めちゃいますよ」

 視線を外してほしくてそう伝えると、先輩は軽く首を傾げて苦笑を深めた。

「コーヒーを飲むよりも、チコの笑顔を見ているほうが楽しい」

 そんなことを言われたら、ますます照れくさくなってしまう。

 私は顔を伏せ、ストローでグルグルと苺ミルクを掻き混ぜる。

「い、いえ、それは……。えっと、そのコーヒー、すごくいい香りがしているから、飲んだほうがいいですよ……」

 しどろもどろになっていると、先輩がクスッと小さく笑った。

「チコの顔、苺みたいに真っ赤だ」


――分かっているなら、私のことを放っておいてくれたらいいのに。 


 さらにグルグルとストローで掻き混ぜていると、先輩が楽しそうに口を開く。

「美味しそうなチコの顔、あとで齧っていい?」

「はいっ!?」

 私はバッと顔を上げ、向かいに座る先輩の顔を凝視した。


――今、私の顔を齧るって言った? 言ったよね!?


 ただでさえ先輩は暗殺者で宇宙人的思考回路の持ち主なのに、ここに人食い趣味まで加わったら、もう手に負えない。

 唖然としている私に、先輩はフッと目を細める。

「本気で齧る訳じゃない。心配しないで」

「そ、そうですか……」

 私だって先輩の言葉を心の底から本気にしたつもりはないけれど、この先輩ならやりかねないと思う部分も多少あった。


――先輩がそう言うなら、大丈夫だよね。


 私がホッと安堵のため息を零した瞬間、先輩がいっそう目を細めた。

「齧らないけど、キスはする。いいよね?」

「いやいやいや、それ、おかしいです!」

 私は即座に言い返す。

 なんだって、先輩はそんなにもキスにこだわるのだろうか。

 占いかなにかで、『今日中にキスをしないと、不幸が訪れる』という結果でも出たのだろうか。

 慌てふためく私とは反対に、先輩は穏やかに微笑むばかり。

「おかしくない」

 落ち着いた声で言われても、私は納得できなかった。

「絶対、おかしいです!」

「じゃあ、齧る」

「だから、それもおかしいです!」

「なら、チコに選ばせてあげる」

「なにをですか!?」

「齧られるのと、キスをされるの、どっちがいい?」


――なんだ、その選択肢は!


 先輩の意味不明な発言に拍車がかかり、私はどうしたらいいのだろうか。

 気が遠くなりそうになっている私の目に、苺ミルクが映った。


――飲もう。


 先輩の発言を、いちいち気にするからいけないのだ。

 それに、せっかく美味しい苺ミルクがあるのだから、こっちに集中したい。

 私は改めてストローを手に取り、ゆっくりとすする。

 

――はぁ、美味しい。癒される。


 さっき先輩が口にした選択肢を完全に無視して、私は苺ミルクを飲むことに集中していた。

 そんな私の様子を見て、先輩がボソリと呟く。

「俺の血液とこの店の苺ミルクを入れ換えたら、チコとキスができるかも」




 このアホ丸出しなセリフを聞いて噴き出さなかった私を、誰か褒めてください。


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