(47)嬉しさ3、恥ずかしさ7の初デート:2
先輩の怪我の具合を見るためと、ちょっと喉が渇いてきたこともあり、私たちは近くのカフェに寄ることにした。
今流行りのおしゃれなお店とはちょっと違うけれど、ほのぼのとあったかい雰囲気がある店構えなので、ちんちくりんキノコの私が入っても、なんとか大丈夫そうだ。
それより、なんとかしなくてはならない件が一つある。
「先輩、手を放してくれませんか?」
私は繋いでいる手を揺らしながらお願いした。
歩いている時はそれほど気にならなかったけれど、お店に入るとなったら、手を繋いでいることが妙に気恥ずかしい。
しかし、先輩は首を横に振る。
「嫌だ」
「でも……」
私が困った顔になると、先輩は繋いでいる手にギュッと力を込めてきた。
「俺とチコは夫婦」
「……まだ、夫婦じゃないです」
私が言い返したら、「気持ちが先走った」と先輩がポツリと呟く。
――先走ったからって、そんなこと言う?
感情が先行して、思っていたことと違うことを口にすることはある。
とはいえ、さすがに「夫婦」という言葉は出ないものだ。
――いや、先輩ならあり得るのか。
先輩は勉強がずば抜けてできるのに、思考回路が宇宙人だから、仕方がないのかもしれない。
それにここでグズグズしていたら、先輩の怪我を確認するのがズレ込んでしまう。
私はヤレヤレとため息を零し、「分かりました」と答えた。
「とりあえず、中に入りましょう」
しばらく立ち止まっていたせいで、先輩に見惚れる女性の姿がちらほら見受けられる。
私が手を繋いだままでいることに応じたことで、先輩がフッと口角を上げた。
――このくらいで喜んでくれるなら、罪滅ぼしってことで、いいか。
助けてくれたお礼は言ったけれど、それだけでは申し訳ないと思っていた私は、先輩に手を引かれて喫茶店へと入っていった。
少しレトロな造りの店内には、高校の制服を着た人たちの姿はない。高校生なら、駅前にある大手コーヒーショップを選ぶのだろう。
――ここなら、嫌な目で見られたりしないよね。
先輩の姿を見て大はしゃぎするような人が見当たらないことに、私はこっそり安堵の息を零した。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
応対に当たってくれたのは、母親と同じくらいの年齢をした女性だ。
白いブラウスと赤茶色のエプロンが似合うその人は笑顔が穏やかで、私はさらにホッとする。
ここで若くて綺麗な女性店員さんが出てきたら、私はすぐさま回れ右をしたかもしれない。
先輩が二人だと告げたら、その店員さんが奥まったところにある落ち着いた場所を案内してくれた。
この時間に利用する人は少ないらしく、席はけっこう空いている。
初めて来店した高校生客なんて、手っ取り早くその辺の席に案内してもよかったのではないだろうか。
不思議に感じながらも、店員さんについていった。
向かい合わせの二人席に腰を下ろす段階になって、やっと先輩は手を放してくれた。
店に入った直後、店員さんは私たちが手を繋いでいることに気付いていたみたいだけど、視線も表情もほとんど変わっていなかった。
見て見ぬ振りをしてもらえて、本当によかったと思う。色々な意味で、素敵なお店だ。
「メニューが決まりましたら、お呼びください」
店員さんが私たちにニッコリと笑いかけ、その場から去っていく。
――なんか、すごく優しい感じ。
もしかしたら、あの店員さんは、こういった場所に慣れていない高校生カップルを、微笑ましく思ったのかもしれない。
照れくさいけれど、妙に嬉しかった。
さっそく、私たちはメニューを眺める。
コーヒーがメインとなっているけれど、それ以外のドリンクも豊富だ。
目を惹いたのは、フルーツを使った様々なドリンク。説明を読むと、どうやら注文が入るごとに、一杯ずつ作っているとのこと。
コーヒーが苦手な私は、フルーツジュースの中から選ぶことにした。
じっくりとメニューを眺めているうちに、苺ミルクがあることに気付く。
自家製の苺ジャムと牧場から届けてもらった濃厚なミルクと合わせているそうだ。苺ミルク好きの私として、飲まずにはいられない。
「私、これにします!」
苺ミルクの写真を指で差すと、先輩がフワリと微笑んだ。
「すごく美味しそうだね」
やたらと苺ミルクを好む私を馬鹿にすることなく、先輩は店員さんを呼び、苺ミルクとブレンドコーヒーを注文した。
ドリンクが出てくるまで少し時間がかかるので、その間に、私は先輩の怪我を見せてもらうことにする。
「袖をまくってもらえますか?」
私がお願いすると、「本当に、大丈夫だよ」と先輩が苦笑した。
実際大丈夫なのかもしれないけれど、私に心配かけたくないからということも考えられる。
ここで引いてしまっては、なんだかんだと誤魔化されてしまうだろう。
「先輩、見せてください」
改めてお願いするけれど、先輩はまだ渋っている。
このままではラチがあかないので、私は席を立ち、先輩の隣に立った。
そして、ジッと先輩を見つめる。
「大丈夫かどうか、見ないと分かりません。それと、先輩が私を気遣ってくれるように、私は先輩が心配なんです」
ちょっと照れくさいけれど、こうでも言わないと、先輩は腕を見せてくれない。
恥ずかしさを我慢して視線を合わせていたら、先輩が苦笑を深めた。
「見せたら、キスをしてもらえるんだよね」
「……それについては、断ったじゃないですか」
なにを勝手なことを言っているのだと、私は先輩を睨んだ。
先輩は「残念」と小さな声で呟き、片手でゆっくりと袖をまくり始める。
バッグの角が当たった正確な場所は分からないけれど、手首から肘の間のどこかだろう。
肘の少し上まで袖がまくり上げられると、私は差し出された腕にじっくりと視線を走らせた。
――ちょっと、赤くなってる。
幸いなことに血が出ていたり、内出血にはなっていない。
それでも、先輩が痛い思いをしたことは変わらないのだ。
「私、湿布を買ってきますね」
この店の二つ隣に薬局があったのを見ていたので、すぐに買いに行こうとした。
すると、先輩が私の左手首をパッと掴んだ。
「大丈夫」
「でも、赤くなってますよ」
「このくらい、放っておいても治る」
「そうは言っても、打撲は早めに冷やしたほうがいいと聞いたことがあります」
「冷やすだけなら、わざわざ湿布を買わなくてもいいよ」
先輩の言葉に、私は軽く首を傾げた。
「えっと、どういうことですか?」
すると、先輩がクスッと笑う。
「とにかく、座って」
渋々ながらも言われた通り席に戻ると、先輩がテーブルの上に腕を乗せた。
「この水でも、十分冷やせる」
どうやら、はじめに出された氷が入っているお冷で、赤くなっている部分を冷やすということらしい。
「まぁ、冷たいのは確かですけど……」
庇ってもらった私としては、無料のお水で冷やすのではなく、先輩のために湿布を買ってきてあげたかったのだが。
ちょっとだけ納得いかずにいると、先輩が私のほうへズイッと腕を出してきた。
「じゃあ、お願い」
「え?」
パチクリと瞬きをしていたら、「チコがグラスを当てて」と言われる。
「分かりました」
湿布を用意できなかったので、このくらいはさせてもらわないと。
私はグラスを手に取り、グラスの底で怪我したところをやたらと押してしまわないように気を付けて、先輩の腕にソッと乗せた。
「あの、グラスが当たって、痛くないですか?」
「平気」
先輩は嬉しそうに目を細めて、そう答える。
そこで終わればよかったのだが、先輩は私の予想を斜め上に突き抜ける人なのだ。
「チコに手当てしてもらえるなら、これからもどんどん怪我をしよう」
宇宙人的思考回路だけでもけっこう手こずっているのに、ドMがプラスされたら、私はいっさい先輩に太刀打ちできなくなる。
「それ、やめてください」
私は本気でお願いした。




