(46)嬉しさ3、恥ずかしさ7の初デート:1
なんとか迫りくるキスから逃れた私は、こっそりため息を吐いた。
「とりあえず、移動しませんか?」
ここで立ち話をしていたら、嫌でも注目される。
ふと、周囲に視線を巡らせたら、先輩を遠巻きに眺めてうっとりしている人達の姿があった。
これまでさんざん「人目は気にならない。だから、キスがしたい」とのたまっていた先輩も、私の言葉に頷いてくれる。
その反応に安心していると、とんでもない言葉が返ってきた。
「それは、二人きりになれるところに行こうっていうお誘いだよね」
「……いえ、違います」
私は無表情で告げる。
珍しく先輩が素直に頷いたと思ったら、この調子である。
――先輩ファンの女子たちも厄介だけど、それとは違う意味で先輩の扱いにも困るなぁ。
とはいえ、そう思うのは照れ隠しだ。本気で先輩のことを面倒だと思っているのではない。
先輩が面倒なのは付き合う前から嫌というほど味わってきたのだ。それでも、先輩のことが好きになった。
ヤレヤレと苦笑しつつ、私はまた心の中で呟く。
――こんな態度を続けていたら、いつか嫌われちゃうかな?
そんな不安が、私の心臓にチクリと突き刺さった。
私なんかよりも、可愛くて。
私なんかよりも、スタイルがよくて。
私なんかよりも、頭がよくて。
私なんかよりも、素直で。
私なんかよりも、優しくて、
そんな女子は、先輩の周りに山ほどいるだろう。
実際、先輩目当てで同じ車両に乗り込んでいた女子たちのほとんどが、可愛い、もしくは綺麗と言える人たちだった。
密かに先輩に想い寄せている人もいただろうが、感じからして、自分に自信がある女子たちが多かった気がする。
そういった人たちの中から、本当の意味で先輩に相応しい人が現れるのではないだろうか。
もう一度こっそりため息を吐いたら、先輩に名前を呼ばれる。
「チコ?」
ハッと顔を上げたら、心配そうに私を見つめている先輩と目が合った。
「大丈夫?」
「え?」
なにについて大丈夫なのかと考えていたら、先輩がまた口を開く。
「痛いところ、ある?」
「は?」
――痛いところ?
先輩の言動に対してちょっと頭が痛いけれど、そういうことを尋ねてきた訳ではないだろう。
パチクリと瞬きをしていたら、先輩の表情が陰る。
「俺、庇いきれなかった? 後ろにいた人以外にも、チコに手を出した人がいた?」
それを聞いて、やっと話の流れが掴めた。
「だ、大丈夫です! どこも痛くないです!」
慌てて返事をすると、先輩がこれまで以上にジッと私を見つめてくる。
「本当に?」
「本当です! 先輩が、ちゃんと守ってくれたから、ほんっとうに大丈夫なんです!
きっぱりと答えたら、先輩の表情がフッと緩んだ。
「それなら、よかった」
ここで、私はまだお礼を言ってないことに気付く。
「まさか、私の後ろの人が、あんなことをしようとしていたなんて、ぜんぜん気付いていなかったです。助けてくれて、ありがとうございました」
ペコッと頭を下げたら、先輩が小さくクスッと笑う。
「チコを守るのは、夫である俺の役目」
「……だから、先輩は、私の夫じゃないです」
照れ隠しで不機嫌そうに言い返したら、形のいい目がフワッと柔らかく弧を描く。
「今はまだ、ね。俺は、チコ以外の人と結婚しないから」
「なんで、そんなことが断言できるんですか? 先のことなんて、分からないのに」
私たちは、まだ高校生なのだ。
先輩はきっと大学に行くだろうから、そこで、たくさんの人と新たに出会うだろう。
また、社会人になったら、さらに人とのつながりが広がっていくはず。
だから、私なんかと比べ物にならないくらいお似合いの人と出逢って、先輩はその人を好きになる可能性がある。
私の問いかけに、先輩は僅かに苦笑した。
そして、私の手を引いて、ゆっくり歩き出す。
「少し前に、話したでしょ」
「えっと、そうでしたっけ?」
つられて歩き出した私は、軽く首を捻る。
すると、先輩がチラッと横目で私を見た。
「チコが、すごくキラキラして見えたって。俺にはない、色鮮やかな世界を持っているって」
以前、確かにそう告げられたけれど、どうにもピンとこない言葉だ。
「……キラキラとか、色鮮やかとか、私とは無縁だと思うんですけど」
そういう言葉は、イケてる女子に向けて使うものだ。ちんちくりんキノコの私には、まったくもって似合わない。
しきりに首を傾げていると、先輩は繋いでいる手にキュッと力を込めた。
「俺には、そう見えた。それがチコを好きになったきっかけで、紛れもない事実」
「……そ、そうですか」
優しい声で言われ、私の顔がカァッと熱くなる。
思わず顔を伏せたら、視線を前方に戻した先輩がクスッと笑った。
「照れるチコ、可愛い」
その言葉も、やっぱり私に向けられるべき言葉ではない。
否定したいけれど、さらに強く握られた手にドキッとしてしまって、なにも言い返せなかった。
駅前から徐々に離れていく私たちは、色々なお店が並ぶアーケード街を歩いている。
話によると、先輩はこの辺りのことは知らないとか。
だから、目的があって電車を降りたのではなく、本当に気分転換が目的らしい。
――その気分転換って、私のためだよね。
先輩の頭の中は宇宙人なのに、心の中はとっても温かくて優しい人だ。
振り回されてばかりだけど、こういうところが好きだなって感じる。
私は俯いてニヤニヤと頬を緩ませていたのだが、ふと、あることを思い出す。
――そうだ! 先輩の腕、大丈夫だったのかな!?
私は繋いでいる先輩の手軽く引っ張ると同時に、足を止めた。そして、通行人の邪魔にならないよう端に寄る。
「チコ?」
不思議そうな表情を浮かべている先輩に、私はグッと詰め寄った。
「腕、見せてください」
「え?」
「電車の中で私を庇った時の怪我、見せてください」
すると、先輩は苦笑を浮かべる。
「怪我と言うほどのことじゃないよ。もう、痛みは引いた」
「それでも、確認させてください」
本当になんでもなかったらいいけれど、万が一にも痣ができていたら、冷やすとか、シップを貼るとか、なにかしなくては。
後に引かない姿勢を見せる私に、先輩が苦笑を深めた。
「分かった、見せるよ」
その言葉にコクンと頷き返したら、なぜか先輩が上体を屈めて私の耳元に口を寄せる。
「その代わり、チコにキスしていい?」
――なんだ、その交換条件は!?
私はギョッと目を見開き、ガチンと全身を強張らせた。
姿勢を戻した先輩が、「いい?」と、改めて聞いてくる。
もちろん、私は首を縦に振らなかった。




