(42)求む!鮫尾帆白取り扱い説明書:7
いたたまれない気分のまま、私は学校を出た。
敷地内でもこちらに向けられていた奇異の視線が、残念なことにさらに増す。
ウチの高校から歩いて十分くらいのところに、女子高があるせいだ。
そこの生徒達も、もちろん鮫尾先輩のことを知っているので、私が隣を歩いていたら、思わず見てしまうのだろう。
その女子高は制服が可愛いことで知られていて、そういう学校を希望した女子たちは――全員とは言わないけれど――、見た目がおしゃれで、顔立ちも可愛くて、とにかく自分に自信がある。
だから、他校の生徒である鮫尾先輩にも、臆することなく告白してくる人が、これまでに何人もいたとのこと。
はじめから先輩はそういう人たちにはかなり素っ気ない態度で接しているそうで、徐々に告白する人は減っているらしい。
それでも、月に何人かは告白しているようだ。
また、振られても諦めきれない人は、何度も先輩に告白しているとか。
私はその話を先輩から直接聞いたのではなく、クラスメイトの噂話で耳にした。
それでも、嘘ではないと感じている。
この前、思いがけず先輩と一緒に帰った時、私に向けられる視線のなんと多かったことか。
あの女子たちの目を見たら、他校だからとか、振られたからとか、そういった理由では諦めきれないという感じがビシビシ伝わってきていた。
なのに、今は先輩としっかり手を繋いでいる上に、先輩が事あるごとに私の名前を呼び、静かな微笑みを浮かべているのだ。
たぶんだけど、私に向けられている視線は、「羨ましい」ではなく、「憎たらしい」というものに違いない。
先輩と付き合うことになった瞬間から覚悟はしていたけれど、けっこうキツイものがある。
先輩と一緒にいる時はもちろん、一人でいる時でも鋭い視線を向けられるだろう。
いや、私一人だけのほうが、さらに遠慮なくジロジロと見られる可能性が高い。
――やだなぁ。これから毎日、こんな風に見られるのかぁ。
思わず心の中でコッソリぼやき、小さなため息を零してしまった。
すると、途端に先輩が足を止めて私の名前を呼ぶ。
「チコ?」
パッと見上げたら、心配そうにこちらを見ている視線と目が合った。
「あ、あの、……、なんでもないんです」
慌ててニコッと笑ってみるけれど、先輩はジッと私を見つめている。
それから先輩は歩道の端に寄った。
「先輩、帰りましょう」
促すものの、先輩はそこから動かない。
おまけにすごく真剣な視線を向けられ、私はそれ以上なにも言えなかった。
周りの人たちがチラチラ私たちを窺っているけれど、先輩は少しも動こうとしない。
急いで帰る理由はないけれど、ここで立ち止まっているのはけっこう困る。
「帰らないんですか?」
首を傾げつつ問いかけたら、先輩の表情がフッと緩んだ。
「チコ、可愛い」
相変らず、会話のキャッチボールができない私たちである。
「……え、えっと、まぁ、それはどうでもいいので」
顔を引きつらせて苦笑いを浮かべる私に、先輩は少しむくれる。
「どうでもいいことじゃない。チコが可愛いのは当たり前だけど、大事なこと」
まったく照れずに告げる先輩の様子に、こっちのほうが恥ずかしくなった。
「い、今、そういうことは、いいんですよ!」
私は顔を火照らせ、小さな声で怒鳴るという器用な芸を披露する。
「それより、帰りませんか?」
電車に乗ったら、さらに他校の女子たちとかち合い、嫌な視線を向けられるのは必至だ。
だけどここで立ち止まっていたら、ますます注目を浴びてしまう
軽く先輩の手を引っ張ったら、ギュウッと強く握り返された。
「チコは、俺が守るから」
「……え?」
キョトンとしていたら、先輩は穏やかに、だけどきっぱりと言い切る。
「チコが家に着くまで、ちゃんと俺が守るから」
宇宙人的思考回路の持ち主である先輩でも、向けられている視線の意味は理解していたようだ。
先輩がそこを意識してくれるなら、私の気持ちも変わってくる。
「……ありがとうございます」
へへッと顔を緩ませたら、先輩の顔がゆっくりと近付いてきた。
内緒話でもするのかと思っていたけれど、先輩の顔はドンドン近付いてきて、このままだと顔面衝突してしまう。
とっさに仰け反って距離を取ったら、先輩に眉間にうっすらと縦ジワが刻まれた。
「どうして避けるの?」
明らかに不機嫌な様子の先輩に、私は思ったまま答える。
「このままだとぶつかりますから」
すると、先輩の眉間にあるシワがグッと深くなった。
「ぶつけるつもりなんてない」
「あっ、そうでしたか。よく分かりませんけど、なんか頭突きでもされるのかと思って……」
そう答えた私に対し、先輩の宇宙人的思考回路がぶっ放される。
「違う、キスしようとしていただけ」
私の顔が盛大に引きつった。
付き合い始めたばかりでそういうことをするのは、私的に心臓爆発案件なので、しばらく遠慮したい。
しかも、ここは学生が多く通る歩道だ。
キスをしようものなら、女子たちの悲鳴と怒号が飛び交うことだろう。
そして、私の平穏な学生生活は二度と戻ってこない。
「それ、絶対に駄目なことですから!」
ふたたび小さな声で怒鳴りつけると、先輩が不思議そうな表情を浮かべる。
「チコが笑ったから、いいと思って」
「……なんですか、それ」
「チコはただでさえ可愛いのに」
「……いえ、どう頑張っても可愛くないですよ」
「そのチコが笑ったら、可愛さ天井知らずで」
「……それは、先輩の思い違いです」
「だから、キスしてもいいかと」
「……その理屈が、さっぱり分かりません」
呆れと恥ずかしさがこみ上げ、私は先輩の左足を右足でギュッと踏ん付けてやった。
先輩は踏まれた自分の足をジッと見つめ、それから私に視線を向ける。
――あ、ちょっとやりすぎたかな?
さすがに失礼だったと思い、私は恐る恐る足を引っ込めた。
「ごめんなさい」
「可愛い」
私の声と先輩の声が重なる。
「……はい?」
どうしてここでそのセリフが出てくるのは、やはり理解できない。
ポカンとする私に、先輩は目を細めて微笑みかける。
「チコの足、俺よりだいぶ小さくて可愛い」
「それは、まぁ、これだけ身長差がありますので……」
そんなことより、早く帰りたい。
通りすぎてヒソヒソ囁かれるならまだしも、遠巻きに私たちを眺めて、不機嫌丸出しに囁いている女子たちの姿がさっきから視界に入ってくるのだ。
「お願いですから、もう、帰りましょう」
グイッと先輩の手を引っ張ったら、逆に引っ張り返される。
「チコが家に着いたら、そこでお別れになる。寂しい」
そう言ってもらえるのは嬉しいものの、私は針の筵状態から一刻も早く抜け出したいのである。
「じゃ、じゃあ、この前みたいに、勉強を教えてくれませんか? そうしたら、もう少し一緒にいられますし」
とにかく家に帰りたい私は、そんな提案をしてみる。
不特定多数の厳しい視線に晒されるよりも、先輩一人を相手にするほうがマシだ。……たぶん。
それを聞いた先輩はハッと息を呑み、おもむろに歩き出した。
「急いで帰ろう」
手を引かれる私も、先輩について歩き出す。
後で私の身を切ることになるけれど、効果は抜群のようだ。
ヤレヤレとため息を零しつつ、私はクスクスと笑う。
「今日こそ、チコのご家族に結婚の許しをもらう」
先輩の呟きを聞いた瞬間、私の顔がまたしても引きつった。




