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(34)罰ゲームでもなければ、復讐でもない:7

 結局、あのまま私は先輩の膝の上から下りられないままだった。

 巨大な羞恥心を抱えつつ、私は口の中で静かに飴を転がす。


――先輩が私に近付いてきた目的は相変わらず謎だけど、罰ゲームにしたって、キスをするのはありえないよね?


 目的達成のために私を陥れようとするなら、明かにやりすぎである。ちんちくりんキノコの私とキスをしたって、先輩にはなんの得もないのだ。

 そこまでしなくても、言葉一つでいくらでも私を転がせるだろう。

 

――まさか、先輩は私のことが好き……?


 それこそ、万が一にもありえない。

 その考えを私は即座に否定する。

 先輩の周りには高級和牛のステーキ、大トロの握り寿司、キャビア添えのフォアグラソテーに例えられるような豪華できらびやかな女子が取り巻いている。

 なのに、マッシュルームの網焼き――味付けは塩のみ――レベルな私を、この先輩がわざわざ選ぶだろうか。

 以前、先輩の周りに可愛い子や美人さんが集まり過ぎて、平凡代表の私が物珍しいのではないかと考えたことがあった。

 だけど、それにしては私にキスをするとか、私の婚約者だとか、あまりにも行き過ぎな気がする。


――先輩って、真性のゲテモノ食い?


 だから、ちんちくりんキノコの私を可愛いと言うのだろうか。

 そうだとしたら、なんてかわいそうな人だ。彼の周りには、超絶美味の最高級料理が「さぁ、今すぐ食べて♪」という状態で並んでいるのに。

 しかしながら、先輩の趣味嗜好を憐れんでいる場合ではないし、それに先輩が私を好きだという確証はない。

 なんだかんだそれっぽい言動を繰り返しているけれど、先輩が私を騙していないという証拠がないのだ。

 そもそも、私が先輩に恋愛感情を抱いていないので、とにかく距離を取るべきである。


――先輩だって、私なんかに好きだって言われても、嬉しくないだろうし。


 初めて会った時、先輩は恐怖の対象だった。

 私の周りにいる女子たちは、先輩のことを『怖いけど、かっこいい』と言っていた。

 だけど、私にとって、先輩は『かっこいいけど、怖い』という存在だった。

 その人がなにかにつけてそばに来るから、日を追うごとに、私の中にある恐怖心は徐々に薄れていった。

 それでも、まだ私は先輩が怖い。…….はずだった。


――こんな、私なんかに……。


 心の中でもう一度呟いた時、なぜか急に息苦しさを感じた。

 胃の奥辺りがキュウッと締め付けられ、息を吸うのも吐くのも苦しい。

 私には呼吸器系の持病はいっさいなく、運動中であったとしても、これまでこんな症状に襲われたことはない。


――なに、これ。


 その変化に戸惑い、私はギュッと眉根を寄せる。

「チコ?」

 先輩に名前を呼ばれ、私はハッとなって顔を上げた。

 すぐそばには、心配そうに私を見つめる瞳がある。

 

――いけない、私、先輩の膝から下りようとしていたんだっけ。


 なのに、あれこれと余計な考えが頭を巡り始めたため、そのことがすっかり頭から抜け落ちていた。

「あ、あのっ、なんでもありません。じゃ、私、帰るんで!」

 身を捩って膝の上から滑り降りようとしたけれど、当然のことながら、反射神経も神様に与えられている先輩は、こちらが動く前に長い腕で私を捕らえる。

 ギュッと抱き締められ、身じろぎすらできなくなってしまった。

「あ、あの……」

 オズオズと声をかけたら、ふたたび名前を呼ばれる。

「チコ」

 さっき以上に心配そうな目で見られ、私は落ち着かなくなってくる。

 これは、あまりよくない状況だ。理由は分からないけれど、早く先輩から離れたほうがいいだろう。

 ジタバタと身をよじり、なんとかして先輩の腕の中から抜け出そうと試みる。

 しかし、案の定、うまくいかなかった。

「チコ」

 私の名前を口にした三度目の声は、なぜか泣くのを我慢しているように思えた。

 それでも、一秒でも早くこの場から離れたい私は、先輩のことを気遣う余裕はない。

「で、でも、本当になんでもないんです! だから、帰ります!」

「……なんでもなかったら、こんな苦しそうな顔はしない」

 私よりも険しい表情を浮かべる先輩を見て、なにも言い返せなかった。


――これ、演技なの?


 もしもこれが私を陥れるための「もう一人の先輩」だとしたら、演劇に関する世界中のあらゆる賞を総なめにするだろう。

 思わず大人しくなった私の右頬を、先輩の左手がやんわりと撫でる。

 ビクッと肩を震わせて固まっていたら、先輩がジッと見つめてきた。

「この前から、チコの様子がなんだかおかしい」


――おかしいのは、先輩の女性の好みです。


 とは言えないので、とりあえず黙っている。

 すると、先輩は私の頬を優しく撫でながら、話を続けた。

「無理やり俺を遠ざけようとしたり、罰ゲームや復讐だって言い出したり。仮にも婚約者に対して、おかしいじゃないか?」

「それは……」

 言葉に詰まり、それ以上なにも言えなかった。


――そんなの、こっちが訊きたい。

 

 なんで、私と関わろうとするのか。 

 なんで、自分が婚約者だと言うのか。

 なんで、わざわざ私の家族に会おうとするのか。


 疑問ばかりが私の頭の中を駆け巡り、ますます息苦しくなってきた。

 おまけに、目頭がジクジクと熱くなってくる。


――もう、やだ……。こんなの、もう、やだ……。


 泣きたいのを我慢しているところに、先輩が私の心臓に突き刺さるような言葉を告げた。

「今の俺はまだ恋人という立場だけど、将来、チコの夫になる俺に、隠し事をしないでほしい」

 それを聞いた瞬間、頭の中も胸の奥もぐちゃぐちゃになった。

 

――なに、それ! なに、それ!! 意味が分からない!


 今度は、息苦しさよりも先輩に対する怒りが湧き上がってくる。

 同時に先輩と距離を取って可能な限り関わらないようにしようという考えが、吹っ飛んでいく。

 私は口の中に残っていた飴を、ガリッと噛み砕いた。

「なんで、そんなことを言うんですか!?」

 私はボロボロと涙を流しながら、大声で叫んだ。


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