(31)罰ゲームでもなければ、復讐でもない:4
私が帰り支度を終えると同時に、鮫尾先輩が教室後方にある扉から顔を覗かせた。
いつものように、教室内が一瞬ざわつく。
ウチのクラスの女子達も鮫尾先輩ファンは多いけれど、相変らず「アイドルを応援する」といった態度だ。
だから、目をキラキラさせながら、「わぁ、いつ見てもかっこいい」と囁き合っているだけ。
そういった反応は、クラスの女子たちが比較的穏やかな性格の持ち主ばかりということなのだろう。
大抵は電車内で私が遭遇した女子たちのように、不躾な視線をあからさまに向けてきて、ヒソヒソと囁き合うものだ。
――このクラスで、ラッキーだったよ。
私はこっそり安堵の息を吐きながら、バッグを持つ。
「茜ちゃん、琴乃ちゃん。また、明日。赤石君も、じゃあね」
三人に声をかけた私が歩き出したところで、赤石君がパッと私の肩を後ろから両手で掴んだ。
そして彼は、私をクルリと半回転させる。
「木野、先輩とどういう関係だ? 誰とも付き合っていないって言ったのに、どうして先輩が木野を迎えに来るんだ?」
やたら真剣に詰め寄られ、私はパチクリと瞬きを繰り返した。
――あ、そうか。赤石君は心配なんだね。
私が先輩となにも関係ないとしても、片想いをしている相手が自分以外と親しくしていたら、当然、落ち着かない気分になるものだ。
まして、赤石君は大っぴらに公言できない禁断の恋をしている。
私を先輩から遠ざけたくても、その理由を明言することができず、彼が抱えるモヤモヤは急速に膨らんでいるのだろう。
赤石君の恋を応援する私としては――けして、彼をスケープゴートにしようと企んではいない――、この際、先輩と赤石君の仲を取り持つべきかもしれない。
私はニコッと笑い、まずは問いかけに答える。
「私と鮫尾先輩は、単なる後輩と先輩ってだけだよ。事情があって、先輩と兄が顔見知りなだけであって、私は基本的に無関係なんだ」
例の言い訳を口にした私は、赤石君に小声で提案する。
「そんなに気になるんだったら、赤石君も一緒に来ない?」
間違いなく、この後はいつもの裏庭に行くことになるだろうから、そこで、先輩と赤石君をさりげなく二人きりにしてあげよう。
もしかしたら、先輩が赤石君の想いを受け止めてくれるかもしれないではないか。
――そうなったら、私は女子たちから嫌な目でジロジロと見られることがなくなるかも。
是非とも、彼をスケープゴートに、……ゲフン、ゴホン、い、いや、赤石君の恋を実らせてあげたかった。
赤石君は私の提案を聞いて、目を丸くして驚いている。
そして、茜ちゃんと琴乃ちゃんは、なぜか盛大に呆れていた。
「真知子って悪い子じゃないけど、鈍感すぎるよね」
「その鈍感さがどれだけ赤石君を傷付けているのか、絶対に気付かないかも」
友達二人がかなり小さな声でボソボソとなにかを囁き合っているのを横目で見ながら、私は赤石君に改めて話しかける。
「先輩は優しいから、いきなり赤石君が来ても、きっと怒らないんじゃないかな」
――優しく受け止めてくれる可能性があるかもしれないから、思い切って先輩に告白しなよ!
期待を込めて赤石君を見上げていたら、徐々に彼の顔が青ざめ、おまけに「うひぃ!」と変な声を上げて走り去っていった。
「……あれ?」
不思議そうに首を傾げる私の様子を見て、茜ちゃんと琴乃ちゃんがまたしてもコソコソと囁き合っている。
「鈍感な上に、思考回路がズレてるわぁ」
「このままだと、鮫尾先輩も赤石君も報われないよね」
「それにしても、赤石君を睨む先輩、めちゃくちゃ怖いんだけど」
「背中を向けていた真知子ちゃんが気付いてないのは、よかったのか悪かったのか……」
「なにか言った?」
声をかけると、二人は曖昧な笑顔を浮かべて「気にしないで」と返してきた。
「えー。なに、それ」
気にするなと言われると、余計に気になるではないか。
だけど、ここでグズグズしていたら、先輩のことでなにか言ってくる人が出てくるかもしれない。
どうせ先輩から逃げられないから、せめて、被害は最小限に抑えたかった。
「ま、いいか。二人とも、じゃあね」
私は茜ちゃんと琴乃ちゃんに手を振って、その場を後にした。
今日も今日とて、「ウチの馬鹿アニキが先輩に迷惑をかけて、ホントすみませんねぇ。まったく、馬鹿アニキときたら、二言目には鮫尾先輩ですからねぇ」と、わざとらしく大きな声で言い訳がましいことを口にして先輩と廊下を歩く。
そんな中、ふと視線を感じた。
それは、私のことを馬鹿にしつつ悪意を孕んでいる視線だった。
もしかしたら、今までもこういった視線が向けられていたのかもしれない。
だけど私は言い訳がましく騒ぐことばかり意識をしていたから、気付かなかっただけなのだろう。
――電車の中と同じ感じってことは、そういうことだよね。
ちんちくりんキノコの私が鮫尾先輩と並んで歩いていることを憎々しく思っている人たちは、自分が考えているよりも身近にたくさんいるということだ。
私は密かに顔を引きつらせる。
たぶん、猶予はほとんど残されていないはず。
こういうことはほんの些細なことをきっかけに、ドカンと爆発すると相場が決まっている。
なにか起きてしまった後は、馬鹿アニキの相手をする以上に面倒な事態になるだろう。
――これは、早急になんとかしないと。
私はこの後、先輩と決着をつけることにした。
いつもの裏庭にやってくると、まず先輩がベンチに腰を下ろし、その隣の空いたスペースをトントンと叩く。
これまでは謎の威圧感によって先輩に従っていたけれど、ここで決別するという強い意思のもと、私は先輩の正面に立ったままだ。
「チコ?」
先輩が不思議そうに首を傾げ、立っている私を見上げている。
その表情はほとんど無表情であるけれど、その目はなんとなく私を心配しているように見えた。
とはいえ、先輩が本気で私を心配しているかなんて、こっちには分からない。
心配している振りをして私を自分のテリトリーに引きずり込んだのち、地獄の底に突き落とすかもしれないのだ。
動こうとしない私に向って、先輩が改めて呼びかける。
「チコ?」
それでも、私はそこに立ったままだ。
先輩は少し考え込んだのち、ハッと短く息を呑む。
そして、いそいそと自分のバッグを開け、中からイチゴ牛乳の紙パックを取り出した。
「はい」
自信満々に差し出された紙パックを見て、私の頬が軽く引きつる。
「……イチゴ牛乳をくれなかったからって、拗ねている訳じゃないんです」
「違うの?」
「その程度で拗ねるほど、私は子供じゃないので」
「拗ねるチコも、可愛い」
「……ですから、拗ねてないです」
相変わらず、私と先輩の会話はキャッチボールが成立しない。
しかし、ここで諦めたら、私の平穏な学生生活がパーになる。
ギュッとバッグの持ち手を握り締め、私は思い切って口を開いた。
「先輩が私に近付いた理由が罰ゲームでも復讐でも構いません。クリアに協力しますので、明日から二度と私に近付かないでください」
――よ、よし、言った! 言ってやった!
ガチガチに緊張しながらも、心の中でガッツポーズを取る。
ところが次の瞬間、私の全身が緊張ではなく恐怖で固まった。
鮫尾先輩が、ものすっごく鋭い目で私を見てきたからだ。
「罰ゲーム? 復讐? 誰が、チコにそんな下らないことを? まさか、さっきの男子か?」
低い声で囁いた先輩の周りにある空気が、一気に凍り付く。
――さっきの男子って、赤石君のことだよね!? なんで、先輩は今にも人を殺しそうな顔をしているの!?
スケープゴート作戦が失敗に終わりそうな予感に襲われ、私はゴクリと息を呑んだ。




