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(3)先輩はジェントルマン(仮)

 大好物のイチゴ牛乳をプレゼントされ、先輩に対する恐怖心が少しだけ収まった。

 自販機で買ったばかりなのだろう。パックはヒンヤリと冷たい。

 やはり、イチゴ牛乳は冷え冷えの状態が美味しいのだ。温くなる前にいただこう。

 私は先輩に向かって、ペコリと頭を下げた。

「え、え、遠慮なく、いた、だきますね」

 私の口調がおかしいのは、ワザとではない。

 真正面に立つ先輩が、私の顔をマジマジと覗き込んでいるからだ。

 私よりも頭二つ分背の高い先輩が軽く腰を曲げ、膝に手を着いて視線を合わせてくる。

 間近で見る先輩の顔はやっぱり整っていて、ちょっと怖い。

「あ、あの……」

 無言で私を見つめてくる先輩の様子に、ドキドキと心臓が暴れる。あ、もちろん、緊張とか恐怖の意味で。

 オドオドしていると、先輩の形のいい眉が僅かに中央に寄った。


――ええっ、なんで? 怒ってるの?


 一体、私がなにをしたというのだ?

 いや、なにもしていないから不機嫌になったのだろうか。

 ああ、もう、意味が分からない。

 とりあえず、イチゴ牛乳を冷たいうちに飲もう。

「で、では、失礼します……」

 改めて頭を下げて立ち去ろうとすれば、またしても先輩に腕を掴まれた。

 しかも、今回は両腕。

 先輩のそれぞれの手が、私の左右の二の腕をがっしりと掴んでいる。

 ますますもって意味が分からない。

 私は先輩の右手、左手を順に見遣った後、オズオズと見上げた。

 先輩の眉は、さっきと同じように少しだけ中央に寄っている。

 その表情の意味も行動の理由も見当が付かず、私は首を傾げた。

 すると、先輩も同じように首を傾げてくる。

 左側に傾ける私と、右側に傾ける先輩。まるで、鏡合わせのようだ。

 

――ホント、意味が分からない!


「せ、先輩。手を、放してもらえませんか?」

「嫌だ」

「はい?」

「嫌だ」


――このやりとり、なんか覚えがあるんですけど……

 

 このままでは、さっきのように私は囚われたままになってしまう。ちゃんと理由を聞き出さなくては。

「なにが、嫌なんですか? 教えてもらわないと、私、分からないです」

 困ったようにシュンと眉毛を下げると、先輩の口元が微かに動いた。

「……可愛い」

「え?」


――先輩、今、可愛いって言った?


 この状況で、なにが可愛いというのだろうか?  

 自分のことではないというのは、百も承知だ。私が美少女でないことを、誰よりも自分が理解している。

 ちんちくりんの身長。収まりの悪いフワフワの髪。そして、「木野きの真知子まちこ」という名前をもじって、一部の男子から『キノコ』とからかわれている私なのだ。

 先輩が可愛いといっているのは自分ではないと、悲しいことに断言できる。


――えー、じゃあ、なにが可愛いんだろう。


 もしかしたら、私の背後に子猫でも現れたのだろうか。確かに、この学校には野良猫がしょっちゅうやってくるのだ。


――見たい! 猫好きの私としては、ぜひとも見てみたい!


 突き刺さらんばかりに向けられている先輩の視線から逃れるように、私はゆっくりと視線を動かしてゆく。

 そこで。

「駄目」

 先輩が一言放った。

 私は動きを止め、先輩に目を向ける。

 なにも言ってこないので、また後ろを振り返ろうとすれば。

「駄目」

 さっきと同じように、制止を促される。

「あの、なにが駄目なんですか?」

 顔を横に向けたまま目だけを先輩に向けていると、掴まれている腕がブンブンと振られた。

「前を向いていないと、駄目」

「はい?」

 パチパチと瞬きを繰り返せば。

「俺から目を逸らすのは、駄目」

 と、新たな説明が加わった。

 しかし、そう説明されても、状況が理解できないことには変わらない。

 なぜ、先輩から目を逸らしてはいけないのかが、さっぱり分からないからだ。 

「えっと、えっと……。イチゴ牛乳、飲みたいです」

 どうしていいのか分からので、自分の欲求を伝えることにした。

 すると、「ん」と短い一言を発した先輩が、掴んでいた私の腕を解放する。

 やれやれ、これでこの場から離れることができると安心したのもつかの間。

 ふたたび拘束されることになってしまった。

 今度は先輩の右手が、手ぶらになっている左手首をワシッと掴む。

 そして、ゆっくりとした歩調で足を進めた。

「先輩、どこに行くんですか?」

 声をかけると、私を見つめてから切れ長の目を左前方へと向ける。

 そこには、木で作られた二人掛けのベンチがあった。

 裏庭の中でも一番大きな木の下に備え付けられているベンチは、雨の影響をそれほど受けておらず、ほとんど濡れていない。

それでも先輩はスラックスの後ろポケットから厚手のハンカチを取り出し、片手で器用にベンチの上へと広げた。 

 そして私を見てから、掴んでいる手首を数回揺らす。

「す、座れってことですか?」

 問いかけに、切れ長の目が少しだけ弧を描いた。

「ん」


――ベンチに自分のハンカチを広げる男の人、初めて見たーーー!


 そんなことはドラマか少女漫画の中だけだと思っていたし、現実に起きたとしても、自分がされるとは考えたこともなかった。


――うわぁ、ジェントルマンがここにいます!


 顔は怖いし、言葉が極端に少ないけど、鮫尾先輩はジェントルマン。私を引き留めたり、腕を掴んで拘束したりと、行動がかなり不審ではあるがジェントルマンだ。

 早くイチゴ牛乳が飲みたいのと、先輩の厚意を無駄にしないために、私はそのベンチに腰を下ろす。

 すると、私の手首を掴んでいる先輩も、左側の空きスペースにつられるように座った。

 このベンチは大人二人が十分座れるスペースがある。

 先輩は百八十センチを超える長身だけど、隣に座る私がちんちくりんなので、スペースには結構余裕があるはず。

 なのに、先輩は私にピタリと寄り添うように座っている。

 

――ホント、意味が分からない……


 だけど、これまでの経験が教えてくれる。考えても無駄だと。

 仕方がないので、さっさとイチゴ牛乳を飲んで、早く帰ろう。


 ところが。


 この期に及んでも、先輩の右手は私の左手首を掴んだまま。

 片手だけでは紙パックに付いているストローが取れないし、ストローを飲み口に挿せない。

「先輩、手を放してもらえますか?」

 返ってきた言葉は、案の定、「嫌だ」だった。

 いやいやいや。私だって、このままイチゴ牛乳が飲めないのは嫌だ。

「あのですね、手を放してもらわないと、ストローが取れないし、挿せないんです」

 見れば分かるであろう状況をあえて説明したというのに、先輩は首を横に振るばかり。

「で、でも、このままだったら、どう考えたって無理ですよ」

 掴まれている左手をブンブンと振って、先輩の手を外そうとした。

 ところが、先輩は極々僅かに口角を上げる。

「大丈夫」


――なにがですか?


 私が左に首を傾げると、さっきと同じように先輩も首を傾げてきた。真似っこする暇があるなら、手を放してほしいのだが。

 眉毛を下げると、先輩の目が少しだけ弧を描いた。

 私が困っているというのに、なんで楽しそうなのだろうか。先輩はドSなのだろうか。

 まぁ、ほんのちょっとだけ目を細めただけだから、本当に楽しそうかどうかは分からないけれど。 

 お互い首を傾げて見つめ合っていると、先輩が「右手」と言った。

 右手を差し出せと言う意味かと思い、紙パックを持っている右手を先輩へと差し出す。

 すると先輩の左手が伸びてきて、パックに付いているストローをビニール袋から取り出した。

 それを、無言で差し出す先輩。


――どういうこと?


 ジッとストローを見つめていると、そのストローが上下に軽く揺れる。


――もしかして……


 私は膝の上に紙パックを置くと、恐る恐るストローの真ん中あたりを指で摘まんだ。そしてググッと引っ張り、ストローを伸ばした。

「ん」

 先輩が、一言発する。

 どうやら、正解だったようだ。 

 そして先輩は目線で紙パックを持つように促したので、その通りに従う。

 私が右手で持ち上げた紙パックの飲み口に、先輩が左手で持つストローが挿し込まれた。

「ほら、飲める」

 どことなく得意げな先輩の声音に、私の顔が軽く引き攣る。


――なに、この共同作業。


 ストローを見つめる私の表情は、なんとも言えないものだった。




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