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(24)先輩と私の距離:7

 とりあえず、兄には着替えるようにきつく言い付け、先輩に上がってもらうことにした。

「す、すみません。兄はどうやら、どこまで馬鹿になれるかという挑戦をしているようで……。はは、ははは……」

 私は顔を引きつらせながら、お客様用のスリッパを出す。

 先輩は少し驚いたようだけど、それは一瞬だけだった。

 兄が登場した時は目を見開いて固まっていたものの、今は普段通りの無表情に戻っている。

 出されたスリッパに足を通した先輩は、ボソリと呟く。

「俺は、合格しただろうか?」

「……へ?」

 なにを言ったのか理解できない私は、ポカンと立ち尽くす。

 先輩は兄が消えた先の廊下をジッと見つめ、また呟きを零した。

「俺は、お義兄さんの試験に合格しただろうか」

「いや、それは……、え?」

 なんとか先輩の話についていこうとしたけれど、それは不可能だった。


――合格って、なんのこと?


 パチクリと瞬きを繰り返していたら、先輩が私を見て少しだけ目を細める。

 その表情はどこか緊張していた。

「お義兄さんは、俺のことを試したはずだ」

 またしても、先輩が不思議なことを口にする。

 この人の頭の中では、どんなストーリーが展開しているのだろうか。


――まぁ、先輩が考えていることを私が理解するのは、きっと無理だろうなぁ。


 これまでのやり取りで、それは嫌というほど実感した。 

 先輩の頭がよすぎて、私の頭が並程度だから分かり合えないということ以上に、先輩の思考回路が私からするとぶっ飛んでいるからだ。

 かといって、先輩の発言を無視していいものだろうか。

 

――放っておくと、さっきみたいにとんでもないことになりそうだし。


 近所のおじちゃんとおばちゃんに私の婚約者だと名乗り、結婚するとまで言い放ったのだ。

 私の家族に対してもそんなことを言い出されては、この先、私が困る羽目になることは必至である。

 戸惑いながらも、私は先輩に問いかけた。

「……兄が、なにを試したと思っているんですか?」

 すると、先輩が静かに答える。

「どんな時でも、冷静な男かどうかを」

 さらに意味不明なことを言われたので、再度問いかけた。

「……それを試して、どうするんですかね?」

 そこで玄関の上がり框に鞄を置いた先輩が、私の右手を両手でギュッと握る。

「俺がチコを守れる男かどうか、お義兄さんは試したんだ」

「……いや、それは、どうでしょうか」

 明らかに、先輩の頭の中では私では理解できないストーリーが展開されている。

 ヘタなことを言い出さないうちに、私は先輩に「スリッパをどうぞ」と促した。

 しかし、先輩はさらに強い力で私の手を握る。

「チコの夫として俺が相応しいのかを判断するため、取り乱すことなく状況を把握できるかを見たかったのだろう。だからこそ、あのように奇抜な格好で俺たちを出迎えたんだ。そのくらい重要な目的がなかったら、あんなことをするのは常識的にありえない」


――あー、先輩に奇抜だって言われちゃったかぁ。やっぱり、そうなるよねぇ。


 これまでに馬鹿馬鹿しい兄の行動を何度も見てきた私でも珍妙と思ったのだ。

 先輩が兄を「奇抜」や「常識的にありえない」と言うのは納得できる。

 それより、またしても先輩がおかしなことを言っているので、それを訂正するほうが大事だ。

 兄の馬鹿さ加減はもう治らないから、これについて触れるのは終わりにしよう。

 私はぎこちない微笑みを浮かべながら、先輩に話しかける。

「あの、先輩。私の夫とか、婚約者だとか、そういうことを家族に言わないでもらえますか?」

 ここがなにより大事なポイントだ。

 先輩が馬鹿なことを口走らなかったら、今日の勉強会は無事に終わるはず。

 近所のおじちゃんとおばちゃんに言ってしまったことは、もう仕方がない。

 せめて、家族の耳に入れないようにしなくては。

「先輩、どうかお願いします」

 心の底からお願いすると、先輩がソッと首を傾げた。

「いつなら、言っていい?」


――そんな機会は、一生巡ってきませんけど。


 私の頬が、ヒクリと引きつる。

 先輩の私に対する嫌がらせ、あるいは復讐に家族を巻き込んでほしくない。

 恋愛話が大好きな祖母と母の耳に『結婚』なんて言葉が入ったら、素晴らしくいい笑顔で問い詰められるだろう。

 それは、本当に勘弁してほしい。

 お小遣いが減るのと同じくらい、私にとって苦行である。

「えっと、それは……」

 片頬をひくつかせて視線を泳がせる私の顔を、少し上体を屈めた先輩が覗き込んでくる。

「ねぇ、チコ。いつなら、いい?」

 ジッと見つめてくる瞳には、真剣さと期待が浮かんでいた。

 いつならいいかと訊かれても、そんなものはいつになってもよくないと答えたい。

 

――だって、私と先輩は、そういうことになる関係じゃないし……


「そ、それは……、だから……」

 しどろもどろになっていると、先輩の顔が徐々に近付いてきた。

「チコ、いつ?」

 お互いの顔が十センチも離れていないところで、先輩が静かな声で囁く。

 私はあぅあぅと呻いたあと、「と、とりあえず、今日は、駄目です……」と答えるのが精一杯だった。

 先輩はしばらく無言だったけれど、コクンと深く頷き返す。

「そうだな。俺が焦りすぎていた。今日はお義兄さんを紹介してもらうために、ここに来たんだっけ」


――私の勉強を見てもらうためですけど。


 当初の目的を見失っている先輩に、勉強する前からぐったりして言い返す気力がない私は心の中で突っ込んだ。




 さて、先輩とどこで勉強しようか。

 静かな環境で勉強するなら、自分の部屋が最適だ。

 しかし、先輩と二人きりになろうものなら、それこそ、祖母と母のかっこうの餌食となってしまう。

 リビングだと家族の出入りがあってうるさいだろうが、よけいな詮索を避けるには仕方がない。

「あ、あの、こちらへ」

 先輩を先導し、リビングへと向かう。

「ソファに座っていてください。私は飲み物を……」と言いかけたところで、私はギクリと固まる。


――な、なんで、馬鹿アニキがいるの!?


 サングラスを外し、普段の部屋着に着替えた兄が、ソファにデンと座っていた。

 まともなかっこうになっているものの、もみあげは消えていない。やはり、油性マジックで書いたようだ。

 あのもみあげが消えなかったらどうするのだろう。

 そのまま、学校へ行くのだろうか。

 ジッと偽もみあげを見つめていたら、兄が「いつまで、突っ立っているんだ?」と声をかけてきた。

 いつもなら、帰宅して早々、部屋にこもって漫画を読んだりゲームをする兄なのだ。

 リビングでくつろぐなんて、かなり珍しいことである。 

「お、お兄ちゃんこそ、なんで、ここにいるの?」

 すると、兄はヒョイと片眉を上げた。

「真知子の友達を紹介してもらうためだ」


――それを期待していたなら、なんであんな馬鹿なことを?


 もし本当に私が友達を連れてきていたら、確実に白い目で見られていただろう。

 そして翌日から、『木野真知子の兄は、本当に馬鹿だった』と、学校中に知れ渡ることになる。

 幸いにも先輩はそういったことを言いふらす人ではないから、その点は安心だ。

 それにしても、どこからどう見ても男子にしか見えない先輩のことを、よくも僕っ娘と勘違いできるものである。

 顔立ちも肩幅も男子のものだし、それに、先輩の身長は兄よりも高い。

 兄は頭だけではなく、目も悪いようだ。

 


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