(2)再会は戸惑いだらけ
鮫尾先輩との予期せぬ遭遇から、十日が経った。
その間も雨が降ったり止んだりの天気で、晴れ間を見つけては裏庭でマイナスイオンを一人で堪能していた。
いや、実際は堪能するには至らなかったのだが……
予期せぬ遭遇以来、私が裏庭ではしゃいでいると、いつの間にか鮫尾先輩が現れるのだ。
ここに来るのは気まぐれだし、来る時間も決まっているわけじゃない。
それなのに、先輩は必ず現れた。
だけど、なにも言わず、なにもせず。ただ黙って、私を見ているだけ。
何度か顔を合わせているうちに目つきの鋭さには少しだけ慣れたけれど、この重苦しい沈黙にはいっこうに慣れない。
本当に、先輩はなにがしたいんだろう。
そもそも、この場所にどんな用事があるのだろうか。
――まさか、先輩も一人でマイナスイオンを浴びたいとか?
今年入学した私よりも、先輩のほうが先にこの場所を見つけたはず。
やっぱり、ここは彼の縄張りだったのだ。かつてテレビで見た動物物のドキュメンタリー番組の中で、『縄張り意識を持つ鮫がいる』と言っているのを聞いた気がする。
自分の縄張りでのんびりとしようと出掛けてきたところに、私がアホの子のようにはしゃいでいたら……
――そりゃあ、気分、悪いよね?
それならそうと言ってくれればよかったのに。
――あー。でも、ここは学校に敷地で先輩だけのものじゃないから、私を追い出したくてもできなかったのかな? それか、先輩のような硬派一直線の人がマイナスイオンで癒されているなんてことを知られたくなかったから、言い出せなかったとか。
いずれにせよ、私はもう、来ないほうがいいだろう。
この裏庭は学校の中で一番お気に入りの場所だけど、探せば他にも素敵な場所があるはず。
来週にはもしかしたら梅雨が明けるかもしれないと言われているので、雨を気にせずにあちこち見て回れそうだ。
そうと決まれば、早く立ち去らなくては。
だけど、このままなにも言わないのは、なんだか気まずくて。
いつもは先輩が立っている場所とは反対にある入り口から出ていくけれど、この場所を横取りしてしまっていたことに申し訳なさを感じ、ゆっくりと先輩へと向かって歩き出した。
この先、先輩と顔を合わせることはなくなるから、ちゃんと謝っておきたい。
ドキドキしながら近付き、先輩から一メートルくらい離れた位置で止まった。
いつもより格段に近いところから見る先輩の顔は、異常なほどかっこよかった。
ただし、切れ長の奥二重がいっさいの表情を変えずに向けられているので、どちらかというと、このドキドキは恐怖によるものだと思われる。
それでも、自分に喝を入れ、勢いよく頭を下げた。
「今まで邪魔して、すみませんでした! ここには来ませんので、どうぞ安心してください!」
最後まで一息で告げると、もう一度頭を下げ、私は脱兎のごとく先輩の横をすり抜けた。
……はずだった
なぜか先輩の右手が私の左腕を掴み、引き留めてきたのだ。
身長に見合った大きな手は、私の左肘と手首の真ん中あたりを余裕で掴んでいる。
痛くはないけれど、簡単に外れそうにない。
――なんで、こうなってるの?
掴まれた部分から目が離せず、頭の中が?でいっぱいになっている所に。
「ダメ」
と、変声期を終えた男らしい声で、一言告げられた。
そのことにより、頭の中がさらに?でいっぱいになる。
――ダメって、なにが? 頭を下げただけじゃ、ダメってこと?
オズオズと視線を先輩に向け、私はなんとも言えない顔で首を捻る。
すると、先輩が口を開いた。
「ここに来ないのは、ダメ」
「……はい?」
もう限界。なにがなんだかさっぱり分からなくて、頭が爆発しそうだ。
幸いにも、先輩はだんまりを押し通すつもりはないようだし、ここははっきりさせておいたほうがいいだろう。私の精神衛生上、絶対にそうするべきだ。
「ええと、私はこれからもここに来ていいってことですか?」
こくりと、大きく頷かれた。
「私がここにいることで、先輩の邪魔にはなりませんか?」
また、こくりと頷かれる。
反応はしてくれるものの、なぜか無言だ。
しかも真正面からマジマジと見つめられているので、悪いことをしていないのに視線が泳いでしまう。
とりあえず、この手を離してもらいたかった。掴まれているせいで先輩とは近い距離にいるため、頭も心臓も落ちつかない。
「離してもらえますか?」
そうお願いすると、首を横に振られた。
「なんでですか?」
「嫌だから」
――いやいやいや! 私だって、この状態は嫌ですよ!
掴まれている左腕を、ブン、と振ってみる。
でも、先輩の手は離れなかった。それどころか、さらに強い力で掴まれる。
もちろん痛くはないんだけど、なんとなく『ぎゅううっ』という音が聞こえてきそうなほど、しっかり鷲掴みにされていた。
――こ、怖いーーー!
涙目になって腕をブンブン振っていると、視界にジュースの紙パックが映し出される。
「え?」
それに目を奪われ、腕の動きを止めてしまった。
そのジュースは、私が大好きなイチゴ牛乳。一日に一度は飲んでしまうほど、大好物の代物だった。
うっかりイチゴ牛乳のパックを見つめていれば、頭の上に声が降ってきた。
「あげる」
思わず、パッと顔を上げてしまう。
「もらっていいんですか?」
先輩の縄張りを横取りしたのに、ジュースをくれるなんて。先輩、何気に良い人だ。
でも、嬉しさよりも戸惑いが大きいので、すんなりと受け取れない。
困り顔で先輩を見上げていると、切れ長の目がちょっとだけ弧を描く。
「あげる」
その表情も声も、さっきより柔らかくなっていた。私が怯えていることに気が付いたのだろう。
どうしようか迷ったけれど、右手を紙パックに伸ばす。
なんとなくだけど、受け取るまで左腕を離してもらえそうにない気がするのだ。
「あり、がとう、ござい、ま、す……」
ビクビクしながらも紙パックをしっかり受け取れば、予想通り、私の左腕がようやく解放された。
――ふぅ、やれやれ……
鮫尾先輩との二度目の遭遇は、やっぱりパニック三昧だった。