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(18)先輩と私の距離:1

 相変らず鮫尾先輩の膝に乗せられ、私は身動きが取れずにいる。


――帰りたい。一刻も早く帰りたい。


 先輩だって、なにもないところで珍獣キノコを膝に乗せていても、楽しくないはずなのに。

 私は気の利いた話も面白い話もできる人間ではない。

 先輩も口数が極端に少ない人だから、会話を楽しむということもない。


――ホントに、もう、なんなの……。


 いつの間にか、放課後になると先輩が一年の教室に現れるようになって。

 半ば拉致同然で、連れ去られ。

 周りは騒然としているのに、涼しい顔で私を連れて歩いて。

 そして、いつもの裏庭にやってくると、ベンチに座って私を膝に乗せる。

 おまけに、結婚だの夫婦だのと、おかしなことを言い出す始末。


――先輩は、なにがしたいんだろう。


 ちんちくりんでキノコな私をからかったところで、なんの暇つぶしにもならないと思う。


――もしかして、私は気付かないうちに、先輩の恨みを買っていた、とか?


 今の世の中、なにが災いするか分からない。

 何気ない一言、何気ない行動が、相手を深く傷つけてしまうこともある。

 傍からしたら逆恨みとしか思えないことでも、本人は執拗に復讐してくる事件が少なくない現代だ。

 私はいつ、どこで、先輩を怒らせてしまったのだろうか。

 裏庭で会うまで直接的な面識はなかったけれど、先輩についての印象をちょっとだけ友達と話したことがある。

 あれは、入学して一ヶ月くらい経った頃。

 この学校で一番の有名人である鮫尾先輩について、クラスの女子たちが盛り上がっていた時のことだ。

 お昼休み、先輩がたまたま教室の窓から見えるところを歩いていて、女子たちが騒ぎ出した。

 つられて私も外を見たのだが、キリッと釣り上がった目元と無表情な様子を『怖くて近寄りがたい』と言ってしまった記憶がある。

 それが回り回って先輩の耳に入り、腹を立てた私に復讐してやろうと考えたのだろうか。

 美形で頭がよくて女子に大人気の鮫尾先輩が私に近付いて、私に気がある素振りをして、私が先輩のことを好きになったところで、「お前みたいなつまらないチビ、俺が本気で好きになる訳ない」と鼻で嗤うつもりなのだろうか。


――あれ? 私、先輩から好きって言われてない、かも。


 結婚だ、婚約だ、夫婦だという言葉は聞いたけれど、先輩が私をどう思っているのか、はっきりと言われた訳ではなかった。

 私のことを可愛いと言っているのは、私をその気にさせるためなのかもしれない。

 先輩が『好き』という言葉を口にしないのは、私なんて少しも好きじゃないからだ。

 なにもかも、復讐のため。

 先輩が近付いてくる理由が他に考えられなくて、私はどうしたらいいのか分からなくなった。


――謝ったら、済むのかな?


 だけど、復讐を遂げるまで、先輩はきっとこれまでと同じように振舞うのだ。

 謝ったところで、たぶん、先輩はあえてスルーするだろう。

 謝ったって、逃げ出したって、先輩の気が済むまで、この日常は続く。


――ホント、どうしよう……。


 さっきは先輩の優しい笑顔で胸がキュンとしたけれど、今は不安でギュウギュウと締め付けられて苦しい。

 泣きそうな顔で俯くと、先輩の大きな手が私の頬を覆った。

「どうしたの?」

 相変らず表情の変化はないけれど、先輩の目は心配そうにジッと私を見つめている。

 本気で心配しているように見えるのは、私が単純な人間だからだろうか。

 それとも、先輩の演技が上手だからだろうか。

 ただ、先輩の目がすごく綺麗で、思わず見惚れてしまう。

 ボンヤリしていた私は、何気なく口を開いた。

「……復讐を」

 まったくの無意識で飛び出した言葉は、とんでもなく物騒なものだった。

 言った本人の私が目を丸くする。

「あ、あの、いえ、今のは、なんでもないです! 気にしないでください!」


――ああ、私の馬鹿! 無意識にも程があるでしょ!


 自分で自分にツッコミを入れていたら、先輩は神妙な表情を浮かべた。

「復讐するの?」

 静かに問いかけられ、私は忙しなく視線を彷徨わせる。

「えっと、それは……、その……」

 しどろもどろになる私の頬を、先輩が優しく撫でた。

「よかったら、手伝おうか?」

「はいっ!?」

 私はビクンと背筋を伸ばし、ビシッと固まる。


――復讐を手伝うって、どういうこと!? やっぱり、先輩は本物の暗殺者ってこと!?


 私が口にした「復讐」を怪訝に思うことなく、さりげなく、それはもう本当にさりげなく「手伝おうか?」といった先輩のことが、暗殺者以外に見えなくなってきた。

 つまり、私の未来はもはや絶望一色となることが決まった。

 先輩がどんな手段で私に復讐するのか分からないが、彼のことだから必ず成功させるだろう。

 私が先輩を好きになったところでこっぴどく振るなんて、そんなものはきっと子供だましだ。

 もっと辛辣でえげつない方法で復讐されるのだ。

 心臓がギリギリと締め付けられて息もできないほど怯えていたら、先輩が静かに口を開く。

「どの教科?」

「……へ?」

 この話の流れで、どうしてその言葉が出てきたのか理解できない。

「きょ、きょうか?」

 間抜け面全開で訊き返すと、先輩が手を移動させて私の頭を優しく撫でた。

「授業で分からないことがあるから、復習するんでしょ? それは、どの教科?」


――えっ、そっち!?


 やっと、先輩が言いたいことにピンときた。

 頭の中で『先輩は本物の暗殺者説』が高速回転していたため、単純な言葉さえも理解できなかった。

 私の頭を撫でながら、先輩が改めて問いかけてくる。

「どの教科?」

「……す、数学、です」

 馬鹿正直にポツリと呟いたら、先輩はフッと目を細めた。

「俺が教えようか?」

「ふえっ!?」

 奇妙な声を上げた私の頭を、先輩がポンポンと穏やかに叩く。

「これでも成績はいいほうだから、チコに教えてあげられる」

 先輩の頭の良さは、学校中の誰もが知っている。この学校はじまって以来の天才だと、先生たちも言っている。

 確かに先輩だったら、一年生の数学なんて楽勝だろう。

 もうじき行われる期末テストで赤点を取ったら、両親から小遣い半額の刑が言い渡される身としては、なんともありがたい申し出だ。


――だけど……。


 私は即答できなかった。

 先輩にもきっと予定があるだろうし、それに、先輩がどんな意図を持って私に近付いてきたのか分からないままなのだ。

 私は小さい脳みそをフル回転させ、どちらが重要なのかと天秤にかける。

 全私ぜんわたしによる脳内会議の結果、『小遣い半額の刑を阻止すべし』という結論が出た。

 高校生というのは、なにかとお金がかかるのだ。

 先輩にどんな復讐されようとも、友達と寄り道して食べるパフェやクレープが最優先なのだ。

 私はさっきまでの憂鬱な空気を振り払い、「よろしくお願いします」と頭を下げた。


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