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(17)ドキドキの種類:5

 展開についていけず、私はガックリとうなだれる。

 そんな私の態度を、「俺のこと、受け入れてくれたんだ」とのたまい、先輩は私の髪に頬擦りを繰り返していた。

 私は決して先輩を受け入れてはいない。

 逃げ出そうとする気力を根こそぎ奪われ、なにもできないだけなのだ。

 もがいたところで先輩の腕から逃げることができないのは、これまでの経験から十分すぎるほどに理解している。

 かといって説得を試みても、精神的ダメージが瞬く間に蓄積するだけなのである。

 それなら先輩の気が済むまで大人しくしていたほうが、被害を最小限に食い止められると悟った私だった。


 しかし、その読みは甘く、精神的ダメージはさらに蓄積していく。


 先輩は私の髪に頬擦りしつつ、長い指に私の髪をやんわりと巻き付けている。

 私が少しでも身じろぎすると、ほんのわずかに空いた隙間すら許さないとばかりに、腰に巻き付けている左腕でグイッと引き寄せるのだ。


――助けて……。馬鹿アニキ、助けて……


 理解不能な先輩に立ち向かえるのは、同じように理解不能な馬鹿アニキしかいない。

 理解不能のジャンルが違うが、きっと互角の戦いになるだろう。

 その隙に、私は逃げればいいのだ。

 しかし、無情にも私のスマートフォンは着信を告げなかった。




 それから三十分経っても、先輩は私を膝から降ろそうとしない。

 頬擦りも髪弄りも、相変わらず続いている。


――いったい、なにが楽しいんだか。


 チラリと横目で窺った先輩の顔は、安定の無表情だ。

 ところが、よくよく見ると、口角がほんのり上がっている。

 普段が絶好調な無表情なので、ほんの少しの変化でも目に付くのだ。

 だからといって、私の精神的ダメージは軽減されなかった。


――早く、ウチに帰りたい。ノンビリおやつを食べたい。


 チョコやクッキーを齧りながら、ユーがチューブするサイトでお気に入りの動画を見たい。

 友達から借りた胸キュン必至と評判高い少女漫画を読みたい。

 昨日ダウンロードしたゲームアプリの続きをしたい。

 彼氏がいないので色気のない過ごし方だけど、私には大事な大事な憩いの時間である。


――私なんか構っていないで、好きだって言ってくれる人とデートでもしたらいいのに。いったいなにが楽しくて、珍獣キノコを連れ回すんだか。


 チラリと先輩を窺い、私はため息を吐く。

 隠すつもりはないので、これ見よがしに長く大きく。

 すると、先輩は動きを止め、私の顔を覗き込んだ。

「どうした?」

 さっき見た微笑みは消え、先輩がジッと私を見つめる。

 その顔はすごく心配そうにしているけれど、ほだされたりしない。私は目に力を込め、睨み返した。

 そう、私は単純な女ではないのだ。けして、ほだされたりしないのだ。

「大丈夫?」

 先輩はさらに顔を寄せ、私の表情からなにかを読み取ろうとする。

 その目はなおいっそう心配そうに私を見つめていた。


――ま、負けるもんか!


 私は拳を握り、お腹に力を入れる。

 途端にクルルッとお腹が鳴ったけれど、今はそれを気にしている場合ではなかった。

 ここで私が引いたら、先輩が作り出す異次元に呑み込まれてしまう。だから、ほだされる訳にはいかなかった。


 ……絶対、ほだされないぞ!


 ……たぶん、ほだされないんじゃないかな。


 ……ほだされないと思うよ。


 ……ほだされない気がする。


 ………………負けました。


 やたらと私を心配しているのに加え、捨てられた仔犬みたいに縋りつく視線を向けられ、これ以上突っぱねることができなかった。

「どこも痛くないです、大丈夫です。ちょっとだけ、先輩を睨みたい気分だっただけです。心配してくれて、ありがとうございました」

 ペコリと頭を下げたら、大きな手がよしよしと私の頭を撫でる。

「俺は、君の夫になる男だ。心配するのは当たり前」

 またしても意味不明なことを言われて、思わず目に力が入った。

 だけど睨んだところで、先輩には通じない。おまけに、私の精神的ダメージが増えるだけ。

 とはいえ、なにも言い返さずにいると、先輩の意味不明加減が加速する。

 私は無心でいるように努め、静かに口を開いた。

「先輩、おかしいってことに気付いてください」

 それを聞いた先輩は、切れ長の目を大きくする。

「なにが?」

 本気で分かっていないらしく、目を大きくしたまま首を傾げてみせた。

「なにって、これまでの発言ですよ。おかしなこと、いくつかありますよね?」

 本当はいくつかではなく、おかしなことだらけなのだが、無用なツッコミをすると私のライフポンとガリガリ削る口撃(攻撃ではない)が返ってくるので、極力余計なことを言わないほうが身のためである。

 それ以上のことを言わないでいたら、先輩がソッと目を伏せた。

「……そうだよな」

 どうやら、今回はこちらに軍配が上がったようだ。私は心の中でガッツポーズ。それも、両手を振り上げたダブルガッツポーズ。


 とはいえ、私の予想をはるかに上回るのが鮫尾帆白という人間である。


「結婚する相手をいつまでも『君』って呼ぶのは、確かにおかしいよな」

 ボソッと呟かれたことを耳にした私は、心の中のガッツポーズをすぐに解いた。

 私が指摘したいおかしな点とだいぶズレがあるが、ここで焦ったら返り討ちに遭うことは経験済み。

 とりあえず、私は黙って先輩の様子を窺った。

 彼はなにやら考え込み、少ししてから顔を上げた。

「家族からは、呼ばれてる?」

真智子まちこですけど」

「友達からは?」

「真知子ちゃんとか、まっちゃんとかです。幼馴染はまぁちゃんって呼んでいますね。それがなにか?」

 なぜ、私の呼び名を気にするのだろうか。

 不思議に感じつつも素直に答えていたら、また先輩が考え込んだ。


 美形が物思いにふける様子は、とても絵になる。

 先輩が私にいっさい関りのない人だったら、気軽に「かっこいい!」はしゃぐことができたのに。

 大人しく見守っていたら、先輩がゆっくりと顔を上げて私に視線を向けた。

「チコ」

「……え?」

 先輩が発した単語がなにを意味しているのか理解できず、私はきょとんとなる。

 そんな私に、先輩は続けて話しかけてきた。

「俺はチコって呼ぶ」

 そう言って、先輩は満足そうに何度も頷いている。

「あ、あの……、そんな呼び方、誰もしていませんよ」

 オズオズと話しかけたら、先輩は平然ととんでもないことを口にした。

「チコは俺だけの宝物だから、俺だけの呼び方にする」

 

――なにそれ!? サラッと「俺だけの宝物」とか、超絶デロ甘なセリフを言ってるんですけど!?


 驚きのあまり言葉を失っていると、先輩が目を細めて私を見つめる。

「チコ」

 優しい笑顔で名前を呼ばれ、私の心臓がキュンと可愛らしい音を立てた。


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