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(12)先輩は暗殺者:7

 ひとしきり笑った私は、大きく息を吐いてから改めて現状打開に向けて考える。

 ちんちくりん&キノコ脱却はとりあえず諦めるとして、先輩の手から逃れることは諦めていないのだ。

 握られている手を引き抜こうとすると、さらに強く握り込まれ。力を抜くと、先輩は親指の腹で私の手の甲をさすってくる。

 どうにもこうにもいたたまれない状況が、依然として続いていた。

 なにを言っても駄目なら、どうしたらいいのだろうか。


――説得もできないし、手を引っこ抜くこともできないしなぁ……


 繋がれている手に視線を落とし、あまり優秀ではない脳みそで知恵を絞る。

 やがて、ある案が浮かんだ。

 お願いしても強い態度に出ても効果がないのなら、泣き落としという手はどうだろうか。

 突然泣き出した私に驚いて、先輩は手を放してくれるかもしれない。

 成功する可能性は不明だが、このままでいるよりは、なにかしらの変化が起きるだろう。

 なにを隠そう、私は三十秒足らずで涙を零すという特技があった。しょぼい特技だが馬鹿アニキには絶大な効果はあるのだから、多少なりとも先輩の心を揺さぶることができるはずだ。

 私は軽く息を吸い込み、マイベスト泣けるシーンを脳内で再生する。

 ちなみにそのシーンとは、誰もいない薄暗い公園に子猫が段ボール箱に入れられて捨てられているというものだ。ベタだが、一番効果がある。

 季節は冷たい北風が吹く冬。日が暮れ、辺りは薄闇に包まれている。しかも、シトシトと雨が降っていた。

『にゃぁ』

 段ボール箱の中から灰色の雲が重く垂れこめている空を見上げ、弱々しい声で鳴く子猫。

 生後間もない子猫にとって段ボールの箱は深く、爪を引っかけて脱出を試みるものの、うまくいかない。歩くこともままならない子猫は、ジャンプして箱の外に出ることもできなかった。

 鳴くことしかできない子猫は、ここに捨てられた時からずっと鳴き続けている。

 丸一日経った今では、その声に力はない。

 それでも、子猫は鳴くことしかできないから。

『にゃぁ……』

 一声ごとに小さくなる鳴き声は辺りに響くことはなく、足早に歩道を進む通行人の耳には届かなかった。

 夕闇が公園を染める頃には雨が雪に変わり、子猫の上に容赦なく降り注ぐ。

 薄茶色の毛並みは白く冷たい雪で覆われ、子猫はとうとう鳴くことさえできなくなった。


 ……というシーンである。

 今日もこの特技が冴えわたり、ほどなくして目に涙が浮かび始める。大粒の涙がボロリと両方の目から零れ落ちた。

 いきなり泣き出した私を見て、先輩が驚いたように息を呑んでパッと手を放す。

「ど、どうしたの?」

 珍しく慌てている先輩の様子に、私は心の中でガッツポーズ。


――よっしゃぁ、今だ!


 私は涙を拭うこともなく、素早く立ち上がった。

 ところが、ここでまさかの展開が。

 私が一歩踏み出すよりも早く先輩の腕が私の腰に絡み付き、グイッと引き寄せられる。

 突然のことに踏ん張ることができない私は、先輩の膝の上に横向きでボスンと着地した。

 そんな私を先輩ががっちりと抱き込んでくる。目にも止まらないその動きは、まさしく一瞬で相手を仕留める暗殺者のものだ。

「ひょえぇぇぇぇっ!?」

 素っ頓狂な叫び声を上げる私の頭に、先輩が頬ずりしてきた。

「ちょ、ちょっと、先輩! 放してください!」

 じたばたともがいて脱出を試みるものの、先輩が即座に言葉を返してくる。

「泣いている君を放すことなんてできない」

 そう言って、先輩はさらに強い力で私を抱き締める。

 こうして、泣き落とし作戦は失敗に終わった。


――なんで、こうなるのーーーーー!


 さっきよりも状況が悪化しているという事実を受け、私は本気で泣きそうになった。




 先輩の膝に乗せられ、逃がさないとばかりに抱き締められている私は、精神的に燃え尽きていた。

 こんなことならウソ泣きなんかしなければよかったと後悔するけれど、「時すでに遅し」であった。

 これまでの経験で、なにを言っても暴れてもどうにもならないことを嫌というほど理解している。

 たった今、私が策を練るほど状況が悪くなることを知ったので、先輩が飽きるまでこのまま待ち続けることが最善策なのだ。

 それでも恥ずかしいことには変わりないので、私は俯いたままジッとしていた。

 やがて先輩の頬ずりが止まり、私の背中に回っている腕の拘束が緩む。

 逃げ出すことが無意味だと嫌だと分かっている私は、先輩の膝の上で大人しくしていた。

 すると先輩の手が私の頬を包み、ゆっくりと上向きにさせる。

 至近距離で見る先輩の目には、私を心配している色が濃く浮かんでいた。

 いつもは迫力がある先輩の目が怖いけれど、なぜか今は怖くない。

 脳みそと精神が疲弊しているせいで、恐怖を感じないのだろうか。

 黙って見つめ返していると、先輩は親指を私の目に近付けてくる。

 暗殺者の先輩は、武器なんか使わなくても、自分の手足を使って相手を仕留めるのだ。

 だから、この親指で私の目玉を突くに違いない。私が先輩に狙われる理由は分からないが、この状況ではそれ以外に考えられなかった。


 ――ぎゃー、目潰し!


 とっさに目を閉じた瞬間、まぶたを優しく撫でられた。

 目頭から目尻に向かって、何度も先輩の指が辿る。その仕草は、私の目を潰そうとしているようには感じられない。

「……あれ?」

 思わず声を出すと、先輩は指の動きを止めた。

「どうかした?」

 先輩は目尻に指を当てたまま、静かな声で問いかけてくる。

 正直に『目を潰されると思った』と答えたら、今度こそ彼の親指が私の眼球にめり込むのではないだろうか。

 私の中で先輩は冷酷非情な暗殺者という設定になっているので、発言には十分に注意しなくては。

「あ、あの……、なにをしているのかなって……」

 戸惑いがちに口を開くと、先輩がフフッと息だけで笑ったことが伝わる。

「涙を拭ってる」

「え?」

「ハンカチはバッグに入れたままだから」

 そう言って、先輩はまた親指を動かし始めた。

 それから三回ほど私の目元を拭ったところで、ようやく先輩の手が離れる。

 恐る恐る目を開けると、ものすごい至近距離に先輩の顔があった。

 ビクッと肩を跳ね上げて仰け反った私の背中に、先輩の両腕が目にも止まらぬ速さで回る。

「落ちちゃうよ」

「は、はい、すみません……」

 そもそもは先輩が私を膝の上に乗せなければこんなことにならなかったのだが、つい謝罪が口を衝いた。小心者の悲しき習性である。

 ペコリと頭を下げると、またしても先輩が息だけで笑った。

「大丈夫?」

「は? なにがですか?」

 きょとんと先輩を見上げる私に、先輩は右手で私の頬を覆う。

「もう、泣かない?」

 そして、親指の腹で私の左目尻をトントンと軽くタップした。

「は、はい、もう泣きません」


――泣いても無駄だということが、証明されたので……


 ヘニョリと情けない顔で笑うと、頬を覆っていた手が頭に乗った。

 さわさわと髪を撫でる先輩が、緩く目を細める。

「泣いている顔、すごく可愛かった。でも、笑っているほうが、もっと可愛い」

 めったに笑わない美形様が目の前で微笑む様子に、私の心臓がバズーカ砲で撃ち抜かれたような衝撃を受ける。

 それにより、私の心臓は瞬く間に動きを止めた。

 

 やっぱり、先輩は暗殺者だと思う。

 


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