除染
3月18日 1018時 アルバニア ティラナ・リナ空港
作戦は中止になった。化学兵器に曝された地上部隊は、味方の対NBC部隊や衛生部隊に、半ば引きずり出されるように撤退し、航空部隊は基地へ帰還した。しかし、そんな中であっても、対NBC部隊は、大気と土壌のサンプルを幾つか採取することだけは忘れなかった。今後、国際社会に、セルビアの所業を知らしめるための、重要な証拠だ。やがて、基地に航空部隊が帰還し始めた。
『"ウォーバード"各機及び"サバー"、着陸したら、キャノピーを開けず、エプロンで待機せよ。機体の汚染状況を確認し、除染が完了するまで機体の外に出るな。繰り返す。安全が確認されるまで、降機するな』
地上クルーたちは全員が防護服を着て、さらに化学剤検知器と除染用の漂白剤の噴霧器を持っている。後方では、アトロピンやパム、ストレッチャーを用意した衛生部隊が控えている。
戦闘機がエプロンに駐機すると、即座に除染作業が始まった。除染剤が丹念に機体に噴射され、キャノピーが真っ白になる。機体は激しく傷むが、パイロットの命には代えられない。
「こりゃスペンサーたちは、何日かは休めないな。下手したら、機体を廃棄か」
ケイシー・ロックウェルが真っ白に曇ったキャノピーを見て言った。
「まだマスクは外すなよ、相棒。これが終わったら、健康診断だとよ」
ウェイン・ラッセルが不満そうに言った。
「やれやれ。戦闘が終わったら、機体の弁償をセルビア軍に請求してみるか」
『管制塔より帰還した戦闘機部隊諸君。暫くそのままで待機してくれ。化学防護部隊が、除染の状況を確認する。安全が確認されるまでキャノピーを開かないように』
無線で管制官が指示を出した。パイロットたちは、除染剤で真っ白になったキャノピーを眺めながら、その場に座っているしかなかった。
3月18日 1023時 アルバニア ティラナ・リナ空港
エプロンと機体が除染剤の真っ白な泡に染まった。周りでは、防護服を着た対NBC部隊の隊員がブラシで除染剤を洗い流している。
スペンサー・マグワイヤは、格納庫の中で部下たちに予備機の準備と機体修理のための状態確認の指示を出していた。幸い、戦闘機とヘリの予備機は、各1機ずつ用意してあるが、それらも使えなくなった場合は、ヨーロッパの辺りだとトルコやウクライナ、フィンランドのメーカーから買うか、または、はるばるディエゴ・ガルシア基地から持ってこなければならない。
「隊長、我々が持っているアメリカ製戦闘機とヨーロッパ製戦闘機ならば、全てフィンランドのミヤハイネン・アビオテック社が生産しています。在庫があると連絡があったので、それぞれ2機ずつ注文しました。フランカーとフルクラムも、ウクライナのアエロ・ソノビコフ工業が生産しているので、これらも2機ずつ発注しました」
部下の一人が、タブレットを手に駆け寄ってきた。
「フランカーは35Sと30SMか?」
マグワイヤが訊いた。
「35Sと30SMです。F-15もC/D/Eの各型が手に入ります。F-16も、最新のV型があります」
除染作業をしていたアルバニア軍兵士たちが、丹念に化学剤検知器で周囲を調べた後、次々と両手で大きな丸を作り、続いて一人が戦闘機の近くに立ち、ガスマスクを外した。彼は、それから15分ほどじっと立っていたが、顔色一つ変えない。
「こちらに作業班、除染完了。出て来て良いぞ」
戦闘機のキャノピーが一斉に開いた。すぐに防護服を着た"ウォーバーズ"の医療班員たちが、ガスマスクとアトロピンの注射器を持って機体に駆け寄る。パイロットにガスマスクを被せ、半ば引っ張るように救護所となっている建物へ連れていった。これから、健康診断と24時間の入院検査が待っている。が、みな健康に関しては問題なさそうな様子であった。
3月18日 2036時 アルバニア 大統領府
「わかった。では、証拠は拾ったんだな?」
イスマイル・ハシ大統領は、電話で陸軍参謀長から、セルビアによる化学兵器攻撃の報告を受けていた。
『ええ、大統領。化学防護部隊が持ち帰った大気と土壌のサンプルを分析しています。先ほど、VXガスが検出されたと報告がありました』
「我が方の犠牲者は?」
『正規軍、傭兵部隊合わせて38人が死亡、重症者が56人でそのうち18名は回復の見込みが絶望的です。命が助かっても、生涯に渡って重い障害が残るでしょう。軽症者も100人を越えています。しかし、これは、軍または傭兵部隊の内部だけの数字ですので、民間人も含むとなると、もっと増えるでしょう。現に、神経剤によるものと思われる症状を市民が病院に訴えているという報告が幾つも上がっています。まだ未確認ではありますが、市民に死者も出ているという情報もあります』
「わかった。まずは、被害者の救護と除染に全力を上げてくれ。今後の対応は、国防大臣と話合って決める。何か決まったら、改めて指示を出す。そっちも、他にわかったことがあったら、すぐに報告してくれ」
『わかりました、大統領。では、部下から報告を受けるので、これにて失礼致します』




