フクロウ
1月13日 アルメニア シラク国際空港 1018時
シラク国際空港は、世界で落ち着ける場所を持たない傭兵たちの溜まり場になっていた。アルメニア政府は、傭兵にこの飛行場を使わせる代わりに着陸料を支払わせ、外貨を稼いでいた。この空港の周囲には、傭兵が必要とするもの―――武器商人、情報屋、そして娼婦―――がだんだんと集まり、やがて一種の暗黒街を形成し始めた。そして、この空港の周囲は、ほぼ治外法権の地域になってしまい、アルメニア政府の当局も、着陸料の徴収をする役人がいる以外は、我関せずといった様子だった。今のところ、この空港には、MiG-29が10機、Il-76が4機、更にはF-16やトーネードなど駐機している。これらの飛行機の所有者は、居場所を持たない傭兵で、金の匂いに釣られて、地球上のどこへでも飛んで行くような連中である。
カナードの付いた大きな戦闘機が1機、滑走路へアプローチを始めた。予備燃料タンクをセンターパイロンに取り付け、他のパイロンとランチャーにはミサイルや爆弾を吊り下げている。この戦闘機―――Su-30SM―――はエプロンに駐機し、降りていたパイロットとWSOは役人がいる小屋に一度入り、着陸料としてアメックスの小切手を渡した。
ミハイル・ケレンコフはこの飛行場の様子をじっくり見ながら歩いた。今回も血と金の匂いを嗅ぎつけて移動している最中だった。後ろからはWSOのゲンナジー・ボンダレンコが付いてきている。2人は、傭兵の溜まり場になっているクラブハウスへと向かっていった。
「よお、ミシュカ!ミシュカじゃないか!」
ケレンコフがその声がする方向を見ると、スニル・カルナータカ―――並んでいたMiG-29の持ち主の一人―――が手を降っているのが見えた。ケレンコフは右手を上げて返す。
「元気にしていたか?ところで、何か金づるになりそうな話でもあるか?」
カルナータカは元インド空軍のパイロットで、仲間と共に世界各地を転々としながら戦地で金を稼ぎ、生計を立てている。"ウォーバーズ"のように、拠点を手に入れ、そこから活動をしている傭兵というのは稀な存在で、殆どの傭兵は、全世界を移動しながら、血の匂いとカネの匂いに敏感にアンテナを張り巡らせ、戦いに備えているのだ。
「ああ。だが、教えて欲しけりゃ情報料が必要だ」
ケレンコフは抑揚のない声で言った。彼らのような"ローンウルフ"の傭兵にはコネと情報収集が欠かせない。
「お前のことだから、どうせふっかけてくるだろう。それがいつものやり方だろ。ええ?"サバー"さんよ?」
"サバー"つまりフクロウという意味のロシア語だが、これはケレンコフの2つ名だ。
「いつものことだろ。お前はどうしているんだ?スニル」
ボンダレンコがケレンコフの肩越しに話しかける。彼は飛行服を着て、肩からはウージ・サブマシンガンをスリングで吊り下げている。
「一仕事終わったから、ここで飲んでいるだけだ」
「なるほど。そういうことか」
ケレンコフと相棒のゲンナジー・ボンダレンコは、ターミナルのベンチに腰を据えて、テレビの画面を眺めた。どうやら、またバルカン半島でゴタゴタが起きているらしい。セルビアの新政権は、コソボの再編入を声高に叫んでいるが、今のセルビア軍の戦力などを考えると、現実性はかなり低い。数年前のヨーロッパ通貨危機で、多くの欧州諸国が軍備や国内の福祉関連の予算を大幅に削って以来、それぞれの国力が急低下し、NATOも組織として機能しているかどうかも怪しい状態だ。官憲がヘタっている時に、盗人は行動を起こす。それは、今も昔も変わらない。彼らは、先程売店で買った、長いフランスパンにパストラミビーフ、レタス、トマトを挟んだサンドイッチを紅茶で流し込んでいた。
1月13日 アルメニア シラク国際空港 1034時
急に灰色がかかった雲が空港の上空に湧いてきた。パイロットたちは、すぐに雪がたっぷりと降るだろうと考え、ある者は天気図を確認して出発の時間を早め、ある者はターミナルでゆっくり休むことにした。ケレンコフとボンダレンコは後者を選んだ。
エプロンでは、戦闘機や輸送機が列を作り、傭兵たちは天候が荒れる前に、いち早く目的地へと向かおうとした。ここに留まることを選んだ持ち主の飛行機には、緑色のカバーがグランドクルーたちによってかけられる。
ターミナルでは、運行管理を担当している職員が、あと数分で出発しない場合は、安全な離陸を保証できないと声を上げていた。だが、ここに残った傭兵たちは、既に今日中の移動を取りやめた者達たちであり、皆、酒を飲み始めるか、タバコを吸うかして、のんびりとしていた。
ケレンコフはターミナルの窓から、滑走路を眺めた。既に、南東のアレヴィクの方から灰色のかかった雲が風にのって流れてきている。目的地までは、ここから西へ飛んで、黒海をロシア回りの北ルートかトルコ回りの南ルートで行く必用がある。勿論、彼は後者のルートで行くつもりだった。トルコの方が、途中で補給することになる燃料代は安いし、ロシアのように法外な値段をふっかけられることも無い。彼は、腐った大国となった祖国を嫌っていた。そして、自分がベラルーシかウクライナの出身であったらどんなに良かったかと思った。