未明の監視任務
2月15日 コソボ国内 0407時
1機の飛行機がゆったりとコソボ上空に入ってきた。普通ならば、即座にセルビア軍の地対空ミサイルが発射されたり、戦闘機の迎撃を受けるはずなのだが、全くそのような気配は無い。と、言うのも、この飛行機は、戦闘機の実用限界高度よりも、遥かに高いところを飛んでいるからだ。このRQ-4Bグローバルホークは、イタリアのシゴネラ海軍航空基地から飛び立ち、コソボ国内の様子を偵察していた。NATOはこのコソボ・アルバニアとセルビアとの戦争に直接関わってはいないが、加盟国であるギリシャとの国境が近いこともあり、状況は注視していた。ギリシャのアグリニオ空軍基地とアンドラヴィダ空軍基地、ルーマニアのティミショアラ空軍基地、ブルガリアのベツメル空軍基地にはセルビア軍や傭兵部隊の侵入に備えて、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの戦闘機部隊が展開し、アメリカからは4機の無人偵察機が派遣されている。更に、事態が拡大した場合に備えて、アメリカ海軍の1個空母戦闘群が地中海に展開中だ。そして、イギリス空軍はRC-135Vをイタリアのシゴネラ空軍基地に派遣し、情報収集任務に当たらせていた。
E-737が監視と情報収集のためにコソボとアルバニアの国境近くを飛んでいる。護衛として、"ウォーバーズ"の戦闘機とケレンコフのSu-30SMが編隊を組んでいた。他にも、傭兵部隊がIl-38とIl-20を飛ばしている。先日破壊した兵器工場の様子も改めて探ってみたが、破壊された施設では、重機や人員がやって来た様子は無かった。レーダーで周囲を探ってみると、国境ギリギリの所をNATOの飛行機らしい影が掠めるように飛んでいるのがわかった。
2月15日 アルバニア ティラナ市 0430時
いつものように、ラジオ局にコソボ亡命政府首長兼コソボ共和国大統領ズロボダン・ストイコヴィッチが護衛を伴って入ってきた。毎朝、大統領はラジオでコソボ国民に対して、セルビア軍への抵抗を呼びかけていた。最近になって、セルビア軍はコソボには守備隊だけを置き、攻撃部隊の主力を北西に移しているという情報が入って来ている。恐らく、次の狙いはボスニア・ヘルツェゴヴィナのスプルスカ共和国だろう。しかし、スプルスカ共和国自体はボスニア政府からの影響力は薄く、ほぼ完全に自立した状態に近く、何も無理やり侵攻するような理由は、セルビアには無い筈だ。一体、今のセルビア政府は何を考えているのだろうか?傭兵部隊を雇ってまでも、コソボやアルバニアを攻撃する理由は何なのか?考えても、全く結論は出なかった。
2月15日 コソボ国内 0513時
『こちら"ビーバー"。"ゴッドアイ"聞こえるか?』
どうやら、交代の監視部隊がやって来たらしい。
「こちら"ゴッドアイ"どうぞ」
スタンリーが応える。
『遅くなってすまない。飛行機の機嫌がちょっと悪くてね』
次に監視任務を行うのは、S-100Bアーガス早期警戒機1機と8機のJAS-39A、2機のKC-130Hからなる、インドネシアからやって来た傭兵部隊だ。全員スウェーデン人で、精鋭揃いだ。
「了解"ビーバー"。交代する」
「やれやれ、やっと帰れるな。こっちは夜通し飛んでいるんだぜ」
ケイシー・ロックウェルが不平を言い始めた。空はまだ暗く、F-15Eに乗る二人は暗視ゴーグルを使っていた。
「全くだ。ケツと肩が痛くなってきた」
相棒のウェイン・ラッセルが答える。
『言うな"ウォーバード6"、下りたら飯とコーヒーが待ってるぞ。それまで、護衛を頼む』
「アイ、アイ、ボス」
ラッセルはそう答えると、レーダー画面とキャノピーの外の様子に気を配り始めた。一応、ここはコソボ政府の支配圏内だが、セルビア軍や傭兵部隊は、しばしばその内部まで侵入してくる。アルバニア軍・コソボ治安軍連合部隊は、様々な手段を駆使して、セルビア軍の動きを監視しており、非公式のルートながらも、NATOの監視部隊からも情報を得ている。NATOは、未だにE-3Cで監視をする程度に行動を抑えており、本格的に介入してこようとする動きは見せていない、一方、ロシア軍だが、こっちは、不気味なほど沈黙を保っている。普通ならば、電子偵察機を飛ばして、状況を探りに来るはずなのだが、全くもってそんな様子は無い。
この戦争は、やや異常だった。ヨーロッパで起きているにも関わらず、NATOもロシアもノータッチ。主力はコソボ、アルバニア、セルビアの正規軍では無く、殆どそれぞれの側に立った傭兵部隊同士が戦闘の主体になっている。それにしても、何故、セルビアは今になって、何十年も前に手放した筈の旧ユーゴスラヴィア構成国の領土の回収をし始めたのか。セルビアが多数の傭兵部隊を抱えていることを考えると、経済状況が極端に悪化したとか、そういうことは考えられない。考えられるのは、急激にセルビア国民が、分裂した旧ユーゴ構成国の土地の回収を求める声が上がっていることだ。あるジャーナリストがセルビア国内を取材した時、セルビアは、再びクロアチアやボスニアなどの領土を回収すべきだという世論が、セルビア国内の8割にまで達していたという。しかし、何故、急に、今になってなのか。だが、そこでラッセルは考えるのをやめた。それを考えるのは政治家や政治学者の仕事であって、軍人(と、言えるかどうかは微妙だが)である、自分たちの仕事では無い。自分たちの仕事は、雇い主が敵だ、と糾弾した者たちをひたすら撃墜し、空爆する。ただ、それだけだ。




