三段目
三人になってしまった。
渡り廊下を走り抜け、どうにか教室棟に辿り着いた俺達は、出入り口の側で座り込んでいた。
委員長の足首に、黒い痣がくっきりと付いていた。
それは、人の手で強く握られたような痕だった。
「大丈夫か、委員長」
「うん、うん。ありがとう……!」
痛みはないらしい。
委員長の気分が落ち着くのを待って、次に進むための方法を考えた。
目指す職員室は、四階にある。
そこへ行くには、階段を二つ登らなければならない。
三階と四階の間にある踊り場には、スタンプラリーのポイントでもある、大鏡がある。
この階段では、何度か事故が起きているらしい。理由がどうあれ、そほういう事故が起きると、校内では色んな噂が立つ。
噂に尾びれ背びれが付いて、それが学校の七不思議へと定着していく。
だが、今のこの状況はどうだ。七不思議なんて、そんなレベルじゃない。
「問題は、やっぱ大鏡だよな……」
「映らないように、大鏡の前を通るのは無理よね」
佐久間が言うと、委員長が口元に手を当てて呟いた。
何か鏡を覆える物か、もしくは、俺達の姿を隠せる物が必要だった。
「そういう物がありそうな、一番近くの教室って、視聴覚だな」
「そうね……。待って、ああ、気のせい? じゃないかも……」
一度は頷いた委員長が、血の気の引いた顔をさらに白くした。
「どうした、委員長」
「わ、わたしたちの通った道、全部スタンプラリーのコースだわ……」
言われてみれば、その通りだった。
祠をスタートした俺達は、理科室に入り、二階へ登って渡り廊下へ。そして今は四階に行く為に、三階の視聴覚室へ行こうとしている。
知らず知らずの内に、俺達は七不思議のポイントを通過していたのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
ゲームのコマみたいに、動かされている気分だった。
「でも、俺達の目指す場所は屋上じゃなくて、職員室だ。幽霊だか妖怪だか知らないが、そいつらの思った通りにはならないさ」
佐久間が、委員長を安心させるように、わざと明るく笑い飛ばした。
結局、他に手はないのだ。
ここで立ち往生する訳にもいかず、俺達は三階の視聴覚室前まで歩みを進めた。
ここは、まず俺が先に入って、目的の物を探す事にした。
複数で探しものをして、バラバラに影に捕まるのはマズい。
何かあった時に、引っ張ってもらえるよう、佐久間がドアの側で待機している。
俺は姿勢を低くしながら、慎重に中へと入った。
目的の目星は、大型のスクリーンだ。
薄いシートが丸まっているもので、普段はホワイトボードの横に立て掛けてある。
映像資料を見る時だけ、天井に吊るして、スクリーンを伸ばして使用する。
もしスクリーンが無ければ、大きな方眼用紙に予定を変更するつもりだ。
こちらは、隣の視聴覚準備室にあると委員長が言っていた。
視聴覚室と準備室は、教室内の扉で相互に繋がっている。
だが、準備室には大量の物が積まれており、その中に使わない鏡も置いてあるらしいので、正直行きたくなかった。
果たして、スクリーンはすぐに見つかった。
だが、ホワイトボードの側ではなく、天井に丸まった状態で吊るされていた。
俺が目線で佐久間に訴える。
「鉄の棒がどこかにあるはずだ……」
佐久間が慎重に体の向きを変えながら、そう言った。
そうか、あの長い鉄の棒だ。
先生はいつも、スクリーンの上げ下ろしをこれで行っていた。
俺は再び、辺りを見回して、今度は鉄の棒を探した。これもホワイトボードのすぐ側にいつもはあったはずだ。
だが、見当たらない。なんでこういう時に限って上手くいかなないのだろう。
握りしめた手のひらに、冷たい汗を感じる。
「――見えた。視聴覚準備室の扉の内側だ」
視聴覚室後方のドアに移動した佐久間の声の通りに、視線を向ける。
視聴覚室と準備室を繋ぐ扉の、小窓から、目的の棒が覗いていた。
ホワイトボード前の教卓から、準備室の扉へと、ゆっくり移動する。
扉を少しだけ押し開けて、手を伸ばす。
背中を嫌な汗が流れる。
そう言えば、視聴覚室の七不思議は、準備室だったんじゃないか?
でも準備室まで人を呼び込むのは面倒だから、視聴覚室で間に合わせようという話しだった気がする。
ああ、何も今思い出さなくてもいいじゃねーか、俺!
やっと棒を掴めた俺は、震える手元にしっかり力を入れて、そっとこちら側に引き入れた。
ーーガタンッ。
くそ、何か引っかかった。
棒に触れた何かが、派手な音をたてて、準備室の床に落ちる。
「何……?」
何度引っ張っても、棒は取れなかった。俺は諦めて、準備室の扉を同時に締めようとした時だった。
あの影が、床を這うように向かって来たのだ。
全身の毛穴が開く。
やばい、やばいぞ俺。扉を締めろ、早く!
小窓が割れんばかりの勢いで、扉を締めた途端、視聴覚室に声が響く。
「誰かいるのか!?」
佐久間が、後ろのドアから飛び出してくる。
「ダメ、佐久間くん!」
委員長が、悲鳴まじりの声で叫ぶ。
そうだ、来たらダメだ。俺は手で戻るよう、合図するが、佐久間が室内へと入って来た。
ちょうど射影機の前に立った佐久間の影が、ホワイトボードに長く伸びる。
何か違和感があった。佐久間の影が、異常に長く感じる。
「あ、あ、佐久間くん……、映ってる……!」
そう、佐久間は映っていた。いつの間にかスイッチが入った射影機のライトに照らされて、ホワイトボードに体全体が映り込んでいた。
その事実に気付いた途端、佐久間の影がうねり、本体に向かって襲いかかった。
「くっ!……委員長、逃げ、」
佐久間のセリフは、虚しく途切れた。瞬く間に全身が影に覆われ、佐久間は射影機のレンズへと消えてしまった。
「……、佐久間くん、佐久間くん!」
委員長は、ドアの側で泣き崩れた。
佐久間がいなくなった。俺は、思ってた以上に、あいつを頼りにしていたのだ。
なんとか視聴覚室から出て、俺は委員長の側に座り込む。
これからどうしたらいいんだ。
泣きじゃくる委員長を慰める事もできず、俺は廊下を睨みつけた。