二段目
「俺達はいっせいに、あの割れた鏡を覗き込んだ。その時、この変な世界に来ちまった」
案外、鏡に映った方が、元の世界に戻れるかもしれないぜ?
佐久間が肩をすくめて言った。
だが、自分からあの影に取り込まれに行くのは、かなり勇気がいる。
元の世界に戻れる保証もない。
「どうすりゃいいんだよ……!」
橋本が、廊下を睨みつけながら頭を抱えた。
「あ、スマホ……! だめ、圏外になってる……」
「ほ、他の人がいないか探すとか……?」
「あても無く動き回るのは、危険だな」
委員長が手を握り締めながら、そう提案する。
だが、佐久間の言い分はもっともだった。
「でも、ここで待つのも限界があるだろ。いつこの現象が終わるのか、分からないし、俺達だけじゃあ、心細い。委員長の言うように、他にも人がいるかもしれないしな」
じゃあどうするんだ?
皆の視線が、佐久間を向いていた。佐久間だって、これが何なのか分からないだろうに、俺達はこいつの言葉に、自然と耳を傾けていた。
「ひとつ、ここでこのまま待つ。ふたつ、待機組と捜索組の二手に分かれる。みっつ、皆で一緒に教室棟の職員室を目指す」
俺達の答えは、何も言わずとも、ほぼ決まっていた。
このまま待つのは嫌だ。捜索組は危険だ。委員長には待機組でいてもらうのがいいだろうが、人手を分散するのがいい考えには思えない。
結局、みんなで行動を取り、大人がいそうな場所を目指すとすれば、みっつめの案しかないだろう。
「決まりだな。職員室へ行こう」
佐久間が委員長に向けて、爽やかに笑ってみせた。
教室棟へ行くには、中庭を通るか、二階の渡り廊下を利用するかだ。
中庭を通り、教室棟の玄関口に行くには、あの祠の前を通らなければならない。
俺達は、二階の渡り廊下を行く事に決めた。
理科室から階段はすぐだった。窓に映らないよう気を付けながら、姿勢を低くして、階段を登る。
佐久間が、渡り廊下の出入りを確認する。
軽く頷いて、佐久間が手で合図した。障害物や、体が映り込むようなものは、見当たらなかったようだ。
毎日利用しているので、校内の造りは分かっているが、あちら側になにも無いとは限らない。
この渡り廊下は、屋根と柵こそあるものの、ずっと野晒しになっている。改めて見ると、結構ボロくて不気味だ。
俺達は、教室棟側の出入り口付近まで、素早く移動する事にした。
柵に身を隠すようにして、小走りで一直線に進む。
先頭を佐久間が、委員長の手を取って進む。次に俺、そして橋本が最後尾だ。
前方から、パシャンと水が跳ねた音がした。
「きゃっ!」
水?
そうか、水溜りだ!
「離れろ、委員長!」
佐久間が委員長の手を強く引く。俺も委員長らの側へ急いだ。
昨日の雨の残りが、デコボコに痛んだコンクリートの隙間に残っていた。
あの黒い影が、水溜りから手の様に伸びて、委員長の足を掴んでいる。
佐久間は、今度こそ離さないとばかりに、委員長を後ろからしっかりと抱きかかえる。
委員長のポケットから、ハンカチや髪留めが散らばる。
「いや、佐久間くん!助けて……!」
「大丈夫だ!絶対離さない! おい、橋本! お前も力をかせ!」
横目で橋本を見るが、あいつは震えてブツブツ呟くだけで、その場から動こうとしない。
「嫌だ……俺はこんな所で死にたくない……嫌だ……危ないだろ……」
俺は舌打ちを我慢して、委員長に向き直った。両足をしっかりと掴み、佐久間と力を合わせて、水溜りに沈む体をゆっくりと引き抜いていく。
と、突然、引っ張り込む力が緩まった。
勢いのまま、佐久間と委員長が後ろに倒れ込む。
俺は委員長のハンカチを拾い、水溜りに被せた。
「……ぁああ」
後ろから、微かなら呻き声が聞こえた。
「橋本……?」
そこには、もう誰もいなかった。
水溜りのに沈む橋本の指が、見えた気がした。