一段目
「……なあ委員長。あの祠にも、なんか曰くがあるのか?」
沈黙を破って、佐久間が言った。
あの黒い影がまた襲ってきたら。橋本が呟き、その言葉にはっとした俺達は、祠から一目散に離れた。
それでも、自分達しかいない空間で、バラバラになる気はせず、今は技術棟の玄関から、一番近い理科室の近くで途方に暮れていた。
佐久間の質問に、委員長が小さく頷く。
「ここに昔建っていた、神社の神様を、この祠に移したんだって。その時、結構揉めたみたい。詳しくは調べてもよく分からなかったけど、なんか歌が残ってて」
委員長がまとめた資料の中から、一枚のプリントを取り出した。
「七つ歌?」
「『ななつこへ くものはざまに ひかりある あわせかがみで みちひらく』?」
俺はこの歌に聞き覚えがあった。と言うのも、若葉がスタンプの台紙に書くと言っていたのを聞いたからだ。
「なんとなく、七不思議と七つ歌って、似てるかなって。それっぽい言葉があった方が、雰囲気出るって、若葉ちゃんが提案したの」
そういう経緯があったのか。しかし、前半の意味が全く分からない。
合わせ鏡で、道が開く。そうすれば、ここから出られるのだろうか。
「おい、何か今音しなかったか?」
橋本が、声を潜めて言った。
「私も聞こえた……! 理科室の中から! きっと他の人よ! 先生かも、」
「ちょ、待てよ!ミカ!」
三峰は、橋本の制止を振り切って、理科室の扉を勢いよく開けた。
「ねぇ、誰かいるんでしょ?出てきてよ!助けて!」
理科室からは、校舎の外側、運動場が見える筈だった。
だが、どうだろう。窓の外は、空と同じ様に、マーブル色にまみれていた。
「やだ、気持ち悪っ」
三峰が、カーテンを締めようと窓際に近づく。
窓に三峰の姿が映り込んだ所で、俺は嫌な予感がした。
「おい、三峰! 離れるなよ!」
佐久間と委員長も追いつき、橋本が理科室に入ろうとした所で、急に足を止めた。
理科室全体が、暗くなったと思った。
――それは、窓が真っ黒に染まったからだ。
「み、ミカ!」
「いやぁああ……!」
半分閉まり掛けた、カーテンの隙間から、黒い影がぬっと飛び出して来た。
橋本を押しのけた佐久間が、スライディングで理科室へ滑り込む。
「佐久間くん!」
委員長がか細い悲鳴を上げる。
佐久間は、体勢を低く保ったまま、今にも窓に引きずり込まれそうな三峰の足を掴んだ。
「くっ!」
黒い影は、佐久間に興味がないのか、三峰だけを包み込んで離さない。三峰の姿は、もう殆ど窓の向こうに消えていた。
「ちくしょ……!」
後から追いついた橋本が、三峰の足を掴もうとした時には遅かった。
佐久間が右腕で掴んでいた靴が、すぽりと脱げて、三峰はズルリと窓の向こうに消えてしまった。
佐久間ががカーテンを締め切り、口をかっぴらいたままの橋本の襟首を掴むと、そのまま理科室を出てきた。
「ミカぁ……」
ショックから抜け出せていない橋本を、佐久間が廊下に座らせる。
「鏡だ。歌にもあったけど、鏡がひとつのキーワードなのは間違いない。二人とも鏡に映ったから、あの影に取り込まれたんだ」
若葉は、割れた祠の鏡に。三峰は、理科室の窓に映り込んだから。
だから佐久間は、窓に映り込まないように、低い体勢を取ったのか。
最後は、カーテンを締めて、これ以上被害が出るのを防ぐ所までやってみせた。
こいつの行動力と、とっさの判断は、目を見張るものがある。
それでも、三峰は助けられなかった。
また、人が消えた。消えた人は、一体どこへ行ってしまうのだろう。