第5話:バイト始めました
【SIDE:速水悠】
「……ついにバイトが決まったの、悠クン?」
「おぅよ。喫茶店でバイト中だ。この前行ったところだ」
「そうなんだ。意外、悠クンはああいう接客業するタイプじゃないのに」
涼しい風が吹き、木々の擦れる音が響く。
屋上の太陽の光は日陰のせいで、いくぶんマシだ。
まぁ、暑いことには変わらないのだけど。
今日も俺達はベンチに座って食事中。
凛子もちゃんと小さいながらもお弁当を食べている。
この前、俺が勇気を出して小桃さんに進言したおかげらしい。
あのまま小食でいたら身体を壊しそうだったからな。
「……ごちそうさま」
「――食べるの、早っ!?って、まだ半分以上残ってるだろう」
「私が食べられる量は決まってるもの」
言ってる傍から半分以上も残しやがった。
俺は「文句を言うな」とため息がちに言いつつ、凛子に残りも食べさせる。
嫌々と拒む凛子に俺はこう言ってやる。
「なんだ、凛子は甘えたがりだな。俺に食べさせて欲しいのか?あーん?」
「い、いらないっ。自分で食べれるもんっ」
彼女は俺に子供扱いされる事が誰よりも嫌がる。
すぐにしょうがないと言った顔をして自分で食べ始める、ホント可愛い妹だよな。
「でも、あの喫茶店って……あの女の人が目的?」
「は?何がだ?」
「喫茶店のバイト。舞姫とか言う女の人目当て?」
「おい、こら。人を女目当てにアルバイトをするいい加減な奴だと思うな。俺はこー見えても、その辺はちゃんと考えているんだぞ」
そりゃ、綺麗な美少女と一緒に働けるならそれに越したことはない。
その方がやりがいもあるってものだしな。
「……目が泳いでた、やっぱりそうなんだ」
「だから違うって。人手不足らしくて、即採用だっただけだよ。ホントだって」
誤魔化すようにオレンジジュースを飲む。
「今日も仕事なんだ。また機会があれば来てくれよ」
俺は空になった紙パックをゴミ箱に放り投げた。
凛子は「気が向いたらね」と投げやりに呟いた。
喫茶店のアルバイト……本日は3日目。
ウェイターとして働くはずが俺は倉庫整理をしていた。
昨日までの2日間は皿洗い、ごみ捨てなどの雑用ばかりだ。
倉庫にはお店で使う雑貨や消耗品などが置かれている。
ストローなどの入った箱を持ちあげて棚に入れていく。
「それをその棚に入れ終えたら次はこれな」
深井店長は俺に指示を与えつつ、次々と仕事を与える。
相当この倉庫整理をサボっていたようで、仕事は終わりそうにない。
「ええいっ。何でこんなに仕事があるんだよ?」
「今まで面倒でしてこなかったからな。人手も足りなかったし」
「……だからって、倉庫整理ってこんなに溜まるものなのか?」
「グダグダ言わずにしっかり働け。給料分はちゃんと行動してもらうぞ」
店長はそう言いながら伝票と睨めっこ。
どうやら、在庫確認もしているようだ。
こう言うのをサボるって今までこの店はどうやってきたんだ?
「なぁ、そろそろ、俺もウェイターとして働きたいんだが」
「その前にお前は店長に対する敬語から学べ。ここでは僕の命令は絶対に守るべきことだと……あれ、数が足りないぞ?」
店長が新しいストローのケースを探している間に俺はこっそり店内を覗く。
そこで働くのは可憐な舞姫さんだ。
同じ職場に美人がいると和むわ。
「てめぇ、バイト中によそ見とはいい度胸だな?給料やらんぞ」
「ちょい待て、減らすぞ、なら分かるがやらんぞって……横暴すぎるだろ」
「うっさい。こっちは赤字経営寸前なんだよ、真面目にしやがれ、ぐすっ」
「店長……怒るか泣くかのどっちかにしてくれ」
テンションの入れ替わりが激しいお方だ。
まさに悲壮感を背負う深井店長は嘆きつつも、在庫の中から問題の箱を見つけてきた。
「これでチェック終了。ふむ、在庫で必要なのものも分かった」
「……今までサボるほど使ってなかったのか?」
倉庫に置いてある消耗品関係の減り方が少ないからこそ在庫整理をしなかったわけで。
その事を追求すると店長はものすごく鬱陶しそうに、
「速水、雇用主を不愉快にさせる発言を平気でするな。上等だ、やんのか、おらっ!」
「それを新人に言われて不愉快になるほど厳しい店の状況なのか」
「ふんっ。ここ数ヶ月、それどころじゃなかったんだよ。あとタメ口するな。髪の毛むしりとるぞ」
彼はそう言って倉庫から出る。
ようやくアルバイト3日目でウェイターの研修だ。
ウェイターの実技の確認。
基本は注文と注文品をテーブルに持って行く、レジ打ちなど普通のことだ。
なるほど、大体のことは覚えた。
あとは実践あるのみ……なのだが。
俺は引き続きキッチンスタッフの手伝いをさせられている。
「俺はいつになったらウェイターとして店に出られるんだ?」
「……新人が出られるようになるには百年早い」
「その前に店が持つか心配だな。俺が出られないのは俺が出るほど客がいないからだろ?せめて、もう少し賑わってくれていたら。そもそも、ここって店の規模にしては店員少なくないか?」
「――うぐっ!?」
図星なのか、店長が悲愴感漂う寂しげな横顔を見せる。
そうなのだ、ここ数日、アルバイトをして気づいた。
この店はお客が少ない、はっきり言って儲けるほど人が来ていない。
アルバイトをしている人数もさほど多くない、その原因もこの店が人気がないためだろうか?
「速水、世の中には言ってはならんことがあるのだ!」
「店が不人気で潰れかけていることか?」
「ぬぉお!?人が最も恐れている事を簡単に言葉にしやがったな、てめぇ。バイトの分際で僕を苦しめるとはいい度胸だ」
頭を抱えながら嘆く悲愴感店長。
おいおい、マジかよ。
これは思わぬ展開だ、俺が来た時はそれなりに客も入って人気そうに見えたのだが。
思い返せばこの悲愴感店長が最初から何やら叫んでいた気がする。
ベテランがやめたから、とかじゃなく、それに関して根本的な問題があったのか。
「舞姫さん、仕事中悪いけどちょっといいかな?」
「……ん?どうかしたの?」
俺は彼女を呼ぶと事の詳細を求める。
これはこれである意味、かなり重要なことなのだ。
すると、舞姫さんも厳しい顔をしながら言う。
「えっと……店長。私が説明するけどいいですか?」
「おぅ、そこの能天気な新人に我がマリーヌの悲惨な現状を教えてやってくれ」
「誰が能天気だ。で、舞姫さん。現状って何……?」
俺は恐る恐る聞くと彼女は現状って奴を教えてくれる。
西洋風喫茶店「マリーヌ」の現状とは……俺の予想以上のひどさだった。
「この喫茶店は営業して今年で10年目になるの。落ち着く空間として経営的にもうまくいってたんだけど、去年の冬頃に近辺に“メイド喫茶”っていうのが出来たの。メイドさん。男の子なら分かると思うけど、そこで男性客を持って行かれたのよ。可愛い服装と仕草、メイドさんって大変そうよね?私にはできそうにないわ」
「何てことだ……男の夢の具現化、メイドさんには勝てないか」
うむ、さすがにこのアットホームな喫茶店とメイド喫茶を天秤にかけると男性客を持っていかれて仕方があるまい。
「それだけなら、まだ住み分け的に女性客層がいたから問題はなかったけど……2ヶ月前に向かいの通りの方にケーキバイキングのお店が出来たのよ。女性客をそちらに持っていかれてついにベテランスタッフもそちらに引き抜かれて、この喫茶店は大ピンチってわけなの。常連客はいてくれるけどね。このありさまよ」
ケーキバイキングは厄介だな、常連さん程度では経営的には苦しいわけだ。
舞姫さんの話で何となく状況を理解する。
「つまり、メイド喫茶とケーキバイキングのお店が出来て、極めて普通なこの喫茶店では太刀打ちできずにいる、と……?」
「おい、この店のどこか普通だ。西洋風喫茶だ、そこらの喫茶店と一緒にするな」
「一般人的な感覚では普通なんだよ。こだわりあっても、客層とずれてたら客は来ないってわけだ。で、どうするんだ?」
こんな危機を背負った店が生き残れるとは思えない。
どうにかリニューアルでもしない限りはな。
現状を打破するきっかけでもあるのか?
悲愴感店長は「だから、それを考えてるんだ」と俺を怒鳴る。
「店長、私が言うのもアレなんですけど……本当に何か対策を立てないと、日に日にお客さんが少なくなってますよ」
「マリーヌにも散々注意されているが、今のままでやるしかない」
現状維持、沈みかけた船を何とか沈めないように無駄な抵抗をするわけか。
いくら頑張って水をかき出したところで、穴のあいた船が沈みゆく運命は変えられない。
「リニューアルでも、何でもして打開する方法はないのか?」
「そんな予算があればこちらも何も言わん。経営って言うのは簡単じゃないんだ。素人が単純発想で意見を言うんじゃない。大体、メイド喫茶ってのは邪道だ。ケーキバイキングも食べ放題など、ただ太るだけだというのになぜ客は分からない。そのうち飽きるだろうと思っていたが両者ともに好調なのだ」
「……とりあえず、問題なのは何も解決策を見いだせない深井店長だという事が分かった」
ライバル店のやり方に文句を言う暇があったら対処策を練るのが普通だ。
それをできなきゃ潰される、それが弱肉強食の世界の掟だろう。
「今、僕の事を無能だと思っただろ。これでもやるべきことはやってきてるんだ、結果が出ないのは置いとくとしても……それはさておいて」
「一番大事な結果を置くな!?どうするんだよ、店長。バイト数日目で閉店危機ってか?」
俺達は全員揃って深いため息をついた。
喫茶店マリーヌ、ちょいとピンチの様子だぜ。