第2話:憧れの人《後編》
【SIDE:速水悠】
「ターゲットは現在、女子更衣室で着替え中。これより接近する、潜入捜査だ」
「……接近しちゃダメっ。覗くの禁止、やったら犯罪!」
「ぐはっ!?背後から殴るのはやめてくれ。ただの冗談だ」
後ろから睨む凛子の怒りをなだめる。
実際してバレたら袋叩きの上に、男として大切な“何か”を失う気がする。
さて、俺達は放課後になって水泳部の小桃さんの監視をしていた。
早速、行動を邪魔されて俺は仕方なく遠目で見つめることに。
「おおっ、さすが競泳水着。スク水とは違うよな。攻撃力と破壊力が違うぜ。あのスラッとしたラインを見よ。露出を押さえながらも、あの際どい太ももの辺りを……」
「……それも見ないで」
「それじゃ、何を見ろと!?水泳部に来て女の子の水着を見ないでどうする?」
「普通に姉さんの行動を見なさいよ」
ごもっともです、はい。
俺達は外から覗き込むように水泳部の活動を見る。
「はい、次はタイム計るから順番にして」
水泳部の副部長である小桃さんは後輩たちに指導する立場でもある。
今年最後の大会を控えているはずなのによくやるよなぁ。
「先輩、タイムが中々あがらないんですけど。どこが悪いんでしょう?」
「そうねぇ、フォームが悪いのかしら?泳ぐ時にもっと意識して……」
自分の練習をおろそかにせず、タイムが落ちた後輩を指導している。
それは地味に大変なことなのだ、と思う。
彼女に憧れる人間が多いのはその姉御肌的な面倒みのよさもある。
「そうそう、いい感じよ。あと少し、うん、OK。良い調子じゃない」
美人で気さくで、ちょっと小悪魔的な性格。
男としてはたまらんです……妹に対してものすごく過保護じゃなければね。
妹に近づく男は即排除、幼馴染の俺ですら今も警戒されている。
凛子に触れた男は地獄行き、ちなみに俺は一度“必殺”されかけた。
あの人は危険だ、殺る時は殺る人だからな。
「性格はともかく……ああいう親しみやすいところは参考にすべきじゃないか」
「例えば?悠クンが困っていたとして、私に何か尋ねてみて。気さくに答えてみる」
うーむ、気さくって意味を間違えている気もしない事はないが、何にしようか。
俺は考えながら、凛子にこう尋ねた。
「凛子、実は俺、女の子の秘密の部分について知りたいんだ!ぜひ、詳しく教えてくれ」
「……悠クン、秘密の部分って何?」
「それはだな。ふふふっ、もちろん、アレに決まって――げふっ!?」
俺はどこからともなく飛んできたボールに顔面を直撃させられた。
予想外の攻撃に俺は吹き飛ばされる。
だ、誰だ、思いっきり空気読んで俺にボールをぶつけた奴は?
「おぅ、すまん、すまん……って、速水かよ。お前、こんなところで何やってるの?」
「てめぇ、俺を殺す気か?あとわずかに離れて凛子に直撃してみろ。デーモン召喚。この世界のものではない究極の悪魔が召喚されてこの世界とおさらばするところだったぜ?」
「いや、全然言ってる意味がわかんないよ」
お前は凛子を守護する魔王、小桃さんの恐怖を知らぬのか!?
ああ思い出すだけでもビビっちまうぜ。
「そんなにひどく頭でも打ったか?」
呆れた顔をするのは我が友人にして、サッカー部の仲間だった南岡(みなみおか)。
彼はサッカーのボールを回収すると俺に複雑な顔をして言う。
「なんか、元気そうだな。お前、部活に戻るつもりはないのか?お前と俺のツートップ、フォワードのお前の力が必要なんだよ。戻ってくれよ、部長だって話せばわかるはずだ」
「俺の存在が必要だと認識してるなら戻らない事もない。だが、実際はやる気UPで練習量を増やしている、違うか?」
「打倒、西高って今度こそ決勝戦を勝ち上がると意気込んでいるよ。まぁ、お前がいなくなったことの影響は他にもある。実際、後輩をまとめていたのもお前だ。このままじゃ、夏を前に部が空中分解しそうなくらいだ」
人徳も人望もない部長に不満を持つ人間は多い、何であれが部長なのか不思議だ。
俺を慕ってくれた奴らがいるのも、応援してくれたファンがいたのも事実だ。
だが、俺はもうサッカー部には戻れねぇよ。
「悪いが今は無理だな。どちらにしても、あのバカ部長が許すはずがない。俺の代わりにお前が副部長として皆を引っ張ってくれよ。応援してるからさ」
俺の言葉に南岡は「しょうがないな」と肩をすくめた。
未だに戻って来いと言ってくれる言葉は嬉しい。
「……まだ、そいつをつけているんだな?」
最後に南岡は俺の腕についているアクセサリーを指さして言う。
それは俺にとって大事な物だった。
「まぁな。これは俺にとって幸運のお守りだから」
「お前がいなくなると、その子も悲しむと思うが……おっと、今日はここまでだ。サボってると部長に怒られる。また今度、説得するよ。それじゃぁな。あんまり下手に水泳部に近づくと通報されるぞ」
南岡は手を振り、足早に去っていく。
その様子を見ていた凛子は俺の腕をいきなり掴んだ。
「――誰か助けてください。この人、痴漢です」
「いや、してねぇよ!?俺は無罪だ、そもそも電車通学してないし。……で、何だ?」
「……これ、何?彼が言っていた、その子も悲しむって?」
どうやら彼女は俺の腕につけているピンク色のミサンガが気になるらしい。
凛子は興味深そうに指で触ってみている、パッと見はただの紐だ。
「あぁ、これはミサンガだよ、ミサンガ。聞いたことないか?」
「サッカーとかスポーツ選手がつけているもの?」
ミサンガって言うのは刺繍糸を組み合わせた紐だ。
足や腕に巻きつけて、自然に紐が切れたら幸運をまねくというジンクスがある。
昔流行っていた時期があったが、今はサッカーをしてる人間くらいしかしないな。
よくある“おまじない”として俺もつけているのだ。
「そうだ、これは今年の春ぐらいだったかな。俺のファンだって言う子が作ってくれたものなんだ。下駄箱に手紙と一緒にいれられたものだから、相手の顔も名前も知らないが、俺にとっては幸運のおまじないさ」
「……サッカーをやめてもつけているの?」
「こいつが切れるまではな。部をやめちまったのは悪かったかな……その子の期待を裏切ってしまったわけだし。後にも先にも俺に熱烈なラブレター、訂正、ファンレターをくれたのはその子だけだ。その子は可愛かったのかそれが気になる」
思わぬ友人の出現に邪魔されたが、俺はまだ諦めていない。
きょとんっとする凛子に俺は心を鬼にして特訓するのだ。
すべては彼女に誰とでも気さくに話ができるようにするためなのだ。
「というわけで、女の子の秘密の部分について……」
「ついて、何?知りたいの?女の子の大事な部分についての秘密……?」
低い声に俺はハッと後ろを振り向く。
水着姿の悪魔がこちらを見下ろしていた、ひぇっ!?
「……私の可愛い妹に何をしているのかしら、悠ちゃん?」
「いえ、何でもありません。ただ、ちょっと協力をしていただけで」
当の本人、小桃さんは俺に不審の視線を向け続けている。
ええいっ、騒ぎ過ぎて本人にバレたじゃないか。
「死にたくなければ正直に事の詳細を吐きなさい」
「凛子が小桃さんに憧れてどういう風にすればなれるのかを調査してました!」
彼女に命令されると幼い頃からの習慣でつい何でも喋ってしまう。
うぅ、弱い立場な自分が憎い。
「……私になりたい?意味がよく分からないわ。凛子、どういうこと?」
「小桃姉さんは皆に慕われたり、人気があるから……どうすれば姉さんに近づけるかなってこっそり様子を見ていたの。ちなみに悠クンは痴漢です」
「違うってば!ただ、積極性が足りてないからその特訓をしてただけだ」
冗談が通じない人なんだから命の危機を感じる冗談はやめてくれ。
「最近、更衣室で妙な視線を感じるのよ、まさか……?」
「だから、俺じゃないって。俺は覗いてません、無実です。信じてください、俺はまだそんな誘惑に負けて人生を終わる覚悟はありませぬ」
「そうよね、悠クンにそんな勇気があるわけないもの」
その納得のされ方は非常に男として不愉快ですが否定してもあまり意味はないので諦めた。
人生諦めが大事、と身をもって知ってます。
「つまり、私になりたくて、私の様子を見ていたってこと?」
事情を説明したら彼女はどこか嬉しそうに微笑む。
妹から慕われている事に嬉しいのだろう。
「にへへっ。凛子が私に憧れる?尊敬してる?……てへっ、でへへっ♪」
うぉっ、何たる崩壊の仕方だ!?
その顔の“にやけ度”がかなりヤバいっす、小桃さん。
このままだと放映不可能な作画崩壊レベルまで達してしまう。
あれは酷い、DVD化の際には必ず修正してくれ、そうなる前に俺は話を戻す。
「……あの、小桃さん。後ろで後輩の子たちが指導を求めてるぞ」
「いけない、まだ水泳部の部活中なの。凛子、その話は家に帰ってからにしましょう。お姉ちゃんに出来ることがあったら何でも協力してあげるからね。可愛いわ、私の凛子~っ」
そう言って慌てて彼女はプールへと戻る。
悪は去った……再びプールは水着女子たちの桃源郷へと平穏を取り戻す。
「さて、と。どうするよ、凛子?まだ調査するか?」
「いいよ、後は姉さんに直接聞いてみる。今日は私の知らない頑張ってる姉さんの姿が見られたからいいわ。悠クン、付き合ってくれてありがとう」
「凛子の世話するのも幼馴染の俺の仕事だぜ?」
まぁ、昔からの付き合いだ。
凛子も小桃さんとの付き合い方にも慣れたものだ。
「というわけで……女の秘密の部分について――ぬぉっ、殺気ッ!?」
ブンッとこちらに勢いよくビート板が飛んできて危うく直撃寸前で避ける。
数十メートル離れたところから、どう投げても飛ぶはずのないものを飛ばすとはさすが、小桃さんは悪魔だ。
……実は中に何か入ってるのか、痛いのは勘弁な?
「しくしく、命が惜しいから大人しく帰るとしよう」
「そうだね、帰ろう」
ここにいたら本気で命が危ないので俺たちは素直に帰ることにした。
それにしても部活のない放課後はちょっと寂しく感じてしまうのだ。
しばらくはこの生活に慣れる方が大変そうだな。