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はる

 ゴールデンウィークも終わり、昼間の日差しがより力強さを増していた。寝不足の目を労わるかのように、冬二は帽子を深く被る。

 結局、昨夜はあの現象以降、眠ることが出来なかった。早晩から寝ていたのが幸いし、授業は乗り切れそうだったが、夜のバイトが辛そうだ。


(次は空きコマか。どっか、仮眠出来るところでも探すかな)


 彼は昨夜の現象について、深く考えないようにした。というよりむしろ、深刻に考える余裕などなかった、と言う方が正しいかもしれない。

 二年も遠回りしてしまったのだ。もし、これで卒業できなければ、笑い話にもならない。授業を休む訳にはいかなかった。バイトも同様だ。ようやく新しい環境に慣れてきたというのに、欠勤でクビにされては堪らない。彼は日々の些事に追われていた。


 広い大学内を重苦しい足取りで歩き、人通りの少ない静かな場所を探す。


 やがて、校舎裏の空きスペースに木製のベンチを見つけた。人工樹から差し込む木漏れ日具合が良い感じだ。土の地面は虫が多そうだが、この時期は蚊がいないだけマシだと思おう。


 どっこらせ、と身体をベンチに横たわらせ、遠くの喧騒を聞きながら、目を閉じる。

 ぐっすり眠れるとは思っていない。ただ、しばらく横になるだけで何となく楽な気分になるものだ。


(……これはいい)


 落ち着く。思い返せば、せっかく大学に合格したというのに、ゆっくりした時間はほとんど取っていなかった。授業と新生活の準備、空いた時間はすべてバイトに当てていた。まるで、何かに追われているかのように。

 じっとしていると、すぐに思い出してしまう。今まで当たり前のように過ごしてきた日々。いつだって隣にいてくれた人。そして、あの日の、言葉。


(我ながら、女々しいな)


 自嘲的に笑い、


「今だけ、全部忘れよう」


 そう言って、木々のせせらぎに耳を傾けた。まるで森の中にいるみたいだ。

 人々の声がどんどん遠くなっていく。


(家のことも、引っ越せる金が出来てから考えよう。物が揺れるくらい、別に大したことは無い)


 昨夜の出来事も、頭の隅に追いやる。不思議と、現象に対する恐怖も掻き消えていた。

 実際のところ、冬二の精神は容量過多を起こし、無駄な思考、感情を排除していた。これは彼がこの二十年間で得た唯一、有益な能力だった。

 何もかも忘れて、真っ白になった頭が徐々に微睡みを運んでくる。

 やがて、音も匂いも、身体の感覚すらも消えて―――――――――、


「陽咲、このあとどうする?」


 ドクンッ、と心臓が跳ねた。

 脳がフルスロットルで稼働し、血が猛スピードで全身を駆け巡る。


「ん~、懐哉は? まだ授業あるの?」

「いや、今日は午前で終わりだ。陽咲もだろ?」

「うん」


 聞きなれた声、聴きなれた足音。

 薄目を開けて、帽子の隙間から窺うと、数名の男女がこちらに向けて歩を進めていた。

 その中に、一際背の低い、女の子がいる。


(はる……!?)


 華奢な身体にゆったりとした服を着込んだ少女。肩口で切り取られていた黒髪はセミロングに。幼さは薄れ、大人の色気がほんのりと香る。

 それでも、彼女を見分けるのは容易かった。


「も~っ、二人はまたそうやってあたしの前でイチャイチャする! ムカつく!」


 陽咲の前を歩いていた女性が振り返ってそう言う。


「い、イチャイチャなんてしてないだろ!」

「そ、そうだよ! 話をしてただけだもん!」


 陽咲ともう一人の男が慌てて首を振る。


「それがイチャイチャしてるって言うの! 彼氏いない歴二十年の私の前で会話するの禁止!」

「「えっ、そんなぁ!」」

「ハモるな!」


 ワイワイと楽しげに話しながら徐々に近づいてくる集団。冬二は慌てて帽子を目深に被り、顔を隠した。寝返りを打ち、通路に背を向ける。

 大学構内で寝ている人間など珍しくは無い。じっとしていればやり過ごせるはずだった。彼女の前でどんな顔をすればいいのか、わからなかった。


「いいなぁ、はるちはモテモテでさ。あたしにもその乙女オーラを分け与えろ! くんかくんか!」

「わっ、わっ、やめてよ秋歌ちゃん。なんで嗅ぐの!? キモいよ!」

「キモいとか言うなよ! くっそ~、こいつ、調子に乗りやがって。このっ、このっ」


 秋歌と呼ばれた女は陽咲の頭をペシペシと叩く。


「あたっ、いたいっ。やめ、やめて。ご、ごめんね。冗談だよ、冗談。秋歌ちゃんだって、かわいいんだから、彼氏なんてすぐ――――――」

「出来ないから彼氏いない歴二十年なの。はるちみたいに幼馴染に告白されることもないしね~。そんなの最初からいないから」


 ギクリと、心臓が跳ねる。


「あ、あれは! ち、違うの! ただの腐れ縁ってだけで、別に………」

「でも、向こうは、はるちのこと大好きだったじゃん。合格通知握りしめてさぁ、彼氏の目の前で告白しちゃうんだもん。見てるこっちがドキドキしちゃった」

「あ~、あれ、凄かったねぇ」


 冬二の背中を男の声が通り過ぎていく。


「正直、僕、気圧されちゃってたかも。陽咲を取られるんじゃないか、ってさ。まぁでも、決闘の準備は出来ていたけどね」


 シュッシュッ、とジャブを打つ男。その様子を見て、秋歌が声をかける。


「え? 懐哉君、喧嘩とかしたことあんの?」

「ないね。戦いになれば三秒で負ける自信が僕にはあった」


 なぜか自信満々に、懐哉という男は告げる。


「ダメダメじゃん。そんなんじゃはるち、簡単に取られちゃうよ?」

「も、もう! その話はやめてよ! あの人とは昔も今も、何もないんだから!」

「ホントかな~、怪しいな~」

「ホントだってば!」


 次第に集団の会話が遠ざかって行く。完全に音が消えるのを待って、冬二はゆっくりと起き上がった。


「ああ~、忘れてぇ~」


 思わずそんなことを天に向かって告げる。


(なんで俺、あの時勢い余って告白しちゃったんだろうなぁ。彼氏の前でとか、ありえないだろ)


 胸を掻き毟りたくなるような感覚を抱きながら、先ほどの会話を思い出す。


「はるの彼氏、良いやつそうだったな」


 のんびりとした雰囲気が、陽咲と良く合っていた。


「俺は、あの人呼ばわり、か」


 顔に無理やり苦笑いを貼り付ける。


「決闘くらい、しときゃよかったかもな」


 冬二はその手を力なく握りしめた。


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