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黒幕

 飯島はソファに身を横たえ、見なれぬ部屋に戸惑いながら、視線を巡らせていた。窓から月明かりが差しこみ部屋の輪郭を浮かび上がらせている。微かな音が断続的に聞こえる。耳を澄ませ、音の方に首を傾けると、ヒーターの炎がちかちかと揺れていた。

 体を起こし窓の外を見ると、闇夜にくっきりとヘッドライトの細い帯が幾筋も伸びている。ここが、石原のマンションであることを漸く思い出した。同時に、自分が置かれている切羽詰った状況や昨夜の血なまぐさい事件が脳裏に蘇った。


 部屋の電気を点けると、柱時計の針は6時を少し周っている。ふと、テーブルに手紙が載っているのに気付き、取り上げて目を通した。そこにはこうあった。

「警察に行ってきます。まさか内海が偽者だとは思ってもみませんでした。私も迂闊としか言いようがありません。和子は、ショックでヤクザの顔を記憶から消し去っていましたが、私は内海の顔をはっきり覚えています。警察に行ってモンタージュを作るつもりです。出来あがったら電話を入れます。狙われているのですから、外へ出ないで下さい。食料は棚、酒は冷蔵庫に十分用意してあります。」

 食料という文字を見て、急にお腹がすいた。キッチンに行って冷蔵庫を開けるとカンビールで一杯である。上の棚の扉を開けると、夥しい数の即席麺とカップ麺が几帳面に並べて置いてあった。飯島は大きくため息をつき、しかたなくヤカンに水を入れた。 


 電話があったのは、午後7時半である。飯島が受話器を取ると、石原の弾むような声が聞こえた。

「飯島さん、今終わりましたよ。とにかくよく描けています。この男ですよ、この男。今、コピーをそっちに送ります。警察は情報を漏らすなって言ってますけど、秘密で、これからファックスします。もしかして、知った顔だという可能性もありますからね。受話器を置いてください。」

 しばらく待つとファックスが動き出した。ジーという音と共に紙が前に送られて来る。飯島はそれを手にとった。目をまん丸にして見詰めた。息が止まるほどの衝撃が襲う。何故だ?何故、奴が出て来るんだ。間違いなかった。それは、まさに、南である。

飯島はいらいらしながら電話を待った。しばらくして石原から電話が入った。石原の声は聞こえていたが、しばらくショックから立ち直れず言葉に詰まった。そしてようやく口を開いた。

「石原さん。確かに知った顔だった。でも想像もしなかった奴だ。」

「一体誰なんです。」

「南常務だ。間違いない。」

石原も押し黙った。別の男が受話器の向こうで叫んだ。

「おい、おい、誰なんだ、えっ、一体誰なんだ。」

どうやら、花田刑事も一緒だったようだ。石原が花田に似顔絵が南だと告げた。花田が、受話器を奪い取ったのだろう、向こうでがなり立てた。

「何で南が出てくるんだ。石原さんによると佐久間は南の女房を襲ったんだろう。その南が、何で、佐久間に協力しなきゃならないんだ。」

「分からん、俺にもさっぱりだ。しかし、これは間違い無く南の顔だ。あの野郎、すっとぼけやがって。」

花田の声が響いた。

「いいか、良く聞け、石原弁護士が南だと証言しても、南があの事件と関わりがあるとは限らない。南が恐れ入りましたと言って、事件との関わりを認めれば、話しは別だ。いいか、その前に変な動きをするんじゃないぞ。」

「ああ、わかっている。ちょっと先生に代わってくれ。」

しばらくして石原が出た。飯島が聞いた。

「写真を撮るという奴等の目的のことを話したのか。」

石原は声を殺して言った。

「ああ、話した。しょうがないだろう。写真は立証しようがないが、ここまできたらもう隠しているわけにはいかない。南の奥さんが証言してくれることを期待するしかない。」

飯島は頷くと電話を切った。


 広いリビングで、頭を抱え、呆然としてソファに座っていた。予想だにしなかったキャスティングは飯島の脳を混乱に陥れた。大きな溜息をついた。すると、何かが神経回路を目まぐるしく飛びまわって、過去の三つの出来事を脳裏に浮かび上がらせた。

 飯島は、はっとして手で膝を打った。気違いじみた復讐劇のキーワードが突然脳裏に刻まれたのだ。別々に存在していた事実が、頭の中で関連をもって結びついた。そのキーワードとは、佐久間の愛娘、愛子である。

 始めて佐久間と飲んだ時、佐久間は飯島を信頼しきっていた。佐久間の心には狂気が巣食ってはいたが、愛子に対する愛情だけは確かだった。あの時点で、佐久間は、飯島に愛子のことを含め、何かを託そうとした。佐久間は時期が来れば話すと言っていたのだ。

 しかし、次ぎに会った時、そのことは話題にも上がらなかった。和子がホテルで襲われた直後のこと、飯島はセンターで佐久間を問い詰めた。その時、佐久間はこう叫んだのだ。「愛子はお前の子供ではないのか?」と

その時、佐久間は愛子が自分の子供であることに疑問を抱いてはいたが、未だ確信にまで至っていない。しかし、最後に会った立川の病院で、佐久間は言った。「愛子は君の子供だった。これは誰も否定出来ない。」と。

 キーワードは愛子だ。愛子に対する疑惑が深まるに従い、佐久間の狂気が進行していった。最初は和子を陵辱し、映像に収める程度だったはずだ。しかし、それは一気にエスカレートし和子殺害へと突き進んだ。それは愛子が飯島の子供と確信したからだ。

 明らかに、佐久間は愛子が飯島の子だと、誰かに吹き込まれた。それが佐久間の狂気を増幅させたのだ。何故なら、佐久間は自ら動くことは困難だ。だとすれば誰かが動いて佐久間に情報を伝えていた。まったく偽の情報を。

 今まで、佐久間が誰かを操って、復讐劇を遂行していると思っていた。しかし、事実は逆で、佐久間は誰かに操つられている。誰かが、狂人の復讐劇を利用して何らかの利益を得ようしているとしか思えない。 

 飯島は思いを巡らせた。では、佐久間を操る男とは誰なのか。考えられるのは竹内か向田である。南ということも考えられるが、南は竹内に強請られてやむなく協力している可能性の方が高い。

 南の弱みになったのは、例の写真だと思っていたが、どうもぴんとこない。それが社内に配信されれば南のプライドは傷付くが、それで脅されたとしても殺人という犯罪に手を染めるなど考えられない。恐らく黒幕は竹内だろう。しかし、向田も気になる。


飯島は箕輪に電話を入れた。あの懐かしい声が響く。

「いったい、何処で何をしていたんだ。家にも、携帯にも電話を入れたが、まったく繋がらなかった。今、どこからかけている?」

「和子の旦那のマンションだ。」

しばらくの沈黙の後、箕輪が言った。

「聞いたよ、何と言っていいのか分からん。兎に角、今の状況を話せ。俺に出来ることは何でもするつもりだ。」

「有難う、実は、お前にどうしても聞きたいことがある。向田敦のことだ。お前が辞表を提出した日、お前は彼のことを気の毒な人間だと言った。そして、うちの会社の人間にかかわることだからこれ以上は言えないとも言った。それはどういう意味なんだ?」

「おいおい、待てよ。その前に全部を話せ。そうでなければ、俺だって話していいかどうかなんて分からない。」

「分かった。うまく喋れるかどうか分からんが、話そう。最初から、そして向田敦に対する疑惑についてもだ。」

 飯島は話し始めた。和子の事件から飯島襲撃までの出来事を時系列に沿って話した。何故、向田を疑い始めたのかも話し、向田が箕輪を恨んでいるということも付け足した。話し終えるのに30分近くかかった。箕輪はしばらく沈黙を保った。ため息が聞こえた。

「飯島、大変なことになったな。よし、明日から俺も休暇をとってお前に合流する。いいだろう、な。会ってから話そう。」

箕輪の申し出に、思わず涙が滲む。しかし、明日まで待てない。

「俺は今、話が聞きたい。今話してくれ。」

「分かった。詳しくは会ってから話すが、一つだけ教えておこう。敦は香織と付き合っていた。つまりかつて恋人同士だったんだ。香織は妊娠したが、親が強制的に堕胎させ、別れさせた。お前の推理は、当たっているかも知れん。動機はある。つまり、敦は西野会長を恨んでいた。詳しくは会ってからでいいだろう。どうせ明日には会えるんだ。」

「ああ、分かった。動機があるってことだけで十分だ。」

「それから、敦が俺を怒っている理由も分かっている。俺が、敦に義理を欠いたことは確かなことだ。」

「詳しくは会ってから聞こう。」

「ああ、俺は今夜の最終便で東京に行く。そして、お前の携帯に電話を入れる。」

「分かった。携帯はオンにしておく。」

電話は切れた。箕輪の力を借りることは願ってもないことだ。飯島は思いもかけない展開を神に感謝した。孤独の戦いに友が駆けつけてくれると言う。飯島は涙を拭った。

いずれにせよ、佐久間の狂気を止めるには、飯島の種無しが証明すれば良いのだ。その診断書は飯島の自宅にある。それを取りに行かねばならない。すぐさま、飯島は、石原のマンションを出て自宅に向かった。


 翌日、駒込の小さな喫茶店で箕輪と待ち合わせした。箕輪は、いつものように30ほど遅れてやってきた。椅子に座るなり聞いた。

「今度はつけられなかったか。」

「ああ、十分に用心したつもりだ。ところで会社は大丈夫なのか。」

「ああ、大丈夫だ。大きな物件を取ったばかりで、支社長はすこぶる機嫌がいい。それに、民間でも美味しい仕事を見つけた。これは隠し玉でとってある。営業なんて、受注さえ取れれば、何をやっていようと文句をつけられることはない。」

「全くだ。ところで、早速で悪いが、昨日の続きを教えてくれ。」

「分かった。香織さんが南と結婚したのは、堕胎した直後だ。」

「つまり、会長は、急遽、南と結婚させた。向田以外なら誰でもいい、誰かいないのか?って聞いたのかもしない。南は女性社員の憧れの的だった。香織さんは以前から南を知っていたのかもしれん。」

「ああ、そんなところだ。ところが、敦の話から、西野会長が早々に結婚させようとした理由が分かった。敦が言うには、堕胎手術の失敗で香織さんは子供が生めない体になってしまったと思っていたらしい。」

「だけど、二人も子供を生んでいる。」

「ああ、そうだ。しかし、敦に言わせれば、電話で香織さんがそう言って泣いたそうだ。つまり、医者の判断ミスってことだろう。」

「つまり西野会長は、医師の判断ミスを信じて、焦って南でもいいかってことになったわけだ。」

「そういうことだ。俺が話すのを躊躇したわけが分かったろう。」

「いや、分からん。俺は口が軽いから、知っていたら、誰彼なく話していたと思う。全く、お前は硬い。」

「しかし、プライバシーってもんがある。お前だって、人に知られたくない事を、ぺらぺら喋られたら、厭な気がするだろう。その辺は考えてやらないと。」

冗談を解さず、言葉を額面通りにしか受け取らない箕輪に苦笑いで答えた。

「分かった、分かった。ところで、昨日言っていた、敦に義理を欠いたという話、それはどういうことなんだ。」

「敦は、事業を起こそうとしていた。呉工業の下請けだ。向田社長が勧めたらしい。しかし、敦は今のビジネスが面白くてしょうがない。拳銃の輸入販売だ。しかし、親父の話にも食指が動いた。足を洗うチャンスだからな。」

「奴がまともな社会で生きていけるとは思えんが。」

「ああ、俺もそう思った。実は下請けの会社の専務になってくれって言われていたんだ。だいぶ迷ったが、断った。」

「なるほど、それで怒っているわけだ。ところで、これからどうするつもりだ。」

「これから、敦に会いに行く。駒込で待ち合わせたのは、敦のマンションが六義園の近くにあるからだ。敦に、佐久間との関係を問いただす。その前に、俺の流儀で奴に侘びを入れなきゃならない。手紙で断ったんだが、あいつ、その手紙が気に入らないのだろう。」

「つまり、男なら面と向かって断れということか。しかし、問いただすとしても、敦は本当のことを言うとは思えん。奴は、どっぷりとヤクザの世界に足を入れて、十年以上経つわけだろう。ヤクザの世界は、俺たち営業マンの世界より、より営業マン的だ。金になるならとことん食い下がる。」

「俺は、俺と敦の男と男の関係を信じる。誠意を持って話せば真実は浮かんでくる。」

飯島は箕輪の目を覗き込んだ。この男の単純さには驚かされることがしばしばだったが、それは男とはこうあるべきという箕輪の信念がその底流にある。しかし、世の中は、そんな男ばかりではないということを、この男も理解すべきなのだ。

「俺はそうは思わない。あの男のことは信用できん。」

「俺はあの男を信じる。」

結局は信じるか否かの問題なのだ。飯島はしかたなく折れることにした。

「今、3時だ。敦のマンションに、これから行くのか?」

「ああ、奴は昼過ぎまで寝ている。まともな状態になるのは午後3時か4時だ。今、行けばちょうど良い。」

飯島は伝票をとって立ち上がった。




 何故、こんなことになったのか、南は頭を抱え込み、深いため息をつく。あの時、何故あんな反応をしてしまったのか、南は今もって分からない。運命を左右した瞬間に思い浮かべた邪念が、全ての始まりであり、終わりでもあった。

南は思う。いや、最初から間違っていたのだ。香織との結婚が、そもそも間違いの始まりだった。夢のような話が舞い込んで、俺自身舞い上がってしまった。だから彰子を捨てた。高嶺の花と思っていた香織が俺を結婚相手に指名したのだ。どうして、あの誘惑に逆らえよう。

 香織の浮気性は病的だったが、目をつぶった。自分も好き勝手に遊べばいいと思った。そして彰子とよりを戻した。しかし、すぐにばれた。香織が本性を剥き出しにした。罵詈雑言を浴びせ、物を壊し、家具を倒した。家の中は足の踏み場もなくなった。

仕舞いには、どのこ馬の骨とも分からない男が、ただの小役人の倅が、これほどの生活ができるのは誰のお蔭か分かっているのかと詰られた。この時、俺は初めて香織を殴った。よよと泣き崩れるかと思ったのだ。

しかし、それが惨憺たる結果を招いた。それまで以上に半狂乱になって暴れ周り、そして俺の最も恐れる言葉を吐いたのだ。

「出て行け。この家からも、会社からも出て行け。」

俺は平身低頭し、許しを請うしかなかった。誓約書を書けと言われて、唯々諾々とペンをとった。うな垂れて反省の色を示すしかなかった。俺は今の地位を失うことを恐れたのだ。

 俺は慎重に行動するとともに、仲介役を置いた。秘密を守り、俺に代わって彰子にメッセージを届け、逢瀬のセッティングをする男だ。それが竹内だった。竹内の俺に対する忠誠心は本物だと思っていた。

 最終的には香織に嗅ぎつかれ、彰子とは分かれるはめになったが、竹内との秘密の関係は続いた。つまり子飼いのスパイのような存在に仕立て上げたのだ。竹内を資材物流センター長に抜擢したのも俺だ。竹内は俺への忠誠心を示すべく全力を尽くした。

 そんなある日、竹内がある情報を持ち込んだ。佐久間が現社長に対して復讐しようとしているというのだ。この情報は竹内の情報源から寄せられたもので、未だ噂に過ぎなかった。それでも、竹内はこれで佐久間を辞めさせる口実が出来ました、と笑った。

 その時、俺は、一瞬、奇妙な思い、邪念に捕らわれたのだ。俺は竹内に、佐久間に接近し、何をしようとしているのか、もっと深く探るよう指示した。その答えが返ってきたのは一月後のことだ。電話の向こうで、竹内が笑いながら言った。

「奴は、狂っています。私を信用して打ち明けてくれたのですが、常務の奥さんの香織さんをホテルに拉致して陵辱すると言っています。私に、手伝って欲しいと、香織さんを犯している場面をビデオや写真で撮ってくれって言っているんです。」

 長い沈黙があった。そして、佐久間の復讐の話を聞いた時に抱いた奇妙な思いが、輪郭を持ち始めた。その思いとは、家庭を顧みず遊びまわり、自由奔放に男を漁る妻、それを放任し、少しも諌めようとしない西野会長に対する復讐の思いだったのだ。

 竹内が最初にもたらした情報では、復讐の対象は現社長、つまり西野会長の長男だった。その長男に佐久間が何をしようとしているのか、初めは、それを知りたいと思っただけだ。しかし、対象が香織だという。佐久間の復讐の思いが俺に伝染した。俺は声を押し殺した。

「奴は、女房を強姦するだけなのか?それ以上の、つまり、暴力を振るったり、傷つけたり?・・・しないってことか?」

またしても沈黙だった。竹内の息遣いが聞こえた。竹内も緊張しているのだ。ようやく震える声が俺の耳に届いた。

「はい、それはありません。計画では、私が、香織さんがよく行くバーで話しかけ、飲み物に睡眠薬を入れて飲ませます。そして二人でホテルに連れ込むんです。」

俺は、せせら笑いながら言った。

「おい、竹内、俺の知る限り、お前は、香織がもっとも嫌うタイプだ。」

「いえ、いえ、常務、そっちの方はこれでけっこう自信があるんです。たいていの女は笑わせてくれる男には警戒心を解きますから、その辺は大丈夫です。」

「おい、竹内。お前だって聞いて知っているだろう。女房の浮気のことは?」

「いえ、その、・・・噂は。」

「それが噂じゃない。だが俺は女房を愛している。でもいつか痛い目に会うんじゃないかと心配しているんだ。俺は話を聞いた瞬間、これはいい機会になる、つまり良い薬になるんじゃないかと思った。しかし、少しでも危害が加われば、大変なことになる。」

ここで、間を空けた。竹内の息遣いがさらに荒くなった。

「お前がついていれば、俺も安心できる。そして香織の火遊びも止まる。お前、独立したいと言っていたな。もしここで上手く立ち回れば資金を出してやてもいい。」

長い沈黙だった。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

「常務、やります。やらせて下さい。奥さんを必ず守ります。」

これが、運命を左右した瞬間だったのだ。

今にして思えば、あれは竹内の芝居だったのかもしれない。何故なら、会話は逐一録音されていたのだから。俺は竹内の脅迫に従わざるを得なかった。そして新たな指令が舞い込んだ。逆らうわけにはいかない。今の地位を守るために。


「ふざけるな。何で俺が佐久間に協力しなければならないんだ。」

敦は、箕輪の誠実な謝罪の言葉に感動さえ覚えているようだったが、話が佐久間のことに及ぶと急に声を荒げた。箕輪はじっと敦を見詰めるだけだ。しかたなく飯島が言葉を挟んだ。

「さっき、君は佐久間と面識があったことを認めた。その佐久間は西野家に復讐しようとしていた。そして君も西野家を憎んでいたはずだ。」

「ああ、佐久間のことは知っていたさ。佐久間から香織との手切れ金を受け取ったんだからな。会ったのは何年も前のその時、一度きりだ。それに、拳銃をお前に世話したが、それはお前が望んだことだ。餓鬼じゃあるまいし、今さら西野家にどうこうするつもりなどない。」

飯島は押し黙った。時間の浪費だった。道で会った他人に、貴方は泥棒ですか、と聞いているようなものだ。たとえそいつが泥棒であっても、はい、と答えるはずがない。箕輪さえいなければ、締め上げて吐かせるのだが、そうもいかない。裁定者を気取った箕輪の落ち着いた声が響いた。

「飯島、信用しようじゃないか。確かに、拳銃はお前が望んで買った。それは確かだ。それに敦が佐久間と繋がっているという証拠はどこにもない。」

飯島はだんだん腹がたってきた。結局、箕輪は自分流の決着をつけるに違いない。そして思った通りの言葉が箕輪の口から発せられた。

「過去はどうでもいい。いいか、俺たちを裏切るな。俺たちはこれから佐久間と対決する。俺とお前は友人だ。お前は友人の俺を裏切らない。俺はそれを信じている。」

こう言うと、ゆっくりとソファーから立ち上がった。敦が答えた。

「俺があんたを裏切るわけがない。」

ふたりは笑みを浮かべ握手した。飯島は舌打ちしながら二人の友情の場面に割って入った。

「拳銃が必要だ。金は払う。」

「今、自分用の一丁しかない。」

「その一丁でいい。そいつが今必要だ。」

敦は部屋を出て行き、しばらくして戻った。その手にはブローニングが握られている。

「佐野が電話で指示した口座に100万振り込んでくれ。いいな。」


 マンションを出ると、とっぷりと日は暮れていた。コートの襟を立て歩いた。飯島は怒りに震えていた。結局、箕輪の思慮のなさに呆れるばかりだった。殴りあいだったら仲間として頼りになる男だが、言葉の駆け引きには向いていない。

駅に向かって黙りこくって歩いていた。飯島が怒りを抑え聞いた。

「さっきの様子では、敦はお前と俺が来ることが前もって知っていた。」

「ああ、アポをとったからな。」

「馬鹿か、お前。」

箕輪は飯島の暴言に足を止めたが、飯島はさっさと歩を進めた。後ろから強張った声が聞こえた。

「馬鹿とは何だ。それが友人に対する言葉か。」

飯島が怒鳴り返した。

「馬鹿としか思えん。奴が佐久間と繋がっていたら、前もって佐久間に連絡したはずだ。俺たちは佐久間たちに見張られている。尾行されているんだ。」

「何だって、そんな馬鹿な。」

「いいや、見張られている。ひしひしと視線を感じる。箕輪、仙台に帰れ、奴らはお前が思っているような柔な奴らじゃない。もっと手強くて冷酷なんだ。お前のかなう相手じゃない。」

こう言って、飯島は全速力で駆け出した。小道に入り、できるだけ駅から遠ざかった。何も考えず息の続く限り走った。道から道に折れ走りに走った。徐々にだが視線が遠のいていくのを感じた。


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