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序章 妹(年上)は今日も元気

 朝・・・かぁ。


 窓の外では雀のような鳴き声が聞こえる。きっと鳴いているのはジルバコフだろう。たとえどんなことがあろうと、彼は必ずこの時刻に鳴く。


 二度寝したいところだけど、そうも言っていられない。最近になって、彼は時間にはとても厳しくなった。十分でも遅れると、帰ってきたときにいやというほど口うるさく罵られるのだ。彼は時間に厳しくなった理由を語ろうとしないけれど、ぼくはそれに大体の予想を付けている。


 それが彼のわがままに応えてやっている理由でもあるけどさ。


 ぼくは布団を押しのけ、ゆっくりと起き上がる。そして朝食を食べるよりも先に、彼のために用意している特製のドライフルーツを籠いっぱいに入れ、それを持って窓を開ける。


『ほら、ジルバコフ。どうせ今日も持ってくんでしょ』


 ぼくがそう言い終わるか否かという速さで、体の大きさは丁度雀と同じぐらいの、硬い鱗と角を持つ鳥(、、、、、、、、、)、ジルバコフはぼくの差し出した籠をひったくっていった。


 それから籠を持ったままホバリングし、数秒だけぼくの方を向いたけれど、何を言うでもなく、すぐに飛んで行ってしまった。


「彼女に会いに行くからって、そんなに急ぐものなのかな」

少し前までは、毎日の新聞代わりにしていた彼と朝の長話をすることが楽しみだったぼくにとっては、すこし寂しいものがある。


 まあでも、とにかくそんなせっかちなジルバコフを見送るのが、最近の朝の日課だ。ぼくは気だるく手を振りながら、これから二度寝するべきか否かを考える。


 夏の間はアルベルトと一緒に夜空を眺めるのに忙しく、ついつい夜更かししてしまうのだ。昨日も寝るのが遅かったから今日はひどく眠い。というわけでベッドに戻りかけていたぼくだけれど、別の予定が入っていた事を思い出し、足を止めた。


 だめだ。今日は学校跡の近くのリンゴ園を見に行くんだった。ニュートンも来るだろうから、行かないと大変なことになってしまう。あの大食漢はリンゴが大好物だ。まだ熟していないとはいえ、いや、だからこそぼくが見ていないときっと甚大な被害を被るに決まってる。


 ぼくはため息を吐き、仕方なく朝食の準備を始めた。







朝だ!


枕元でうるさく鳴り響く目覚まし時計を叩いて黙らすことからあたしの一日は始まる。目覚まし時計の音に慣れちゃって起きれないーって言う人もいるらしいけど、それはちょっと理解しかねるなぁ。だってあれが鳴ったら嫌でも飛び起きちゃうでしょ、キョーハクカンネンってやつ?朝起きるのが嫌だから余計この音に反応しちゃうんだよね。


 まあそのおかげで朝寝坊には縁が無いあたしだけど。


 あたしは目覚まし時計の横に置いてある体温計をとって、舌に当てた。ボタンを押してから一秒と掛からずに出た数字を、体温計のあった場所のそのまた隣にあるノートに記録する。あたしの最近の日課はこれ。


 いや、深い意味は無いんだけどさ、科学が発展しすぎたこのご時世、こんなことをしなくたっていくらでも周期を知る方法はある。それでもこうやって記録を取ってるのはこの方法が一番自分でやってるっていう感じがするからかな。同級生の女の子は周期的につらい~とか言ってくるけど、あたしはそういうのぜんぜんないし。


 それに、もうあたし十六の乙女だよ?子供のころとは比べものにならないくらい考えは複雑になってるし、自分が何考えてるか分からない時だってある。


 だから、時々不安になるんだ。あたしが自分の事を知らないのが。だからそういうのは自分で確かめないとね。


 そんな理由からやってる日課を終えると、ベッドの隣にある窓のカーテンを開ける。


「ん~。本日は晴天なりっ」


 空は青一色で文句なしの晴天。真夏の太陽は殺人的な勢いで降り注ぎ、圧倒的な光度であたしの眠気をすっとばした。朝寝坊対策その二だ。残念ながら冬にはできないけど。


 今日も高温多湿。熱中症の被害者が出そうだ。あたしも気を付けなきゃねー。


 それから制服に着替え、二階にある自分の部屋から一階のリビングに降りる。


「おはよー」


「おはよう、一海(ひとみ)。昨日はよく眠れた?」


「うん」


 仕事は休みなはずなのに、おかあさんは早く起きて朝ご飯と弁当を作ってくれていた。いやほんと頭が上がんないよ。あたし弁当とかめんどくさくて作れないし。


 出された朝ご飯を食べながら、おかあさんと一言二言会話を交わす。すぐに食べ終わって、食器を片付けると、あたしは仏壇の前で手を合わせた。


 仏壇に書かれている名前は、二人。お父さんと、年子だった兄の空人(そらと)。五年前、正体不明の殺人ウイルスがこの近くで発生し、大事件となった。その時、おとうさんと空人はウイルスの発生源の近くにいて、ウイルスの封じ込めのためにそこが封鎖された。


 それ以降、二人は行方不明になっている。


 あのウイルスは致死率が異常に高く、かかったら最後、決して生き残ることができないものだった。超合金とプラズマシールドの城壁で封じられているあの土地には、もう生き残っている生物はいないと言われている。


 そんなわけで、ここはあたしとおかあさんの母子家庭だ。


「いってきまーす」


「いってらっしゃい。部活頑張ってね」


 そうしてあたしは家を出発する。登校に使うのは、これ、ホバーバイク。いーだろー。

去年やっと免許をとれたもんで、ここからは距離がある学校まで行くのに欠かせないものだ。


 バイクなんて危ないじゃないかって言う人もいるらしいけど、これはかなり安全な方だ。車体のまわりにプラズマシールドを張るから、ぶつかっても衝撃を吸収してくれる。ハンドルを放さなければ安全だ。


 え、さっきから言っているプラズマシールドってなんだって?あー、うん。あたしも詳しい原理は分からないけど、どうやら燃料をプラズマ化させることで体積を膨張させて、その圧力で障壁を作ってるんだって。そういえば免許を取る時にそんな問題があった。


 バイクにまたがって、出発!まずは一定の高度まで上昇して、それから加速していく。


 初めは怖かったけど、慣れるとこれはとても楽しい。安定して飛んでいるから、とても爽快だ。ハマるともうこれ以外の通学は考えられないよ。


 そしてもう一つの朝の日課、城壁の見学をする。ここのプラズマシールドは、このバイクよりもずっと出力が高くて、内側を見ることすら叶わない。


 あたしはこれを登校するたびに見て、内側がどうなっているのかを想像する。あのウイルスの猛威を知るほとんどの人は、ここはどんな生物もいないと言っているけれど、あたしはそうとは思えない。きっと何らかの生物がウイルスに耐性を持って、この中を支配しているにちがいないと考えている。


 でも一種類の生物だけが生き残っても生態系は形成されないんだよね。惑星地球化とかいう計画も短くて数百年単位の時間がかかるっていうしさ。大変だけど、がんばれ、生物。いつかここから出てきてあたしたちを驚かせよう。


 ・・・油断していた。


 突然突風が吹き、そうやって考え事をしていたあたしは城壁のシールドに向かって流された。え、やばくない?いやいや、どっちもシールド張ってるから跳ね返されるだけか。でも衝撃は強いだろうからやっぱりやばい?


 そう思ってあたしはハンドルを握って、来るべき衝撃に備える。思わず目をつぶるほど、あたしは全身の力を振り絞った。


 しかし、その衝撃はなく、代わりに振り子の原理をつかった絶叫マシンの最高地点に行ったときのような浮遊感が感じられた。


「え?」


 目を開けると、眼下には森が広がっていた。と、認識した瞬間、あたしはバイクごと自由落下していることに気づき、必死でエンジンを入れようとする。しかし、エンジンはピクリとも動かない。


「やばいやばい!落ちる!」


 それでもあたしはエンジンを入れようと奮闘する。が、その努力も空しく、あたしは鈍い衝撃と共に意識を手放した。







『毎度すまないね、いつも来てもらって助かるよ』


『ぼくだってメーヴェレヴたちがここを管理してくれてるから毎年おいしいリンゴにありつけてるんだ。手伝って当然だよ』


 緑色の硬い鱗と角を持ち、羽を広げると十メートルにもなる巨大な鳥、メーヴェレヴはこのリンゴ園の管理主だ。体が大きすぎて果物の収穫には向かない彼女がなぜここの管理主になっているかというと、秋になるとその実を食べようと大ゲンカになったり、ここに不法侵入するものたちがいるからだ。だからここ一帯でもっとも恐れられている、別名「肝っ玉母さん」が適任だった。


『そういえば最近レウココリネがね、リンゴ園の地面に白い膜が張ったりしてて気持ち悪いって言ってるのだけれど、それは何なのかしら?』


 それを聞いてぼくは飛び上がりそうなほど嬉しくなった。レウココリネが言っていた「白い膜」というのは、いわゆる土壌の菌類の群体だ。これがあると、林の生態系がちゃんと機能しているということが分かる。


『やった!それはリンゴ園が繁栄している証拠だよ。地下の菌類が元気だから、そうやって地上にも出てきてるんだ。元々ここを管理していた人間も、そのことを自慢していたんだよ』


『やっと人間に追いつくことができたということかい。それは嬉しいことだね。私たちも、日々精進することができるということだ』


 メ―ヴェレヴの言葉にぼくは人間だったころ(、、、、、、、)のことに思いをはせた。未知のウイルスのせいでここが城壁によって封鎖されてから、もう五年が経つ。あの元気な妹は、元気にしているだろうか、それとも、父と同じようにあのウイルスのせいで死んでしまったのだろうか。

城壁ができてからというもの、ここにいる生物は全て硬い鱗と角を持ち、強靭な生命力を持つ「竜」に成り果てた。


 それはぼくも例外ではなく、もともと十二歳の人間の子供だった体には頬の途中まで鱗が生え、頭には小さな角が二本生えている、


 そして、ここにいる生物は、竜になった時から全くその姿を変えていない。一部のものは竜になった時に巨大化したけれど、竜たちは例外なく成長もぜず、老化もすることがない。そして何より、子を成すことができない。


 そのことに、大部分の竜たちは困惑したものだ。自分たちはただ滅びるだけなんじゃないかって。


 まあでも、どうやら老化していないことが分かると、そんなことはどうでもよくなった。ここ一帯の半分は国が管理する自然公園だったので、森があり、個体数が増えないので、食糧には困らなかった。


 そんなこんなで、このメーヴェレヴのようにリンゴを育てたりと、みんなのんびりと暮らしている。


 と、その時、何かがどたどたと走ってくる音が聞こえてきた。その方向を見ると、馬のような姿をした竜、ニュートンがこっちに走ってくるのが見えた。


『ていへんだ!ていへんだ!ってうお!』


 ニュートンはあっというまにこちらにたどり着くと、ドリフトよろしく地に足を突き立て、豪快にブレーキをかけた。しかしさすがに時速百キロ以上も出すと急には止まれないようだ。


 そのせいで危うくリンゴ園に突っ込みそうになったニュートンを、メーヴェレヴが慌てて受け止める。


『何やってんだい!あんたはここのリンゴを食べ散らかすだけでなく、木を折ろうってのかい!』


『す、すまねえメーヴェレヴの奥方。城壁に近くですげえもん見つけちまってよ』


 ニュートンは他の竜よりもずっと足が速く、そのうわさ好きな性格と相まってここの伝令係を担っている。彼が慌てるのはいつもの事だけれど、流石に今回のようにブレーキが利かなくなるというのは珍しい。


『何を見たの?』


『そ、それがよお、あっしが集めていた藁によく分からねえ乗り物にのった人間が落ちてきたんだ。それで旦那に伝えようと思ってここまで来た訳でさ。家にいなかったからあせりやしたよ』


 人間が落ちてきたって!それは大変だ。どうやったのかは知らないけど、プラズマシールドを超えてきたのだろうから無事でない可能性が高い。


『分かった。じゃあぼくをそこに連れて行って。メーヴェレヴ、何か分かったら会議するからそれをみんなに伝えてくれるかな』


『分かりましたよ。レウココリネたちにも手伝わせましょう』


 メーヴェレヴがそう言ってくれたので、ぼくはニュートンの背にまたがって、その胴体にしがみついた。


『こっちは準備完了。出発して』


『了解でさ。しっかりつかまってくだせえよ!』


 ニュートンの鱗の下の筋肉が大きく躍動したかと思うと、次の瞬間にはものすごい力で地を蹴り、弾丸の如く加速してみせる。相変わらず、乗っている人を気にもかけようとしない。まあぼくにはそんな気遣いは必要ないけど。


 城壁の外から来たのかもしれない人間。たとえ死んでいたとしても、それがどのようなものなのかニュートンの背中に揺られながら想像し、期待した。







「痛っ・・・」


 目を開けると、どうやらそこは森のようだった。それも温帯気候によくあるような里山のようなものではなく、赤道直下にあるような熱帯雨林だ。


 起き上がろうとすると、あたしは藁の上にいることが分かった。それから近くに落ちていたホバーバイクが目に入り、今あたしがどのような状況なのか少しずつ理解していく。


 一応五体満足。体中が痛いけど、骨折とかはしてなさそうだ。


 確か突風に吹かれて城壁のシールドにぶつかりそうになって、気づいたら地上には森が広がってて・・・それでホバーバイクが落下しちゃって・・・。


 あれ、ここはどこ?


「もしかして異世界だったりして」


 ああ、痛い発言だ。あたしは少し自己嫌悪しながら立ち上がって辺りを見回す。


 そしたら藁の上にいることがひどくばかばかしくなってきた。落ちたけど藁の上だったから助かったー。なんて絵本じゃあるまいし・・・。


 上を見上げてみると、木々の隙間からあの城壁のシールドが見えた。これってもしかして・・・。


 あたしはこんなでっかい木ばっかある熱帯雨林なんて見たこともないし、すくなくともこの国にはない。だけど、この城壁はこの国にしかない。


 と、いうことは、ここは城壁の中に他ならないじゃん。


「ちょっと待ってよ・・・」


 どうなったらあのプラズマシールドを突き抜けるワケ?しかもここには生物がいないんだし、森なんてあるはずが・・・。だってあのウイルスが・・・。


「っ!」


 あたしはそう思い立って反射的に口を手で覆った。でも気絶した間もすっと呼吸していたんだし、意味なんて皆無。


 ああ、どうしよう。あたしここで死ぬのかな。


 そう思って、あたしはその場にへたり込んでしまった。対馬(つしま)一海(ひとみ)(十六)午前八時ごろに自宅から通学中に行方不明になっています。そういってテレビに報道されるのかな。おかあさん、悲しむだろうなぁ。


 あたしがそうやって自失茫然としていると、突然近くの茂みから音がして、思わず短く悲鳴を上げてしまった。


 そして茂みから出てきたのは、でっかい青色の蛇だった。なにこれ、太さ二十センチぐらいあるんじゃない?しかも頭に立派な角まで生やして。蛇というより竜というのが似合う。


 そいつはまっすぐにこちらに向かってきて、頭をあたしの目の前に据え、じっと睨みつける。


 もしかして食べようとしてんの?やばいじゃん。でもこれからどちらにせよ死ぬんだし、逃げる気も起きない。


 ってあれ、生物?


 あたしはこの角のついた大蛇をまじまじと見つめる。


「いるじゃん、生物・・・」


 あたしの頭の中はそれはもう大混乱だ。ここに生物がいるということは、あのウイルスが無くなったってこと?いやいや、耐性が付いただけかもしれない。それになによこの蛇、こんなでっかいのがこの国にいるわけないじゃん。


 でも生物がいるということで、直感的に生き残れるかも知れないという想いが生まれる。


「って、うわああああ」


 というわけで、この大蛇に改めて恐怖心が湧いたあたしだった。藁の上をあとずさり、必死に大蛇から離れようとする。大蛇のほうは、追う気がないのかその場所でじっとこちらを見るだけだ。


 丁度その時、すごい音がして近くの木が一本倒れた。ミサイルが突っ込んだようなその衝撃に、あたしも蛇も驚いてその方向を向く。


 森の中であるのにも関わらず、大量の砂塵が舞い上がり、何が起こったのか全く分からない。しかし、ほどなくして馬のような影と人のような影が現れ、こちらに向かってくるのが分かった。


 人!人だ!あたしは混乱しながらも自分が手を振ってここにいることを示した。それに気づいたのか、その人はこっちに駆け足で向かってきた。


 あたしは、その人間の姿に驚きを隠せなかった。


 体型は十代前半の少年といった感じだけど、半そでのシャツから見える腕は、紅蓮の鱗に覆われていて、それだけ見たら半漁人かと思う人間離れぶりだった。


 そして何より驚いたのは、唯一鱗が生えていないその顔だった。


「空人・・・!」


 彼は、五年前に行方不明になったきりの、あの時のままの顔の兄だった。







「空人・・・!」


 その人間は、確かにそう言った。


 ぼくは立ち止まってその人間をまじまじと見る。多分、高校生ぐらいの女の子だ。その肌はアジア系の人間特有の黄色で、顔つきからもこの国の人間だと分かる。


 そして彼女は、ぼくの名前を言った。


『どうしたんです?急に立ち止まって』


 遅れて歩いてきたニュートンが、ひとつ(いなな)いてから訝しげに聞いてくる。


『この人、ぼくの名前を知ってる』


『それはそれは、昔の知り合いかなにかですかね』


 再び彼の顔を観察すると、ぼくの中で急に郷愁がこみ上げてきた。そうだ、この人は・・・。


 と、そう思った瞬間、彼女はぼくに抱き着いてきた。


「空人・・・生きてたのねぇ」


そうかと思うと、突然泣き出した。たしか彼女(、、)も泣き虫だったっけ。

 

やっぱり、間違いない。


「一海・・・なのかな?」


 ぼくがそう言うと、彼女は抱きしめる腕を緩め、ぼくの顔をじっと見つめた。


「うん・・・覚えてくれてたんだ・・・」


 一海はそう言うと、今度は声を上げて泣き始めた。


『こりゃあ、感動の再開ってやつですか・・・』


 ニュートンが、ばつが悪そうな声音でそう言うと、いつの間にそこにいたのだろう、大蛇の姿をした竜、デウカリオンが続けて言う。


『その者は、ここに来てひどく混乱しているようだ。ソラト殿、まずはそのままにしてやった方がいいだろう』


『う、うん』


 改めて彼女の泣き顔を見た。一海はあれから五年経って成長していたものの、この泣き方は変わっていない。間違いなく、彼女は一海だ。


『この人間は、ぼくの妹だった人だ』


『へえ、それにしてはずいぶんと身長差があるもんで・・・。あ・・・そういえばあっしらは成長しないんでしたね』


 身長のことを指摘されて軽くニュートンに殺意が芽生えたぼくだけど、まさかこの状況で怒る訳にもいかず、ただ黙ってぬいぐるみか何かのように抱きしめられるままになっていた。







 しばらくして一海が落ち着いたので、何があったのか聞くことにした。けれど一海といったら質問を質問で返すありさまだ。


「こっから出られないの?」


「うーん。何回かあの壁を壊そうとしたり上空から出ようとしたことはあったんだけど、あの壁はすごく硬い金属でできてて壊せないし、上空はプラズマシールドの圧力で乱気流が起きていてやっぱり無理だったな」


 そうかーと一海は返し、それからまた質問を重ねる。


「ここの動物と話せるの?」


 どうやらぼくがニュートンやデウカリオンと話していたのが気になったようだ。


「うん。ここにいる動物たちは、みんな意思疎通を図ることができる。この馬は、ニュートンっていって、さっきそこにいた蛇は、デウカリオンだよ」


「でも、その馬、鱗だらけですごいじゃない。角まで生えてて、なんか竜って感じ・・・」


「うん、その通り。ここにいる生物たちはみんな硬い鱗と角を持ってる『竜』なんだ。ほら、ぼくも」


 そう言って、ぼくは鱗だらけの自分の腕を見せる。一海は、それをまじまじと見つめ、ついでに鱗を触る。意外な事に彼女は驚かず、ただ興味深げにその感触を確かめる。


「竜・・・か。かっこいいじゃない」


 そして一海が言ったのは、そんな見当はずれな言葉だった。あまりにはずれた言葉だったので、ぼくは逆に感動してしまった。あんなに泣き虫で臆病だった妹が、今ではこんなに強い女性になっている。


「一海、成長したんだね・・・」


「空人はぜんぜん成長してない」


 そう返されて、ぼくは少し対抗意識を煽られた。


「ぼくだって中身は成長してるんだよ?」


「そっか・・・」


 一海はそう言ってから、少し顔をしかめ、もう一つ質問した。


「それでさ、ここのウイルスはどうなったの?」


 その瞬間、ぼくの中の時間が凍りついた。ウイルス。それはここが封鎖される原因になったものだ。それはここが城壁に覆われた今も、一帯を漂っている。


 ぼくは言葉に詰まった。今この瞬間、父を殺したあのウイルスが、一海を蝕んでいるかも知れないのだ。


 その様子を見て、一海は微笑を洩らした。


「やっぱり、無くなった訳じゃないのね」


「・・・うん」


 ぼくは、ただ頷くことしかできなかった。


 ああ、なんということだろう。せっかく妹と再会することができたのに、その妹はあと数日で死んでしまう。確かあのウイルスの潜伏期間は約四十八時間だった。丸二日経ってしまえば、あのウイルスは必ず感染者を殺す。


「でさ、さっきから思ってたんだけど」


 悲嘆にくれるぼくを見ながら、一海はなにやらかわいいものを見るような眼でぼくを観察しながら質問をした。


「空人たちは、なんで生きてるの?」


「あ・・・」


 そうだった。ぼくは城壁ができる前にウイルスで死んでしまった人を見すぎていたせいで、自分たちのことを忘れていた。でも・・・。


「確かに、ぼくたち竜はあのウイルスに対する耐性を持ってる。だけど、城壁ができあがってから竜になった生物は、決して多いとは言えないんだ」


「へえー、それで」


「だから、あのウイルスは今でも生物にとって十分に脅威なんだよ・・・」


 ぼくが言い終わると、一海は少し考えるそぶりを見せてから、ニヤッとして言った。


「じゃあ、運が良ければ空人と同じ竜になれるんだ?」


 一海があんまりにも嬉しそうなふうに言うので、ぼくはたじろいてしまった。でも確かに、あのウイルスに耐性をもった生物はみんな竜になるけれど・・・。


「う、うん。まあ、そうだね」


「じゃあ、決まり!どうせこっから出られないんだからここで暮らす!空人も五年間ここで暮らしてるんだからいいでしょ?」


「う、うん」


 そして楽しそうに言う一海に気圧されて、ぼくはまたしても頷くことしかできなかった。







 はあ、あと二日かー。


 あたしは空人と一緒にニュートンという名前らしい馬の背に揺られながらため息を吐いた。ちなみにこの馬にはさっき木に突っ込んだときのような勢いはなくて、普通の馬と同じ速度で走っている。さっき空人が睨んだのが効いたのかな。なんだか悲しそうだったよ。


 さっきは勢いであんなふうに言ったけど、やっぱり不安だ。あれだけ人々を震撼させたウイルスの発生源で生き残れるかどうかなんてやっぱり自信ないよ。


 でも一方ですごくわくわくしている自分もいる。空人の紅蓮の鱗はすごくかっこいいし、他の動物だちと会話できるって考えるだけで楽しくなってくる。


 だから、これは賭けだ。一種の冒険とも言えるかも知れない。


 ああ、ちょっと考え方が狂ったかなぁ。なんかスリル中毒の人みたいだよ。


 あたしがそうやって想いを巡らせている間に、なにやら木で作られた建物の前にたどり着いた。


 ニュートンから降りて、その建物を観察する。


 多分立派なログハウスだった(、、、)のだろう。かなりの大きさだ。しかし、それは半分ほど完全にぶっ飛んでしまっている。まるでミサイルが突っ込んでしまったかのようなその有様に、あたしはもちろん、なぜか空人が茫然としていた。


 よく見ると、空人はピクピクと肩を震わせていた。どうやらすごく怒っている。そしてニュートンの方に向き直ったかと思うと、思いっきりニュートンをぶん殴った。


「このばかーーーー!」


 全く信じられない力だった。ニュートンは一般の馬と同じぐらいの体格で、人間よりもずっと重いはずなのに、その体が十メートルほども吹っ飛んだほどだ。


 そして何より驚いたのは、そんなに吹っ飛んだのにもかかわらず、何事も無かったかのように起き上がって、申し訳なさそうな雰囲気を醸し出したニュートンの頑丈さだった。


 ・・・ここの竜たちは絶対に怒らせないようにしよう。そう誓ったあたしだった。


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