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救われた世界で  作者: 千悠
01__少女との出会い
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極東先端科学技術研究所_02

 人工島の中を一台のバスが走っていた。

 バスが走る片側二車線の車道の左右に立ち並ぶ建物はそのどれもが見上げるほどに背が高く、地面からだいぶ離れた高い場所では、多くの渡り廊下が建物同士を複雑に連結させている。また建物の外壁が灰褐色に統一されたその光景は、都会にはよくある無駄な装飾が削ぎ取られているのにもかかわらず、逆に洗練された印象を見上げる人達に与えていた。存在する建物のほとんど全てが研究・実験施設であるこの空間には、その普段の生活とかけ離れた特異さから、まるで異国に訪れた様な錯覚すら覚えさせられる。

 空はよく晴れていて、時間はもうすぐ昼時だ。普通の街だったらそれなりに人が行き交いしている時間であるハズなのに、今見ている光景の中には人が全く存在していない。そもそも歩道らしきものが無いその静寂は、しかしこの灰褐色の世界ではとても自然な出来事であるように思えた。


「うおぉー! すげぇー!」


 ドスドスドスと。済が座る座席が興奮しきった夏漣に背後から蹴られまくる。あのなぁ、と小さく呟いた彼は、すでに血の止まった鼻にしわを寄せた。

 彼らの乗るバスの外見は、観光地などに行けばよく目にする観光バスとあまり変わりが無い。が、このバスを作りだしたのは国家のバックアップを受けて研究開発を日々行っている極研である。そのスペックは、一般旅行会社が所有する観光バスなんぞとは比べ物にならない物だった。

 まずこの大型バス、地表から僅かに浮いているのだ。

 乗車するときに、今回の見学会専用に作られたのだろうバス内の音声ガイドが言っていたのだ。なんでもこのバスは磁力の力で道路から僅かに浮き、走行中の振動を軽減する様に作られた物らしい。しかし実用するためには道路を全て専用の物に造り変えなくてはいけないらしく、コスト面で実現が難しい所をこの人工島で実験的に使用しているらしい。

 確かに言う通り、先ほどから道路を走り続けているこのバスだが、その振動は一切感じられない。先ほどまで乗っていたリニアモーターカーと同じように抜群の乗り心地だ。

 そして、それだけでも十分に乗る側には嬉しい設計のバスだが、特筆すべきところはそれだけには留まらなかった。

 驚きのポイントはその座席にもあった。

 こちらは完全に研究中開発中の代物らしいが、この座席は座った人間の体重や体格を自動で感知し、その人が一番乗り心地が良い様に座席のクッション部分が形を変えるのだと言う。

 超低振動かつ体に完全フィットした座席のおかげで、本来疲れる事もあるだろうバスでの移動は、しかしとても快適な物になっている。

 が。が。


(ケツがいてぇ……!!)


 人々の生活をよりよい物にしようと言う開発者たちの努力も、その人々の方がしっかり受け止めなければ何の意味も成さない。せっかくバスの走行振動が皆無であっても、せっかく座席の乗り心地が最高であっても、それらを消し飛ばしてなお余りある人間の蹴りを食らってしまえば、そりゃケツも痛くなる。

 「あ゛ぁぁぁまぁぁぁのぉぉぉ…………」と。快適な最先端バス移動を阻害された済は、小学生くらいだったら訳も分からず泣きだしてしまうだろう負のオーラを撒き散らしつつ、背もたれの上から顔をにょきっと出して後ろに座る夏漣を見下ろした。

 完全に眠りについている隣席の女子を尻目に一人はしゃいでいた彼女は、クワッ! と見開かれた済の眼を見、その異様な眼光に動きを止める。


「お、おやおや?」

「おやおや? じゃねぇんだよ。何度言ったらわかる。席を蹴るな。良いか? もう一度言うぞ? せ・き・を・け・る・な!」

「だ、大丈夫だよ。靴は脱いでるから」

「そうじゃねぇ! てか、そんな配慮はしといてなんで席を蹴る事はやめられない!?」


 本当に靴を履いていないその足と、足元に綺麗に揃えてある靴を交互に見やり、うおおぉぉぉぉッ!! と頭を掻きむしる。

 極まっている。頭の中が楽しいのもここまで極まったら災厄に等しい。

 たはは……、と引きつった笑みを浮かべる夏漣。済は溜め息を吐くと、顎を背もたれに押しつけて脱力した。


「いやーでも、テンション上がるでしょ?」

「上がるよ。確かに上がるが、お前の上げ方は迷惑極まりない」

「でもさー。女子でここに来た人って少ないし、話し相手もいなかったら一人で燃えるしかないのですよ」

「むぅ……」


 まあ確かに、彼女の言う通りだとは思った。

 ここは先端科学が集まる、言ってしまえばSFチックな場所だ。映画や漫画で出て来る様な、突飛な未来の姿こそ見ることはできないが、しかしそれでもそういった事に興味がある人間にとっては夢の様な場所だろう。

 けれどそれは、女子からしたらそこまで興味の対象にならないのかもしれない。それに第一、せっかくの夏休みを犠牲にしてまでこんな見学会に参加しようと言う殊勝な学生がそんなにいるかと言われれば、そこは素直に頷く事が出来ない。

 済達が通う高校は一学年でもそれなりの生徒数がいるが、今回の見学会に参加したのはその中のほんの一握りだ。『多少興味がある』程度の連中とっては、やはりこんな見学会よりも友達とカラオケなり映画なりに行った方がよっぽど有意義な時間の過ごし方になるのだろう。

 そう考えると……、女子の中で珍しく参加した彼女が一人で盛り上がっていると言うのは、なんだかとても寂いしい様な気がしてきてしまう。


「はぁ……」


 確かに席を蹴られるは最悪だし、それ以上にマナーが悪い。が、これ以上口うるさく言うのも少し下らなく思えてきた。


「なあ、天埜」

「ん?」

「あとでさ、一緒に回ろうぜ」

「え? あ、う、うん」

「だからその時まで、テンションは温存しとけや」


 そゆことで、と言い残し、済は席に深く腰を埋めた。ハイテンションの夏漣に付き合うとか、疲れるだろうなーと適当な事を考えて軽く笑い、欠伸をしてみたり。


「いんやー、キザだねぇ」

「は?」


 今までイヤホンを耳にはめ、夏漣とはまた違った方向で自分の世界に浸っていたハズの貴仙がニヤニヤしながらそんな事をうそぶいた。

 何言ってんだ、と済が眉を吊り上げると、彼はハハッと笑って片方だけ外したイヤホンをくるくると振り回す。


「ま、見学も何も、まずは昼飯からだな」

「ああ。なんか、一風変わった物が食えるとかって言ってたな」

「ゲテモノじゃなきゃいーけどなぁ。二次元なんかじゃありきたりな展開だが」

「ここは二次元じゃねぇよ」


   ◇


「いやぁ、美味かった!」


 ここはとある研究施設の一角にある食堂。普段はこの人工島で働いている人たちが利用するそこを、今回の見学会では生徒の食事場所として使用していた。

 施設見学の一環として提供された食堂では、当然ふだん研究員たちが食している食べ物を実際に食べる事が出来たのだが、済たち三人は揃って、最近開発されたばかりだと言う宇宙食を食した。

 あらゆる物が研究・開発されているこの場所では、食物科学の観点からいろいろな食材が研究されたり、それら食べ物が人々の食嗜好に与える影響等々を研究されていたりもする。その影響なのか、もしかしたらただの遊び心なのか、食堂のメニューには実に様々な物があった。

 一見して食欲をそそる様な物もあれば、え? 本当にこんな物が食べられるの? と言った様なゲテモノ。更にはもはやゲテモノを通り越して何が何だか想像が出来ず、それが逆に怖いような食品などが沢山あった。

 そんな中で発見したのが宇宙食。宇宙関連開発も当然の様に行われているこの人工島だ。そんな場所で宇宙食と言う、普段なかなか目にする事の出来ない食べ物を発見してしまえば、これは食べるしかないだろう。

 まあそのチョイスには、他の食べ物が明らかに地雷臭を漂わせていたから、と言う理由も大いにあるのだが。

 一風変わった宇宙食と言う特別な存在が、全く別ベクトルで突飛過ぎる食品群の影響によって一番親しみやすくなってしまっていると言う不思議な現象。極研、恐るべし。


「宇宙食って本当に美味いんだな」

「ねー。コロッケがこんなにサクサクなんて、ビックリしたよ」

「はっはー。ピザも良い感じにチーズがトロットロだったなぁ、こりゃすごい」

「けどさ、お前ら」


 済は同じテーブルに腰かけた二名に、その食した皿を指差して言う。


「せっかくの宇宙食だぜ? 国際的な食べ物だぜ? ピザとかコロッケとか、芸が無さ過ぎるとは思わないのか?」


 そんな事を言う済が食べのは、カンガルーの肉である。オーストラリアでは普通に売っている食べ物ではあるが、日本で食べることは難しい。そんな理由があってのチョイスだ。

 が、しかし。


「えぇ~……。カンガルーはさぁ、見るのは良いけど、食べるのはなんかイヤって言うかぁ」

「美味かったのか?」

「いやいや、美味かったって。凄い柔らかかったぜ?」

「んー。でも、やっぱ安定した味って、重要じゃん?」

「……いや、そうだけど」

「私的にも、やっぱり挑戦して失敗するより、なんていうの? 普段食べるもので比較してみたいとかさ、いろいろあるよねー」

「そそ。なんたって、ジャンクフードがコレだけ世界中に広まってるんですよ? わざわざ冒険する必要ないってぇの」

「…………そうかなぁ」


 なんか違う気がするけどなー、と。いまいち好奇心に欠ける貴仙と夏漣の食事に一人首を傾げてみるが、まあ仕方ない。所詮人の考え方は十人十色だ。

 壁に掛かった時計を見ると、そろそろ食事の時間は終了だった。周囲の他の座席では、すでに片づけを始めている連中がちらほらと見受けられる。


「そろそろ片づけるか」


 そだね、と夏漣が頷いたところで、三人は食器の並んだそれぞれのトレイを手に席を立った。三人は食事を受け取ったカウンター近くにある食器返却所へ。

 『食器返却』とプレートが吊るされたそこの壁には、なにやら鉄の板が嵌めこんであった。どうやらそれは壁の中に埋め込むように設置された大型食器洗浄機らしく、その表面には数種類の、今ではだいぶすたれてしまったポストの投稿口の様な返却口があった。食器の種類ごとに皿を入れるべき場所は違うらしく、指定された返却口に指定された食器の端を軽く差し込むと、あとは食器洗浄機の方が皿を呑みこむように内部へ取り込んでいく。

 その光景を見、実際に食器を返却してみて、家庭的自炊少年・神彅済は密かに感動する。


「すげぇ。こんなデカいのがあったら、食器なんてあっという間に洗えるんだろうなぁ」


 彼は家で食器を洗う時、アナログにスポンジと洗剤でごしごしと洗っている。夏のこの時期にはまだ許せるその作業は、しかし冬場になると泣けてくるほど辛い仕事だ。台所の広さの問題で小型の洗浄機すら買えないでいる彼にとって、こんなモンスター洗浄機はまさしく憧憬どうけいの的だった。


「おーい、済ぅ。主婦モード全開の所悪いが、後ろがつっかえてんぞー」


 主婦モード全開出力中だった済の背中を、貴仙がトレイの角でグイグイつつく。「あぁ、悪い」と言って彼がその場をどくと、き止められていた人の行列がスムーズに動き出した。

 ぽっかり口を開けた返却口に皿が気持ちいいほどスムーズに飲み込まれてゆくのを、とても名残惜しげに見つめていた彼だったが、やがて貴仙と夏漣が合流したところでその視線を剥がす様に食堂出口へと持って行く。

 そろそろ昼食の時間も終わり、見学が本格的に始まるだろう。


   ◇


 その時学者たちは、今これから行われようとしている『冒険』の行方を固唾を呑んで見守ろうとしていた。

 常日頃から未知の世界へ自らの足を踏み入れようとしている彼らにとっても、これから行われる行為は全く何が起こるかわからない、まさに『冒険』と称するに他ない物だった。

 成功するか。

 失敗するか。

 成功した時、果たして彼らを含めた人類はどうなるのか。

 失敗した時、果たして彼らを含めた人類はどうなるのか。

 その問いに答えを出せる者など、ここには誰一人としていない。恐らくこの世界を見渡しても、そんな生き物は存在しないのではないだろうか。

 ――――――ただ一つ、『神』と呼ばれる存在を除けば。


「脳波に異常は見られません。各種神経系も異常なしです」


 モニターを見つめ、額に緊張の汗を薄く浮かべた若い青年が言う。彼が見つめるその先には、黒の色彩を背景に、緑や赤の波形が目まぐるしく明滅するグラフにも似た物が映し出されていた。

 その報告を受け、デスクに重く腰かけていた男がゆっくりと立ち上がる。短く切りそろえた白髪の多く混ざる髪をオールバックに固めたその男は、気付かぬうちにずり落ちていたメガネをしっかり掛け直しつつ、部屋の前面――――――壁一面に張られた強化ガラスに歩み寄ると、その先に見える隣接された広大な部屋の中央を見つめた。

 見つめる部屋の中央には、理科の実験で使われるビーカーをそのまま、人が一人入れるほど大きくした様なガラスの円柱が聳えていた。ガラスの表面はその全てがタッチパネルの様に使用でき、それを表すかのように表面全体には数多くの半透明なウィンドウが浮かび上がっている。

 他と同じように白衣に身を包んだ従業員数名が、そのウィンドウをタッチで操作し続けていた。そしてそんな学者たちが触れる巨大ビーカーの中は青白く輝く不可思議な液体で満たされており、さらにその中央では――――――、


 ――――――純白の、病院服にも似た衣服に身を包んだ一人の少女が、深い眠りに就いていた。


 ふと、ビーカー表面で操作を行っていた学者の一人が、その耳にはめた超小型の無線イヤホンマイクに手を添えた。


『検体にも異常ありません。通常通り、生命活動を続けています』


 強化ガラス一枚隔てたこちらの部屋に、スピーカーから鮮明な声が響いた。ガラスのすぐ手前で作業の様子を見つめていた男は、自身の白衣の襟元に取り付けられた、一見すると学校の校章程度にしか見えないマイクに向けて言う。


「よし、良い手際だ。すぐにこちらへ引き上げてくれ」


 了解しました、と。返事が返ってきたのを最後に、彼らの通信は終わった。

 風の吹かない日の湖面の様な、張り詰めていて、チョットした事で崩壊してしまいそうな脆い静寂に包まれるモニター室。その隣の部屋では、先ほどまで『検体』やその身体を包む不可思議な液体の調整を行っていた従業員達が早々に撤収を始めている。


「電気信号の切断完了。マニュアルに切り替えます」


 男の後ろで、女性スタッフが告げた。

 今この瞬間から、ビーカーの中で眠る少女の体は、そのビーカーの中で眠っている間においては、男たちの送る電気信号でしか全身を動かせなくなった。脳から送られるオリジナルの信号はその全てが遮断され、代わって不可思議な液体を媒介として送られた電気信号が彼女の五臓六腑を含めた全身を支配する。

 心臓の拍動数も、横隔膜の運動から起こる呼吸のリズムも、各種臓器が分泌物を生成しようとするその運動も。

 そして、液体を媒介として送られた電気信号は肢体の先々にまで仮想の感覚を与え、それが逆算的に脳の活動をも支配する。


「――――――始めるか」


 男が言う。

 電気信号の送受を行うその不可思議な液体を介し、少女から『データ』を抽出するために。



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