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救われた世界で  作者: 千悠
01__少女との出会い
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極東先端科学技術研究所_01

「あ、ヤバい。ティッシュくれ」


 生徒たちの喧騒の中にも、これから訪れようとしている未知への期待が見え隠れしているリニアモーターカー車内。二人掛けの席の窓際に座り悪友の貴仙と談笑をしていた済は、ふと鼻の奥から何やら温かな液体が流れ出てくる感覚を覚えるのと同時、咄嗟に左手で鼻を押さえる。

 隣の席でジュースのペットボトルを傾けていた貴仙は仕方なしと言った様子でジーンズのポケットを漁ると、その中から駅前でもらったポケットティッシュを引っ張り出す。不格好にひしゃげたそれの封を開け、真っ白なティッシュを一枚取り出すと「はいよ」と隣で鼻を押さえる済にそれを差し出した。


「悪い、サンキュ」


 貴仙から受け取ったティッシュをすぐさま右手で鼻にあてがう。右手と入れ替わって自由を得た左手に視線を落としてみると、その指先は真っ赤な血の色に染まっていた。

 うっ……、と思わず顔をしかめる済。その様子を隣で見た貴仙が、にやぁっと笑ってクネクネと身体をよじらせる。


「あぁらもう、イヤらしい。真っ昼間からなぁにを御想像なさってたんですかぁ?」

「うるせぇ、馬鹿が」


 はっはっはー! と顔を指して笑う貴仙の手からティッシュをもぎ取り、済は丸めたそれを鼻の穴へと突っ込んだ。左の穴から丸まったティッシュを曝け出させている男子高校生の顔に、周囲の席に座っていた同年代の少年少女たちの視線が一斉に集まる。その視線はどれも押し並べて控えめな物ではあったが、瞳の中に輝く光は明らかに済の鼻血ブー状態を嘲笑していた。視線から鼻を隠す様に、済は車窓の外へと顔を向ける。

 東京都からまっすぐ海上に伸びたレールの上を走るリニアは、東京都沿岸に生み出された大規模人工島――――正確にはそこで運営されている『極東先端科学技術研究所』に向かって走行している。

 磁力の力を利用して動く車体は揺れが全く感じられない。車窓から海は青く深く澄んでいて、乗り心地はまるで遊覧船に乗って海上を散歩している様だった。


「はぁ……」


 小さく重い溜め息が口から漏れる。まったく、なんてついていないのだろう。

 事の原因はエアコンだった。昨日の夜は泣く子の涙も干乾ひからびる程の熱帯夜で、そうでなくても暑い夏の時期である。済は寝る時、いつものようにエアコンを付けたまま眠りについたのだ。

 昨日は本当に暑かった。だから、いつもなら冷房温度も少し高めでエコかつ電気代の節約を行っている所を、昨日は奮発して設定温度もいつもよりグンと下げ、ダッシュ運転昨日も駆使して思いっきり部屋の空気を冷やしてやった。そこまでは良かった。立っているだけで汗がナイアガラ状態になる部屋が、瞬く間にオアシスへと姿を変貌へんぼうさせた。

 が、詰めが甘かったと言うべきか。いつもだったらある一定温度まで気温が下がったらドライ運転になるよう、しっかり設定をするのである。しかし昨日は、それを忘れていた。

 暑かったから、早く冷やしたかった。その想いが先行するばかり、冷やす事ばかりを考えてその後の事が頭から抜け落ちていたのである。

 今使っている物よりもう少しでもエアコンの型が新しければ、熱源感知センサーとか言う地球にやさしくて人に甘い機能が室温のみならず湿度や、送風方法などを変化させて彼の体を守ってくれたハズだ。自動で設定温度を引き上げてくれたハズだ。

 が、悲しいかな。済が使っているエアコンは型が一回りも二回りも古いのである。そんなエアコンに、使用者の体温を自動で保ってくれる機能が付いているわけがない。

 まあ、つまるところ、風邪を引いた。それだけだった。

 鼻に突っ込んだティッシュの具合を確かめつつ、済は隣に座る貴仙に残ったティッシュを返却する。


「ほんと、どうしたんだろうな、俺」

「ん? いやいや、男だったら仕方ない事だと思うぜい?」

「うるせぇ! 人の不幸は蜜の味ってか? あぁ?」

「まあまあまあ。そう興奮するなって。右の穴からも血が出るぞ?」

「くっ……。はぁ……」


 なんだか馬鹿らしくなり、再び溜め息。鼻をかみ過ぎたのかなー、と。済は座席の傍らにあるダストボックスに視線を落とした。そこには、彼がリニアに乗ってから今まで使用した鼻かみティッシュが、読んで字のごとく山を成していた。まあ確かに、コレはかみ過ぎかもしれない。粘膜が悲鳴を上げても仕方ない気がした。


「でもさあ、本当にそう言う事考えてると、鼻血って出るものなのかね」

「さぁなぁ。まあ確かに血圧は上がるんだろうが、んー。粘膜がもともと弱い人とかの場合じゃなんじゃないか?」

「なるほどな。そんな気がする」

「で? 本当のところは誰を想像してたん?」

「少しは黙れないのか?」

「もう、シャイだなー、済っちは」

「誰だ!」


 右の穴の奥からもざわざわと不穏な気配を感じ、済はぴたりと動きを止める。叫んだ拍子に右側の鼻もご臨終したのかと僅かに焦るが、出てきたのがただの鼻水だったのでとりあえず安堵。なんか勝手に悔しがっている隣人については全力でスルーすることにした。


「そうそう」

「ん?」


 飲み干したペットボトルで前の座席の背もたれをドラムよろしく叩きつつ、貴仙が呟く。


「チョコを食べ過ぎると鼻血が出るって言うだろ?」

「ああ、言うな」

「アレって、実は単なる言葉の聞き間違いなんだぜ? 知ってたか?」

「いいや、知らない」

「どういう聞き間違いだか、知りたいか?」

「いや、別に」


 スパンッ! と。貴仙の手に握られた空のペットボトルが済の額を打ち抜いた。まるで電流の様な痛みがびりびりと額を中心に広がり、鼻の奥がツンと痛む。今度こそ右側も崩壊したと訪れる羞恥の試練を覚悟する済だったが、実際には右側の穴からは何も出てこず。

 ヒリヒリうずく額をさすりながら、彼は隣に座る貴仙を睨む。


「何しやがる、この野郎!」

「うるせぇ! ったくお前はノリが悪すぎるぜ? そこは普通、聞きたい、聞きたいです! って懇願するのが順当な流れだろうがッ!!」

「何故に俺が怒られる!?」


 ブワァーカ! そんなノリだから女子にモテないんだよ! とか喚く、同じくモテた事など一度も無い自称茶髪少年。

 『VS飼い猫にさえモテない大変可哀想な男の子戦』は、決して広くはないリニア車内にささやかな波紋を生み出したとか、そうでもないとか。


   ◇


 夏休みが始まってすぐの平日を使用しての今回の見学会。希望者参加型のこの企画には、もちろん済が通う高校とは異なる学校から、小・中・高校生問わず多くの学生が参加していた。

 風紀の問題から小学生グループは小学生グループの、中学生グループは中学生グループの……、といった具合で乗車するリニアも分けられていたわけだが、その中で最も発車が早かった高校生御一行が詰まったリニアが早くも海上の人工島へと到着したようだった。

 それぞれが通う学校の制服を着込んだ学生達が、リニア車内から続々とターミナルへと雪崩出す。

 血気盛んな学生達が押し合い圧し合いの攻防を繰り広げる濁流の中を、例に漏れず済と貴仙も人に流されまいと他校生を掻きわけながら進んでいく。こんな不慣れな場所で、しかもやってきている連中の在籍校がバラバラとくれば、いくら教職員達が声を張り上げていても一定の混乱を招く事はどうしても避けられない。

 教職員から事前に言われた通りにターミナルを進むと、やがて開けた空間の隅っこに見知った制服の集団があった。背伸びをしたまま人込みに怒鳴りかけている教員を目印に進む二人は、暑苦しい人混みを脱すると集団の最後尾でヘタレ込んだ。


「いやー、あっついなぁ。こんな真夏に勘弁してくれってのよぉ」

「こりゃ引率の教員陣も大変そうだな」

「だなぁ」


 こうしている今も、職員達は忙しなく人混みへと声を投げかけていた。今現在を持って済の通う学校の生徒達はそれなりに集合を終えているようだが、それでもまだ完全に頭数が揃ってはいないようである。人混みの中に川瀬の様に佇んで声を張り上げている教員の姿を見ると、正直にねぎらいの言葉をかけて上げたくなってくる。

 額にうっすら浮かんだ汗を拭いつつ、ワイシャツの襟元をバサバサと煽る。そんな済の肩を、とんとんと叩く手があった。


「やあやあやあ、御二人さん。お疲れ様だね~」

「おお、天埜か」


 振り返るとそこには、人の波でごった返して蒸し暑いターミナル内でも元気溌剌げんきはつらつな夏漣の姿があった。


「あれ? 済君、鼻どしたの?」


 どこぞのお偉いさんのモノマネなのだろうか、手を腰の後ろで組んで悠然と胸を張っていた夏漣は、次の瞬間には目をパチクリさせて済の鼻に詰まったティッシュを指差していた。

 あっ……、と鼻を隠す事にも顔を背けることにも失敗した済はコレをどう説明しようかとうろたえる。そんな彼を押し退けてにやっと笑ったのは、やはり悪友の貴仙だった。


「いやぁ、済のやつ、真っ昼間から良からぬ事を想像しちゃってたんですよぉー」

「な、なにー!?」

「馬鹿は黙れ! そして天埜、お前も信じるな!」

「でも、許してやってくれよ、夏漣たん。優等生の済だって、男の子なんだから」

「むむぅ……。女の子としてはなかなか難しいところだけど、まあ取りあえずたんはいらないぜ!」

「…………もうなんでもいいや」


 無我の境地に至る事にした。


「そうそう、夏漣たん。チョコを食べるとなんで鼻血が出るって言われるか、知ってるかい?」

「うふふー。次たんって付けたら鼻血ブーの刑だからねー」


 えー、マジでー? うん、マジだよー、と。ネジの緩んだ会話が展開されるのを、仏陀ブッダモード突入中な済は生温かい眼差しで見守る。

 「で、知ってるか?」と言う質問に対し、夏漣は首を振って答えた。そこからすぐに「なんでなの?」と聞き返す所が、彼女が万人と仲良くなってしまう理由なのだろう。


「なになに? どうしてなの?」

「ははー。知りたいだろ? 知りたいだろ!?」

「超そそられるぜ!」


 瞳を爛々と輝かせる夏漣に、思わず済の仏陀モードも切れかける。なかなかどうして、彼女には食欲増進能力以外にも人の興味を引かせる能力さえ持ち合わせているようだ。

 コマーシャル出ろよ、と心の中で呟く済。その手前で、にんまり顔の貴仙はいちいち人差指をピンと立て言う。


「チョコレートには牛乳が使われているわけだがな? 当時の日本人はそれを聞いた時、『牛のちち』を『牛の』と聞き間違えたわけだ。んで、体内の血液量が増えるから、鼻血が出るーなんて、訳のわからない事を言い始めたと」


 どうだ? 滑稽こっけいな豆知識だろ? と。なんだか一人だけテンション上げちゃってる守堂貴仙。しかし彼は気付いていない。


「(いやー、想像以上にどうでも良かったなー)」

「(だね。何をそんなに得意げになってるのかわかんない)」


 彼にとってはとっておきなのであろうネタを開陳した貴仙は、それはもう満足そうに頬を綻ばせている。

 が、しかし。その豆知識の内容はなんだか物凄く、聞いた事を軽く後悔するくらいにどうでも良かった。こんな事で貴仙をご機嫌にさせてしまった自分達が、逆に変な罪悪感を覚えるくらいに詰まらなかった。


「お、おや? どぉして二人ともそんな、子供にサンタさんの存在について尋ねられた親みたいな顔を?」

「いや、何でもない。何でもないぞ、なあ、天埜?」

「そう、何でもないんだよ、守堂君。大丈夫、何でもない」

「絶対に何でもあるだろ!?」


 どうして白けたみたいになってんだ!? と。自らの過ちに気付いていない貴仙は半ば必死になって済達に問い詰める。

 だがとっても大人な済と夏漣は「良いんだよ、良いんだよ」とその肩にそっと手を置いて優しい笑みを浮かべてやる。そう、時に大人は、子供を傷付けないためにも嘘をかなくてはいけない時があるのだ。



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