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救われた世界で  作者: 千悠
01__少女との出会い
7/14

夏のとある日_06

「自分でも自分のテンションがわからないときがある……」


 スーパー北島を離れ、数分歩いたところにあった寂しい公園の片隅。これまたひっそりと設置されていたベンチに腰掛け、済はひたすらがっくりと項垂れていた。


「悪いな、天埜。俺がふがいないばっかりに卵をゲットしそこねちまった……」

「ぜ〜んぜん気にすることなんてないよ。なんたって相手はあの主だからね。初見の済君に、あの人の相手をしろって方が酷さ」

「まあ、そう言ってくれると助かるけどさぁ」


 隣に座る夏漣に弱々しく笑い、済は傍らに置いたスーパーの買い物袋を持ち上げた。

 透明のビニール袋に入っているのは、つい先ほどスーパー北島で手に入れた今日の戦利品である。風に小さく揺れたそれはか細い声でカサリと鳴くと、まるで頼りなく済の手の中でふらふら舟を漕ぐ。

 はぁ、とひとつ溜め息。卵、欲しかったなぁと口の中でぼやいてはみるが、今となっては後の祭り。主が放つ気迫に負けた自分が、ただただ情けない。

 飼い猫の気迫にまで負けて飼った特上マグロ缶。そのラベルに印刷された品の良い猫が、無機質な目で済を見つめる。

 ――――お前、ショボいな。


「済君、ほんとに大丈夫かい?」

「……きっと」

「ま、それなら大丈夫だね〜」


 言った彼女は「よしょっ」と小さい掛け声とともに、跳ね上がるようにしてベンチから離れる。くるりと振り返った彼女は彼女自身の戦利品の重みを確かめるようにギュッとビニール袋を握り締め、小さく首を傾げた。


「済君は、まだ買い足りない物とかある?」

「ん? あぁ、そういや電球が欲しいんだったっけか」

「そっか。じゃあ、とりあえず駅前まで行こうよ。おっきい電気屋さんもあるしさ」

「そうだな、そうしよう」


 済は深く頷いてから立ち上がると、ひとつ大きな伸びをした。

 夏の日差しはまだまだ長く、午後五時を間もなく回る時間になっても空は青かった。幸い、空の向こうに立ち込めていた入道雲の動きは遅く、彼達が買い物をしている間を夕立が襲う、などということは無さそうだった。

 夜になるまで元気な蝉の鳴き声を振り払うように視線を空から夏漣に向け、ゆっくりとした歩調で歩き出す。


「んじゃ、行きますか」


   ◇


 来た時より少し早めに歩き、おおよそ一○分ほどで駅まで辿り着いた二人は、それから駅ビルに隣接された、近所では最も大きい家電量販店のビルへと足を踏み入れた。

 夏の時期の家電量販店売り上げの大半を占めるエアコン群が雁首がんくびそろえて出迎える店内は必要以上に冷やされていた。が、しかしそれは展示される最新式エアコンが稼働しているわけではなく、フロアに備え付けられた、だいぶ旧型の大型業務用エアコンが稼働しているからなのだ――――――という事を済が夏漣に言うと、彼女は「うえ~。めっちゃケチじゃん!」と店側の営業に難癖をつけ、そこからしばらく議論が続いた。その論点はおもに電気代に関してのことである。どこまでも家庭的な高校生だ。

 そして彼らは、済の目的の品である電球が売っている建物の四階までエスカレーターで昇るさなか、今度は最近新たに発売されることになった、ケータイの外面に取り付けられた投影機から宙にディスプレイを投影できるとか言う、なんだかSFチックな新機能を搭載した携帯が売られているのを見つた。主に夏漣が迷うことなくエスカレーターを三階で途中下車。そこまで急いでいない済もまた、その後に追随する事になる。

 携帯コーナーに置かれた実際に電源が入る見本を手に取った夏漣は、目を見開いてキラキラさせると、タッチパネルを女子の速度で操り、ケータイのメニュー画面を空中へ投影させたりと大喜びだった。が、実際に投影されたそれは、決して人の指で触れる事の出来ない、単なる立体映像(・・)だった。実際に操作する際は、投影機に付属されたセンサーが、指の位置を確認して操作を確認するのだと言う。

 ここで再び議論。

 「やっぱ、SFチックな部分を売りにするんだったら、実際に触れなきゃナンセンスだよねー」というのが夏漣の主な主張で、「ナンセンスって言葉自体がナンセンスだけどねー」というのが済の返答であった。

 そんなこんなで、指がディスプレイに触れた感覚を再現するグローブを開発すれば良いよ、とか、音声認識入力は結局なんだったんだ、とか、ていうか人間が電波の送受信出来たら楽だよね、とか、だったらアホ毛伸ばすか、とか、まぁ底抜けに下らない会話でおおよそ三○分を費やし、ようやく彼らが量販店の四階やって来た時には時計の針が午後の六時を指していた。

 そして、済がお目当ての、少し型が古目なLED電球を買い求め、再び蒸し暑い外界に戻って来た時にはようやく空がオレンジ色に染まり始め、帰路につく人の影も次第に多くなり始める時間帯になっていた。


「いや~、疲れたねぇ」

「まあなぁ」


 言って済は、両手に提げた買い物袋を掲げて首をすくめて見せる。


「ごめんね、済君。スーパーには、駅前での買い物を済ませてからの方が良かったんだろうけどさ。それだと、セールに間に合わないかもしれなかったから」

「いやいや、平気だって。それよか、そっちだって疲れたろ」

「ふい~。明日は腕、ぱんぱんかなー」

「それは嘘」

「…………心外ですな」


 「コレでもか弱い乙女なのだよ?」などと笑う彼女。いや、自分でコレって言ってるし……と思わなくもない済だったが、そこはとりあえず見逃しておく。

 二人して、どちらとも無く見せ前から歩き出す。しばらくの間無言で歩き続ける彼らの足は、自然とバスの停留場へと向けられていた。

 このまま、流れで解散かなぁ、などとぼんやり済が考えていると、その二の腕を、夏漣の細い人差し指がつんつん、とつついた。


「ん?」

「あ、あのさ」


 半歩後ろを歩いていた夏漣を振り返る。彼女は僅かに視線を俯かせ、何か言葉を探すようににそわそわと身をよじらせていた。

 「どしたのさ」と済が会話の続きを促すと、彼女は俯き加減のまま、首をくいーっと傾げる。そしてどこか苦笑にも似た笑みを浮かべつつ、口をとがらせて言うのだった。


「いやぁ。ちょっと疲れちゃったからさ~、お茶してかない? ――――なぁんて……」

「お茶?」

「うん。ティーだよ、ティー」

「ん~……」


 済はチラリと、両手に提げた買い物袋に目をやる。戦利品の一つである長ネギがひょろりと突き出たそれの中には、急いで家に帰り冷凍庫に仕舞うべき冷凍食品も含まれていない。

 家に自分の帰宅を待つ人間がいない(佐藤さんは例外。待たれているかも不明だが)済としては、もう少しここでぶらぶらしていてもなんら問題は無いのだが……。


「いや、俺は構わないけど。そっちはどうなんだ? その買い物、頼まれた物じゃないのか?」

「いやいやいや、私こそ平気ですから、はい。て言うか、誘った本人がアウトとか、面白過ぎるでしょ」

「まぁ、そうだわな」


 うん、と頷く済。その顔を、腰を軽く折った夏漣が下から覗きこむ。


「じゃあ、オッケー、ってことで?」

「おう、良いぜ。レッツ・ティー」


 済が言うか早いか、全く意味不明な英語もどきを発したにもかかわらず、それに関しては一切触れる事のなかった夏漣の頬がにこーっと綻んだ。

 そしてぴょん、と飛び跳ねるように折り曲げた腰を伸ばすと、彼女は手に持った買い物袋を軽くスイングさせ、それで済の尻を叩く。


「いえーい、ティーだぜティー!」

「コラやめい。ツナ缶の角が痛いぞ」

「おっと失礼」


 言う彼女の声は、心なしか上機嫌だ。今にもスキップし始めそうなテンションの彼女は済の前まで歩み出ると、くるりと済を振り返った。

 宙を舞った彼女の髪が、遅れてさらりと波を打つ。夕日に照らされ淡いオレンジ色を帯びた髪から、僅かに甘い匂いが漂ってきた。

 両目を細めて微笑む彼女は、歌うように言う。


「じゃ、ファミレス行こうぜ」

「オッケー」


 夏漣に導かれるようにして、済は再び歩き出す。駅に向かって流れる人の波を逆らうように進んだ彼らは、一本の横断歩道を渡ると、やがて駅から少しだけ離れた場所にあるファミリーレストランまでやってきた。

 そのファミレスは建物の一階部分が駐車場になっていて、飲食を行う店本体は階段を昇った二階部分だ。レンガを模した様なタイルが敷き詰められる、洋風な雰囲気をかもし出す階段を揃って登り、『PULL』と目線の高さにプレートが掛けられた扉を引く。

 センサーが二人の入店を感知したのか、店内全体に小さなチャイムが鳴り響く。二人の元に眩いばかりの笑顔でやってきた店員に「何名様でしょうか」と問われ、二人は人数を告げると、店員の後を着いてゆくようにして店内を進む。

 二人が案内されたのは、窓際の四人掛けのテーブル席だった。一つのテーブルをはさみ、最大二人で腰かける事の出来るソファーが向き合うように据え置かれている。

 その片方ずつに座り、荷物を残りの空席に。ふぅっと息を吐いてから、済は背後の背もたれに背中を預けた。


「さぁて、なにを頼むか」

「そうさな~」


 メニューをパラパラと適当にめくる済の手前、夏漣はほくほく顔でメニューの一番後ろ、スイーツ系商品のページに目を走らせている。

 やっぱり、彼女も女子なんだよなーなどと、『彼女いない歴=実年齢』である済はかなり失礼な実感を抱きながら、自分こそなにを頼もうかと眉根を寄せる。試しに夏漣と同じページを捲ってみて、ふと視線を奪われる。きらびやかにプリントされたデザート群の写真たちは、どうしてか美味しそうに見えて仕方ない。とりわけ、ド派手に宣伝されるパフェなんぞを見た日には、乾ききった喉をゴクリと無意識のうちに鳴らしてしまう。コレが宣伝の力なのかと驚愕する済。

 と、夏漣が不意にメニューから視線を外し、ニヤリと笑ってから楽しげにうそぶいた。


「ふふ~ん。今は女の子が同席だから、パフェを頼んでも怪しまれないぜい?」

「まぁたまた。なにを仰るんですか夏漣さん。わたくしはれっきとした男の子ですよ? そんな、作り話の人間でもあるまいし、パフェなんかどうだって――――――」

「へぇ、そっかぁ。いや~このファミレスのパフェ、なかなか美味しいからさー。それに済君、こないだ甘い物は嫌いじゃないって言ってたし、どうなのかな~って思ったけど。いやいや、余計なお世話でしたね」

「…………おうおう。悪いな、余計な気ぃ回させちまって」

「ま、私はパフェ、頼むけどね~」

「…………………………………………」


 言って夏漣が指差すのは、メニューの中央にプリントされた、得体のしれない甘ったるそうなクリームやトロトロチョコが何層にも積み重なり、更にその上にホイップクリームやバニラアイス、イチゴやパイナップルなどがトッピングされたパフェだった。

 ゴクリ、と喉が鳴る。美味しそうだった。

 普段なら、ここまでパフェに心を奪われる事は無かっただろう。が、ただでさえ外は蒸し蒸しと暑いし、ぬしとの邂逅かいこうでは精神的にも応えたし、重たい荷物をここまで持ってきた体は今、必要以上に糖分を欲していた。

 「くっ……」と思わず唸ってしまう。


「待て、俺、待つんだ。ここでパフェを頼んだら、なんか負けてる気がするぞ。まてまてまてまてまて。女子が一緒だからって安易にパフェを頼んでしまう、普段からファミレス行くとパフェのことしか考えられなくなるしょーもない奴だと思われても良いのだろうか。いや、良いわけがない」

「反語?」

「くぅ…………。どうすればいいんだッ!」


 頼めば良いじゃない。


「ねぇ、早くしようよ~。日が暮れちゃうよ?」

「…………いや、リアルな時間帯だからな、今」

「良いじゃん、パフェ頼めば。我慢は体に毒だぜ?」

「むぅ……。仕方ない、いや本当に仕方ない。もうすぐ日が暮れてしまうから、とりあえずパフェにしておこうカナ」

「食べたいだけのくせに」

「………………………………うん」


 ピンポーン、と。おかしそうに笑った夏漣がテーブルに置かれた注文ボタンを軽く押す。「はーい」という明るい返答の後にすぐ、ウェイトレスが小走りでテーブルまでやってきた。

 夏漣は慣れた様子でオーダーをし、ぱたんとメニューを閉じるとウェイトレスが戻ってゆくのを見届けてから済へと向き直った。


「今日はさ、ありがとね」

「ん? 何がだよ」

「いや、お買い物に付き合ってくれてさ」

「あぁ、そんな事か。いや、別に構わねぇって。俺も、安く食品買えたしさ。逆に感謝だな」

「そっか。じゃあ、そう言う事で」


 それからしばらく会話に興じていると、やがて先程と同じウェイトレスがパフェを二つお盆に載せてやってきた。

 済と夏漣、二人の前に一つずつ置かれたパフェ。夏漣は「いっただっきま~す」と元気よく挨拶すると、パフェと共に用意された柄の長いスプーンを目の前の獲物に突き立てる。

 そんな様子を視界の隅に収めつつ、済はゆっくりとスプーンを持ち上げる。色とりどりの果物やクリームがタワーと化したそれはまるでオブジェのようであり、そこにスプーンを差し込むことが僅かに躊躇ためらわれた。が、この甘い事この上ない食べ物を早く味わってみたいと言う気持ちもなかなか抑える事が出来ず、済は恐る恐ると言った様子でスプーンを握り締めた右手を動かす。

 バニラアイスの部分をすくう。ゆっくり、口へと運んだ。

 初パフェ体験の瞬間である。


「――――! うまい……!」

「へっへー。でしょでしょ?」


 こくこくと頷きながら、済はスプーンを更に深くへと沈める。クリームやチョコレートを引き上げる僅かな抵抗を物ともせず中身をすくい上げると、すぐさまそれを口に頬張る。

 バニラの爽やかな甘みと、ほろ苦いビターのチョコとが混ざり合ったその甘味は、汗を掻いた体に染みいるようだった。口内に広がる喜ばしい味にこの冷たさ。そしてどこか可愛らしいその外見。なるほど、世の女性がパフェを好んで食べるのも、納得がいってしまう。

 人生初だったパフェは、夏のうんざりする気候もあり、あっという間に済をとりこにしていた。済とは違う、こちらはイチゴがメインであるパフェを頬張る夏漣の頬も、そのままとろけてしまうのではと心配になるほど緩みに緩みまくっていた。

 しばらく、無言でパフェをがっつく済。タワーの様だったそれのおおよそ半分を平らげた所で、ようやく吐息にも似た優しい息を吐いた。


「いやー、あなどってたなぁ、パフェ。こんなに美味いとは思わなかった」

「良い食べっぷりだね~」

「こりゃ止まらんよ」


 すくい上げる様にバニラクリームとチョコクリームが混ざり合ったそれをスプーンに乗せ、口に運んだ。美味い。


「あ。ねえねえ、済君」


 スプーンから口を離した夏漣が、ふと言った。スプーンをパフェグラスに突っ込んでいた済は「ん?」と顔を上げ、夏漣の顔を見つめ返す。

 夏漣は長いスプーンをグラスの中に立てると、口元を紙ナプキンで拭きつつ言う。


「もうすぐ夏休みだけどさ、済君はアソコに行くの?」

「アソコ……?」

「ほらアレだよ。『極東先端科学技術研究所』」

「ああ、はいはい」


 済は頷いてから、椅子に深く腰かけなおした。


「それ、丁度今朝も貴仙の奴と話してたんだよ。俺ら二人、行こうかどうしようか迷っててさ。なに? 天埜は行くのか?」

「うん、そのつもりだよ。だってこんな機会もう無いかもしれないからさ」

「マジか。へぇ」


 言って、パフェを底から大きくすくう。スプーンの先に乗ったそれを見つめながら「う~ん」と唸った。確かに、彼女の言う通りである。

 極東先端科学技術研究所。通称『極研きょくけん』はアジアが誇る最大の科学施設である。名の通りアジア各国が共同で運営するその施設はこの夏、突として一般人に向けて施設の一部公開を発表したのだ。

 何でも、「子供達に高度な科学技術に触れてもらい、また身近な科学を通してなんちゃらかんちゃら云々(うんぬん)……」と。先方はまあありきたりな理由を述べている。

 真意の程は分からないが、それまで決して公開された事の無い場所であり、今まで数多の科学技術を世界に発信してきた場所だ。この見学会を逃したら、生きている内に『極研』に行きたくば恐らく、死ぬほど勉強をして実際に『極研』を仕事場とする科学者にならなければならないだろうし、そう考えると、興味が僅かにでもあるのにこのチャンスを逃すのは恐ろしく馬鹿らしいのも事実だ。


「そっかぁ。んー。天埜も行くんだったら、行くかなぁ」

「行くかー?」

「明日、貴仙にも話してみるよ」

「いやいや、そこは即決するべきじゃね?」


   ◇


 二人がファミレスを出た時には、夏の空もさすがに暗くなっていた。もうすぐ完全に沈むであろう太陽に照らされる空は紫色に染まっており、一つ二つと星が瞬き始めている。

 空を見上げ、大きく伸びをした済は駅に向かって歩きながら言う。


「すっかり遅くなっちまったけど、本当に大丈夫なのか?」

「へっへっへ。ぜんぜん大丈夫ですゼ」

「いや、なんで笑ったのかわからん」


 青信号が点滅する横断歩道を小走りで渡り、いよいよ混雑のピークを迎えつつある駅前へ。この時間帯だと学生や主婦と思しき女性の姿はあまり見られず、代わりに黒い背広せびろに身を包んだ、すこし俯きがちのサラリーマン達の姿が多い。

 大口を開けた駅から吐き出される人混みに呑まれぬようにバスのロータリーに向かう二人。


「――――おっと」


 と、両手に荷物を持った済の腰辺りに、何か柔らかな物がぶつかった。反射的に足元を見下ろした済は、そこで一瞬目を見開く。

 済が立ち止まったのに気付き、数歩遅れて夏漣も立ち止まる。「どしたの?」と首を傾げた彼女も、すぐに済が立ち止まった理由に気付いて同じく目を大きく開いた。

 済と衝突してしまったのは、一人の小さな少女だった。済たち以上に驚いたのだろう彼女はおびえた表情で年上二人を見上げていて、長いそのまつ毛は涙でしっとりと濡れていた。


「どした? 迷子か?」


 済が首をすくませて言うと、少女は僅かに後ずさった。その瞳はどこか畏怖に捕らわれている様な気がして、済の頬が僅かに引きつる。

 あれれぇ~。ビビられてますぅー?

 まぁ、それも仕方なかろうと。大人な済はニッコリ両方の頬を吊り上げると、腰をかがめてその視線を少女の視線と同じ低さまで持っていく。

 くりっと首を傾げ、猫なで声を発する。


「どしたのかなー、キミ。お母さんはどこかなァ?」

「………………いやっ」


 ぶんぶんぶんッ! と凄まじい速度で首を振られた。再び後ずさりされた。

 なんでぇ!?


「済君。笑顔、キモい」

「嘘やん」

「いやいや、本当」


 あわれみを含んだ夏漣の声に、少し泣きたくなる済だった。


「よっしょと」


 済と同じく腰をかがめた夏漣は、柔らかな手つきで少女の頭を撫でる。すると、済をまるで不審者でも見る様な、というより不審者を見る目で見ていた少女の顔が、僅かに緊張から溶けた様に和らいだ。小さな胸の前でギュッと握りしめていた両手が、ゆっくりと脱力して体の両脇に垂れさがる。

 撫でるのを止め、今度は両手で少女の手を包み込んだ夏漣は、優しい笑顔を浮かべ、どこか心安らぐ声音で少女に尋ねる。


「迷子になっちゃった?」


 すると少女は、コクリと素直に首肯する。

 え、なんで俺は駄目だったの? と済は首を傾げたが、すぐに思い当たる。そう言えば、佐藤さんもあまり懐いてくれてないかもしれない、と。衝撃的である。


「今日はお母さんと、どこに行ったのかな?」

「…………お魚屋さん」

「そっかぁ。お魚屋さんかぁ……」


 僅かに声を低くした夏漣は、立ちあがった済の顔を困った顔で見上げる。済も、眉を八の字にして溜め息をつく。

 この駅前に、『魚だけを売っている店』など存在しない。『魚を売っている店』だとすると、それは単純にスーパーなどになるのだろうが、すると逆に店の数が増えてしまうのだ。

 ひょっとすると、他の町で魚屋に行き、駅前のここではぐれてしまったのだろうか? そんな複雑な可能性に、確立に、思わず頭を掻き毟る。少女の情報は、あまりにも簡単過ぎる物だった。


「――――――ママ、どこ……?」


 消え入るような声で、少女が呟いた。そわそわとせわしなく左右に動き、目尻に涙が溜まり始める。

 下唇を強く噛みしめるその姿に、済はもう一度溜め息をついた。荷物を片手に持ち替えると、空いた右手で少女の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でる。

 驚いたように目を見開いて見上げてきた少女に、済はニヤリと笑いながら言った。


「お前のママなら、すぐそこにいるぜ」

「………………本当?」

「おう。ちょっと着いてきな」


 そして彼は、立ちあがった夏漣の顔を見る。苦笑交じりに頬を掻きつつ、肩を竦ませた。


「まぁ、そう言う事だけど。天埜はどうする?」


 すると夏漣は、はぁと呆れたように溜め息をついた。それでもその顔には微笑が浮かんでいて、その手では少女がすがる様に差し伸べてきた手をしっかり握り返している。


「キザだねぇ、済君。君だけがヒーローって訳じゃないんだぜ?」

「はっはっは」

「もう、本当に済君は優し過ぎるよ、誰にでも」


 こくりと。彼女は無言で頷く。


「遅くなるぞ」

「乗りかかった船ですからな!」

「恩に着るよ」

あだで返してくれなきゃ結構さ」


 「キリッ!」と冗談めかして言う夏漣。小さく笑った済は、「ほんとサンキュウな」と伝わるかどうかわからない声で言ってくるりと振り返る。黒い人影に向け一歩足を踏み出した。

 肩越しに少女を見、言う。


「さて、行くぞ」














長いw


さて、妙に長かった買い物も終わり、次話でようやく場面転換があるハズです。お楽しみにw

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