夏のとある日_04
集合場所は済の家から最寄りの駅前だった。 家を出てから少し歩いた所にあるバス停からバスに乗り、それから一五分から二○分ほどのんびり揺られているとやがてその駅には着く。
済が駅前に降り立ったのは、夏漣に言い渡された待ち合わせ時間からおおよそ一五分前の事だった。 ケータイの外面に付けられた小ディスプレイで時間を見、定刻まで幾分か余裕がある事を確認した済は、特に急ぐこともなく待ち合わせの場所、駅構内から出てすぐの場所にある時計台の所へと向かう。
駅前は大小様々なビルが雑多に立ち並んでおり、住宅街で聞く事の出来る蝉の声は皆無だった。 行き交う人々はみな忙しなく足を動かし、額に汗を浮かべながら駅の中に呑まれ、また外へ吐き出されてゆく。 追い越し追い越されする人影は、男女まちまちで年齢層も不確か。 学校も終わり、また買い物に適したこの時間帯の駅前は、あらゆる類の人間が騒がしくひしめき合っている。
ついと差し出されたポケットティッシュを受け取った済は、そこで待ち合わせ場所の時計台前までやってきた。 そして人込みを縫うように視線を左右へめぐらせ……、先に到着していた夏漣の姿を人込みの中に見つけ出す。
時計台近くのベンチに腰かけている彼女は制服から着替え、紺色ジーンズ生地のハーフパンツに黄色のティーシャツ。その上から真っ白な半袖のパーカーを羽織った恰好でぽけーっと空を見上げていた。
「おーい、天埜!」
済は声を上げ、途切れる事の無い人の波を避けながら夏漣のもとに駆け寄る。 すると、夏漣はぴくと肩を震わせて振り返り、パタパタとバタ足よろしく蹴りあげていた足をぴたりと止める。 それから彼女は済の姿を確認すると大仰な動作で立ち上がり、にこりと頬を綻ばせ頭上で大きく手を振った。
いやぁ、そんなに手を振られてもなー。 と済は心の中で苦笑い。
「うおぉぉい! 済くぅんっ!」
「おうおうおう。 バッチリ聞こえてっから安心せい」
互いに落ち合った二人は、そこで謎のテンションに身を任せてハイタッチ。 そのはずみで、夏漣の上半身に備え付けられた夢と希望の双子山が大きく揺れる。
意外と大きいのかもしれないそれに一瞬だけ視線を奪われた済は、即座に顔を反らして頬を掻く。 幸い、目の前の少女に気付かれてはいないようだ。
「あぁ、その。 待ったか?」
「ん? まー、チョットだけ?」
「そうか、悪かったな。 早めに出てきたつもりだったんだけど」
「良いのですよ良いのですよ。 私が熱いパッションに身を任せて早く来すぎちゃっただけだからね。 あ、でもでも」
ビシッ、と。 女の子らしく細い指が済の顔面を指差す。 指紋が分かってしまいそうなほどに近いそれを反射的に凝視し眉間に鈍い痛みを覚えた済は思わず後ずさり。 唇をつんと尖らせつつ、しかし本当に怒っているわけでもない夏漣はにっこり笑いながら言う。
「やっぱり男の子が遅刻したら、言い訳はいけないと思うのですよ。 これ、天埜ティーチャーからの大切なお言葉ね」
「どれくらい大切っすか?」
「酸素?」
すげぇ。
「まぁ……、そうだな。 気を付けるよ」
「ふふふ。 済君は物分かりが良くて先生も嬉しいわ」
マシュマロの様に柔らかそうな頬を可愛らしげに緩めると、彼女は肩に掛けていた小ぶりなショルダーバッグを肩に掛け直す。 そして摩訶不思議なステップで済の隣に並び、頭一つ背の高い済の顔を見上げた。
多少大きく動いたら、ひょっとすると互いに肩と肩がぶつけ合ってしまいそうな距離感。 女子と付き合った事など無い済でさえも、その距離は明らかに普通の物とは異なっているのが分かった。 が、相手はあの夏漣である。 誰とでも仲のいい、人懐っこいと言い表してもおかしくない様な彼女ならば、逆にこれくらいの距離感は普通なのだろうか。
まぁ、コイツもコイツで、なかなかズレてるからなー。 と適当に結論付けた済は、見上げられた夏漣の顔を見つめ返し、そして首を傾げる。
「で、買い物だろ? どこに行くんだ?」
「そそ、買い物だね。 んじゃ、レッツらゴー、ですな」
「よし。 舵は君に任せたぞ夏漣君」
「アイアイサー!」
ノリの良い彼女はその場で元気よく敬礼すると、それから楽しげに頬を掻いてから歩き出す。 済もすぐその隣を、独特な距離感を崩さないように歩き始めた。
普段活発な姿を見せる夏漣だが、しかしその歩調は特別速いわけでもなかった。 てこてこといった効果音を付けられそうなその歩調は、済が少し遅く歩いていても十分に並び歩く事が出来てしまう。 いつでも楽しそうな彼女。 そしてこの時は、どこかいつも以上に楽しげに見える。 その違いはなんだろう。 服装が私服だからだろうか?
やがて二人は駅前から少し離れた、人気も徐々に少なくなり始めた場所までやってきた。 まるで散歩でも楽しむようにきょろきょろ辺りを見回していた夏漣は、そこで前を見据えたまま口を開く。
「いやー。 まさか、済君とお買い物をする日が来てしまうとは」
「まあな。 誘われでもしなけりゃ、まず無いわな」
半分ひとり言にも聞こえる言葉に、済は頷きながら答える。 彼女の言う通り、あの時夏漣が買い物に行こうなどと言いださなければ、放課後にこうして二人きりになる事など本当に無かったかもしれない。 今だって、どうせいつも通っているスーパーで食品の値段を相手に孤軍奮闘していたハズだ。
「ねえ、済君」
「ん?」
「友達と買い物って言うのも、なかなか乙ですな」
「つって、行先はスーパーだけどな」
「むむぅ……。 確かに」
夏漣は神妙に頷き、険しく眉間にシワを寄せた。
「じゃ、じゃあ今度はもっと違う所にお出掛けという事で?」
「ん? おぉ、機会があったらな」
「よしゃ……!」
凄まじい気迫を発して拳を握りしめる夏漣。 「ど、どした?」と済が言うと、彼女は慌てて両手を顔の前で振り、「い、イッツ・エア握力測定!」と説明。 言動・行動の四割が謎に包まれている少女だ。
だがまあ、そんな謎加減も彼女の魅力と言えば魅力なのだろうが。 そう信じたい。
「で、さっきから随分歩いてるが。 どこに行くんだ?」
「ふふん。 ま、もうちょっと待ちんしゃい。 もうすぐ私の行きつけのスーパーが見えてくるから」
「ほおう。 師匠の行きつけですか」
「門外不出だよ?」
「そりゃ凄そうだ」
冗談めかして言い、二人で笑う。 それから再び、二人は前を向いて歩きだす。
済は空を見上げた。 少し強い風に、ちらほら見受けられる住宅の植木が静かに揺れる。 遠くの空に浮く入道雲は、学校からの帰り道に見た時とはまた違う形をしていた。 自分のすぐ隣を歩く夏漣は何やら上機嫌で、妙に近い距離の中ではやはり、時々二人の肩は小さくぶつかり合う。 そのたびに彼女は頬を更に緩ませる様な気がするのは、気のせいだろうか。
とても、とても、穏やかだ。 夏の暑ささえ無ければ、本当に申し分のない、目的地までの間の短い散歩となっただろう。
駅から言葉もまばらに歩き続けること約一五分。 二人はやがて、一階建のこじんまりとしたスーパーまでやってきた。 スーパー北島。 全国に店舗を構える大手スーパーと言うよりは、町の片隅で細々と営業する、どこか町の住民の憩いの場と化している雰囲気の店だ。
済は店の前で立ち止まると、店名の書かれた看板を見上げた。 そして中を覗き込み、買い物に勤しむ、押し並べて三十路を過ぎているであろう外見の主婦方々を眺める。 どこか、高校生の自分達が場違いな存在なように感じられる。
「ここっすか、師匠」
「その通りだよ済君。 その名もスーパー北島さ!」
「おお~」
なにやら胸を張る夏漣に合わせ、済もぺちぺちと元気の無い拍手。 やっぱりデカいかも以下略。
「よし、入ろうぜ」
「どうどうどう!」
店内に入りかけた済の服の襟を、夏漣がギュッと掴んで引っ張り上げる。 身長差のせいで首が無駄に締まり、「ぐえ」とカエルの踏みつぶされた様な呻き声が口から漏れた。
首をさすって顔をしかめる済の前に回った夏漣は、柔らかそうな頬をピシッと引き締め、いつにない真剣な表情を浮かべている。 普段とのギャップから生み出される妙な緊張感に圧された済は、つい自然と背筋を伸ばしてしまう。 夏漣が、声をおごそかにして口を開いた。
「時に済君」
「な、なんでしょうか、師匠」
「君にとってスーパーとは。 いや、買い物とはなんだね?」
「買い物です」
「ばっかちんがーッ!」
ズビシッと、そこらのお笑い芸人顔負けの鋭いツッコミが済の腹にヒット。 そして彼女は済に言葉を発せさせる暇も与えずに、ぴんと突き立てた人差指で済を指差す。 寄り目になった。
「いいかい、済君。 買い物とはね、戦いなんだよ!」
「た、戦い……?」
「その通りだよ、済君。 買い物とは、自分の欲しい商品を、より安く手に入れるための戦いなのだよ!」
「まあそりゃそうだ」
「知った口をきくなぁ!」
「すんませんッ!」
済が割と本気で敬礼するのをジロリと一瞥すると、夏漣はくるりとスーパーの入口へ体を向ける。 店内では、今も多くの主婦層の方々が手に手に買い物カゴを取り、商品が綺麗に陳列される商品棚の間を練り歩き続けていた。
夏漣はそんな店内を指し、まるで言い聞かせるように言葉を綴る。
「買い物とは、人が人である以上、どぉ~しても避けられいない試練なのさ。 そして済君。 君は今、その試練に自ら身を投じようとしている。 この事の意味が、果たして君には理解できてるのかい?」
「できてませーん」
「ふざけた口をきくなぁ!」
「ほんとすんませんッ!」
今再びの敬礼。
夏漣はふん、と溜め息を吐くと、済を見上げた。 そして不敵に笑いながら、彼女は言うのである。
「覚悟しておくんだね。 ここ、スーパー北島はそんじょそこらのスーパーとはわけが違うのさ。 生半可な物腰で踏み入ったら、絶対に痛い目に遭うよ」
「そりゃまた大げさな……」
「ま、そう言ってられるのも今のうちだよ」
言って、彼女は一度柔らかく笑うと、軽い足取り店内へと入っていく。 済もその背中を追い、なんだか凄いらしいスーパー北島に入店。
自動ドアが左右に開けるのと同時、店内をきんきんに冷やしていた冷気が津波の様に押し寄せた。 真夏の外気と人工的に冷やされた空気が瞬時に交わり、もわもわとした境界線が地面を這うようにして辺りを覆う。 背中を薄く濡らしていた汗が冷やされて、文明の利器に有り難さを覚えるのと同時に、瞬く間に冷やされた体がぶるりと一度だけ震える。
入った店内は、実に独特な匂いがする。 それは食品の匂いが長年蓄積され染みついた匂いであり、またその匂いは、このスーパーが長いあいだ町の人たちに愛されている事を如実に語っている。 そしてそんな匂いで肺をみたすと、何故か不思議な安心感が湧いてくるのだった。
済は、入口近くに積んである買い物カゴを手に取る。 すると同じく買い物カゴを手にした夏漣が振り返った。
「済君はさ、今日は何を買いに来たの?」
「ん? まぁ、肉だとか野菜だとか、普通の物だよ。 あ、トイレットペーパーも買うんだったな」
「じゃあ、アレだね。 牛肉はまだ買わない方がいいよ。 あとは野菜も、ネギともやしもお預け」
「…………?」
「豚も、粗挽きはダメ。 魚も旬の物はダーメダメ」
「あのぉ、師匠。 何が一体?」
一人でアレはダメ、コレもダメと言い続ける夏漣に済は怪訝な眼差しを向ける。 はっと我に返った夏漣はクエスチョンマーク大放出な済を見、「あはは……」と照れるように笑う。 そしてそれから少し得意げに胸を張り、人差指を突き立て言うのだった。
「ここのスーパーはね、週に一度、タイムセールをやるんだよ。 んで、今日はその日なの。 だから、安く買える物はまだ買っちゃダ~メってこと」
「なるほど。 ちなみに天埜。 お前、そのセール品の内容、全部覚えてるのか?」
「ん? そだよ」
「そりゃすげぇな。 そんなスキル持ってる人、現実にいたんだな」
「ふっふっふ。 夏漣先生を舐めるなよ? あたしゃこういう事には慣れっこなのさ!」
「家事のしっかりできる女性か。 なかなか素敵じゃありませんか、夏漣さん」
「す、素敵なんて言われたら照れますなー」
頬をぽりぽり掻いた夏漣は、「生憎、ステーキ肉はセールの対象外ですたい」などと一人呟きながら通路を進んでいく。 済もその後に続いて買い物をするか、いったん別行動を取るか迷ったが……、どうやら彼女はこのスーパーを熟知しているようである。 少なからず、今日が初入店である自分よりは詳しいはずだ。 そう判断した彼はとりあえず彼女の背中を追いかけ、今は行動を共にする事にした。 先程からまったくエスコートされっぱなしだが、まあ仕方ないだろう。
次話で、ついに激しい戦闘が……?
乞うご期待ですw