夏のとある日_02
「いっただきまーす!」
四限目終了後の昼休み。 溢れ返る喧騒をまるごと薙ぎ払う、快活な声が蒸し暑い教室内を貫いた。
窓際に位置する席に座った済。 そのひとつ前の席に座った彼女は、わざわざ体をこちらに向けるように椅子を移動させ、自分の昼食を済の机に堂々と配置した後に……。 お行儀よく両手を合わせてから、誰もが振り返る、非常にお行儀の悪い食事の挨拶を発したのだった。
天埜夏漣。 朱と紺のチェック柄のスカートに半袖ワイシャツ。 襟元のリボンをゆるく結んだ彼女は、短い髪に柔らかな顔立ちが特徴の、しかし可愛いさ一辺倒と言うよりはボーイッシュな雰囲気も兼ね備えた少女だ。 済とは高校で同じクラスになった時に知り合ったのだが、その誰とでも分け隔てなく接する陽気な性格のおかげで、二人が打ちとけ合うのにそう時間はかからなかった。
現在、彼女の席は済の目の前であり、こうして昼には昼食を共にすることも少なくないのだが……、とにかく、彼女には毎度のごとく癒されるのである。 見ているだけで楽しくなる、とっても元気(主に頭の中が)なやつである。
「ちなみに、今日のお昼はコンビニおにぎりなのだよ~」
「ふーん。 文脈が謎だね」
「さて済君、中身はなんだと思う?」
「ん? あぁ。 梅、とか?」
発想が貧困かつ地味な高校生である。
「ブッブー。 正解はマグロのマヨネーズ和えでした」
「何故にツナマヨと言わない。 すっごく丁寧ではあるけどさ」
「言葉遊び?」
「遊べてないと思います」
ふふん、と何故か得意げに笑ってから、彼女は両手に持ったコンビニおにぎりをがぶりと。 コンビニおにぎりの真骨頂たるしっかり乾燥した海苔が、音を立てて噛みちぎられた。
まあしかし、本当に美味しそうに食べる子である。 もし生産者側がこの笑顔を見たら、感極まって泣いてしまうのではないか、という程に幸せそうだ。 そしてそんな夏漣の様子を見ていると、済も済でより一層の空腹を覚えてしまうのだから不思議な物である。
彼女が食品のコマーシャルに出れば、ひょっとするとそれは爆発的大ヒット商品になるのではなかろうか? なんて。 下らない事を考えつつ、済はいそいそと自分のスクールバッグから数種類のパンを取り出す。 この日は例の爆走ダッシュのおかげで少し早めに登校したので、朝の内に学校の購買で買っておいたのだ。
「おやおや済君。 焼きそばパンにホットドッグパン。 それとぉ……。 よく分からんパンが昼食かい。 不健康ですな~」
「よく分からんパンって何じゃい」
「わっかんないよ、それ。 何が挟まってるの?」
「ギョーザ」
「ゲテモノだ~!」
そう叫ぶ彼女は早くも二つ目のおにぎりに手を伸ばしていた。 ちなみにそのパッケージには、タルタルソースと銘打ってある。 それだって十二分にゲテモノだ。
い、良いじゃんかよ! と少し強めに反論してやった済は、さっそくギョーザパンの包みを開き始める。
「いやー。 初めて見たからさ、ちょっと食ってみようかと思ったわけよ」
「そっか。 にしても済君、今日はお弁当じゃないの? 私、地味に済君のお弁当の中身みるの楽しみにしてるのに」
「楽しみに?」
首を傾げる済に、夏漣はこくこくと頷いておにぎりにかぶりつく。
ばりばりっ、と。
「そうそう、楽しみ。 だって済君、自分でお弁当作るんでしょ? 興味が無いわけがないじゃあ~りませんか」
「んまぁ、自分で料理は作るけどさ。 つっても弁当に詰まってるのは夜の残り物だから。 手抜きだよ、手抜き」
「とか言ってー。 一晩寝かせたら美味しくなる唐揚げとか、詰めて来るくせにさ」
「そんな唐揚げがあるなら是非レシピを教えて頂きたい」
「え? 知らないの?」
「僭越ながら師匠と呼ばせて頂きます」
グダグダ喋りつつも包装を解いた済はすぐにそれを口に運ぶ事なく、肩手に持ったそれで夏漣の手元を指した。
そこには、上半分を咀嚼されたおにぎりが。 中身のタルタルソースがデロリとはみ出ていて、それはそれは、見様によっては結構グロい物体Xになり果てていた。 が、そんなゲテモノおにぎりであっても夏漣が食べるとチャレンジしてみたくなるのだから不思議である。
「言ってもよ。 人の心配より、自分の心配した方が良いんじゃないか? お前、いっつも昼は買い食いじゃん」
「もう。 心配してくれるの? キュン」
「口で言うと逆に残念だな~。 勉強になるぜ」
「ふふふ。 まぁ、済君の言う事も分かるんだけどさ~。 私、朝は忙しいから」
「ああ。 同好会、だっけ?」
「うん、その通り。 知的好奇心探究同好会」
どんな同好会だ。
「て言うか、そんな謎めき過ぎてる同好会なくせして朝練って……。 すげぇ話だ。 毎朝なにやってんだよ」
「なんて言ったって知的好奇心の探究が私たちの活動だからね! 私たちは常に、奴等から呼ばれているのさ! 故に、私たちにお弁当をこさえてる暇なんぞ猫の額ほども無いのだよッ!!」
「そうかそうか。 まあ、とりあえず次からで良いから日本語の使い方に気をつけような~」
笑いながらあしらいつつ、今度こそ済はギョーザパンを構える。 無駄に長く喋り続けてしまったため、腹は既に限界だ。 いつ大きな音を立てて駄々をこねられてもおかしくないので、とりあえずギョーザパンを片づける事にする。
あーん、と。 口を大に開き、パンはぽっかり開けられた大穴に滑り込む――――――ハズだったのに。
ガツ、と。 済の前歯は獲物を捕らえる事なく、空振りに終わってしまった。
え? 何で食べ物を食べるだけで空振り? 何この既視感溢れすぎちゃってるシーンは……。
「いや~ん。 そのパン、おいっすぃ~ッ!!」
「声が野太いんだよこの野郎!」
「あらやだ。 済きゅんの指に歯が当たっちゃったかも~」
「ぐぼあッ! 俺の天上が! 楽園が! とんでもねぇ野郎の闖入で崩れてゆくぅ!!」
説明するまでもなく、貴仙の奇襲だった。
「調子こきやがって! 食欲が激減したわ!」
「なんだ、食わんのか?」
「すっげぇ食いたくなくなったよ!」
「ダメだよ済君、食べ物を残したら。 私が食べちゃうぞ?」
「食べます! もちろん食べますよ夏漣さん!」
夏漣、まさかの提案。
貴仙の涎が付着したパンに、何か物凄い嫌悪感を感じていた済ではあったが、しかし花の女子高生にこんな事でこんな相手と間接キスをさせるわけには到底いかず。 済はおおよそ半分も残った(逆に言えば、半分も食われた)ギョーザパンを一気に口の中に頬り込む。 漢同士の間接キッスだったら問題あるまい。
そして案の定、大きすぎたパンは彼の喉を詰まらせる。
ごっ、ぐふっ。 と済は必死になってスクールバッグの中からペットボトルのお茶を引っ張り出す。 が、それを、同じく喉を詰まらせた貴仙がひょいと取り上げて飲み始める。
ぷはぁ! と無駄に良い飲みっぷり。
「お、おい貴仙――――――」
「オイッス夏漣たん」
「オイッス貴仙君。 たんはいらないぜ!」
「あぁ、悪い悪い」
「分かればよろしい」
「し、死ぬ……ッ!」
済が必死に伸ばす手を、ひょいとかわす貴仙。 ビバ・ベストフレンド。
「お。 タルタルソース食ったん?」
「食ったよ食ったよ食いまくったよ~」
「ッ! ッ! ッ!」
「美味いよな~、それ。 よくゲテモノって言われるけどさ、悲しい限りだよな。 ありゃぁ、アニメだからつって良作も駄作も一緒くたにして非難するのと全く変わらんよ」
「う~ん。 アニメはわっかんないけどさ。 虫だからってゴキブリもカブト虫も一緒にしてるのと変わんないよね」
「二次元最高ッ!!」
「昆虫最高ッ! …………でもないけど」
「――――――――――」
済、轟沈。
焼きそばパンとホットドッグパンを額で押し潰しながらうつ伏してぴくりとも動かない親友を見、貴仙は溜め息を吐くと肩をもってその体を起こし、だらしなく半開きになった口へ強引にペットボトルの飲み口を突っ込んだ。
ごッ、と口の中身を吹きだしかけ、奇跡的にギリギリ留まったところで済は蘇生成功。 目に涙を浮かべながら必死になって緑茶を喉に通す。 案外、済は本気で三途の川を渡りかけていたのかもしれない。
ごくごくと。 済の喉が鳴る。 鳴りまくる。 その様は、赤ん坊が母から哺乳瓶でミルクをもらっている図にも似ていた。
「ちなみにちなみに。 ヴァルハラは一概にパラダイスな空間とは言えないだよ?」
「あ、あぁ。 左様ですか」
「ふっふっふ。 神話なんて知的好奇心の塊だからね! 何だって聞いちゃってよ。 知ってる事なら答えるからさ!」
「…………へ、へぇ。 何だって、ね」
「うん。 知らない事以外はなんだって」
なんじゃそりゃー。
て言うかこのタイミングで言う事かー。
夏漣の自由奔放な話の運びに、苦笑いで答える済。 この状況で、彼女との(頭の中が)楽しい会話に付き合っていられるほど今の彼には体力が残っていない。
本当の意味で食欲が激減してしまった彼は、それでも細々と焼きそばパンを口に運び始める。 こんな時に限って脂っこい物ばかりを買った事が、心の底から悔まれた。
そして事の元凶たる貴仙は、ヒットポイント激減中の友の隣に腰かけ、どこから持ち出したのかスナック菓子をバリバリと頬張り始める。 コイツもコイツで、普段から自由奔放すぎだ。
「て言うか、お前もお前でよ。 いっつもスナック菓子だな。そんなに早死にしたいか?」
「だからよ。 こんなもんばっか食ってるのもアレだろうと思いたって、済きゅんのパンを拝借したわけさ」
「なんだその訳分からん理由は! こちとら死にかけたんだぞ!?」
「でもな~。 せっかく食ったのが出来あいじゃぁ、結局変わらんか。 しっかり弁当持ってこいよ、済」
「ほざけ……。 て言うかどうせお前もこのパンが物珍しかっただけだろ」
幸せが逃げるレベルでは済まない深さの溜め息が口から漏れる。 そしてそのまま全身の力を抜き、半ば机に突っ伏すように倒れ込んだ済の顔を、夏漣のくりくりした目が覗き込む。
「そそ。 ちょっと話を巻き戻しちゃう感じだけどさ、何で今日はお弁当じゃないの?」
「凄い巻き戻しだな……」
ビデオをちょっとだけ戻そうとして、だいぶ戻してしまったくらいの大胆さと残念さがそこにはあった。
済は焼きそばパンの最後の一口を口の中に頬り込むと、早くもトラウマになりかけている先程の事もあって、紅ショウガ臭いそれを必要以上に咀嚼。 口の中身を一般公開したら、それだけで殴られても文句は言えない程度に柔らかくして、ごくりと嚥下した。
そしてペットボトルを手に取るも……、お茶は既に無くなっていた。 再び溜め息を漏らし、済は口を開く。
「いや、あれだ。 買い物を忘れててさ。 昨日の夕食分もギリギリだったんだ」
「ふぅん。 両親が海外出張ってのも、なかなか大変だな。 俺にゃぁ無理だ」
「凄いよね~、済君。 感心しちゃうよ」
「済がおにゃのこになったら最高だろうな~」
「だね。 済君が女の子だったら良いお嫁さんになれてたと思う」
「……何かそれ、女じゃなきゃ残念みたいな感じじゃありません?」
ん? と二人は首を傾げ、そして互いに目配せしてからくすくすと笑い始める。 女の子だったら面白いもんね~。 だよな~、と。
何その不要な連帯感!? 何その不気味な性転換!? と、済は二人いっぺんに片づける。 手慣れたツッコミだった。 手なんか使ってないけども。
「あ、そうだ!」
買い込んだ昼食を男子二名より先に平らげた夏漣は、ぽんと手を叩くと、何やら豆電球を頭上で点滅させて楽しげに笑う。 その唇にはおにぎりの海苔がへばり付いていて、見てるこっちの方が楽しくなる顔のまま彼女は済に詰め寄った。
なんだか無駄に近い距離。 うぐ、とホットドッグパンを喉に詰まらせかける済は、夏の暑さに妙な熱さが上乗せされ、背中が徐々に汗ばんでいくのを感じた。
しかし夏漣はそんな済の健全な動揺など露とも知らず、目を爛々に輝かせながら人差指をビシッ! と突きあげる。
「つまり済君ちの冷蔵庫は空っぽであると?」
「あ、あぁ。 そうなるな」
「じゃさじゃさ、今日の放課後、お買い物行かない? 私もスーパーに買い出し行かなきゃいけないんだよ!」
「はぁ? なんでまた……、唐突だな」
ほとほと不思議そうな表情で済は言うと、空っぽのペットボトルを手に取った。 特に何がしたいと言うわけでもなく、なんとなくの手持無沙汰だ。
「良いじゃんかさ良いじゃんかさ。 私、安いスーパー知ってるぜえ?」
「だとよ、済。 はっはー、こりゃこりゃ楽しそうなお誘いで。 ラブラブしてきちゃいなって」
「何がラブラブだ、馬鹿。 …………まぁ、断る理由もないけどよ」
「なら良いじゃん! 行こうよ行こうよっ」
妙に熱の入った夏漣が、更に済へ詰め寄る。 あの近いんですけど夏漣さん、と顔を引きつらせた済は、ふぅと小さく息を吐いた。 こうも接近されると、逆に動揺も収まってしまう。 なんというか、動揺を通り越して、どうでもよくなってくるのだから不思議なものだ。
「じゃあ、いいや。 うん、オッケーオッケー。 買い物な、放課後は」
こんこん、と。 済はペットボトルで机の角を叩く。 それを聞いた夏漣は、よっしゃ気合いれてくぜぇ~! と何やら気合十分な様子で叫ぶと、噎せるように暑い教室の外へと駆け出して行ってしまった。 ゴミも片付けずに。
なんなんだ、アイツは。 と済は妙にフォームの綺麗だった夏漣の走る姿を思い浮かべ、太陽に光が溢れる廊下へと視線を向けた。
知的好奇心探究同好会などと言う謎の団体に属している彼女であるが……、まさか体育会系の同好会なのだろうか? たしかに、オカルトスポットの見学とかで日本中を巡礼しまくっていてもおかしくないテンションと雰囲気の持ち主ではある。
「済きゅんと夏漣たんのラブラブデートか~」
「お前、マジで最強だろ?」