極東先端科学技術研究所_06
運命は可変か不可変か。
人間誰しも一度は抱いた事のあるだろう幼稚な疑問。いくら議論を重ねても、結局は個々人の思想による期待の域を出ない絶対の疑問。それでもどうしてか答を導き出したくなってしまう不可思議な疑問。
いくら足掻いたところで、それでもやはり、可変か不可変か、その答に辿りつける者などこの世には存在しないだろう。どのような哲学者だろうと数学者だろうと物理学者だろうと神学者であろうと、はたまた宗教家であろうと。
しかし決して、それを嘆く事は無いだろう。自身の持てる知力の限りを尽くして導き出した回答が仮にいとも容易く否定されたところで、それは仕方のない事なのだ。
何故なら、肝心の運命に関して論ずる人間は結局、ただの人間でしかないのだから。
神によって救済を施されたこの世界では果たして、運命とは何なのだろうか。
人の人生は全く、奇天烈な物語だ。生きる人間にとっては、本人にとっては全くつまらない生涯だったとしても、他人がその人生を少しでも覗き込めばすぐ、その突飛なストーリーに息を呑むだろう。
――――人生、生きていると何が起こるかわからない。
人がよく言う言葉だ。だが、運命を見通せない人間のこの言葉はしかし、非常に的を射た物なのかもしれない。
人生においては、何が起きた所で決して不思議はないのだ。いつ何時、どこで何が起ころうとおかしくない。それだから人生は楽しむ事が出来て、けれどその分、人々に不安を与えもする。
だから人は、神に祈るのだろうか。縋るのだろうか。求めるのだろうか。欲するのだろうか。
そんな問に解を見いだす事など、人間には永遠に出来ないのだろう。
しかし。問に対する解の片鱗にならば、あるいは手を伸ばせば届くのかもしれない。
◇
天井に巣食う闇を一閃した亀裂は、瞬く間もおかずに崩落を始め。歪な形に穿たれた建材の向こうから降り注いだ紅蓮の輝きはまるで、神が振り撒く後光の様にただただ眩く。
溢れ出す光。崩れ落ちる瓦礫。圧倒的な物量に、森の木々の如く並びたった棚は成す術もなく拉げ、押し倒され、新たな破壊を生み出し。空間全体に飽和したその轟きはなおも収まる所を知らず、その振動は水と油のごとき存在の天と地をも容易く混ぜ合わせてなお余りある様に思われた。
狂いに狂い、しかしどこまでも神秘的なその光景を従え。その中央を軽やかに堕ちゆくは一つの人影。
高く高く高い金色の空から舞い降りるその姿は、さながら世に復活した救世主。絶望と歓喜と混沌と秩序を綯い交ぜに広がるその空間はまさに――――――聖書に描かれし神の奇跡。
無限にも思われたその時間はしかし、稚拙な人間の前ではどこまでも有限でしか無く。
破壊は一瞬。
雪崩れる瓦礫に薙がれる棚。それらが放つ、目には見えない圧力から逃れる様に、済は頭を抱えてその場にうつ伏せた。
離れた場所にまで届く細やかな砂礫。風圧は身につけた衣服を引き裂かんばかりに翻し、それでも必死に見つめた視界の先で、天井より舞い堕ちた人影が、すとっ、とまるで猫が塀の上から跳び下りるかのような軽やかさで、積み重なった瓦礫の上に着地した。
人影は、数十メートルもの高さから落下して来たのにもかかわらず、その膝を僅かにしか曲げてはいなかった。いや、十分に膝を曲げていたとしても普通だったら生きている事など不可能なはずの芸当を遣って退けた人影は、しかしその事に対して全く感慨が無い様に、すくっと簡単に立ち上がり、
「やべぇ。チビったかも」
と。竪琴の調の様な柔らかく透き通った女性の声で、物凄く悲惨な事を言うのだった。
「てかココどこ? あれぇ、おかしいな」
こちらに背を向け天井を見上げたその女性は頭をボリボリと掻き毟り、そして何の予備動作も見せずにくるりと振り返った。
ふわっ、と。済がかざした携帯のライトに淡く照らし出された、綺麗な赤色に染まった女性の髪が柔らかく舞った。白衣に身を包まれたスラリと細い四肢。赤の毛が目を引くその顔は、しかし髪の色があってもなお人の目を引き付けるのに十分事足りる程に美麗な造りをしている。彼女の右目を隠す様に左右非対称にカットされた前髪――――右目に覆い被さった毛に入った、真っ黒のメッシュ。
済はその瞬間、こんな状況下であっても確実に、目の前に現れた女性というよりは僅かに少女の面影が残る、しかし成熟した色香を感じさせる目の前の人影に、思わず目を奪われてしまっていた。
たっ、と軽い足取りで瓦礫から飛び降りた彼女はそこで、ようやく自分が携帯のライトで照らし出されている事に気付いた様だった。どうやらハーフであるらしいその顔に一瞬だけ驚きの表情を浮かべた彼女は、すぐに首をくいっと傾げ、済を指差して言う。
「あれ。キミ、普通の人間……?」
「は? あ、いや…………」
ハチャメチャな登場をされ、かつ唐突に言葉を掛けられ、済は返答に窮してしまった。
あれ? 彼女は極研スタッフなのか? 白衣を着てるし……、けれど大人には見えないし。とか、この場ではたいして役立つ事の無い思考がぐるぐる頭の中を駆け回る。
と、
「なっ……」
つい一瞬前までは十数メートルほど離れた場所にいた様に思っていたその人影が、気付くと済のすぐ目の前に迫っていた。床に座り込んだままだった彼の顔を、ぐいっと腰を屈める様にして覗き込む少女。芸術品の様なその顔を無表情で染め上げ。黒のメッシュが入った毛の奥に隠れる瞳が、ギラリと輝いた様な気がした。
変に息をして吐息が掛かってしまったらマズい。混乱した頭が弾きだしたおおよそ馬鹿らしい考えに従って息を殺していた済。目一杯に見開かれた彼の瞳をじっと見つめていた少女は、屈めていた腰を伸ばすと「ははっ」と笑った。
「いや、ごめんごめん。何でもないみたいだわ、気にしないで」
「え、あぁ……」
白衣のポケットに手を突っ込んで天井の亀裂を見上げる少女。済はズリズリと這う様にして彼女から距離を取りつつ、ようやくといった様子で立ち上がる。
突然現れた謎の少女。彼女が見上げる天井の亀裂を視線で追いかける。天井の向こう側が僅かに明るいのは……、そこまで炎が迫っている、という事なのだろうか。
「お、お前……、ここで何をしてるんだ?」
自分が言えた事じゃないだろう、と思わなくも無かったが、しかしどうしても聞いておかなくては気が済まなかった。
そして少女は、天井高くにぽっかりと空いた穴を眇めた両目で見つめたまま、億劫そうに口を開く。
「んー、オレ? オレはアレだ、ちょっとお仕事してるだけ」
…………一人称『オレ』。目の前の少女はひょっとしたら、かなり特殊な人種なのかも知れなかった。
「し、仕事って言うとあれか。ここのスタッフなわけか?」
確かに白衣を着ていて、かつ大人びて見えはしたが、しかし目の前の女性がスタッフである様にも見えない。けれど、自分の常識の範疇を越えたレベルで若く見える人なのかもしれないし、なにより一人でこんな場所で立ち往生しているより、願わくば誰か頼れる人間と行動を共にした方が生存確率が跳ね上がる事などわかりきった事だった。
少女がチラリと済を見、難しそうに眉を顰める。なんとなく気圧される様な形で、更に言葉を紡ごうと回していた頭の回転を強制的に停止させられる。
「んー、参ったな。コレは予想外の展開って言うか。こういう時、どうすれば良いんだろ」
目の前の少女は一人呟き、それから「ちょっと待って」と言って白衣のポケットから携帯電話を取り出した。済が電波状況の悪さを訴える間もなく彼女は携帯を操作。ダイアルを開始したそれを、そっと耳まで持って行く。
しばらくの沈黙。どうせ電話なんて通じないのだろうと思いながら黙っていた済の前で、少女の視線がぴくっと動く。
「あ、もしもし?」
「え? 繋がるの!?」
済は自身の携帯を慌てて操作し、履歴からすぐさまリダイアル。が、結局回線は繋がらず、ブツッと嫌な音がするだけで携帯は沈黙する。あれ? 俺のだけ壊れてるの? とか泣きたくなってる彼の目の前で少女の会話は続く。
「なんかさー、一般人がいるっぽいんだよねー。聞いて無かったんだけどさぁ、こういう時どうすれば良いかな? 手ぇ出されたらマズいだろ? どう思う?」
口を噤む少女。しばらくの沈黙が流れ、やがて彼女は通話を切る。未だ明るいその液晶画面を見つめ、それから済に振り返った。
「ねえ、かずにゃん、ちっとも喋ってくんないんだけど」
「いや、知らねぇよ」
かずにゃんって誰だよ。嫌われてんじゃねぇの? とは、結構真剣に目を潤ませている彼女に対してはさすがに言えず。そこはかとない不安を感じながら、自力で頑張った方がマシかもしれないと考え始めた。
しかし少女は「ちょっと待って」と言ってわかりやすく顔を引き攣らせる済を足止めし、素早く携帯を操作すると再びそれを自身の耳元へ。しばらくの間を置き、やがて、やはり何故か通話は通じた様だった。
「あ、もしもし? うん、オレオレ、オレだよダーリン。え? 男の子じゃない? あぁ、そうか。じゃあ、オレがダーリンで良いよ、うん。オレがダーリンって事で。うん、メッチャ愛してるぜ、ハニー」
「………………………………」
「てか聞いてよ。なんかさ、一般人がいるっぽいんだけどさ、コレどうすれば良いと思う? え? わからない? そっかー、わからないかー。……ん? プリン? 焼きプリンなの? わかったわかった、後でキスしてあげる。んじゃねー」
ぽちっ、と通話を終えた少女。未だ明るいその液晶画面をしばらく見つめ、それから済に振り返った。
「ねえ、こっちも全然話が通じないんだけど」
「達者に生きろ」
立ち去る事にした。目の前にいるのは自分が関わっちゃいけない人種だと言う事がわかったので立ち去る事にした。炎の中を突っ切った方が安全な気がするから不思議だった。
しかし世の中という物は何処までも無情な物で。目の前の超弩級の変人は去ろうとする済の肩をガシッと強く掴んでしまう。
「ギャッ!」
「なぁに悲鳴なんて上げてんのよ」
「嫌だ! 俺はこんな変なのと心中なんかしたくないぞッ!」
「変なの言うな、変なの」
がっしり済の肩を掴んだ少女の腕は高校生男子である済が抵抗しても一切微動だにせず、ぎゃーぎゃー騒ぐ済はそのまま、押し潰される様に捩じ伏せられ、凄く自然にぺたりと力なく床に座り込まされる。
「あ、あれぇー……?」
「はぁ、めんどくせーのと会っちゃったかなー」
言って少女は、済のすぐ隣に屈み込む。
そしてニヤッと意地の悪い笑みで済の顔を覗き込み、彼女は言うのだった。
「何でもいいけどさ、キミ、一人でココから出られんの?」
「…………多分死にますねー」
「でしょう? じゃぁ、あんまり生意気言っちゃいけないよねぇ」
「…………………………」
済の沈黙に、にぃーっと嫌な笑みを更に深くする少女。気まずくなり、思わず顔を逸らすが確かに、ここでこの変な少女を頼らなくては恐らく助からないだろうと思い。そう考えると何故か気が重くなって溜め息が漏れる。なんだか、物凄く面倒な事に巻き込まれている気がしてならなかった。
黙りこくったままになってしまった済を一瞥して、ふんっと小さく鼻で笑った彼女は玩具に飽きた子供の様な執着の無さですっくと立ち上がる。カツカツと靴底を鳴らして距離を置き、彼女は今再び天井の大穴を見つた。
「急ごうぜ――――――生憎、こっちも時間が無いんでね。こんな所で死ぬのはごめんだろう?」
二人が歩く横に広い廊下は、その左右の壁を炎が這う様に広がっていた。先を行く赤毛の少女の数歩後を、しかし決して置いて行かれないようにと黙々と歩き続ける済。見なければ良いのについ見てしまうと言う、いかんともしがたい怖いもの見たさで左右の壁へと視線を集中させるたびに、心臓を直接握り締められる様な感覚に襲われた。そんな中を悠然と、何も臆することなく突き進み続ける目の前の少女があまりに超然とした存在に思えてしまって。興味半分、そして何より恐怖を紛らわせるため、彼は足早に彼女の隣へ歩み寄ると、きょろきょろと視線を忙しなく泳がせながら口を開いた。
「な、なぁ。大丈夫なのか? その、屋根が崩れてきたりとか、炎とか……」
こんな事、聞かずとも答えはわかり切っている物だが。それでもやはり、気になってしまう。自分は本当に、彼女と行動を共にしていて大丈夫なのだろうか。
しかし、チラッと横目で済を見つめた彼女は、済の予想に反した言葉を口にする。
「大丈夫だよ、オレと一緒にいればね」
「本当かよ…………」
何の根拠があって、と少女の瞳を見つめ返す。けれどその瞳に浮かんだ強い光は何故か、済の疑念を晴らすのには十分な輝きで。信じられない気持が無くなった訳ではもちろんないが、しかし彼女の言葉を信じる事が出来る様な気がしてしまうのもまた、確かな事実だった。
「まぁ、つっても言った通り、もう時間は無いんだけど。長くて二○分が良いところ、って感じかな。ちんたらしてる暇はもちろん無い」
「…………………………」
思わず黙り込むと、初めて彼女と遭遇した時からずっと抱いていた疑問がより一層その存在を主張し始めた。清水に垂れた一滴の墨汁の如く、胸の中にもやもやとした陰りを落とすその疑問を言葉として紡ぐか否かを逡巡し、けれど、ふと彼女の横顔を見て、その綺麗な横顔を見て、何故か、妙に寂しい気持ちになって。
胸を内側から押し上げる様な圧迫感に耐える事が出来ず。
「なんだって、お前はそんな場所にいるんだ?」
こんな、いつ崩れるとも知れない――――彼女曰く、もう少しばかりは大丈夫らしいが――――建物の中にまでやって来て。それに、タイムリミットは二○分という、非常に厳しい制約付きで。
彼女の存在があって今、自分がこうやって落ち着いていられるのも事実ではあるが、けれどやはり、何故こんな所に来てしまったんだ? と言った疑問の方が強い。それこそ、他スタッフの姿は見る事が出来ないのに、だ。
はぁ、と小さく吐息を漏らす音が聞こえた。少女はこめかみを人差指で押さえると、倦怠感に満ち溢れた声音で言う。
「あんまり詮索しない方が良いよ。深入りするとキミの身が危険だからね」
「なにそれかっこいー」
「まぁ、そりゃぁ相手にしないわな」
苦笑を漏らし、彼女はそこで立ち止まる。くるりと髪を靡かせながら振り返った彼女の顔には、綺麗な笑顔が浮かんでいて。
綺麗で、悲しげな笑顔が浮かんでいて。
「探し物さ。とっても大切な物を、探しているんだよ」
「………………探し物」
「その通り。それで納得してくれ」
納得なんて、出来る訳もなかったが。気付くと首が、勝手に縦に振られていた。
――――――そんな顔をされたら、頷くしかないだろう。
一体、どれだけ大切な物がこんな所にあると言うのだろうか。自身の命が危険にさらされていると言うのに平然と、否、平然としている様に見えてしまう程、自分の命を投げ打つ事が苦にならないその対価とは。
何があるんだ。彼女はソレのために、何を捨てて来た。
それはひょっとしたら、自分が勝手に考え過ぎているだけなのかもしれない。狂いきった状況下に立たされ、映画や漫画で見る様な登場の仕方をした少女と出会い、その背後に、何か大きな物が蠢いているのではと、勝手に自分が思ってしまっているだけなのかもしれない。そんな夢の様な展開を、馬鹿馬鹿しくも期待してしまっている自分が、ひょっとしたらいるのかもしれない。その程度に脳味噌が麻痺していたところで、なんら不思議は無い。
けれど、けれど、だ。もしも仮にこの考えが自分の過ぎた妄想ではなく、何万分の一かの確率で本当の事を射抜いていたのだとしたら。
何故か、自分の先を行く彼女の後姿が、とても悲しげに見えてしまって。
「てか、そんな事よりさ」
少女の言葉に、固まっていた体が突き飛ばされた様に動きだす。
こんな所で一人で勝手に思考の螺旋に嵌っているよりは、早くここから彼女と共に無事なままで脱出した方が良い。どうせ脳味噌を使うんだったら、下らない事なんか考えていないで脱出が成功する為に神様にでもお祈りを捧げよう。
そんな事を考えつつ、小走りで少女の隣へ並ぶ済。少女は隣に並んだ彼へ視線をくれる事もなく、代わって赤々と燃え盛る炎へと視線を送った。そして、今度は自分の番だ、とでも言う様に口を開く。
「オレみたいな奴ならまだしも、何でキミがこんな奥地にいて、かつ生きてるの?」
答えてくれるよね、と。言外にそう言われている様な気がして。自分と同じ様な事をやはり彼女も思っていたのかと、親近感にも似た意思疎通による安堵に、肩に掛かった力がいくらか解れるのがわかった。
「いや、なんでって言われてもな……」
そして答えようとして首を捻り、頭を掻き、言葉を濁す。
なんでって、
「なんでって、死に物狂いで逃げてただけだから……」
どうやって炎から逃れ、どうやって潰れた通路を迂回し、どうやってココまでやって来たのか。思考が混乱していたと言うのが最もな理由だとは思うが、自分が生きたまま今に至るまでの経緯は、あまりしっかり思い出す事が出来なかった。
――――――思い出そうとすると、そう。頭の中に、白い霧状の物が立ち込める様な。そしてその霧が、記憶の想起を阻害する様な。そんな気が、するのだ。
「ふぅん。死に物狂い、ね。それにしても、とんでもない奇跡だ。神憑かってる、といっても良いかもしれない」
そこで彼女はようやく、しっかりと済の顔へ自分のそれを向けた。やたらと整った少女の顔が目前にあり、思わず視線を向けるべき場所に困ってしまう。けれど彼女はそんな済の反応など意に介さない様子で、唐突にこんな事を言うのだ。
「――――――キミ、良いことばっかりしてるかい?」
は……? と。意味の不明な質問に気の抜けた声が口から漏れ、視線を彷徨わせる事すら忘れて真っ向から少女の顔を見つめ返す。
そして、僅かに喉を詰まらせた。
彼の事を見つめる少女の左目。そこに浮かんだ光の正体が、一瞬、どのような類の物なのか判別出来なくて。どろりとしたその輝きはまるで、人を軽蔑している様な、憐れんでいる様な、嫌悪している様な、嘆いている様な。
先ほどとは違う意味で、彼は視線を足元へと落とした。ゆらゆらと揺れる二人の影を見つめたまま、やはり沈黙してしまう。
「まぁ」
少女は視線を正面へと戻し、何の気無しに続ける。自身の瞳に揺れている感情を、隠す事もせずに。
「何でもいいけどさ。でもたまには、悪い事もしなきゃダメだぜ。でないと、こうやって面倒な事に巻き込まれる」
――――――もう遅過ぎるかもしれないけれど。
小さく付け足した彼女の言葉に、しかし済は意味を見いだす事が出来ず。謎に包まれ過ぎた少女の言葉はやはり、黒く目障りなシコリを思考に残すだけで炎の燃える音に呑み込まれてしまう。謎を解くためのヒントを求める事さえ出来ずに黙ってしまった。
二人して黙り込み、恐怖の中をしばらく歩き続け。その居心地の悪さを耐え凌ぐ様に、済はポケットから携帯を取り出す。意味も無く取り出してみたところで、果たしてやる事などは無く。仕方無しに現在の時刻を確認して、刻一刻と時が過ぎてゆくのを再確認した。
――――――長くて二○分が良いところ。先程少女が口にした言葉が脳裏によぎり、何とも言えない焦燥に駆られる。
「な、なぁ…………」
済の呼び掛けに少女は無言を突き通す。それでも口を閉ざさず、沈黙を追い払う様に言葉を紡ぐ。
「その探し物、ってのはどこにあるんだ?」
言葉は返ってこない。それはまるで、マネキンに一人で話し掛けている様な沈黙っぷりで、居たたまれない様な苛立たしい様な。そうのんびりとしていられない事は済だって十二分にわかっているのだから、ここは返事くらい欲しいところだった。
会話をしようとしているのに黙られてしまうと、それはそれで焦りが募ってしまうばかりで。済は遠慮がちに少女の肩へ手を置き、緊張への緩衝材としての会話を求めようとしたその時、
「ちょとっと静かにして」
遮る様に掲げられた少女の手。
え? と言う疑問すら、ゴクリと唾と共に呑み込んだ。それくらいに、彼女の語気には切迫した何かが含まれていた。
そして少女は振り返る。振り返り、誰もいないハズの通路の奥を睨んだ。
「マズったな」
片手で済の制服を引っ張り、素早く自分の背後へ回す様にして。
「――――――追い付かれちまったよ」




