表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
救われた世界で  作者: 千悠
01__少女との出会い
12/14

極東先端科学技術研究所_05

 天井より崩れ落ちた瓦礫の濁流が、鼻先スレスレを掠めて行った。直後に衝撃。床にぶつかり、弾け、飛び散った数多のつぶてが一切の容赦なく体に突き刺さる。

 それはまさに、暴力の嵐。

 風圧に体を押され、受け身を取る事も出来ずにそのまま転倒。特に根拠もなく、しかしその場にとどまっている事がどうしても仕方なかった彼は、そのままごろごろと、全身にとがった瓦礫が突き刺さる事も構わず転がって後方へと退避した。

 うつ伏せたまま、ただただ必死に両腕で頭部を包み込み。崩落の音が止んでいる事がわかっていてもなお、立ち上がる事が出来なかった。

 ガタガタと。全身が震えているのが感じて取れた。だけれど一体、自分が何に震えているのかはわからなかった。混乱し、恐怖し、痺れるような思考回路は真っ白に染まり切っていた。

 そんな、ろくに使い物にならない思考の中で。けれどあの一瞬だけは――――――済に突き飛ばされ、瓦礫が降り注ぐよりも僅かに早く極研スタッフの腕の中に抱き込まれた夏漣の姿だけは、しっかりと鮮明に思い描く事が出来て。その唯一の救いだけが、ギリギリのところで自分の意識をこちら側の世界に繋ぎとめてくれている様な気がした。

 ずっと、ずっと、ずっと。どれだけの間、そうして動かずにいたのだろうか。少しずつではあるが、けれど確実に冷静さを取り戻してゆく思考。そして混乱に代わり頭の中に新しく生まれた領域を侵食する様に這い寄って来たのは、途方もない、包み込むような破壊の音だった。


「…………………………」


 いくら心が疲弊ひへいしようとも、いつまでもそうしている事が出来ない事くらいはわかっていて。ようやくの思いで体を起こした済は、酷く緩慢かんまんな動作で背後の通路へと視線を向けた。

 先程まで非常口に繋がっていたその通路は、先程の天井の崩落により積み重なった瓦礫のせいで今では完全に塞がれており、その密度はありの一匹も通り抜ける事が出来そうになかった。

 ふいに襲って来た眩暈めまいを強く頭を振ってどうにか振り払う。今ここで、胸に去来している大きな大きな感情の波に呑み込まれる事だけは避けたかった。それが出来なければ今度こそ、自分自身は絶望に沈み切って、二度と戻っては来れないだろう事など誰よりも自分がわかっている。

 だから今は、とにかく冷静に。ただ生きる事だけを考えなくては。

 きっと。この無情な壁を作りだす瓦礫の向こう側に渡った連中は、誰一人欠けることなく、無事に建物の外へ出る事が出来るだろう。そして安全な場所に避難して、怪我人は怪我の治療を受け、もう二度と命を危険に曝される事は無く。そして自分も、そんな連中の元へと、五体満足で帰還して見せようじゃないか。

 そんな風に。俯き気味の視線を強制的に前へ向けながら、自らの思考をプラス方向へと捻じ曲げる。大丈夫だ。大丈夫だ。心の中で、何度も何度もそう唱えた。

 何故なら。

 何故なら、この世界には神様がいるのだから。

 神様がいるのだから、ここで救われないわけがないだろう。


「………………よし」


 どうにか自分を奮い立たせ、済は足を踏み出した。

 その先に、何が待ち受けているのかも知らぬままに。


   ◇


「済君が! まだ済君が!」


 少女の悲痛な叫び声が、夏の青い空に虚しく響く。体に回された腕を振り解こうと必死にもがくが、そのたびに感じる右肩のズキズキとした痛みが彼女の目尻に涙を積もらせてゆく。

 あの時自分が瓦礫がれきに足を取られていなければ。何百回、否、何千回と繰り返した思考はそれでも頭の中から退去する事が無く、しかし足をくじき、右肩を痛め、そうでなくともただの高校生――――子供でしか無い彼女には成す術が無い。

 いくら相手の事を思おうと。いくら相手の事を想おうと。

 騒ぎたてる子供の体に腕を回す大人を振り払う事すら出来ない彼女は、頭の片隅ではどうしようもないとわかってはいても、やはり自分の無力さに、心を押し潰されてしまいそうで仕方なかった。

 喉が裂けてしまいそうなほどの大きな金切り声を発していた口からは、次第に小さな嗚咽おえつしか漏らさなくなる。あまりに残酷すぎた出来事は、彼女の健康的な体より先に、その繊細な心を散々に痛めつけていた。声を張ってその名前を呼びたいのに、しかし心の疲弊ひへいがそれを許してはくれず。その事がまた、彼女の瞳を潤ませ、更に心を絞めつける。


「……さあ、こっちよ。早く安全な場所に避難しましょう」

「でも……、でも…………」

「……………………」


 ぐったりと身体から力を抜く夏漣を抱えた女性スタッフは、つい先ほど自分達が転がり出て来た非常口があるハズの方向へと一瞬だけ視線を送り、その目を伏せ、高い建物に囲まれた太く長い歩車道両用の道路を誘導の指示に従って歩き出す。

 女性スタッフに肩を貸された状態でゆっくりと歩を進めていた夏漣はふと、視線の先に見知った顔を発見する。少し離れた人混みの中にいるその人物は、ギンギンと目には優しくない金色に髪を染めた、


「貴仙君……?」


 人混みを掻き分け、皆が直進している通路を何故か横断しようとしている貴仙。夏漣はその影に声を掛けようと口を開いたところで――――――思わずそのまま停止する。

 ――――――血。見れば彼は、額に一筋の赤い線を描いていた。

 いや、多少の流血程度であれば、これほどの事が起きている今この状況下においてなら、別段驚く事では無かったのかもしれない。無論、そんな事を普段学校などで言おうものなら、確実に周囲の人間がいぶかしむだろう。確かに、確かに彼の怪我は軽視するべき物ではないのかもしれない。だが、今この時、極研で起こっている事態を鑑みれば、あの程度の怪我で済んだのだから運が良かった、と逆に思えなくもない。その程度には、この空間は狂っていた。

 しかしそんな空間内においてでも、彼の身形みなりは異常と称して間違いの無い物であったのも事実だ。額の流血が、ただ一番最初に目へと飛び込んで来ただけの事。

 もはや、着ていたのが本当にワイシャツだったのかすら不明なほどボロボロに汚れてしまった半袖のワイシャツ。太股部分の布がザックリと裂けてしまった制服のズボン。ぼさぼさの髪。すすけた肌。体の至る所に飛び跳ねた、彼の物なのか他人の物なのか判断の付かない赤黒い染み。

 そして何よりも夏漣の度肝を抜いたのが、いつもならニヤニヤと締りの無いその顔に浮かべられた、壮絶な程に必死な形相ぎょうそう


「あ……、えっと…………」


 言葉を紡ぐ事も出来ず。肩を貸している極研スタッフが眉を潜めている事にも気付けずに、ただただ呆然となっていた。

 いったい何があったんだ。ただ単純にそう思う。

 あんなにボロボロになって。あんなに必死になって。いったい彼は今、何をしているんだ? 逃げているのか? どこかへ避難しようとしているのか?

 …………人の流れに逆らって?

 女性スタッフに引っ張られ、抵抗する事も出来ずに再び足が動き出す。それでも必死に捉え続けた友人のその横顔はそのうちすぐに人混みへ呑まれ、あれだけ目立つ髪の色さえ見つけ出す事が出来なくなった。

 ふいに込み上げて来た奇妙な思考のわだかまり。それを拭いさる根拠を求め、ただ縋る様に空を見上げた。

 そこにあるハズの物を、必死に探した。

 空を翔ける太陽、晴れ渡った夏の空、風に流れる白い雲――――どこで見ようといつ見ようと変わらない景色。何も変わらない普通の景色。けれど。

 けれど、何故かそれらはとても。異国の出来事であるように白々しくて。

 日光に肌を焼かれているのに。風に髪が乱されているのに。そのどれもが何故か、今この瞬間だけは、自分という存在からは隔絶かくぜつされた場所で起こっている事の様で。

 いや。

 それは、あるいは自分だけが世界から抜け落ちてしまった様な感覚にも近く――――――。

 どこか遠い場所から届いている様に思えてならない、すぐそばにいる人々の悲鳴を聞きつつ。

 何か、得体の知れない謎が渦巻いている様な。どこまでも漠然とした、けれど何故か苦笑と共に拭う事すら出来ない不安に押し潰されそうになった。


   ◇


 死に物狂いで建物内を逃げ回り、ようやく見つける事の出来た空間。未だ火の手が回っておらず、それでいて酷い倒壊の様子も見られないその部屋は見た所、どうやら資材置き場の様な場所らしかった。

 広い敷地に見上げるほど高い天井。四方の壁に設置された照明類はどれもがしんと静まり返ってその仕事を放棄しており、済が携帯電話の頼りないライトで照らし出したその暗い空間の中で、無数にそびえ立った金属製の棚達は無言の圧力を周囲にばら撒いている。それまで目にして来た火災現場と比べると、逆に気味が悪くなるほどの静寂に包まれたその空間を、彼は探る様にしてゆっくりと進んでいた。

 立ち並ぶ棚のせいで、一見するとそこが迷路である様にも見えてしまう室内。覗き込んでみた棚には、実験などで使うのだろうか済が見たってそれが何であるのか不明な代物や、様々なサイズのコピー用紙などの見慣れた物品など、実に様々な物が収納されている。

 棚の間を碁盤の目の様に張り巡らされた通路。その一本をまっすぐ進みやがて入って来たのとは反対側の壁際までやって来た済は、少し離れた場所にもう一つ、入って来た方と対を成す様に扉がある事に気付いた。駆け寄り、そのドアノブを捻る。ガチャガチャガチャ、と耳障りな音が静かな部屋に響き渡るが、それも結局徒労に終わった。当然の様に、扉には鍵が掛けられていた。


「あー、くそっ……。疲れた…………」


 頑固として開かない扉に背を預け、ずるずると力無くへたり込む。重たい金属の扉から伝わる冷たさが、火照ほてった体には妙に突き刺さる様だった。

 済はこのまま倒れ込みたくなるような疲労を全身に感じながら、片方の扉には鍵を掛けておいてもう片方には掛け忘れるという、どうしようもなくドジな極研スタッフに、心底感謝していた。そして願わくば、ずっとこのままここにいて、自体が解決するのを待っていたいと切実に願う。

 が、今でも耳を澄ませば低く聞こえてくる、物が燃え崩れる音に、そんなのんきな事は言っていられないのだろうと予感めいた物を感じているのも事実だった。

 手にしていた携帯電話を操作。これまで足元を僅かではあるものの明るく照らしていたライトがふっと消え、辺りが完全な暗闇に呑み込まれた。そこの見えない黒色に、喉に異物を詰まらせる様な恐怖を感じる。済はそんな孤独を振り払うように一度だけ瞼を強く閉じ、それから呼び出したアドレス帳から同じく極研にいるハズの貴仙の携帯へと電話を掛ける。

 プルルルル、とコール音。無限に連なる単調な音声に恐怖と孤独と焦りが急きたてられ、座ったまま足の爪先で冷たい床を踏み付けた。カツカツカツ、とローファーが床を叩く音と耳に雪崩れてくるコール音が不協和音を奏で始めて、果たしてどれくらいたった頃か。プツッ、と突き放す様な切断音が響き、耳に押しあてた携帯電話が沈黙する。


「…………駄目か」


 変わらぬ結果に溜め息を漏らす。先程、同じく貴仙とコンタクトを取ろうと電話を掛けた時も、留守番センターの規定アナウンスに繋がる事さえ無いまま、通信は途絶えてしまったのだ。通話と同じくメールも送れず。何かひどい電波障害でも発生しているのか、外部とのコンタクトは一切取れなくなっている。

 それでも往生際おうじょうぎわ悪く、今度は他のクラスメイトにもコールを試みたが、やはり結果は同じだった。溜め息をき、再びライトを点灯させる。足元へ無造作に転がし、疲弊しきった瞳でちっぽけな光をただただ見つめた。

 そもそも、ここまで辿りつけた事が奇跡に等しかった。もう一度同じ事をやれと言われたら、間違いなく炎に呑まれて絶命する自信があった。今自分が、この静かな場所でのんきに座り込んでいる事が、自分自身で信じられなかった。実は生身の体はすでに燃やし尽くされていて、今は魂だけが彷徨さまよっている状態なんですよ、と言われても、案外驚かないだろうとぼんやり考える。


(良い事、して来たつもりだけどなぁ……)


 こんな状況下でも、そんな打算的な事を考えている自分に、少し呆れ、大きく嫌気がさした。

 このままここにいたら、いずれ火の手に追い付かれてしまうんだろうか? そうしたら自分は、いったいどうなるんだろう? また運良く逃げ切れるのか? それもと、その時こそが運の尽きで、相応の最期を迎える事になるのだろうか?

 はぁ、と。鬱屈うっくつな気分を生温かい吐息にのせて吐き出そうとして、間違えて活力を吐き出している気分。冷たい床に座り込んだ尻からそのまま、ずぶずぶと底の無い沼に沈んで行きそうだった。

 意味も無く頭上を見上げる。携帯の小さな光に照らされ、僅かに表面を窺い知る事の出来る天井。ドロドロな闇に包まれたその天井も、いつ崩れ落ちてくるかわからない。そんな気がした。

 そしてその予感は、すぐ次の瞬間に現実の物となる。

 ドゴンッ! という大きな音。部屋全体がみしっと軋み、済は確実に心臓を止めかけた。音がしたのは、今まさに彼が見上げている部屋の天井。

 ――――――まさか、ここも崩れるってのかッ!?

 再び轟音。暗闇に呑まれていた天井が大きくたわむ。ギギギッ、と嫌な音を立てる壁や天井、そして震える空気。ピシッ、といとも簡単な音と共に、頭上を覆う暗闇に亀裂が生まれる。そして――――――、


「ひゃっはああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


 三度目の巨大な振動によって崩れ落ちて来た天井。一つ一つが岩にも等しい大きさの瓦礫に交じって、何か変なのが降って来た。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ