第八話 断罪の開幕式
王家狩猟祭当日、王都郊外の囲場は旗が翻り、馬の汗と貴族たちの濃厚な香水が入り混じっていた。
「カイル、カイル……手が震えて止まらないんだ。ついにヒロインのアリスに会うんだぞ。ゲーム通りなら、開幕式であいつに暴言を吐くはず……」
ルシアン殿下は金糸の刺繍が施された猟服に身を包み、金髪が美しさを際立たせているが、真っ青な顔色が台無しだ。
「殿下。それ以上震えると馬から落ちますよ」
俺は殿下の馬の傍らで、無表情に立っていた。周囲の貴族からは軽蔑の眼差し。
「第二王子の騎士虐待」噂は、今や最高潮らしい。
「吐きそうだ……」
俺は溜息をついた。王族全員の前で彼に恥をかかせないよう、一歩踏み出し、衆人環視の中で殿下の太ももを支え、もう片方の手で腰をしっかりホールドして、鞍に「押し込んだ」。
「……っ!? カイル!」
ルシアン殿下が驚きの声を上げ、顔を爆発させたように赤くした。
遠目から見れば、親密すぎる、一線を越えた接触にしか見えないだろう。
「主君、しっかり座ってください。……あそこで淡い青の猟服を着ているのが『ヒロイン』ですか?」
ルシアンは公爵の背後に控える少女――アリス・フォン・クローレンを硬直したまま見つめた。
だが、彼女の視線がこちらを向いた瞬間、第二王子への嫌悪感はなかった。
それどころか、瞳はルシアンの赤い顔と、俺がまだ腰に添えている手との間を激しく往復している。
彼女は扇で口元を隠していたが、その瞳には極めて不気味で、熱狂的な光が宿っていた。
「殿下。あのお嬢さんの目は、我々を『悪党』として見ているのではなく、何か『美味そうな獲物』を見るそれですよ」
俺は眉を寄せた。背筋に嫌な冷気が走る。
「え? まさか……君の存在のせいで、シナリオに妙なバグが出てるのか?」
その時、高らかな角笛の音が響き渡った。
銀髪碧眼の第一王子、シルヴェスター殿下が白馬に跨り、優雅に隊列の先頭へ現れた。
その視線は群衆を貫き、正確に俺とルシアンを捉えると、完璧だが冷徹な微笑を浮かべた。
「皆、狩猟祭へようこそ」
馬上のシルヴェスターは朝日に銀髪を神々しく輝かせていた。
彼はまず隣のアリスに優しく頷き、次いで鋭い視線を我々のいる一角へ向けた。
「特に今年は、普段なら欠席がちな弟のルシアンに加え、巷で話題の『腕の立つ』専属騎士も参加している。例年以上に期待に満ちた祭典になりそうだ。……そうだろう?」
周囲の貴族たちが嘲笑混じりに囁き合う。
ルシアン殿下は馬上で固まったまま、歪んだ「悪役専用」の冷笑をなんとか作り出した。
「ふん、兄上、せいぜい見ていてくださいよ」
殿下は台詞を吐き捨てたが、俺の目にはふくらはぎが猛烈に痙攣しているのが丸見えだった。
「結構だ」
シルヴェスターは口角を上げ、意味深に告げた。
「全員が満足のいく『獲物』を持ち帰れることを願っているよ」
三度目の角笛が鳴り響くと、猟犬たちが一斉に放たれ、騎士たちは密林へ馬を走らせた。
森に入ると同時、俺は手綱を引いてルシアンの馬を強引に向き直らせた。
「殿下、西側へ行きます」
「えっ? でもカイル、東の断崖が『イベント発生ポイント』なんだぞ……」
「だからこそ西へ行くんです」
俺は冷静に分析した。
殿下の説明によれば、あの暗殺劇は「東の断崖」かつ「第一王子とヒロインが二人きり」という前提で起こる。
ならば反対方向へ連れ出し、物理的に距離を置けば、断罪イベントなど成立し得ない。
俺は「ゲーム」なんて信じないが、「物理的な距離」は信じている。その場にいなければ、震える手で矢を放つことなど不可能だ。
「いいですか、殿下。西の森は地勢も平坦で、獲物も少ない。適当にうろついて、終わったら宮殿に帰って晩飯にしましょう」
「おおっ! カイル、君は天才か! これが俗に言う『マップ外への脱出』か!」
ルシアン殿下は安堵の表情を見せ、俺に続こうとした。
しかし。
後方から、急かされるような、それでいて完璧に制御された蹄の音が響いてきた。
「せっかくの兄弟同行だ。別行動では寂しいではないか、ルシアン」
シルヴェスターの声だ。
彼は白馬を駆り、優雅に灌木を飛び越えて現れた。
恐ろしいことに、後ろにはあの「ヒロイン」アリスまでもが、馬を軽やかに操りながら続いていた。
「アリス嬢が辺境騎士の勇姿を見たいと言ってね。四人で、最も景色の良い東側へ向かうのはどうかな?」
手綱を握る俺の手に、力がこもる。
第一の策は、無効。
「……これが殿下の仰る『ゲームの理』ですか?」
俺は殿下の耳元で低く尋ねた。
「そ、そうだ……これこそが『システム修正力』」
ルシアンは顔面蒼白で声を震わせた。
「ゲームじゃ、プレイヤーがメインクエストから逃げようとすると、強制的に引き戻されるか、ランダムエンカウントが発生するんだ……。カイル、俺たちは強制的にパーティーを組まされたんだ!」
シルヴェスターはこちらを見つめ、笑みを深めた。
「狩り場で密談するほど仲が良いのか。羨ましい限りだね」
隙のない完璧な笑顔のシルヴェスター。そしてその横で、扇越しに俺とルシアンをキラキラした目で見つめるアリス。
もはや「偶然」の範疇は超えている。
「第一王子殿下の仰せのままに。お供いたします」
俺は帽子の庇を下げ、瞳に宿る冷徹な殺気を隠した。
避けられない「シナリオ」だというのなら、その「断罪」が起こる前に、台本ごと叩き潰してやるまでだ。
「殿下、手綱を離さないでください」
俺はルシアンと少し距離を置いたが、いつでも守れる位置を保った。
この狩場で、誰が狩人で、誰が獲物になるのか。それはまだ、誰にもわからない。




