第十二話 狂い出した台本(シナリオ)と手書きの攻略本
深夜、ルシアン殿下の私室。
ルシアンはソファの隅に縮こまり、抱き枕を死守するように抱えていた。
暖炉の残り火がパチパチ爆ぜる音だけが響き、彼の影を壁に歪に映す。
「カイル……これでもう、完全にめちゃくちゃだ」
ルシアンの声は鼻にかかっていた。
「『本来』のプロットなら、俺は今頃地下牢で拷問を受けてるはずなんだ。明日、生きて太陽を拝めるかどうかも分からないくらいに……」
俺は窓辺に立ち、腕を組んで黙って彼を見つめていた。
「なのに、どうして俺はここで優雅に菓子を食べてるんだ」
彼は自嘲気味に笑い、瞳に底知れない恐怖が滲む。
「兄上は俺を閉じ込めるどころか、『黒い森の巡回』なんて任務を押し付けてきた。これじゃ話が違いすぎる」
「黒い森の巡回……?」
俺は微かに眉を寄せた。
その名は聞き覚えがある。最近、魔物の活動が異常に活発で、ベテラン騎士団ですら渋る難所だ。
「あそこは、主人公たちが魔力を覚醒させる重要ポイントなんだ! 本来なら兄上とアリス様、それともう一人の攻略対象が行くはずだったのに……」
ルシアンは髪をかきむしり、半ばパニックに陥っていた。
「これじゃ強制的なキャスト変更だろ! レベル1の雑魚を放り込んで、死んでこいって言ってるようなもんだ!」
嘘をついているようには見えない表情。
俺の中にあった「現実」という壁に、ついに亀裂が入るのを感じた。
今日、森で俺は彼を正規ルートから外そうとした。
だが、見えない手に引き戻されるように、シルヴェスターとアリスが現れた。
何より引っかかるのはあの矢だ。
ルシアンは「あの矢は必ず弾かれる」と断言していた。
だが、それを弾いたのは俺の石。
これは「ゲームのロジック」なのか?
俺の介入が「偶然」として処理されただけなのか?
もし動かなかったら、あの矢は物理法則を無視して自ら弾け飛んでいたのか……?
「……殿下」
俺はゆっくり歩み寄った。
「以前、これを『ゲーム』だと仰いましたね。もし俺があの場で何もしなかったら、どうなっていたと思いますか?」
「あの矢は絶対に弾かれる。それはゲームで決まっている演出だから……」
ルシアンは身震いし、声を潜めた。
「でも、どうやって弾かれるかなんて知らないんだ。俺はただのプレイヤーだ。それに、『第二王子が捕まらなかった』後の展開なんて見たことがない。黒い森が、俺の死に場所になるかもしれないんだ……」
未知への恐怖が痛いほどリアルに伝わる。
この設定が荒唐無稽であろうと、現実が彼の「妄想」を一つずつ証明していることは認めざるを得ない。
「任務を避けられないというのなら、その黒い森で何が起きるのか詳しく教えてください」
俺は椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「俺が貴方を守る鍵だと言うのなら、少なくとも相手が誰かは知っておく必要があります」
ルシアンは呆気にとられたように瞬きをし、瞳に驚喜の光を宿した。
「カイル……君、やっと信じてくれる気になったのか!?」
「給料の出どころを信じることにしただけです」
無表情に釘を刺す。
「内容を説明してください」
「あ、ああ、分かった!」
ルシアンは慌てて枕の下から古びた手帳を取り出した。
開かれたページには公用語と同じ文字が並ぶが、筆跡はひどく乱れている。極度の不安の中で書き殴られた記録だ。
「俺の『生存攻略本』だ」
ルシアンは真剣に、地図とも落書きともつかないページを指差した。
「序盤の任務だから記憶が曖昧なんだ。それに……黒い森で登場する攻略対象は俺の好みじゃなかったから、あまり詳しくは……。ただ、あそこには王族の血脈に関する秘密が隠されている。何かが起きたら、主人公補正のない俺たちは一瞬で命を落とすだろう」
びっしり書き込まれた、不確かな未来の記録。
傍観者でいられる気楽な期待は、もうどこにもなかった。
もしこの世界に本当に「既定の台本」が存在し、俺がそれを乱すイレギュラーになってしまったのだとしたら。
この先に待ち受ける危険は、この不完全なノートの記録を遥かに凌駕するものになるだろう。




