プロローグ うちの主、たぶん頭が壊れてる
辺境伯爵家の三男坊、カイル・ヴァルツ。
それが俺だ。
人生最大の目標はシンプルだ。
安定した給料をもらい、定時に退勤し、王都の片隅で誰にも気づかれず平凡に老け死ぬ。
最高の「モブ騎士」ライフ。それだけ。
その計画が、あの日、崩壊した。
「カイル! やばい! 本当にやばいんだ!」
目の前で頭を抱え、床にしゃがみ込んでいる男。
この国の第二王子――ルシアン・ヴァルディアだ。
月光を溶かしたような金髪に、宝石のようなバイオレットの瞳。
黙っていれば絶世の貴公子。
だが王都の評価は一致して最悪。
――性格破綻、遊び人、顔以外ただのトラブルメーカー。
「殿下、落ち着いてください」
俺は冷めた紅茶をデスクに置き、上司に対する無難な事務トーンで言った。
「ここは王宮です。近衛兵に聞かれたら、明日の週報トップが地獄絵図になりますよ」
「そんなことどうでもいいんだよ!」
ルシアンはガバッと顔を上げ、俺の肩を掴んで揺さぶった。
「いいか、これから言うこと……君はきっと俺が狂ったと思うだろうけど――」
その前置き、自分で言っちゃう時点で正常じゃない。
「俺、転生者なんだ」
「……殿下。失礼ですが、それはどこの新興宗教ですか?」
「違う! つまり、俺はもともとこの世界の人間じゃないんだよ!」
殿下は早口でまくしたてる。
「この世界は実はゲームで、俺は前世でプレイしてたんだ!」
「ゲーム……?」
「そう! 乙女ゲームっていう恋愛シミュレーションだ!」
俺は沈黙した。
その単語、殿下の脳の状態以上に理解不能だった。
「簡単に言うとだな」
彼は深呼吸し、汗だくで続けた。
「今の俺の立場、めちゃくちゃ詰みやすいんだ」
「詰む……?」
「あぁ、多方面から命を狙われるってことだよ」
曖昧で不安を煽る説明。
だが目は冗談じゃなかった。
「とにかく」
ルシアンは迷子子犬のような、縋る笑みを浮かべた。
「もっと安全な生き方を見つけるまで、俺を助けてくれないか?」
「……俺に、何ができると?」
「芝居に付き合ってほしい」
「芝居?」
「あぁ。誰もが軽蔑する『クズの悪役王子』を、今まで通り演じ続けるんだ」
俺は普段の高慢で面倒な王子を見つめた。
今、彼は捨てられた幼犬のように、不安に震えながら俺を見上げている。
正直、こんな脆い表情、初めて見た。
「……殿下」
「今、俺の頭がおかしくなったと思ってるだろ。わかってるよ」
ルシアンは自嘲気味に笑った。
「でもな。少なくとも今、俺が信じられるのは君だけなんだ」
心の中で盛大な溜息をついた。
ここで背を向ければ、平和なモブ人生が待ってるはずだ。
面倒事を避けるのは、俺の得意分野だったのに。
「これだけは言っておきます」
俺は一歩下がり、姿勢を正した。
「命に関わらない範囲でなら、お付き合いしましょう」
「それで十分だ!」
その瞬間、ルシアンの表情にパッと光が灯った。
あの時の俺はまだ知らなかった。
この保守的な返答が、俺のモブ人生プランを根底からぶち壊し、激動のメインシナリオへ引きずり込むことになるなんて。




