その令嬢、冤罪につき
「アンジェリカ・ライオット! 貴様が我が最愛のイアンナに嫌がらせをしている事はとっくにわかっている! 今すぐ彼女に謝罪しろ!」
そう、この国の王子が叫んだのは、よりにもよって国王の生誕パーティーでの事だった。
そこらの貴族の夜会などでやらかした場合、主催者に迷惑なのでもしやらかした場合は主催者から国王へ、お宅の息子どうなってんの? というような苦情が入ったであろうことは言うまでもないけれど、しかしだからといって親のパーティーでやらかしていいというわけでもない。
いい年したおっさんの誕生日というと身も蓋もないけれど、お城に貴族を集めてパーティーするだけではなく、城下にも炊き出しとは違うちょっといい食事が振舞われたりするので平民たちにとっても楽しみにしている日なのだ。
おっさんの誕生日とかやるのどうかと思うんでやめます、なんて言えば民から不満が出る。
自分の父親の誕生日ならやらかしてもいい、と思ったかはさておき、これがもし他国から客人を招いてのものであったなら他国へ醜聞が広まるので、そこでやらかしたなら王子は立太子するどころか問答無用で臣籍降下、それも権力をロクに与えられそうにない家にある種の追放みたいな形で送り出されるところだった。それは確かである。
他の国はどうだか知らないが、少なくともこの国ではそうなる。
ちなみに王子が断罪しようとしたアンジェリカというのは、別に王子の婚約者というわけでもない。
ついでに王子の最愛だというイアンナというのは、貴族たちが通う学園にて特例で通っている平民である。
一見すると物語にありがちな三角関係か? と思われそうだが、王子と身分の低い娘まではそうかもしれないけれど、アンジェリカはこの場合完全な第三者であるはずだった。
ちなみにお城でのパーティーには本来平民の参加はないのだが、王子がイアンナにドレスを贈ったのか、彼女はとても申し訳なさそうな顔をして、自分の居場所はここじゃないんですとばかりにどうにか王子から距離を取ろうとしてついでに会場から退出したそうにしていた。
この時点で馬鹿でも察するが、完全に王子の片思いである。
イアンナは流石に王族という平民から見ると圧倒的に権力を持っている相手に失礼な態度をとれず、穏便にやんわりと平民として適切な距離感でいようとしていたのに、王子がぐいぐい迫っていった結果断り切れずにこの場に引きずり出された憐れな被害者だった。
王子に名指しされたアンジェリカはというと、では物語にありがちな悪役令嬢なのか、と問われるとまぁ大抵の人間は首を横に振るだろう。
周囲の令嬢と比べると明らかにぽっちゃりしている体格は、確かになんていうか……それだけで圧はある。
物語に出てくる悪役というのは、いかにもといった感じで特徴を強調される事もあるからか、つり目であるだとか、体格がいいだとか、逆にガリガリに痩せているだとか……まぁ極端な特徴がありがちではあるのだが。
そういう意味ではアンジェリカは悪役にあてはめられそうな見た目ではあった。
ただ、どちらかといえば悪役といっても三下あたりのやられ役にありそうなポジションのような気がするが。
そんなアンジェリカはパーティー会場にて、王子がなんか言ってるなぁ、と思いながらも立食式になっていたため、目についた美味しそうなデザートを堪能している真っ最中であった。
国王陛下のお言葉であれば食べる手を止め話を聞くが、わけのわからん言いがかりをつけてくる王子の言葉とか、真面目に聞いてやる義理もないと思っている。不敬? いえ、敬う価値がない相手なので仕方ないですね。敬われたかったら相応のものを身につけて下さい。
「お言葉ですが殿下。
まさかこのような場でそのような言いがかりをつけられるとは思っておりませんでした。
わたくしが、彼女に一体何を?」
「とぼけるなよ。お前が度々イアンナに接近して何やら無理難題を吹っ掛けているという話は知っているんだ。彼女の邪魔をするなど言語道断、彼女を解放しろ。さもなくば……」
「では、殿下がわたくしの代わりを?」
「は?」
「まぁ、大体あと金貨三百枚ほどらしいので、殿下の個人資産から支払おうと思えば可能かもしれませんね」
にこやかに言うアンジェリカに、金貨三百枚? 何が? とばかりに王子は聞き返す。
「何の話だ」
「あら? 解放しろ、と今口にしたばかりではありませんか。
つまり、わたくしは手を引いてよろしいという事でしょう?
つまりは、契約解除」
「困りますアンジェリカ様! 見捨てないでください!!」
「イアンナ!?」
そんな中、必死の形相でイアンナがアンジェリカに縋り付く。
周囲では最初、おデブな令嬢が王子と親しい平民の娘に嫉妬して嫌がらせをしたのだろうか、と思い浮かべようとしたが、しかしその相手がアンジェリカであるという時点で。
あ、これ全然そんなんじゃないな、と察していたので。
イアンナがアンジェリカに縋り付くのを見ても誰も驚かなかったのである。
驚いたのは王子一人だけだ。
――アンジェリカは幼い頃から食べる事が好きだった。
昔からよく食べよく遊びよく学んでいたが、その中でも人一倍どころか五倍くらいよく食べた。
そのせいで同年代の令嬢と比べると明らかにぽっちゃりしていたが、アンジェリカは気にも留めなかった。
というか、人の五倍くらい食べても精々普通体型の令嬢と比べて二回り……いや、三回りくらいのぽっちゃり加減であるという部分に驚くべきなのかもしれないが、そこはまぁどうでもいい。
重要なのはアンジェリカが食べることが人一倍どころじゃない勢いで好きであるという部分だ。
家で出される料理だけでは飽き足らず、彼女は様々な美味しいものを求めた。
他家の貴族が例えば画家や役者を支援しパトロンになるように、アンジェリカは料理人に対してそういった支援を行うようになっていった。
美味しい料理を作れる人が増えれば、その分アンジェリカが美味しいものを食べる機会にも恵まれる。
ついでに大勢の人にもこの美味しいを体験してほしい、そんな気持ちでアンジェリカは出資しレストランを作るまでに至っているし、そういった食事関連の店は一つや二つではない。
「イアンナさんの実家はパン屋でして。
イアンナさんのお母様が作るパンはとても美味しいのです。
ちなみにイアンナさんのお父様が死ぬ前に残した借金のせいで、いくら美味しいパンを作れるといってもそのままでは借金のカタに店を奪われるところでして。
わたくしがその借金を肩代わりするかわりに、イアンナさんのご実家でパンを定期的に納めてもらうという契約になっているのです――が、殿下はつまりその契約を打ち切れとおっしゃるので?」
「お願いしますアンジェリカ様、見捨てないで下さい! 最近母がようやくアンジェリカ様の望むパンを、アンジェリカ様の理想の形に仕上げられそうだと言ってるんです! 今ここで見捨てられたらあのパンは幻になってしまいますううう……!!」
ぴえん、と泣き声をあげつつもイアンナはアンジェリカにひっしとしがみ付いている。
男女でこの距離ならちょっとはしたないのではなくて? と周囲のご婦人も眉をひそめただろうけれど、イアンナが抱き着いているのはぽっちゃりしたアンジェリカ、同性である。
ついでにその体型のせいでなんというか、幼女が大きなクマのぬいぐるみにしがみついているように見えなくもない。
「今ここで手を引けというのなら、まだ残っている借金に関しては殿下が肩代わりして下されば。
まさか借金だけ引き受けろなどと申しませんわよね? そんなのこちらに何のメリットもございませんもの」
「債権売り払って性質の悪い金貸しに、なんてことになったら店だけじゃなくて私や母も身売りしないといけなくなるかもしれないんでそれだけはご勘弁を!」
ぽかんと間の抜けた表情を浮かべる王子が場の状況を理解して、そうしてどうにか言葉を口に出そうとしたけれど。
しかしそれは僅かばかり遅かった。
「もうよい、モルダーよ、このような場で周囲の目を汚すような真似を晒すなど……そなたは今まで一体何を教わってきた。下がれ。余がよい、というまで部屋から出るな」
「ち、父上……ッ」
「この場ではそう呼ぶなとも言ったであろう。そのくらいの事もできぬか……はぁ、いや、良い。これでそなたの将来に関して、ようやく決心がついたともいえるからな」
それは事実上の、立太子をしないという宣言でもあった。
次の王にはならないという意味だとその場にいた誰もが理解してしまった。
「そんな……!?」
「連れていけ。これ以上場を汚させるな」
王の言葉に従って、王子――モルダーはあっという間に連れ出されてしまった。
最後までお考えを! 父上! という叫びが聞こえていたが、扉が閉まった後は一切その声も聞こえなくなる。
かくして、愛する女性が虐げられているのだと勘違いした愚かな王子は、ある種物語の終盤にも見えていた舞台から姿を消す事となったのである。
――イアンナの父は、一言で言えばどこまでもお人好しであった。
結果として友人の借金の連帯保証人となり、その後姿を消した友人によって莫大な借金を背負わされた。
それでもまだ、その時点であればどうにかなる方法がなかったわけでもなかったが、父は自分のその行いのせいで妻と娘にも苦労をかけると察し、早々に死を選んだ。
だが、詰めが甘かったとでも言おうか。
死ぬ前にせめて店の権利などは妻に移しておくべきだったのに、僅かであろうと財産を身内に譲り身軽になってから死ねばまだしも、権利などそのままに彼は死に、そうして残されたイアンナとその母は危うく路頭に迷うところであったのだ。早くどうにかしなければ、という焦りがあったのだろう。そうして一刻も早く死ぬしかないと思い込んでしまった。
せめてあと少し、生きてくれていれさえすれば別の道もあったのだが……未来を見通す力があるでもない相手にそんな事を言ったところでどうしようもない。
アンジェリカが美味しいパン屋の話を聞きつけて駆けつけた時には、店はまさにとりあげられる寸前であったのだ。
平民の借金としては生涯働いても返し切れるかわからないくらいの金額であったが、アンジェリカはそれを肩代わりする事とした。
そうして質の悪い借金取りではなく、イアンナ一家の借金はアンジェリカにしたものとなった。
アンジェリカはイアンナの母がどうにかつないでいたパン屋の味をいたく気に入り、普通に稼ぐだけでは生涯借金返済が終わらないのも理解していたからこそ、時々大量注文をしたり、自分の好みに合わせた新たなパンを生み出す事としていたのだ。
善良であることは美徳ではあるけれど、それだけでは簡単に食い物にされかねない。
アンジェリカの助言を受けて、イアンナは特待生として学園に通う事を決めた。
ついでに同じく特待生枠で学園に通っている平民のうち三割はアンジェリカの提案を受けたクチだ。
いずれも、飲食店を経営する家の息子や娘であったり、将来料理人を目指す者たちである。
学園であれば会おうと思えば簡単に会えるのもあって、アンジェリカは度々彼らに今月の課題と称していくつかの新商品の開発だとか、味の向上だとかを求めていたわけなのだが。
恐らくその光景は、貴族が平民に無茶振りをしているようにも見えたのだろう。
そして、恋に恋して盲目状態だった王子はそれを虐げていると見事に勘違いした。
ふたを開けてみれば、そんな話だった。
イアンナは決してアンジェリカに虐げられるような事はされていない、と何度も王子に訴えはしたものの、脅されていてそう言っている、と思い込んだらしかった。
それにしたってせめてもうちょっとちゃんと調べようとはしなかったのだろうか。調べていれば、アンジェリカが声をかけていた特待生のほとんどがアンジェリカに勧められ特待生として学園に来た者たちだと判明しただろうに。
王子――モルダーの妹でもあるフィロリーヌは後日、アンジェリカに伝えた。
「お兄様はこのまま国で王位継承権を持ったままだとまた暴走するかもしれませんし、臣籍降下させるにしてもやはりこの国では貰い手がいません。
なので他国の伯爵家あたりに婿入りする形となりました。あちらはやり手なので、お兄様が今回のように先走って暴走するような事もないでしょう。あくまでも必要なのは種だけですので」
「あらまぁ。それはなんというか……」
「それに伴って、お兄様の婚約者候補だった方々には王家が責任をもって新たな縁を結ぶこととなりました。薄々お兄様が次代の王になるには向いていない、とお父様も察していたのでしょうね。だから婚約者をすぐに決めず、候補の段階で留めていた。
あぁ、それから」
そこで一度言葉を切ったフィロリーヌに、アンジェリカははて、まだ何かあるのかしら? と首を傾げた。
「お兄様の部屋にあった本の中でも娯楽本に該当する物のほとんど、と言ってもいいようですが、そこに出てくる悪役、それも途中でやられるような相手って基本的にチビデブノッポの三人組でして」
王女の口からチビデブノッポという言葉が出てくる事に、なんだかそぐわないなと思いながらもアンジェリカは黙って耳を傾けた。
フィロリーヌが本当に意味を理解しているのかも微妙だなと思えたのだ。
多分、作中に出てきた単語そのままをおぼえて口に出しているだけのように思える。
「恐らく今回の悪役として貴方が目をつけられたのは、そういう部分からだと思います……」
本当にあの人ったら……とうんざりしたような呟きは、まぁ仕方のない事と言えた。
今回の一件で王家もそれなりにいらぬ労力を費やしたのだから、愚痴の一つや二つ出てしまっても仕方がない。
「少し、残念ですわね」
「え?」
「だって最初にそれがわかっていたなら、せめてもうちょっと悪役として振舞ってみせるくらいはできましたのに」
「悪役を?」
「えぇ。だってわたくし、今の今までそういった機会はなかったのですもの。
勿論わたくしの事をよく思わない方々に裏で太っているだとかみっともないだとか言われているのはわかっているのです。そうしてそういった方々はわたくしの事を軽んじているようでしたので、どうせなら巨悪を演じて脅かしてみようかな、って」
「無理だと思いますわ。だって貴方、人が良すぎますもの。
貴方に救われた平民の数が、どれだけいる事か」
「そう? わたくしの手の届く範囲だけですもの、救った、などとは流石に大袈裟では?」
「わかってないのですね……」
フィロリーヌは思わず溜息を吐いた。
確かにアンジェリカは自分の食欲を満たすためだけに行動したのかもしれないけれど、その結果雇用された者たちの数はかなりのものになっている。料理人としての職を得た者だけではない。レストランが出来れば給仕といった仕事も必要になるし、新たに店を作るために大工だって働く機会を得た。店に必要な家具や食器といった物だって新たに注文するのならそれらを作る職人たちに依頼が入る。
そういった様々な部分で多くの人が必要となったのだ。
田舎では仕事がなくて都会にきて一旗揚げよう、なんて思っていた者たちもいたが、しかし王都だって職が余っているわけでもなかった。結果として出稼ぎにきたけれど稼ぐ以前の話だった、なんてこともあったのだが、アンジェリカによっていくつかの雇用が生じた事で、折角都会に来たけど帰るにも道中にかかる費用もないため王都のスラムに流れ着いて犯罪に手を染めるような人数が減ったのも事実である。
それだけではない。
食材の確保のためにアンジェリカは田舎にも目を付けた。
作物を作る村もあれば、家畜を育てている村もある。
長閑で平和な村ではあるが、今まではそこまで注目もされていなかった。
だが、そういったところで作り出された作物や、畜産物もアンジェリカが目を付けた事で、今まではそこまで需要が無かった物でもある程度の需要が生まれたのである。
ロクな仕事もないからと都会に出ようとしていた若者たちも、都会に行かずとも稼げる仕事が出た事で、なんだったら廃業しちまえこんな仕事、なんて悪態ついてた者たちも、手のひらをくるっと返して村の特産品の作成に力を入れた。
若い世代が出ていくばかりでいずれ滅びるであろう村では、都会で上手くいかなかった者たちが仕事を求めてやってきて、後継者がいなかった職人のところに弟子入りする者も現れ少しだけ発展したところもある。
それというのも、美味しいものは皆で分け合うべきだ、というアンジェリカの考えがあったからだ。
ただ自分の屋敷だけで美食を追求していただけでは、ここまで様々な場所に影響を出すまでには至らなかっただろう。
そう言ったところで、アンジェリカ本人は「お恥ずかしい話ですけれど、わたくしはただの食いしん坊なだけですわ」と言うのはわかっている。何故って既に以前その手のやり取りをしたからだ。
アンジェリカは純粋に『美味しい』を求めているだけだが、その結果職を失っていた民に新たな雇用を与え、寂れた村を賑わせ、周囲にも美味しい物が広まる事で様々な影響を与えている。
フィロリーヌは正直モルダーがやらかさなければ、本当ならアンジェリカが嫁に来てくれればな、と思った事だってあったのだ。
民からの人気もあるし、その影響力は侮れない。
まぁ、兄はアンジェリカのようなふくよかな女性をきっと嫌うだろうから、どのみちそれはフィロリーヌの想像だけで終わってしまったけれど。
平民向けの店も、貴族向けの店も、アンジェリカが手掛けたところはどこも美味しいと評判だし、アンジェリカ本人もその家のライオット家だって、派閥の問題を考えると是非とも将来の王妃として来てほしかった。兄の婚約者候補だった令嬢たちは、兄があんななので……結構癖が強いというかなんというか……義理の姉になったとして、上手くやっていけるとは思うけれども……アンジェリカのように手放しで気軽に仲良くできる感じじゃないだけで……
と、考えれば考えるだけフィロリーヌが勝手に逃した魚が大きく感じるだけなのだが。
「どう考えたって貴方に悪役は無理よ。それはきっと私の役目だわ。
だからね、アンジェ」
わたくしだって悪役っぽく振舞うくらいできますわ、と妙なところでふんすふんすとやる気を出しているアンジェリカに、フィロリーヌはとびきり悪そうな笑みを浮かべる。
「次に何かしようと思うのなら、その時は私にも一枚噛ませなさい。
裏で全てを操る黒幕ムーブを伝授してあげますから」
「凄い……王女殿下今完全に世界を掌握した黒幕みたいでした……!」
わぁ、と目をキラキラさせるアンジェリカに。
仮に黒幕ムーブを伝授したところで彼女じゃそうはならないでしょうね、と思うのであった。
次回短編予告
行商人をしているミカは追放された聖女様を回収した。
役に立ちそうにないからと追放した国に関してそれとなく情報を集めたら案の定だよあの国は……
まぁ、自分には関係ないんだけどね、っていう完全なる第三者目線の話。
次回 役立たずと追い出された聖女が国を出た後の話
テンプレ何番煎じだろうとも出涸らしになったってこねくり回していく所存。
投稿は近日中。