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短編達

ずっと前から、月は綺麗だったよ

作者: 衣末

「月が綺麗ですね」


彼に背を向け、夜空に輝く満月を見上げながら、私は言った。


「え」


後ろから、彼の驚いた様子の声は聞こえてきた。きっと、普段空に興味がない私がいきなりこんなことを言ったからだろう。


この言葉は、とある文豪が、英語の「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話が由来らしい。直訳すると「愛してる」になるが、文豪は、日本人の性格からして「愛を告白する時に、直接的な表現をしないはず」と考え、このような言い回しを思いついたそうな。

実に回りくどい、それでいてとても便利な言葉だ。告白として使うもよし、もし失敗したら「ただ、月が綺麗だと思っただけ。意味はない」と誤魔化してしまえばいい。


もっとも、日本文化が存在しないこの異世界では、そんな意味は持たないし、通じないが。


(今日でこの恋は終わり。綺麗さっぱり忘れよう)


既に婚約者がいる私は、彼に直接的に告白できない。してはいけない。だから、学園を卒業する時に、この恋心とはお別れしようと決めていた。告白なんかするつもりはなかったのに、気付いたらあの言葉を呟いていた。


(ダメだなぁ。私、未練たらたらじゃない)


まぁ、伝わってないからセーフだセーフ。


「なんでもないわ。さ、戻りま」

「死んでもいいよ」


少し気まずくなった空気を誤魔化すように振り向いた私の言葉を彼が遮った。


「え?」


まさかの返事に私は大きく目を見開いた。

(え?なんで?どうして知ってるの?え?)

だって、その言葉は…



☆ ☆ ☆



「リシュエンヌ、お前の婚約が決まった」


無駄に豪華な家具ばかり置いてある、目が痛くなりそうな書斎のこちらも無駄に豪華な椅子にふんぞり返っている男こと、私の父親であるルナ伯爵が嬉々とした様子で言った。


(は?)


普段なら絶対に私を自分の書斎なんかに入れないから何かあるんだろうなと思ってけど…そういうことか。賭け事や豪華なものに目がないこの男のことだ。大方支度金に釣られたんだろう。


「そう…ですか。ちなみにお相手は?」


うちみたいな貧乏伯爵家を援助してくれる物好きは誰なのか。最近勢いがあると噂の男爵かしら?でもあそこの当主って70過ぎてたわね…それとも金鉱で有名な伯爵家?でも当主に今奥様はいないけど、あの亡くなった奥様一筋と噂の伯爵が再婚の話を受けるはずないし…一体誰なのかしら。


「クリスフォード公爵家のレイモンド殿だ」

「え?」


予想外の人物に一瞬思考が止まった。

クリスフォード公爵家。我が国の建国時から存在する由緒正しい名門公爵家。最近公爵夫妻が事故で亡くなり、ご子息のレイモンド様が後を継ぐことになったと聞いたけれど…


「レイモンド様って、まだ七歳ではないですか!?私今年で17ですよ?」

「あぁ、そんなのわかっとる。なんでもあの公爵家は、公爵位を継承する時、継承者は結婚していないといけないという決まりがあるらしくてな。妻も婚約者もいないレイモンド殿で公爵位を継げず、傍系に爵位が行ってしまうことを危惧した前公爵夫人からの縁談だ。代わりに援助を約束してくれた」


ルナ伯爵はニヤニヤとそれはそれは嬉しそうだ。今この男の頭の中は、嫁がせる娘についてではなく、賭け事でいっぱいなんだろう。おかげでうちは借金だらけ、今はなんとか先祖代々受け継がれる家宝とか絵画とかを売っているけれど、そろそろ売れるものは底をつく。我が家は没落の一途を辿っていると言ってもいいだろう。

まぁ、この男に対する期待はとうの昔に消え失せているから、今更こんな反応に傷つくことはない。


「これは決定事項だ。反論は聞かん。学園を卒業した後すぐ嫁ぐように」


もう用済みだとばかりに、ドアを指差して言う。出ていけと言うことなんだろう。


「…かしこまりました」


貴族の娘に結婚の選択権はない。親に決められた相手に嫁ぎ、家同士の関係を強固なものにし、国の役に立つこと。それが、普段平民よりも豊かな暮らしをしている『貴族』のつとめ。今回の縁談も公爵家の血筋を守るため。文句は言えない。


パタン

書斎のドアを閉め、私は自室に急ぐ。

好きな人と結ばれたいなんて、我儘だ。

私だっていずれはあの男が決めた相手と結婚することは覚悟していたし、実際のお相手は良かった。でも…タイミングが悪すぎる。


(明日、告白しようと思ってたのに…)


私の願いは、我儘は、一生叶わなってしまった。



☆ ☆ ☆



翌日、私は重たい足を引きずって学園に登校した。


私が通うのは、サン国立学園。貴族の令息令嬢のための学習の場として造られ、どの学科もレベルが高く、1000年という歴史を誇る名門学園。貴族の子が13歳から17歳までの間、寮に住みながら通い、この学園を入学試験を通過して、卒業できれば一人前の貴族として認められる。


今日は得意な歴史の授業もあるし、しばらく家の都合で会えていなかった友達にも会える。楽しいはずだ。だけどその楽しみを吹き飛ばしてしまうのは、昨日の私の行動で…


(呼び出してしまった)


彼に告白するつもりで、今日中庭で一緒にランチをしようと誘ってしまったのだ。こんな誘い、今までだったら絶対しなかったから、彼は何かあることは察しただろう。


(何やっているのよ!昨日の私!)


二年前から彼が好きで、あと二ヶ月で学園を卒業してしまうことに焦って、告白しようとしていた。それがたとえ失敗したとしても、どうせ学園を卒業したら、貧乏伯爵令嬢と王弟が会うことなんてない。だから告白してしまおう、と思っていた。


「おはよう。リシュエンヌ」


どうやって誤魔化そうか考えていると、当の本人がやってきた。


アルフレッド・サン。現国王の歳の離れた弟で、私と同じ17歳。王族特有の濃い金髪と夜空を溶かし込んだような濃紺の瞳を持つ美青年であり、成績は常に上位で、毎回テストで主席と次席を争う好敵手ライバルでもある。


「おはよう。アルフレッド」


そう言って振り向けば、いつも通り優し気な微笑みを浮かべた彼がいた。横を通り過ぎていく女子生徒がチラチラと彼を見ている。相変わらずの人気ぶりだ。


「昨日は伯爵に呼び出されたと聞いたけれど、大丈夫だった?」

「えぇ、まぁ、色々あったけれど、大丈夫よ」


嘘だ。ちっとも大丈夫じゃない。


「そう…良かった」


私の言葉に彼は嬉しそうに笑った。それがたまらなく嬉しい。たとえそれが、私が嘘をついた結果だったとしても。


(ごめんなさい、アルフレッド)


私の勘違いでなければ、昼休みにあなたのその笑顔を歪めてしまう。でも、伝えない訳にはいかないのだ。

この恋は、もう叶わないことが決まったのだから。



☆ ☆ ☆



昼休み。食堂でお昼ご飯をテイクアウトして中庭に向かうと、すでに彼はいつものガゼボに腰掛けていた。


「お待たせ」


一言断りながら向かいに座る。チラッと彼を見るといつも通り穏やかな微笑みを浮かべていた。その美しい濃紺の瞳が、他の人に向けられるものよりも甘さを含んでいるように感じるのは、私の思い上がりだろうか。


「いや、そんなに待ってないよ。じゃあ、食べようか」

「えぇ」


いつも通り他愛の無い話をしながら、ランチを食べる。内容は、大体昨日結果が発表されたテストについてだが。年頃の男女が二人が、甘い言葉のひとつもなく、勉強の話をしているのもどうかとは思うが、これが私たちの唯一の共通点だ。本来、婚約者でもなければ、雲の上の存在である王弟殿下と貧乏伯爵家の令嬢に接点はない。私にとって勉強は、楽しいものでもあり、二年前に惚れてしまったこの人と話ができる唯一の手段なのだ。


(この時間が、永遠に続けばいいのに)


後二ヶ月で学園は卒業。なんなら、婚約者ができた今、こうして二人きりなんてことはできない。本当に最後だ。だからこそ、こうしていつになく喋っている。できるだけこの時間が長く続くように。


「ところで、リシュエンヌ。話ってなんだい?」


避けに避けてた話がついに降られてしまった。まぁ、話がある、と呼び出しておいていつまでも本題に入らないのだ。ましてや、学園で前世の記憶を持つ私と主席争いをするほどの頭脳の持ち主である彼がそれに気付かないわけがない。


「え、っと」


(どうしよう。婚約者について話すつもりだったけれど、いざとなると言い辛い…)


―――もういっそ予定通りに告白して仕舞えばいいじゃない―――


一瞬そんな考えがよぎった。それは、まるで悪魔の囁きのような、甘美な誘い。


―――婚約者のことなんて忘れて、想いを伝えてしまえ。彼だって憎からず私のことを思ってくれるはずじゃない――― 


なんて自分勝手で、それでいて魅力的な考え。


「私は…」


(だめよ!)


自分の思考に乗って自分の思いを口にしてしまいそうになったその時、私の理性が働いた。


(そうよ。親に決められたとしても、婚約者がいるのに殿方に『好き』なんて言ってはいけない。貴族として、それはダメでしょう)


それが、私が大好きなこの微笑みを歪めてしまう事実だとしても。


「っ、私ね婚約することになったの」


私の言葉を聞くと彼は、驚いたように大きく目を見開き、一瞬その綺麗な、さっきまで楽しそうに微笑みを浮かべていたかんばせを歪ませた。

その顔をみた途端、なぜか泣きたくなった。鼻の奥が痛い。私が泣くことじゃないのに。…でも、最後まで伝えなくては。表情に出してはいけない。


笑え、私。お母様に似て、『妖精姫』とまで謳われるこの顔が一番美しく見えるような、角度で、仕草で。作り物の笑顔を。


「お相手は、クリスフォード公爵家のレイモンド様ですって。貧乏な伯爵家には勿体無いほどの良縁ね」


なるべく明るく、さも喜んでいるかのように私は言い切った。

彼は、少しだけ呆然としてから、微笑みを浮かべて、まるで動揺なんてなかったような様子で言った。


「そっか…婚約おめでとう、リシュエンヌ」




現実は残酷だ。

御伽話のように、ハッピーエンドで終わってくれない。少なくとも、親の庇護下にいる現時点では、この恋は一生叶うことはないだろう。



☆ ☆ ☆



それからは、何事もなく平和な時間が過ぎていった。いつも通り授業を受けて、友達と遊んで、卒業までの二ヶ月間を謳歌する。

唯一今までと違うことを挙げるとするなら、卒業を目前として最後だからと告白ラッシュが起こっていることだろうか。みんな、私と同じようなことをしようとしている。


婚約者をドロドロに溺愛していることが有名な第一王子などの婚約者がいる人たちを除く(婚約者がいるとわかっていながら告白をする猛者もいるが)、未だに婚約者がいないアルフレッド(王弟)や隣国から留学している王女、学園三大美姫を筆頭に連日呼び出されている。と言うことは、その三大美姫とやらの一人である私は…


「リシュエンヌ様。お慕いしています!私の恋人になっていただけませんか!?」


絶賛、呼び出し&告白されている。今日何回目…?

顔を真っ赤にしつつそう言うのは子爵家の令息。名前は確か…ベンジャミン・モース。同学年ではあるものの、同じクラスであったことは一度もない。だから関わりはなかったはずだが…


「えっと、ベンジャミン様?私の記憶にある限りお話したことはないはずなのですが…」

「なな、名前!?覚えてくれて!?あ、はい!えっと、私が一方的にお慕いしていただけなので!話をさせていただくのは今日が初めてです!」

「そう…」


少し首を傾げただけで見事な狼狽えっぷりだ。自分の容姿が人の目を惹くことは自覚しているが、ここまで顔を真っ赤にして慌てられると、恐ろしいまでに感じる。


「申し訳ないけれど、婚約者がいるので、お断りさせていただきます。ごめんなさい」


二ヶ月前に婚約したことが広まらなかったせいか、いまだに私に婚約者はいることを知らない人が多い。この断り文句を使うのは今月に入って何回目か、そろそろ噂が広まってもいい頃だけどな。


「婚約者、ですか。そうですよね…リシュエンヌ様に婚約者がいないわけがないですよね…お時間いただきありがとうございました…」


そう言ってトボトボと背を向けて帰る姿に今まで振った人たちの姿に重なる。告白を断ったことを後悔はしていないけれど、やっぱり申し訳ない。


(全く、なんでみんなこんな顔だけの、中身35の女を好きになるのかしら)


そうため息を吐きながら角を曲がると、今度は侯爵家の次男が赤いチューリップを持って跪いていた。そしてその体制のまま言った(叫んだ)


「リシュエンヌ嬢!あなたが王弟殿下と婚約していることはわかってるが!俺はあなたが好きなんだ!だから、俺と付き合ってくれ!」

「は?」


いきなりのことに私は困惑を隠せない。開口一番に告白もどうかと思うけど!と言うか、絶対さっきの告白聞きながら待ち伏せいてたな!?それにアルフレッド私が婚約しているってなに!?


「ちょっと待ってください?私がアルフレッ…王弟殿下と婚約しているとはどう言うことです?」

「え?婚約者って王弟殿下ではないのですか!?だってあんなに仲睦まじい…え?」


どうやら、私に婚約者がいると言うのが広まると同時に、その相手がアルフレッドであると言う噂が流れているようだ。一体何をどう勘違いしたらそうなるのだ。明らかに釣り合ってない。


「私の婚約者はクリスフォード公爵家のレイモンド様です。王弟殿下とは友人として仲良くさせていただいておりますが、そう言った関係ではございません」

「な、なるほど」


そう言いながら、この噂をどう否定しようか、頭を抱えるのであった。



☆ ☆ ☆



「へぇ。そんなことがあったの?やっぱり『妖精姫』はモテモテね」

「あなたも人のこと言えないでしょう。『氷の薔薇姫』」

「あら、私はこの婚約者様がいるから誰一人告白なんかしてこないわよ?」

「だったらどうして私はこんなに…私にだって婚約者がいるのに」


その日の放課後、私の話をお茶を飲みつつ聞くのは、アリアドネ・インフォード侯爵令嬢。第一王子にめちゃくちゃ溺愛されている婚約者で、異性に対する塩対応が原因で『氷の薔薇姫』とも呼ばれる私の従姉妹。学園三大美姫の一人でもある。同い年の従姉妹ということもあって、親友と一緒によく相談に乗ったりもしてもらっているのだけれど…


「一応聞きますが、どうして殿下がここにいるんです」

「しばらく、公務でアリアに会えなくなるからな。充電しておこうと思って」

「しばらくと言っても三日だけでしょう。エリオットは大袈裟すぎなの。はい、さっさといってらっしゃい。邪魔しないで」

「やだ」

「やだじゃない!」


アリアドネと親友と話をしていると、五回に一回ぐらいは第一王子がついてくる。いくら婚約者命みたいな人でも、女子会に入ってくるのはどうかと思う。

そして、どちらかと言うとキツめな美貌を持つ第一王子が婚約者に子供のように扱われている様は、何度見てもなかなかシュールである。


「で、最近リシュエンヌ嬢の婚約者がアル兄…叔父様だって噂が流れてるんだっけ?」


なんの遠慮もなく会話に参加しているし…


「そうらしいです。一体何をどうしたら勘違いが起こるんでしょうね?そして?なんで王弟殿下とこんな血筋だけの貧乏伯爵令嬢が婚約していることをみんな普通に受け入れて、噂が広まってるのか不思議でなりません」

「あなたそれ本気で言ってるの?」

「自覚なしか…」

「どう言うこと?」


私がそういうと、アリアドネも第一王子も呆れた目を向けてきた。何にも間違ったことは言ってないのに。


「17にもなって婚約者どころか恋人もおらず、女性には一歩引いている叔父が、そなたとは親しく接するからな。叔父とそなたが並ぶところは実に絵になっていたし、お似合いだった。俺もこのまま婚約するものだと思っていたが、的が外れてしまった」

「そうよ。私だってリシュエンヌがクリスフォード家と婚約したって聞いて驚いたもの」

「実際は勉強の話ばかりなのに。ただの友達のはずなんだけど」

「満更でもないくせに」

「説得力が1ミリもないぞ」

「そんなことありません!」


相変わらず涼しい顔してお茶と啜るアリアドネと、彼女の髪を弄りながら語る第一王子、この二人には(第一王子については勝手に参加してきた)アルフレッドについてもよく相談していたので、私の恋心は知られているので、否定は無駄な抵抗なのであった。



そんなハプニングもありつつも、一生思い出として残るであろう楽しい三年間は、あっという間に過ぎ去り、ついに卒業の日がやってきた



☆ ☆ ☆



卒業式も終わり、今は卒業パーティーの真っ最中。みんな思うように着飾って、学園最後の日を楽しむのだ。友達と思い出話に花を咲かせたり、先生方に感謝のサプライズ企画があったり、好きな人をダンスに誘ってみたり、たとえ婚約者がいようとも今日だけは皆目を瞑ってくれる。そんな楽しい卒業パーティーを私は親友たちと過ごしている。


「たーのしー!本当に風邪が治ってよかった!」


そう、本当に嬉しそうに笑いながら言うのは、イリス・ヴェラーネ子爵令嬢。好奇心旺盛で、落ち着きがな…とても元気な私の親友。健康優良児な彼女は珍しく、学園を風邪で二週間程度休んでいた。卒業式までに治るのか不安だったけれど、こうして元気にはしゃいでいるのを見ると、安心する。


「そうね。私、あなたが風邪をひいて休んでいる、と聞いて明日は隕石でも振ってくるのかと思ったもの。ねぇ、リシュエンヌ」

「でもまあ、雨に打たれたおかげで婚約者との距離も縮まったんだし、結果的にはよかったんじゃない?」


そう、今回彼女が体調を崩したのは、婚約者家族と行った旅行で地面の裂け目に足を滑らせて落ち、そのまま雨に打たれたらしい。一緒に歩いていたら騎士の婚約者が庇ったおかげで、怪我はなかったらしいが、ずいぶん危険なことをしたものだ。


「そういわれればそうだねー!カッコよかったよー!」

「あらあら」


頬を真っ赤に染めて言うもんだから、もう可愛いくて、自分の頬が緩むのがわかる。恋愛なんて1ミリも興味なし!って言い切っていたのが嘘みたい。


「楽しくお話ししているところ申し訳ありませんが、我愛しの婚約者殿。貴女と踊る栄誉を私にいただけませんか?」

「えぇ、よろしくってよ」


芝居がかった仕草でアリアドネをダンスに誘う第一王子。よくもまぁ、そんな歯の浮くようなセリフが似合うものだ。この美貌の第一王子が言うと全く違和感がない。アリアドネも乗っかってるし。


「行ってらっしゃい。楽しんで」

「いってらっしゃーい。私もオーエン誘ってこよ!リシュエンヌ、また後でね!」

「うん」


そう言ってイリスは、とてもドレスを着てヒールを履いているとは思えないスピードで婚約者の元へ向かっていった。お転婆ぶりは変わらないらしい。


(一人になっちゃった。何しようかな)


元からコミュニケーション能力があまり高くない私には、多くの友達はいない。まぁ、自分から話しかけに行かなかったのだからしょうがないけれど…

お菓子でも食べようかと、体の向きを変えた時、こちらに無数の手が差し出された。


「ルナ伯爵令嬢!僕と踊ってくれませんか!?」

「ずっと前からお慕いしてました。お願いします、私と踊ってください」

「リシュエンヌ嬢、俺とダンスをしてくれ!!」

「リシュエンヌ様、最後の思い出として、僕を助けると思ってダンスに誘わせてください」


我先にと放たれる誘い文句の数々。周りがみんな婚約者がいるから、この可能性を失念していた(私にもいるのよ?婚約者)。この人たち全員と踊ったら足が持たない。かと言って一人だけ選んでも、あいつとは踊ったのだからと言われかねない。


(しょうがない、全員断るか…一回断ったら引くかな?)


「えっと、みなさま?申し訳ありませんが私は…」

「すまないな。彼女は私と先約があるんだ」


面倒くさく思いながらも断ろうとした時、殿方と私の間にアルフレッドが入り込んできた。


「え?」

「さぁ、行こうか」


いまいち状況が飲み込めなくて目を白黒させている私の手を引いて、アルフレッドはさっさとダンスが行われている会場に連れて行き、片手を胸にあてて言った。


「私と踊っていただけませんか?リシュエンヌ」


少し顔に熱が集まるのがわかった。どうしてこんなに王家の人は誘い文句が似合うのかしら。こんなの…了承するしかないじゃない。


「喜んで」


私は笑顔で彼の手を取った。最後の、最後の思い出としてはいいじゃないか。


音楽が流れ出し、お辞儀をしてから踊り始める。


「先約なんてあったかしら?」

「いや、なんか困ってそうだったから…迷惑だった?」

「ごめんなさい、冗談よ。助かったわ。ありがとう」


少しからかったつもりが、眉を下げて聞いてくるものだから、少し罪悪感が湧いてくる。


あ、どうしようステップミスした。


フワッ


ミスをして倒れかけた私を受け止めて、さも元々あったかのようなごく自然な動作で、アルフレッドはミスを修正した。他人の目にはただアレンジしたように映っただろう。少し、歓声が上がった。


(うまいわね…)


「ありがとう」

「このくらいどうってことないよ。…ねぇ、このダンスが終わったら花畑に行かない?」

「いいわよ。あなたずっと踊ってたものね。なのに私を助けるために踊ってくれて、大丈夫?疲れてない?」

「いや大丈夫。むしろ君と踊れたんだから、疲れなんて吹き飛んだね」

「っ!そう…なんかさっきから助けてもらってばっかりね」


また思わせぶりなことを…明確に自分の顔が赤く染まっているのがわかる。ダメよ、勘違いしちゃ。だって、友達なんだもの…

そろそろ音楽が終わる。この人と踊るのも最後かと思うと名残惜しい。二人で踊ること自体初めてなんだけど。


〜♪


「ありがとう」

「え?」

「なんでもない」


音楽が終わり、互いにお辞儀をしてダンスを終わる。


「行こうか」

「えぇ」



☆ ☆ ☆



「わぁ」

「満開だね」


花畑には満開の紫色のリナリアが一面に咲いていた。

昼間日の下でみるのも綺麗だけれど、月光に照らされて風に揺れる様子は神秘的で、幻想的で、なぜか泣きたくなってしまった。なんだか最近涙脆い気がする。


(あ、満月…)


「月が綺麗ですね」


彼に背を向け、夜空に輝く満月を見上げながら、私は言った。


「え」


後ろから、彼の驚いた様子の声は聞こえてきた。きっと、普段空に興味がない私がいきなりこんなことを言ったからだろう。


この言葉は、とある文豪が、英語の「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話が由来らしい。直訳すると「愛してる」になるが、文豪は、日本人の性格からして「愛を告白する時に、直接的な表現をしないはず」と考え、このような言い回しを思いついたそうな。実に回りくどい、それでいてとても便利な言葉だ。告白として使うもよし、もし失敗したら「ただ、月が綺麗だと思っただけ。意味はない」と誤魔化してしまえばいい。


もっとも、日本文化が存在しないこの異世界では、そんな意味は持たないし、通じないが。


(今日でこの恋は終わり。綺麗さっぱり忘れよう)


既に婚約者がいる私は、彼に直接的に告白できない。してはいけない。だから、学園を卒業する時に、この恋心とはお別れしようと決めていた。告白なんかするつもりはなかったのに、気付いたらあの言葉を呟いていた。


(ダメだなぁ。私、未練たらたらじゃない)


まぁ、伝わってないからセーフだセーフ。


「なんでもないわ。さ、戻りま」

「死んでもいいよ」


少し気まずくなった空気を誤魔化すように振り向いた私の言葉を彼が遮った。


「え?」


まさかの返事に私は大きく目を見開いた。


(え?なんで?どうして知ってるの?え?)


だって、その言葉は…「月が綺麗ですね」の返事として使われる言葉だから。

「死んでもいいわ」この言葉はまた別の文豪が、異国の物語を翻訳する中で、「ваша(yours)」を「死んでもいいわ」と訳したことが由来で、よく「月が綺麗ですね」の対となって使われる。直訳すると「私はあなたのもの」。

実際はこの二つのエピソードはまったく別のもので、文豪が「月が綺麗ですね」と訳したかも定かではなく、あくまで逸話ではあるが、とてもロマンチックな言い回しだ。


そして、この返事が帰ってきたということは…両想いであり、彼も転生者だということ。


(あぁ、なんで言ってしまったんだろう。こんなの、知らない方がよかったのに)


「……っそっかぁ…ありがとう。三年間、楽しかったよ。本当に。この感情は一生ものの宝物…………あぁ、変な事言ってごめんね」


『さ よ う な ら』


そう言って口元に笑みを浮かべる。頬に一筋の涙が溢れたのがわかった。我慢できなかった。最後は口先の動きだけの言葉だったけれど、彼には伝わったらしい。彼も泣き笑いを浮かべながら言った。


「あぁ、そうだね。本当に、意味がわからない」



これで、本当の終わりだ。

リシュエンヌとアルフレッドの淡く、はかない、けれども確かにあった恋物語は完結。きっとこれが物語だったら悲恋というジャンルになるのだろう。

この恋は、この感情は、押し込まなければ。

だって宝物は、奥深くにしまって、厳重に閉じ込めておかなければ、溢れてしまうのだから。



☆ ☆ ☆



「初めまして、レイモンド様。ルナ伯爵家が娘、リシュエンヌと申します。不束者ですが、これからよろしくお願いします」


無事学園を卒業し、私はクリスフォード公爵家に嫁いだ。今は、夫となるレイモンド様と初の顔合わせだ。


「あぁ、お初にお目にかかる。クリスフォード公爵家が嫡子、レイモンドだ。君の夫になる。レイと呼んでくれ。よろしく」


そう、七歳という年齢に似合わないほど大人びた様子で自己紹介したのは、レイモンド・クリスフォード公爵令息。クリスフォード家特有の真っ直ぐな黒髪に、好奇心が見え隠れるするルビーのような真っ赤な瞳。未だあどけなさが残るものの、将来は美人まっただ無しであろうほど整った容姿。まぁ、前世のお姉様方がお好きそうな美少年ショタであった。


(私はショタ好き…というか歳下好きとかではないけれど、まぁ見惚れるくらい綺麗ね)


「私はフィーネ。前公爵夫人で、今はレイモンドの後見人です。私のことは、是非お義祖母ばあ様と呼んでください?リシュエンヌさん、ようこそ我が家へ」


前公爵夫人…お義祖母様は、なにがなんでも孫を公爵にしようとする、厳しいご夫人。という私のイメージに反して、とても親しげに接してくださった。


「はい。ではお言葉に甘えて、お義祖母ばあ様と呼ばせていただきます」


(よかった。とてもいい人そうね。なんか前世のおばあちゃんを思い出すなぁ)


前世の実の祖母も、こんな感じで温厚で優しげな雰囲気を纏っている人だった。


(おばあちゃん元気かな?)


「リシュエンヌ?ボーッとしているが、大丈夫か?体調が悪いのか?」


なんだか懐かしくなって感傷に浸っていると、レイモンド様が心配そうに顔を覗き込んできた。


「あ、えぇ。すみません。少々考え事を…」

「そうか、ならよかった。じゃあ、屋敷を案内するぞ!」


レイモンド様は嬉々として私の手を引いて歩き始めた。さっきはすごい大人びてる印象を受けたけれど、やっぱり子供らしい一面もあるようだ。


(可愛い…)


一生懸命屋敷を案内する様子に思わず私の頬がゆるむ。


一時はどうなることかと思ったけれど、案外楽しくやっていけそうだ。



☆ ☆ ☆



クリスフォード公爵家に嫁いできて五年。私は二十二歳、レイは十二歳になった。

今はやっと落ち着いて、平穏な日々を過ごしているが、この五年間、本当にいろんなことがあった。


まず、クリスフォード家の親戚のアポ無し突撃。叔父やら従兄弟やらはとこやら、まだ幼いレイを懐柔して裏で操ろうなどと思ったのか、延々と自分の有能さ(自称)を語ってきたり、贈り物をよこしてきたり。私とお義祖母様が追い返したり、送り返したり、脅s…注意勧告をしたりして、一年くらいかかってやっと諦めてくれた。


次に、国王が代替わりしたのだ。国王陛下はいまだご存命だけれど、早々に表舞台からの退いて、王妃様と王家の領地でまったり過ごしたいらしい。

今は第一王子が後を継ぎ、国王として采配を振るっている……のだが、それでなにが大変だったかと言うと、国王の代替わりに伴う、大幅な政治改革に合わせるのが大変すぎた。前国王は良くも悪くも保守的で、これまでの慣例を守っていくスタンスだったが、新国王は違った。次々と慣例を破り、これまでの法を、文化を変えまくった。

結果的に国は繁栄したものの、二年前は、レイもまだ勉強中で、お義祖母様も政治はあまり詳しくなく、私が公爵代理として仕事をこなしていた。碌な経験もないのに次々と変わる時代についていくのは本当に大変で過酷だった。しかし、死に物狂いで働いたおかげで、今もクリスフォード公爵家は安泰である。ほんっと頑張った。


何よりの事件は、昨年お義祖母様が亡くなったことだろう。優しく、本当のお祖母ちゃんのように接してくれて、時には私の相談にも乗ってくれたお義祖母様。病気に罹り、痩せ細ってしまった状況でも、最後まで私たちを案じてくれた。亡くなってしまった時は、本当に悲しかったし、一か月は引きこもってしまった。本当に、本当に、いい人で、今世では母は私を産んですぐ亡くなり、ロクデモない父親しか家族という記憶しかなかった私に、暖かい家族を教えてくれた。優しい人。


「お義祖母様が亡くなって一年、か。時の流れは早いこと。悲しんでいたら一年も立っているんだもの」

「そうだね。今週のうちに墓参りに行こうか」

「えぇ」


今はフリータイム。私達は朝食を食べ終わったあとはいつもこうして、紅茶を飲みつつ談笑している。レイは、五年前から身長も伸び、随分と大人びた口調で喋るようになった。昔は背伸びしている感があったけれど、いつしか自然と大人っぽい行動をするようになり、今では新聞なんて読んでいる。成長したなぁと思うと同時に、少し寂しくもある…なんて年寄りっぽしかしら。


「………大公閣下が離縁されるらしい」

「え?」


今日の新聞に目を通していたレイが、少し驚いた様子でそう言った。

学園を卒業後、アルフ…王弟殿下は臣下降籍し、大公となった。そして、隣国との関係強化のため皇女様と結婚した。政略結婚で結ばれたものの二人の関係はとても良好で、傍目から見てもとても仲が良い。幸せそうだったのに…


「離縁されるの?あんなに仲が良かったのに?」

「うん。隣国の皇帝と皇太子が流行病に罹って逝去されたって記事が何日か前にあっただろう?そうしたら、現在直系の後継者が大公妃しかいなくなったらしい。帝位を継ぐために離縁して隣国の帰るそうだ」

「そっか…」


大公妃とは何度かお茶会でお会いしたことがある。可愛らしい顔立ちをしていて、容姿だけ見ればとても同い年とは思えなかったけれど、頭の回転が早く、機転が効く方だったと言う記憶がある。お友達…とまでは行かなかったけれど、国際政治や流行のお話でとても盛り上がった。今度展覧会にお誘いしようかと思っていたから、残念だ。


「大公夫妻、あんなに仲が良いと言われていたのにな」

「世の中、なにが起きるか分からないわね」

「あぁ」



☆ ☆ ☆



あれからさらに五年が経ち、私は二十七歳、レイは十七歳になった。レイは、思った通り、誰もが振り返る美青年に成長した。背は伸び、肩幅は広くなった。艶のある、この国では珍しい黒髪、理知的な印象を受ける切れ長な瞳はの色は真紅。その顔のパーツはどれも整っていて、まさにクールな美青年。今年で学園の卒業で、今日は寮から侯爵邸に帰って来ている。今は二人でディナーを食べている。


「なぁ、リシュエンヌ。学生時代に、恋人か好きな人とかいたのか?」

「は」


唐突にレイがそんなことを聞いてきて、思わずステーキを切り分ける手が止まってしまった。


「…藪から棒にどうしたの?私はレイ一筋よ?」


嘘である。弟に向けるような家族愛的な感情はあるが、アルフレッドに抱いていたような恋愛感情はない。でも、妻としてこれくらいは言っておいた方がいいだろう。


「嘘だ。君は俺にに恋愛感情を持ってないだろう。そう言うのはいいから、普通に教えてくれ」


こんなにレイが恋愛について知りたがるなんて初めてだ。さては好きな人でもできたな?


「そうねぇ。恋人はいなかったけれど、好きな人はいたわよ」

「誰だ?」

「秘密。あら、これ美味しい」

「じゃあどんな人なんだ?」

「…私と試験で主席を争うくらい優秀で、それを鼻にかけない。優しくて、気遣いができて、自分の方が身分が高いのに、貧乏伯爵令嬢と仲良くしてくれる人よ」

「あぁ……なんで身分差があったのにそんなに仲良くなれたんだ?」


私の説明でおおよそ人物を絞り出したようだ。レイは頷きながらさらに質問を重ねる。


「入学試験で私が主席だったんだけど。その時次席だった彼が話しかけてきてね。最初は試験問題についてどう言うことを書いた?とか、あの問題についてどう思う?とか、話していたんだけど、いつしか毎回試験ごとにそんな話をするようになったの。図書館常連組だったし、話は合ったし、楽しかった。そのうち、ね……なんか恥ずかしいわね」


私は懐かしさに目を細めながら言った。よく思い出したらこんな感じだったっけ…本当に楽しかった。


「身分が上の方から話しかけられたら問題ないのか…じゃあ、最後の質問だ。その人のこと、まだ好きなのか?」

「................宝物は、奥深くにしまって、厳重に閉じ込めなければいけないのよ」

「どう言うことだ?質問の答えになってないぞ」


レイは私の言葉に首を傾げた。でも、私はこれ以外に言いようがない。本当のことだから。


「まぁ、私の話はこれくらいにして。突然こんな話をしてきたってことは、好きな相手でもできたの?」

「……」


レイは何も言わない。時に沈黙は雄弁だ。レイは嘘を吐くことができない性格。だから黙る。そこがいい所なのだけれど。


「いいじゃない。どうせ白い結婚なんだし。学園卒業後ならいつでも離縁に応じるわ」

「そんなあっさりと…」


レイは予想外の反応だったとばかりに言った。そんなに意外だっただろうか。


「だってあなたが言ってたんじゃない。私はあなたに恋愛感情は抱いていないって。その通りだし、あなたのことは弟のように思っているわ。で?お相手は誰なの?もしかして、『しおりの君』かしら?」

「なんでそれを知って……はぁ、レティシア・ファラード伯爵令嬢だ」

「ファラード伯爵令嬢…」


私の勢いに観念したのか、レイは素直に白状した。

ファラード伯爵家。建国当初から続く超名門伯爵家。国内有数の資産家でもあり、同じ伯爵である私の実家ルナ伯爵家とは天と地程も差がある。


(確か、娘が三人いるはずだけれども、レイと同い年だから、次女か)


ちなみに『しおりの君』とは、最近レイモンドが大切にしている、押し花が使われたしおりを彼に渡した人を私が勝手に読んでいる名だ。押し花に使われている花は紫色のリナリア。

かつて私が卒業パーティーの時に行った花畑のものと同じだ。花言葉は「この恋に気づいて」。しかし、この世界に花言葉なんてものは存在しないのだ。偶然かもしれないけれどもしかしたら、そのレティシアも転生者なのかもしれない。


「いいわね。私、その子に会ってみたくなったわ。もしかしたら気が合うかもしれないし。ちなみに、あまりにも非常識とかだったら、反対するかもしれないけど……まぁ、レイが選んだ人なんだから大丈夫でしょう。招待状を書くから、学園で渡してくれるかしら?」

「早急だな…まぁ、会える口実になるからいいか……リシュエンヌ、遅くなってしまったが、君と言う妻がいながら、他の女性に思いを寄せてしまって申し訳ない」

「いきなり畏まっちゃって。いいのよ。最初からレイが学園を卒業したら離縁を切り出すつもりだったし」

「そうなのか?」

「えぇ。だから気にしないで。招待状、よろしくね」


私はそう言って微笑む。三十路近い女に離縁後の貰い手がいるのかは疑問だけれど、十年経った今も容姿は衰えていない自信がある。まぁ、どうにかなるだろう。



☆ ☆ ☆



「お初にお目にかかります。公爵夫人。(わたくし)、レティシア・ファラードと申します。よろしければ、レティシアとお呼びください。本日はご招待いただきありがとうございます」


公爵邸の応接間、そこで彼女は美しいカーテシをした。しかし、表情が少しぎこちないのは、好きな人の妻に呼び出されたからだろうか。それとも、ただ単に緊張しているだけなのか。どちらにせよ、感情が出やすい。私とは真逆のクール系な見た目のギャップに驚きだ。


「急に招待したりしてごめんなさい。私はリシュエンヌ・クリスフォード。一応公爵夫人をやっているわ。リシュエンヌと呼んで?さあ座ってちょうだいな」


とりあえず座って紅茶を一口飲む。表面上は余裕な感じを保ってはいるが、この状況は私にとっても気まずい。呼び出したのも私なんだけど。


「レティシアさん」

「はい」

「周りくどいのは面倒だから、単刀直入に聞きます」

「....はい」

「あなた、レイ....レイモンドのこと好きなのでしょう?」

「ふぁ!?なななな」


レティシアは、私の言葉に顔を真っ赤に染めて硬直した。感情と表情が連動していて分かりやすい。何回も言うけれど、深緑の髪にキリッと少し釣り気味の目が印象的な美人なのに、表情がくるくると変わって面白い。ギャップがすごい。


「ななな、何を!ど、どうして!何を根拠に..」

「紫色のリナリス、と言ったらわかる?」

「どうしてそれを...!」

「花言葉は『この恋に気付いて』だったかしら?花に意味を込めるなんてロマンチックなのかしら。....でもこの世界では伝わらないのよね」


なんだか責めているみたいになったけれど、別に怒っている訳ではない。ただ...このくらいで折れるなら公爵夫人は務まないと思っているだけだ。


「…リシュエンヌ様は転生者だったんですね...絶対誰にも気付かれないと思ったんですけど、よく考えたら転生者が私だけって証拠なんてなんてないのに………まず、最初の質問に答えさせていただきます。申し訳ございません。私は、レイモンド様をお慕いしております」


そういって頭を下げる様子はまさにOLそのもので、彼女が日本人の転生者であることを示している。というか、ある程度の確信はあったけれど、彼女が転生者ではなかったら、私は花言葉なんて意味がわからないことを言うアラサーになっていた。危ない危ない。


「謝ることはないわ。どうせ私とレイモンドは離婚するんだし。転生者仲間が女の子でいるって知れて嬉しいし。それにね....私にも好きな人がいるの」

「え!」


最後の言葉はレティシアだけに聞こえるように言った。どうせあの子は扉の裏で聞いているのだから。だからこの応接間にしたのだし。私だって伊達に十年も連れ添ってきてない。そのくらいはわかる。

それに...私に好きな人がいる、と言ったのはレティシアが、既婚者に恋をしてしまったなんて思えないようにするためだ。まぁ、嘘でもないんだけど。


「だからね。あの子を避けないで欲しいの。私が言うのは変かもしれないけど」

「そこまで知って...逃げてちゃ、ダメですよね。自分の気持ちを制御出来なくなっちゃって。あの方のお顔を見たら私の想いを伝えそうで、関係が壊れることが怖かったんです。奥様がいるから、彼はこれと気持ちは持ってくれないですし」

「そうよね。わかるわ。怖いわよね。でもね、レイの気持ちはまだ聞いていないのでしょう?まずは話し合ってみたら?」

「......はい。ありがとうございます」

「レイ、そこにいるのでしょう?入ってらっしゃい。しおりの君がお呼びよ」

「え!?」


私の言葉を聞いて入ってきたレイモンドを見て、レティシアが驚きで目を見開く。そして、その白い頬を紅く染め上げた。


「あら、可愛らしい。若いっていいわね。あとレイ、ここまでお膳立てしてあげたんだから。上手くやりなさいよ。盗み聞きは感心しないけれどね」

「そこまで歳をとってないだろう......ありがとう。本当に」

「うふふ、じゃあ後は若いおふたりで〜」


私はニヤニヤとした笑みを浮かべつつ、応接間を出る。だってあのままあそこにいるなんて、野暮というものだろう。それに気持ちは晴れやかだ。やっと肩の荷がおりたというか、弟のように思っているレイモンドの恋が成就しそうで安心した。


「さて、執務室にでも言って報告を待つかぁ」

「その事ですが奥様、奥様宛に招待状が届いております」

「珍しいわね。私に招待状なんて。なんのご招待でしょう.....あら、もうそんな時期なの。確かに今年十年たったわね」


音もなく現れた執事から渡された招待状には『サン王立学園 第120期生 同窓パーティ』と記されていた。



☆ ☆ ☆



レイモンドの学園卒業後、私との離縁はつつがなく行われ、私は旧姓、リシュエンヌ・ルナに戻った。円満離縁するんだし、慰謝料はいらないと断ったけれど、レイモンドに押し切られて、王都に小さな屋敷をもらい、今はそこに住んでいる。1人の1人で、中々楽しいものだ。

それと、レティシアとの婚約はしばらくしてからだそうだ。流石に離縁してからすぐに婚約は外聞が悪いらしい。だけど、公爵家の優良物件が突然フリーになったのだ。世の令嬢達は黙ってはいないだろう。さっさと婚約したらいいのに。レティシアにも悪い虫がつくかもしれないし。

あ、でも大丈夫か。レイモンドは私が育てたようなものなのだ。その辺はきっちり教育してあるつもりだ。

(↑人はこれを自問自答という)


そして、今日は学園で同窓パーティ。中々に懐かしい顔触れが揃っている。ただでさえ私は十年間ほとんど社交界には出ていなかった。だから、アリアドネやイリアなどの友人や仕事で会った人以外には十年ぶりだ。


「リシュエンヌ」

「あら、ごきげんよう。()()殿()()、国王陛下。お久しぶりですね」

「やめなさいその喋り方。そうね、このところお互い忙しかったから」

「あぁ」

「イリアは?」

「さっき辺境伯と食べ物を食べに行ったわ」

「変わらないわね」


最初に声をかけてきたのは、アリアドネと第一王子…ではなく国王だ。ちなみに、本人たちの指示によって挨拶は簡略化されている。二人は、すでに三人の子持ちで、相変わらずのラブラブっぷりで有名である。


「そう言えばそなた、離縁したのだろう?これからどうするのだ」

「エド」


国王のデリカシーのな…少々失礼な質問をアリアドネが咎める。まぁ、社交界ではそのような話は通常禁句だろう。気にしないことをわかっていっているんだろうが…


「いいのですよ。えぇ、誰か物好きな殿方がいれば良いのですが。もう三十路が近いですからね。まぁ、修道女になるのもいいかなと思っております」

「それが普通だろうが…そなたは昔から自分の容姿をわかっていっているのかいないのか。まぁ、どちらにせよ貰い手はあるだろう」

「そうでしょうか…」

「それにあなたはあの人が…あ、噂をすればなんとやら。行きましょう。エド」

「うむ、そうしよう…一つ助言をしておこう、リシュエンヌ嬢。身分差など気にするな、あの人は王族としての責務は果たした。もう、愛しいものと一緒になっても良いと思っている」


アリアドネが何かを言いかけた所で、私の背後を見て笑みを深め、国王を追い立てて私から離れた。


(身分差は気にしなくていい、か)


あの二人の反応から相手はわかっている。仕事でも対して言葉は交わさなくて、見ているくらいで、こうして会うのは何年振りか。

…もう、宝箱を開けてもいいのだろうか。必死になって押し込めなくても、いいのだろうか。許されるのだろうか。


「リシュエンヌ」


懐かしい声が耳朶を打つ。あぁ、だめだ。泣くな。いい大人に、こんな感情が残っていたのか。いや、知らないふりをしていただけか。


「久しぶりだね。相変わらず綺麗だけれど、随分大人っぽくなったね」

「あなたもね」

「本当、会えて嬉しいよ。久しぶりだしゆっくり話したいから、花畑に行かないか?」


少し大人びてはいるが、相変わらず優しい微笑みを浮かべながら言う。やはり、その美しい濃紺の瞳が、他の人に向けられるものよりも甘さを含んでいるように感じるのは、いまでも私の思い上がりだろうか。期待してもいいのだろうか。


「…えぇ、いいわよ」


私は、十年前と同じ言葉を使って、答えた。



☆ ☆ ☆



「わぁ」

「満開だね」


花畑には満開の紫色のリナリアが一面に咲いていた。

何年経っても、憎らしいほど綺麗で、月光に照らされて風に揺れる様子は神秘的で、幻想的で、相変わらずなぜか泣きたくなってしまった。


(あぁ、満月…)


「月が綺麗ですね」


彼に背を向け、夜空に輝く満月を見上げながら、私は言った。十年前と同じ言葉を。もしも、もしも彼の心が今も私にあるならば。こんな私を好いてくれているのなら。


「死んでもいいよ」


彼は、アルフレッドは笑顔でそう言い切った。


「っ」


その言葉を聞いた途端、私は振り返る、彼に思い切り抱きついた。淑女あるまじき行動だ。でも、いいだろう。十三年越しの恋が叶ったのだ。押さえつけて、知らないふりをして、感じないようにしていた、恋が。

一生に一度の初恋。淡い淡い少女の恋。王弟と貧乏伯爵令嬢では叶うはずのなかった恋が、実った。


「月は、月はまだ綺麗なのね」


頬を一筋の涙が伝う。声も震えた。ただ、今が幸せで、嬉しくて、自分が自然と笑っているのがわかった。


「あぁ、リシュエンヌ」


彼の綺麗な顔が徐々に近づいてくる。私はその先を察し、目を瞑った。そして、唇と唇が合わさる直前、彼はこう言った。





「ずっと前から、月は綺麗だったよ」





これは、少女の遠回しな、異世界では伝わるはずもない「愛してる」で始まり、青年の遠回しな、彼女にしか伝わらない「ずっと前から愛してる」で終わる物語。






ありがとうございました!

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