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第一章 鋼の花:一話

 砂塵が舞い上がる。

 眼前に舞ったそれを後ろへ置き去りにして、俺達は広大な砂の海を疾走する。

 本来、この地を進むだけであれば身に付ける必要もないゴーグルと対瘴気被甲(マスク)を着用することにより、砂が目や口に入るという問題を今は考えずに済む。

 何故着用する必要もないものを、現在わざわざ着用してまで砂の海を駆け抜けるのか。

 その答えは――俺達の背後に恐ろしい速度で迫っていた。


「――ギッ!!ギギィィッ!!」


 金属を強く擦り合わせたかの様な酷く不快な音。

 人や動物が発する声量を遥かに超えて響き渡るその音は、聞く者の頭を強く締め上げる。

 痛みさえ伴う異音を発するモノの正体――それは例えれば赤茶けた色の怪物だろうか。

 数十メートルはあろうかという巨躯。

 獣のようでありながら何処か人間の要素を宿した歪で、醜悪な姿形。

 全身が強靭な鉄の外骨格で覆われ、その表面は分厚い赤茶色の錆が埋め尽くす。

 それはこの世界――アレーティアに存在し、人類の生存圏を脅かす敵。

 錆の異形(ラスト)と呼ばれる正体不明の怪物。

 そんな常人には対処のしようが無いふざけた化け物は、目の前を目障りに駆け続ける獲物――俺達を捕らえ、喰らおうとするのに執心していた。

 魚と蜥蜴を混じり合わせたフォルム、飛膜付きの腕が四本忙しなく動き回り、獣の様に発達した後肢が砂の大地を蹴り上げる。

 その巨体、その超重量故に四本の腕のうちの一本が大地に叩きつけられる度に爆発音と共に砂が空へと吹き上がり、乾きの雨を降らす。

 鋭く生え揃った鉄の牙が獲物に喰らい付こうと噛み合わされ、発生した小さな火花がその醜悪な顔を照らし出していた。

 僅かに後ろを振り向き、先程から変わらない様子で俺達を追い立てる異形の姿を確認した俺は、次に腰から下げたコンパスへと視線を移し、一先ず現状の進路が正しいことを認識し軽く息を吐き出す。

 ふと視線を感じ、前方へと顔を戻せば俺を乗せてこの砂漠を疾走してくれている相棒と目が合う。


「――大丈夫だ、ソニア。進路はそのままで、“岩の屋根”へ向かってくれ」


 相棒――ソニアは白い毛並みの巨狼だ。

 この寂れた世界と、決して満ち足りたとは言い難い暮らしの中にあってもその毛並みと横顔は凛として美しい。

 また、狼と言えど彼女は非常に賢く、人の言葉すら理解し、敵意や害意無き者にはとても人懐っこい性格をしている。

 幼少の頃から共に育った俺達は家族であり、そして、危険を共にする相棒でもあった。

 ソニアは俺の言葉に微かに頷くと視線を前方へと元に戻し、より力強い動きで大地を蹴り上げる。

 危地にありながらも変わらぬ相棒の様子に俺は微かに笑みを浮かべ、その速度に振り落とされぬ様に股下に取り付けられた鞍を握り直す。

 依然として死と隣り合わせなのに変わりはないが、異形が直ぐにでも追い付きそうな状況ではなく、ソニアにも余裕があることを確認した為か僅かに思索を巡らす機会が生まれる。

 ……そもそも何故こんな状況に陥ったのか。

 思い返せば、俺の判断ミスと命懸けの咄嗟の行動が不運にも絡んでしまった結果だろう。

 今回俺達は多少の遠出をしてあまり探索を行っていなかった遺跡を目指し、通常利用していたルートとは異なる道を進んでいた。

 異形の縄張りから大きく外れて進む通常のルートではなく、縄張りを僅かに掠めるようにして進むルートだ。

 日程の短縮とそれに伴う物資の削減、そして“墓荒らし”を長く続ける中で培った経験という名の慢心がこのルートを選ばせた。

 旅は順調だった――途中である商隊と出会うまでは。

 今から数刻ほど前、俺達はとある商隊が異形に追われているのを遠目で確認し、大きく迂回しやり過ごそうとしていた。

 薄情ではあるが、災獣(ネロン)なら兎も角異形相手では俺達に出来ることはない。

 息を潜めるようにして徐々に距離を取っていったが、向こうの商隊もこちらの姿に気付いたようで何事か大声を上げ始める。

 それだけならまだ良かったが、あろうことか奴等は――俺達のいる方向へと進路を変更してきた。

 奴等が行おうとしていたこと、それはコロニーや国の外を旅する者にとっては忌み嫌われる行為である――“擦り付け”だ。

 自身に向けられた敵意を他の者に移し、自らだけは助かろうという悪意の行為。

 擦り付けを行おうとしていたことに気付いた俺はソニアに持たせていた荷の殆どを捨てさせ、身軽な状態でその場を離れようとしたが……遅かった。

 死に物狂いで馬を走らせる商隊と追従する異形は既に目前に迫っており、彼我の距離は数十メートルも無かっただろう。

 急ぎソニアの背に乗った俺が進路を決めるより先に駆け出すよう指示を出すと同時に、不意に後方で何かが地面に落ちたような音がした。

 振り返り、それが何であるかを確認した俺は商隊のなり振り構わなさに思わず歯軋りをする。

 奴等が投げつけてきた物は――鉄製の一振りのナイフだった。

 それに引き寄せられるように異形の視線が動き、腐り濁った鈍色の瞳が俺達の姿を捉えていた。

錆の異形(ラスト)は鉄を好んで食す性質を持つ』。

 この世界の大半が知っているであろう常識。

 (えさ)を投げ付けられた先にいた俺達もまた同様に餌の一つとして追われることとなった――。

 これまでの経緯を思い出し、己の迂闊さと商隊の愚行に一つ舌打ちをする。

 ……いずれあの商隊には落とし前をつけさせるが、取り敢えずは生き延びることが先決だ。

 巻き上がる砂の中に見える風景の中から、目的地である“岩の屋根”が近付いていることを察し、ソニアの背を軽く叩き速度を上げる様に促す。

 “岩の屋根”はこの疎に存在する巨岩のランドマークの中でも大きさという面で一際目立つ。

 まるで天から降り注いだかのようして砂漠の地中に深く突き刺さる二つの巨岩。

 それらは互いが支え合うようにして屹立しており、その巨岩の一つには洞穴の如き大きな亀裂が存在する。

 洞穴の如きとは言ったが、事実としてそれは地下深くへと続く洞穴そのものである。

 地下数十メートル程で行き止まりとなる洞穴ではあるが、災獣が寝床にしていないこと、瘴気(ミアズマの毒)が滞留していないことは既に何度かの調査で確認済みだ。

 暫く身を隠し、異形が小さな獲物から興味を失うまでの拠点として利用するなら此処が最適だろう。

 巨岩を認識した時点でソニアも俺の意図を理解しており、躊躇うことなく洞穴の内部へと飛び込む。

 洞穴内の外に比べ幾分か冷たく感じられる空気が対瘴気被甲を通過し肺へと到達するのと同時に、背後で重量のあるモノがぶつかり合った衝撃が洞穴内の狭い空間を揺らす。

 入り口へと目を向ければその巨体が入りきらず頭部だけを洞穴内に収めた異形の姿があった。

 鈍色の目で俺達に視線を固定していた異形だったが、暫くの静止の後にその目をギョロギョロと動かし始める。

 無音の空間は緊張から張り詰め、体を僅かでも動かすことを是としない。

 頼む――そのまま引き下がってくれ。

 俺の祈りが通じたのか、巨大な頭部が洞穴の岩壁を削りながら徐々に引き抜かれ、洞穴の入り口から見える風景は異形の醜悪な見た目から代わり映えしない砂漠へと変化していく。

 入り口が砂漠の風景だけを映すこと数分の後、異形がゆっくりとこの場から離れていくのを重く響く足音で察知する。

 ……助かった。

 今回はかなり肝が冷えた。

 擦り付けをされ、異形に追いかけ回されたのは災難ではあったが、動きの速くない系統の異形だったのは幸運と呼べるだろう。

 助かったという事実を理解すると同時にこれまで止まっていた思考が動き始める。

 ……取り外した物資も可能であれば回収したいところだな。

 それにあの商隊が投げつけたナイフもだ。

 鉄は特に良い値段で売れる。

 今回の墓荒らしは諦めざるを得ないがナイフが売れればそこそこの利益にはなるはず。

 ソニアの背から降り、久方振りに大地を踏みしめた俺は先程浮かんだケチ臭い思考に自嘲気味に笑う。

 遠くなっていく異形の足音を聞きながら、今更になって吹き出した汗を拭おうとゴーグルと対瘴気被甲(マスク)を外そうとしていた俺はそこで違和感を感じて動きを止める。


「――足音が、止まった……?」


 隣のソニアに目をやれば警戒したようにして洞穴の入り口を睨んでいる。

 止まった足音。

 入り口を警戒するソニア。

 やけにあっさりと退いた異形。

 それらが一つに繋がり、俺は戦慄した。


「……嘘だろ。この巨岩を破壊してでも俺達を喰うつもりなのか……?」


 その小さな呟きが空間に溶けると同時に遠ざかっていたはずの重い足音が短い間隔で震動を伴いながら此方へと近付いてくるのが分かる。

 砂の海を踏みしめ、疾走する鉄の巨躯。

 直後――空間を揺るがす衝撃が再度襲い掛かる。

 洞穴の入り口から此方を覗き込む異形の顔はつい先程と同じ光景で。

 ただ、俺にはその表情だけは先程とは打って変わって――醜く笑っているように見えた。

 儚い希望を踏み躙られる悪夢のような光景。

 あまりの出来事に動きと思考を止めてしまった俺を引き戻すためにソニアが鋭く吠えかける。


「ガルルッ」

「――ッ、少し待ってくれ!どうするか考える!」


 俺を叱咤してくれたソニアは分かったとばかりに頷き、目の前で何度も何度も巨岩を破壊しようと衝突を繰り返す異形へと意識を集中させているようだった。

 どうする……どうすればこの窮地から脱することが出来る?

 異形が外に身体を引き抜いた間隙を縫ってこの洞穴から抜け出すか?

 視線を入り口に衝突を続ける異形へと向けるが、その突撃のペースは身体を洞穴へと無理矢理捻じ込み、引き抜くと同時に数歩下がって再度の捻じ込みを行うといった具合だ。

 外へ出ようとすれば異形の懐を駆け抜けることになるだろう。

 その際に四つの腕で襲われればひとたまりもない。

 更に良くないことを言えばあの腕には飛膜が付いており、腕を振り回した際の攻撃範囲は嫌になる程広い。

 外に出る道は現実的ではない、か。

 生き残る為に思考を続ける俺はそこである現象に気付く。

 度重なる超重量の異形の突撃にさしもの巨岩も耐え切れなくなっているのか、洞穴の天井部からはパラパラと剥がれ落ちた岩の破片が落ちて行く。

 それらの破片は足元の砂の上に落ちると、“徐々に砂中へと沈んでいっている”ようだった。

 微かな違和感。

 砂の動きを目で追えば、地下へと流れていっているのが見て取れた。

 砂が他の物と同様に下へ下へと落ちていくのは何らおかしいことではない――ただ、一見して分かる程に多量の砂が動いているというのは尋常なことではない。

 一度未だ突撃を繰り返す異形の方へと視線を戻し、奴が砂をこの洞穴内に向けて流し込んでいないことを確認する。

 だとすれば――。


「――地下だッ!この衝撃で地下に何らかの空間が開けている可能性があるッ!」


 無論、ただ衝撃によって砂が流れているだけであり、洞穴の奥にそれらの砂が無造作に詰め込まれているだけということも考えられる。

 だが、元々この洞穴内にあった停滞していた砂が絶えず下へと流れているのはあまりに不自然。

 まるで何かに固執するような執念深さを見せ、巨岩を壊してまで俺達を喰らおうとする異形に背を向けて地下へと走り出す。

 地下深くへと向かう道程は暗く、視界の確保のために俺は駆け出してから暫くして最近になって光量が落ち始めた発光型の遺物を起動させる。

 隣を追従するソニアと俺は何度か流れる砂に足を取られそうになるが、何とか踏み止まり走る速度を落とすことはしない。

 絶えず背後で鳴り響く衝撃音を聞きながら地下深くへと走り、俺はやがてあるものを視界に捉える。

 それは上から流れ落ち、地下深くで溜まった砂の表面に生じた大きな窪み。

 地下奥底へと伸びる逆円錐状の窪み――流砂。

 流れ着いた砂はこの流砂に呑まれ、やがて地下に生じた何らかの空間へと落ちて行くのだろう。

 異形が俺達のことを諦めるのであればこの決して砂が溜まりきることのない空間で待てば良い。

 最悪、異形が巨岩が破壊しながら追ってくるというのであれば流砂に飛び込み更に下に生じた空間へと逃れるしかない。

 砂の中で生き埋めとなる可能性もあるだろうが、どうなるかは運次第だ。

 ゾッとしない末路に顔を歪めていると、かなり距離を離していたはずの洞穴の入り口方向から一際大きな音が鳴り響く。

 その音がこの空間に反響すると同時に、断続的な震動が洞穴内全体を揺らし始め――流砂がその規模を一気に拡げた。

 いや、規模を拡げたというよりもこれは――。


「クソッ、足場が崩れるッ!?」


 異形の度重なる衝撃から、僅かに開いていた流砂の底にある地下空間への通路がその大きさを増したのだろう。

 結果として俺達の立っていた岩盤は脆くなり、自重に耐え切れず自壊を始める。

 流砂の逆円錐状の頂点に存在していた黒々とした底の見えない穴、その大きさは数秒毎に拡がり続け、やがては――全てを呑み込む大きさとなる。

 軋む音と破砕音を奏でながら行先不明の遥か地下へと続く黒い門を開いた流砂は、砂も岩も俺達も纏めてその暗闇の中へと一緒くたに呑み込んでいった。

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