覚悟が決まらない
過去を振り返るのではなく、現在に話を戻して筆を執る。
わたしが今後人生を歩むにあたってどうしても脳裏に過るのは【敗戦処理】の言葉だ。もちろん今後もいつ終わるか解らない人生を歩んでいくつもりであるが、健康体でもない、金もない、仕事が出来る人間でもない、結婚や子供など夢のまた夢……
なんとか健常者を詐称して綱渡りをしながら働いているのが現状だ。
【何を楽しみにして生きているか】なら様々ある。あらゆるカルチャーの続きを見たいし、最近は二次創作や漫画の考察ばかりだが執筆活動も続けていきたい。
しかし【何を目標に人生を生きるか?】と問われればわたしは答えに詰まる。
自分の人生がどれだけ恵まれているかは自覚している。一歩間違えれば、小児期に死んでいた。一歩間違えれば、精神科病院の鉄格子の中だった、一歩間違えれば、年間3万人いる自殺者の一人だった。一歩間違えれば、一歩間違えれば……
まぁ何を言いたいかと言えばこうして就労先があり、給料日に給料が出て、家でPCを扱えていること自体奇跡以外の何物でもないのだ。
ならばその幸運に感謝し【こういう人生なのだ、何者にもなることなくダラダラと生きてヘラヘラ笑っていきていこう】と覚悟を決められれば人生とはどれだけ素敵だろう。
これだけ奇跡的な境遇にありながら未だ脳裏の何処かで〝今のお前は何て情けないんだ〟と叱咤する自分がいる。他者から蔑まれたり侮蔑されればそりゃ悔しい。しかし本当に自分を追い込んでいるのは、過去の自分なのではないだろうか。
この年になり、常人が持ち合わせる様々なものを失ったわたしが今更に〝自分の奥底にスーパーマンが眠っている〟なんて思っていない。
だが愚かしい事に【このままのお前で良いのか?】と責めてくる人間が居る。
その正体は誰でもない自分自身であることが、何よりも辛い