五話:帰還報告
「お母様、お父様。帰還の報告が遅くなり、申し訳ありません」
「大丈夫よ、私としては何の心配もしていませんでしたからね」
エティーのご機嫌が戻った後、俺はようやく母上の執務室へ行く事が出来た。
執務室内の応接用ソファーに母上と父上が座っており、俺はその対面に座っている。
エティに抱き着かれた形で。
ご機嫌が戻ったとはいえ、甘えモードが解除された訳ではない。
「報告は受けましたが、こちらの被害は皆無で圧勝に終わったというには間違いないのかしら?」
「はい、特に問題はありませんでした」
「そう、それは何よりだわ」
声はとても朗らかで、息子の無事を喜んでいるように聞こえているが、母上はずっとエティを睨みつけている。
自分で言うのも気色悪さを感じるが、愛息子を取られた母親というのはこういう顔をするものらしい。
睨まれている本人は満面の笑みを浮かべて俺の胸に頬擦りをしている。
家族の間においても、このように嫉妬や羨望や憤りといった負の感情を覚える機会が多いと思う。
いくら仲の良い家庭であってもだ。
親は子供の事を、ただ猫可愛がりするのではなく、時に厳しく叱る事もある。
そして子供も子供なりに親に対して反発する事もあるだろう。
そんな時、お互いに負の感情を魔力に乗せてぶつけ合い、傷付け合う事になるのではないかと生まれ変わった当初は思っていた。
が、やはり魔法があって当たり前のこの世界では、幼い頃から感情を制御するよう育てられるようになっていて、感情出力の強弱をしたり、実際に持っている感情とは違った表現をしたりする。
じゃあ街全体に影響を及ぼすようなエティーの魔法は何だったのかというと、あれは俺に対する怒っていますアピールであって、街に致命的な影響が出ないよう制御されていたのだ。
多少の影響は出ても問題ないのか? という疑問に答えるならば、問題ないと思っているという答えが正しい。
だってエティーは生まれながらのお貴族様なのだから。
一般市民への多少の影響よりも、自分の怒りを俺に伝える方を優先させてしまうのだ。
俺を抱き締めて離さないエティを睨みつけている母上も、ただの嫉妬していますアピールなのである。
パリィーン
テーブルに置かれていたティーカップが割れた。
あれれー、おかしいなぁー、何で父上のが割れたんだろうなー。
控えていたメイドがさささっと片付けて、父上へ新しいお茶を用意した。
何事もなかったようにお茶を飲む父上。
ふぅ、と小さく息を吐いてから口を開く。
「エティー、お兄様を離してあげなさい。
初陣で疲れているんだ、寝室でゆっくりさせてやろう」
パリィーン、びちゃぁ。
手に持ったままだったティーカップが割れ、父上のシャツに大きなシミが広がる。
女性優位社会であっても、娘の父親に対する反抗期ってのは変わらず存在するんだなぁー。
「エティー、お父様に謝りなさい」
メイドからタオルを受け取り、母上が父上のシャツを拭く。
「………ごめんなさい」
「いいんだよ、エティー。
でもアルティが疲れているのは間違いないんだ。
夏休みはまだ残っている、今日はもう離してやりなさい」
「………………………………分かりましたわ」
抱き着いていたエティーが渋々といった様子で俺から離れる。
すごい、父上がエティーを説得した。
「偉いわ、エティー。
さぁアルティ、部屋へ戻る前にお母様にも抱き締めさせて」
母上がソファーから立ち上がって俺へと笑顔を向ける。
娘に我慢して偉い、と言っておきながらこれだもの。
まぁ親子だから仕方ないのかもしれないが。
素直に母上に抱かれ、背中をポンポンされ、こめかみに額をグリグリと押し付けられ、耳の後ろに鼻をくっ付けて深呼吸されたところでさすがに肩を掴んで引き剥がした。
もう一度抱き着こうとした母上と俺の間に身体を割り入れて止める父上。
「パシュー、それくらいにしておきなさい。
この年齢の男の子は難しいんだから」
難しい年齢の男の子本人を目の前にして難しいんだからと言うのもどうかと思うけど。
「はぁぁぁぁぁい」
エティーとそう変わらない態度を見せる母上。
唇を尖らせながらソファーに座り直すが、俺を見上げ何か言いたげな上目遣いを寄越して来る。
俺の方から抱き着いて行くのを期待しているのだろう。
でもその期待に応えてしまうと母上とエティーとの間をもう何往復もしなければならないのは目に見えている。
「それではまた夕食の際に」
母上へは小さく頭を下げ、エティーへは小さく手を振って退席する。
「私は少しアルティと打ち合わせをしなければならない。
部屋まで送って行こう」
打ち合わせ? 心当たりはない。
何の話だろうか。
戦関係はあらかた報告し終わっているのだが。
次の戦の話であれば、母上も同席するはずだ。
「お父様だけズルい!」
「エティー、お兄様に嫌われたくなかったら我慢なさい」
母上がエティーを諫めている。
口ぶりから、母上は父上の言う打ち合わせとやらに心当たりがありそうだな。
それも、打ち合わせではなく男同士の込み入った話題のような気がするが。
「行こうか」
まぁすぐに分かるか。父上に付き添われて母上の執務室を後にした。
◆
「相手の指揮官は若い娘だったそうだな」
「……えぇ」
俺の部屋に着き、今度は二人だけでソファーに座り向かい合っている。
俺付きの侍女をわざわざ部屋の外へ追い出し、人払いした上でする話なのだろうか。
「今、アヴィとシェルが収容所へその娘の確認をしに行っている」
一番上の姉アヴェルスと、その夫であるシェルツ。
何でわざわざそのお二人があの女を見に行く必要があるんだろうか。
尋問するにも、たった五百人規模の兵を率いて国境付近をうろちょろしていただけの小物に、次期当主がそこまでする価値はない気がするが。
「まぁその、何だ……」
腕を組み眉間に皺を寄せ、困ったような表情の父上。
何か言いにくい事を言おうとしているような感じだ。
「お父様、はっきりと仰って下さい」
「ん? あぁ……。
よし、はっきりと言おう。
その娘はお前の好みだったか?」
好み?
好きなタイプの女だったか、という事が聞きたかったのか?
うーん、ちょっと予想してなかった質問だ。
つま先しゃぶれ女、という変な印象しかない。
この街に連行する為に、兵士に縛り上げられているはずだけど。
いくら身動きが取れなくなったとて、魔法使いは文字通り魔法が使える。
拘束したから安全、とは言えないのだが、古くから目と耳を塞ぐ事で戦意を喪失させる方法が取られている。
頭から胸元まで分厚い布を被せるのだ。
そして首の位置で縄を縛り、いつでも首を撥ねられるようにしておく。
この状態では抵抗してもほぼ生きては帰れないが、無抵抗であれば命までは取られない。
従って、戦で負けたら素直に拘束されておくというのがお約束になっているのだ。
「やはり答え辛いか。
済まないな、気を悪くしたなら許してくれ」
父上は何か誤解しているような気がするので、すぐに訂正する。
「いえ、何も思うところはないのでお気になさらず。
ただ、あの女を近くでまじまじと見た訳ではないので、どんな顔をしているかなどはっきりと覚えておりません」
そこまで言って、父上の言わんとする事に何となく気付いた。
俺は戦に勝ち、相手の指揮官を捕虜として連れ帰った訳だ。
もしかして、お前の好みならば好きにして良いよ! という事だろうか。
「もし、もしだ。アヴィからの報告に目立った問題がなかったとしてだ。
お前が望むならば……、夜の初陣を飾るというのは、どうだ?」
何でそこで親父ギャグかますんだよ……。
散々気を遣っていたの全て自分で台無しにするんじゃねぇよ。
ポイントを食べて生きてます。
ブクマ・評価お願いします(*´ω`*)
誤字報告ありがとうございます、助かりますm(_ _)m