十二話:三通の書状
ポーシェへ捨て台詞を残し、急いで馬で屋敷へ帰って来た。
門を通り抜け、玄関で待機していたメイドへ馬を預ける。
「ご当主様とお館様がお待ちです」
「分かった」
同じく玄関で待機していた執事に連れられ、母上の執務室へ通される。
そこには母上と父上だけでなく義兄上、そしてエティーの姿もあった。
姉上の姿はない。
書状らしき書類がテーブルに広げられている。
二通分、いやあのクシャクシャになっているのを含めると三通か。
「呼び戻してすまなかった、その……」
父上が言いにくそうにしている。
あれか? 良い雰囲気になっていたら邪魔してしまった訳だから謝りたいけど、直接的な言い方をすれば余計に怒らせてしまうかもしれないと考えているのだろうか。
「いえ、何の問題もございません」
「しかし……」
「本当に問題ないのでお気になさらず」
いや、ポーシェを残して来たので問題がこれから発生するかもしれないけど、父上が思っているような事はない。
二人の仲が引き裂かれたとか何かの途中だったとか、本当にそんな事はないから。
「それなら良いのだが……」
時間がないと聞いて急いで帰って来たのに、いっこうに話が始まらないじゃないか。
そっちの方が余程気に障るが、しかし不機嫌そうな顔をすれば「ほらやっぱり怒ってる!」なんて思われかねないのでいつも通り澄ました表情で、冷静に。
「もしアルティが望むならばこの埋め合わせは必ずするから、後でこっそり私に言いに来なさい」
「本当に!
大丈夫ですので!!」
しつこいぞ、全く。
それと俺が気を悪くしていないか様子を窺うあまり、父上はずっとエティーに睨み付けられているのに気付いていない。
それくらいにしておいてくれないと、エティーが父上に何をしでかすか分かったもんじゃない。
まぁ何かあっても自業自得だけど。
「とりあえずお帰りなさい、アルティ。
急ぎ戻らせたのは、エテピシェ伯爵からの新たな特使が三通の書状を持って来たからです。
特使については先に遣わされた者と共に、この地を離れました」
この地を離れた?
こちらの返事を待たず、ユニオーヌ連合へ帰っていったのか。
という事はつまり。
「エテピシェ伯爵からの書状は宣戦布告でしょうか?」
こちらの返事を待つ必要がなくなった、という事だろう。
すでに軍勢を引き連れてカーニャを迎えに来ている最中か。
伯爵はカーニャの事をそこまで買っているのだろうか。
カーニャは確かに魔力が大きく、うちの収容所職員もかなり苦しまされていたからな。
しかしうちと全面戦争をしてまで取り戻す必要があるか、と考えると首を傾げざるを得ない。
カーニャの実家であるヴォワザン子爵家とその婚家であるエテピシェ伯爵家の連合軍でシュライエン辺境伯家を相手に戦争出来ると思っているのだろうか。
最悪の場合、ユニオーヌ連合がモナルキア王国連合軍に蹂躙され、ユニオーヌの領地がなくなるかもしれないと分かっているのだろうか。
いや、実際にそうなる可能性はかなり低いが。
「それが、そう簡単に済む話じゃなくてな」
父上が難しそうな表情を浮かべ、テーブル上にある書状の一つを手に取った。
「これはヴォワザン子爵からの書状だ。
内容を簡潔に言うと、賠償金は払うから娘を返してほしい、という旨の停戦申し込みだ」
当事者からの停戦申し込み。
だが書状を持って寄越したのはエテピシェ伯爵の特使。
どういう事だ?
「そちらは後回しとする。
扱いが難しいのはこちらだ」
停戦申し込みを後回しにする、という事は、うちとしては衝突は避けられないと考えているのか。
手に持っていたエテピシェ伯爵からの書状を再びテーブルへ置き、別の一通を手にする父上。
「この書状はアンピライヒ帝国のサルトスクロ子爵からだ。
これもエテピシェ伯爵の特使に持たされたものだ。
こちらの内容も簡潔に説明すると、帝国貴族としてヴォワザン子爵家とその婚家であるエテピシェ伯爵家を支持するというものだ」
「何故帝国の子爵がわざわざ?」
アンピライヒ帝国は我がモナルキア王国と同じくらいの領土と国力を持つ、ユニオーヌ連合の向こう側にある大国だ。
先ほどユニオーヌ連合が蹂躙される恐れは低いと述べたのは、帝国の存在がある為だ。
ユニオーヌ連合は大国に挟まれており、実質的には緩衝地帯という扱いが強い。
この緩衝地帯がなくなると、王国と帝国が直接隣り合う事になる。
わざわざそんな面倒な事をするほど、王国は領地に困っていないのだ。
そして恐らく帝国も領地には困っていないはず。
なのに、言い方は悪いが何故帝国の子爵ごときが他国のいざこざに首を突っ込んで来たのだろうか。
「考えられるのは二つ。
まず一つはこの機会を使って王国の反応を窺おうとしている可能性。
書状にはユニオーヌ連合の二家を支持すると書いてあるだけだ。
ヴォワザン子爵の娘、エテピシェ伯爵家の分家の次期当主、そのどちらにも触れていない。
ただ帝国貴族として速やかな問題解決を望む、と記してあるに過ぎないのだ」
つまり、あくまで直接的な批難はせず、こちらがどう受け取りどう行動するか観察している状態という事だろうか。
いや、エテピシェ伯爵家に請われてうちに圧力をかける態度だけ示し、義理だけ果たそうとしているように取れないか?
いやいやいや、よく考えれば向こうからちょっかい出して来た結果完敗しただけの話だよな。
問題解決も何もねぇだろうが、うちの子の婚約者を返して下さいお願いします何でもしますから、って頭下げに来いや!
あ、でもヴォワザン子爵家からはごめんなさいするから許して、という書状が来ているか。
ヴォワザン子爵と帝国の子爵は直接的なやり取りをしていないという事だろうか。
こういう時にポーシェがいないのは痛い。
俺では貴族の当主級の人々の考えが正確に理解出来ない。
俺が意図を掴めないでいるのを察知し、タイミングを見計らって助言してくれるスーパー侍女。
お願いだから早く帰って来て。
「そしてもう一つはユニオーヌ連合をけしかけて、王国と戦争をさせようとしている可能性だ」
いや、それはさすがにないでしょうよ。
仮にその帝国子爵が本当に連合と王国を争わせようと考えていたとしても、当の連合が嫌がるだろ。
連合みたいな寄せ集めの国が我が王国相手に勝てる訳ないんだから。
「ちなみに、サルトスクロ子爵は前皇帝の姪にあたるんだよ」
義兄上が補足情報として教えてくれる。
あのくそババアの姪?
それって重要な情報だろうか。
帝国の制度として、皇帝を三つの公爵家から一人選出するというものがある。
これは国を割らない為に導入された制度だと言われており、基本的に二代続けて同じ家から皇帝は選出されないようになっている。
つまり、前皇帝の姪だから何だ? という話。
僕ちゃんのパパのお兄様は社長だったんだぞっ! くらいの意味のないものだ。
「その姪が今回のいざこざをきっかけに公爵家傘下で影響力を増そうと画策しているのか、はたまたエテピシェ伯爵家に泣きつかれて仕方なく書状を送って来たのか、それについては想像するしかない。
エテピシェ伯爵領は帝国寄りに位置している。
どちらにしても、サルトスクロ子爵と繋がりが強いのは間違いないだろう」
今回直接戦ったのはうちとヴォワザン子爵家。
俺が捕らえた子爵家の娘、カーニャはエテピシェ伯爵の人間と婚約しており、次期当主となる予定だった。
そしてエテピシェ伯爵とサルトスクロ子爵は関係が深い。
ちなみにサルトスクロ子爵は前皇帝の姪にあたる。
……なるほど、分からん。
「とりあえず面倒なのでカーニャは送り返してはいかがでしょうか。
私はあの娘に執着はございません」
「そうもいかんのだ、向こうが攻めて来たのにすんなり捕虜を返してやる訳にはいかん。
お母様の面子に関わる。
当家として、あの娘を手元に置いておく必要があろうがなかろうが、簡単に返してやる事は出来ない」
ですよねー、ホント貴族の面子って面倒。
女性優位社会だから面子だとか対面だとかプライドとかあんまり意識しないのかと思いきや、内政や外交は主に男性が主に携わってるもんだから普通にある。
「そしてもう一通のこの書状。
これのせいで母様だけでなくお前の面子にも影響が出て来る。
もはやあの娘を返してやるという選択肢はほぼない」
誰かの手によってクシャクシャにされた書状。
先の二通は特使を遣わしたエテピシェ伯爵家以外からの書状だ。
となると、最後の一通はエテピシェ伯爵からの追加の書状と考えるのが自然だろう。
「これはあの娘の婚約者からの書状だ。
読んでみなさい」
「読む必要などございませんわ!
お母様、私が皆殺しにして参ります。
ご許可を!!」
クシャクシャにしたであろう犯人、エティーがその書状をさらにクシャクシャに掴んで立ち上がり、母上に出陣の許可を求める。
そんな事をされると逆に読みたくなるじゃないか。
「なりません。
すでにアヴィに先行させたのです。
あなたまで行く必要はありません。
まずはアルティが現状を正確に把握する事が最優先。
お父様のお考えに従いなさい」
次期当主である姉上がこの場にいないのは、先に軍を率いてエテピシェ伯爵軍、いやユニオーヌ連合軍として来るかもしれない先方を牽制する為か。
父上が次にどう動くおつもりなのか、あの書状を読めば分かるのだろうか。
ポーシェがいない状況で、俺がどこまで父上のお考えを理解出来るかどうか分からないが、読んでみない事には判断しようがない。
「エティー、貸してくれるかな」
「ですが……」
「いいから」
エティーに向けて手を差し出すと、嫌々ながらも渡してくれた。
さて、何が書いてあるというのか。
書かれている貴族言葉の真意を間違えないようしっかりと読み解かないと。