十話:忠犬
屋敷を出る際、エティーとは会わなかった。
恐らく母上と父上が連携して、俺の外出を邪魔させないよう手を回してくれたのだろう。
ポーシェと馬車に乗り収容所へ向かう。
護衛が数人、馬に乗って警備をしてくれる。
女性に守られるというのはなかなか違和感が拭えない。
収容所の見た目は四角い建物、例えるなら刑務所というより図書館や美術館といった重厚で落ち着いた雰囲気。
捕虜とはいえここに収容されるのは貴族がほとんどなので、それなりに立派な外見にしてあるのだろう。少し郊外にあるので緑に囲まれている。
「ご足労頂きありがとうございます」
収容所へ入るとすぐに応接室へ通され、収容所の所長から挨拶を受ける。
ここは軍の施設なので彼女も武官であり、家名を聞くと貴族家出身である事が分かった。
貴族同士の会話って堅苦しくて嫌なんだが、来てすぐに目的であるカーニャに会わせろ、では貴族の振る舞いとして相応しくない。
ってポーシェに言われたんだよな、馬車の中で。
俺は小さい頃から全然貴族的振る舞いや生活に慣れなくて、何をするにでもポーシェの助言や指導を受けて来た。
ある程度それなりに出来るようになったとはいえ、未だに俺って貴族らしく出来てるのかな、と不安になる。
前世の記憶がなければもっとそれなりにお貴族様って感じの態度になったんだろうけど。
ポーシェが結婚するとか俺付きの侍女を辞めるとかになったらどうしよう。
でもいずれはそうなるんだろうなぁ。
と、今はそんな事を考えている時じゃないな。
所長に意識を戻す。
「例の娘ですが、こちらでの様子はすでに報告が上がっておる通りです。
今朝も特に変わりはありません」
魔法使いを捕虜にするにあたって、一番気を遣わなければならないのは逃亡。
もしくはこちらに危害を加えられる恐れがある、という点。
俺が聞いた限り、逃亡や抵抗する可能性は低いらしい。
「若様に会わせてほしい、若様を一目見たいと繰り返し訴えております」
……どうやら俺への執着を見せているようだ。
これが義兄上が犬と表現した理由か?
ご主人様に会いたくてくうんくうんと鳴いているような感じか。
だからこそ父上は俺に最大限に警戒するように、と言ったのだろう。
油断した俺に一撃入れるつもりで演技していると考える事も出来るのだ。
「この部屋で面会なさるのでしたら少々用意に時間が掛かりますが……」
繰り返しになるが相手は貴族。
牢屋に入れられるが個室であり、ある程度のプライバシーは保たれると聞いている。
尋問を受ける際は分からないが、基本的には三食昼寝付きの対応を受けているそうだ。
だからといって、シュライエン辺境伯家の本家子息の前に拘束もせず連れて来るような事はしない。
この部屋に連れて来るのなら厳重に拘束し、何があっても良いように警備の人数を増やしますよ。
でも時間も掛かりますしこちらの労力も増えるんですよね、と暗に言っているのだ。
「いや、面会室で会う。
その方が手間は掛からないだろう」
今日俺が来るのは分かっていたのだから、前もって拘束してこの応接室へ連れて来られるよう準備をしておけば良いだけじゃん。
そう思うだろうが、何の隔たりもないこの応接室よりも、頑丈な鉄製の柵を挟んで顔を合わせられる面会室の方が危険性は少ない。
当主の息子に何かあったら、という警備面を優先しての考え。
出来れば面会室を使ってほしいんですけど、どうでしょうかねぇ。
無理にとは言いませんがねぇ。
と、所長はそう言いたかった訳だ。
「ご配慮頂きありがとうございます。
もし特別面会室のご使用が必要でしたら、すぐにでも拘束致しますので」
特別面会室?
そんな部屋があるなんて聞いた事ないんだけど。
「お坊ちゃま、もしあの娘をお気に召しましたらすぐにでも抱ける準備をさせますのでお申し付け下さい」
後ろに控えていたポーシェが俺に耳打ちする。
そのやり取りを見てか、所長がにんまりと笑顔を浮かべる。
あぁ、初陣の話ね。
初陣の戦で打ち破り捕虜にした女で夜の初陣を決めるヤツねってやかましいわ!
……でも、まぁ、その。
「その時は、……任せる」
自分の顔が真っ赤になっている自覚はある。
でも絶対に感情は外に漏らさないよう頑張った。超頑張った。
◆
所長の案内で面会室へ向かう。
廊下の途中が鉄製の檻で区切られており、その手前と檻の向こうにそれぞれ扉がある。
「どうぞ、お入り下さい」
若い職員が扉を開けて、先に中に入ってから招き入れてくれる。
あくまで想定外の出来事があっても対処出来るよう動いているのが分かる。
ポーシェに続いて俺も面会室へ入る。
明かりを取り入れる為の窓があるが、脱走出来ないよう小さい造りになっていて室内は薄暗い。
とりあえず勧められた椅子に座る。
鉄製の檻の向こうにもこちらより簡素な椅子が置いてあり、その奥に職員が三人立っている。
収容所に入れられる捕虜は、逃亡した際に見分けが付くようにオレンジのワンピースを着せられるので、カーニャと思われる女はすぐに分かった。
何故か椅子には座っておらず、床に立て膝の状態で待っていた。
顔を伏せており、茶色の長い髪の毛で表情は隠されている。
「若様が来られたのだぞ、顔を見せろ!」
俺側の職員がカーニャを怒鳴り付けるが、カーニャは何の反応も見せない。
向こう側の職員は皆、困った表情を浮かべている。
「おい、どうなっている?
アヴェルスご夫妻が来られた際は、こんな態度ではなかったぞ」
所長が向こう側の職員へ尋ねた。
そうだよな、こんな変な態度を見せていたら、俺にも一言事前に教えてくれるはずだ。
いや、俺に会いたがっているという情報も言っとくべきだったよな、絶対。
「ハッ、この部屋へ入ってからずっとこの状態であります。
何を言おうにも椅子に座らず、質問に答えず、床に座ったままなのです。
いかが致しましょうか」
職員が俺に対してお伺いを立てて来た。
無理矢理にでも顔を上げさせましょうか? と聞いているのだろう。
別にこの状態でも困る事はないが拍子抜けではある。
抵抗は見せず、大人しくしていると報告を受けてはいたが、自分を負かした相手である俺を前にすると何かしら反応を示すと思っていたんだけど。
「このままで構わん、俺が直接問いただす。
おい、何故お前は床に座っている」
「ご主人様が跪けと仰ったからでございます」
艶のある声と喜びの感情が室内に響く。
次の瞬間、カーニャの後ろにいた職員達が彼女の腕を取って身体を抑えつける。
「若様へ魔法を放つとはどういうつもりだ!?」
所長が身を挺して俺を守ろうとする。
が、魔法なんて使ったか?
感情が漏れた、というかそのまま源泉かけ流し状態というか。
隠すつもりさえなかったのだと思う。
どちらにしても、俺に危害を加える意図があったとは思えないので、職員達にカーニャから手を離すよう指示する。
戸惑いつつも、俺の侍女であるポーシェが反対しないのを確認し、彼女達は抑えつけていたカーニャから手を離して再び後ろへと戻った。
「さて、どうすべきか……」
このままではまともに会話が出来ない。
とりあえず椅子に座らせるべきか。
おもてを上げよ、が先か?
「お坊ちゃま、先に名乗らせてはいかがでしょうか」
そう言えばこいつから直接名前を聞いてなかったな。
もう知ってるけど、一応本人から聞いておくか。
「名乗れ」
「申し遅れまして大変失礼致しました。
私はカーニャと申します。
アルティスラ様へご挨拶させて頂く事が出来て、恐悦至極に存じます」
やっぱりこいつ変だよな。
何故か名前しか名乗らない。
家名はどうした?
それに喜びの感情がドバドバ流れ出ている。
垂れ流されて来る。
室内の職員達も、カーニャの魔力自体に脅威はないと理解はしたようだが、だからといってこのままにしておいて良いのかどうか対応に困っているみたいだ。
「カーニャ、お坊ちゃまは名乗れと申されました。
家名と階級を含め、貴族として名乗りなさい」
ポーシェがカーニャへ向けて声を掛ける。
所長を含め職員達は動揺しているのに、ポーシェはいつも通り冷静で無表情。
口調も決して厳しいものではない。
しかしカーニャは何も答えず、じっと膝を付いたまま動かない。
見ていて正直痛々しいな。椅子に座らせよう。
「椅子に座ってもう一度家名を含めて名乗れ」
スッと立ち上がり、右手で胸元を押さえ、左手は腰に添えて腰から上半身を前に屈める仕草。
貴族社交における最上級の礼をして見せるカーニャ。
そうしてやっと、顔をまじまじと見る事が出来た。
整った顔立ちでとても美人。
俺から見ると女子高生の年齢だから、ちょっと気後れするな。
「改めまして、カーニャでございます。
家は捨て、今はご主人様の物。
アルティスラ様の所有物に階級など無意味かと思い、省かせて頂きました」
すらすらすらっと喋り、カーニャは失礼致しますと断って椅子に座った。
家を捨てた、俺の所有物に階級などない。
こいつは何を言っているんだ?
誰か尋問の時に自白剤みたいなヤバイ薬でも飲ませたのか?
目がらんらんと輝かせ、鼻息も荒くなっている。
まるで早くボールを投げてよってご主人様を見上げる犬のようだ。
昨日義兄上が仰っていたのはこの事か?
見た目は猫のように可愛く、中身は犬のようだと言われればそうかなぁという雰囲気。
うーん、どう扱うべきか




