第二十話 列聖祭
いよいよミラが聖女に列せられます。
図書館で勉強し、訓練所で魔法の練習を行い、時々教会のおじいさんに呼び出されながら半年が過ぎた。
ミラは受験勉強以来本気で勉学に励んだ。起きている時間は常に学びを意識し、与えられるすべてを吸収し、考え得るすべてを成長させたのだ。
模擬戦にも嫌がらずに参加した。どうやらあの日出会った魔導士たちは全員がミラの教育と監視のために集められたらしい。魔導士は他の兵隊よりも肉体の訓練時間が少ない。代わりに訓練所で魔法を磨き、いざというときに活躍する。要は戦闘がなければかなり暇な人たちだった。ミラの教育は丁度良い暇潰しというわけだ。
一番長い時間教えてくれるのはもちろんレイミーだが、模擬戦では他の魔導士たちも改善すべき点や得意な魔法については進んで教えてくれるのだ。ミラが聖女候補と知っているのは団長のレイルだけのはず
だが、この優遇っぷりは異常だ。
ミラは環境に感謝すると同時に不安も覚えた。
(この借りをいつか国に返せと言われたらどうしよう?)
「今日も立ち読み?」
声のした方を見れば、司書のお姉さんがいた。この国では珍しい、黒髪が綺麗な女性だ。
ミラは朝から図書館に来ていた。レイミーが午前中は別の仕事があるというので、暇潰しも兼ねて図書館全制覇に挑戦中である。魔法関連の本はすべて読んでしまったので、今は別ジャンルに目を通している。
大体図書館の五分の四は読破してしまった。
「お姉さん。こんにちは」
「こんにちは。いい加減座って読んだら? 何時間も立ちっぱなしだと疲れちゃうよ?」
「ううん、この方が効率いいから。いちいち本を抱えて椅子に座ってたら、時間がもったいないよ」
「ミラちゃんには頭が下がるよ」
などと言って笑い合っていると、突然辺りが騒がしくなった。がやがやと喧騒に満ちるのではなく、ハッと息を呑み、囁き合うような、そんな空気だ。
(なんだろう? 怖い人でも来たのかな?)
その予想は遠からずといったところだった。
見れば、兵士を四人も引き連れた頑固そうなおじさんがこちらにやって来る。彼らは書架の間を窮屈そうに通り、ミラの前までやって来た。
「あなたたち、一体なんなんですか?」
お姉さんがミラの前に立ちはだかり詰問した。おじさんはそんな女性を見ると、それまでの仏頂面を少しだけ緩めた。
「あなたは?」
「この図書館の司書で、この子の友人です」
「左様で。わたしは王立国教会監督院で主席司祭を務めます、トルナバダコタ・ドランと申します」
「し、司祭さま⁉」
お姉さんはその場に膝をついて首を垂れた。
「無礼をお許しください。その……」
「いいのです。あなたの勇敢さと、あなたの大切な方へ注ぐ多大なる愛に、深く尊敬を」
トルナバダコダはお姉さんの頭に手を当て、祈りを捧げるポーズをした。
「レンファ村のミラさま。よいお友達をお持ちで」
「わたしもそう思います。それで、もしかして――」
「はい。お迎えに上がりました」
トルナバダコタは穏やかに微笑むと、その場に膝をついて両手をクロスさせて胸にあてた。兵士たちもそれに倣う。彼らの格好は国の兵士とは違う。実用的というよりは儀礼的な装備を身に着けているところを見れば、教会の人間だとわかる。
彼らのポーズは偉大なる存在に対する畏敬の意を示している。その存在とは、この場合ミラを指す。
つまり――
「列聖、されたんですね」
「はい。人の身にて奇跡を体現せし聖女よ。本日この時より、あなたは人と神を繋ぐ架け橋となった。さあ、こちらへ」
トルナバダコタがミラを誘い出口へと向かう。ミラは四隅を兵に護衛されながら後へと続いた。
「ミラちゃん! どういうこと⁉」
「ごめんね。わたし行かなきゃ」
ミラは注目を集めながら図書館を出ると、用意してあった馬車へと乗り込んだ。本音を言えば、聖女なんかになるよりも図書館で本を読んで過ごす方がよかった。
だが、この半年間教会や魔導士、王宮の兵士たちと関わって来た彼女は、ここで駄々をこねてお世話になった人たちに迷惑をかけるのを嫌った。
教会に到着すると修道女に囲まれた。儀式用の服がたくさんある衣裳部屋へと連れていかれ、白くてひらひらした服を着させられてしまった。
着替えが済むと、質素な部屋に通された。窓すらなく、あるのはベッドと机だけ。トイレはあるが風呂はなかった。
「四日後、列聖祭を行います。あなたの聖名を連ねる神聖なる儀式です。それまでは一切の食事を絶ち、口にするのは水のみとなります。また、この部屋から出ることもなりません。これが当日の進行表です。目を通しておいてください」
と、トルナバダコタはさも当たり前のように言った。
「はあ⁉ 四日もなにも食べちゃいけないんですか⁉ わたし死んじゃいますよ!」
「物質世界から解き放たれ、精神世界と一体になるために必要な手順です。人は水さえあればなんとかなるものです。それに、断食は三日間です。四日後に行われる式典が済めば、食事をしても構いません」
「嫌です。実家に帰らせてもらいます」
「ダメです。規則ですから。それに、当日はクロイス神父も式典に参加されます。育ての親である彼の顔に泥を塗るおつもりですかな?」
「うわー、脅迫ですかそうですか。さっすが汚い。教会汚い」
「口を慎みなさい。あなたはもう、聖人……聖女なのですから」
「ああもう、こんなことならさっさと逃げればよかった……」
結局ミラの不満は黙殺され、部屋に閉じ込められてしまった。外部との接触も一切絶たれとても暇だ。本を読みたいが、あるのは教典だけ。とうの昔に暗記してしまったので、手に取る気にもならない。センパイがいれば話し相手になってもらえるのだが、連れ込むのは禁止されてしまったので、世話だけは入念にお願いしておいた。
一日目。仕方ないので適当に魔法の練習をして時間を潰した。だが、それも夜にはできなくなった。魔法を使うとお腹が減るのだ。
二日目。爪を噛んでいたら血が出た。
三日目。ベッドの裏と壁の隅と天井に呪いの文句を書いた。次にこの部屋に来るのは、どんな聖人だろう?
そして四日目。ミラはようやく外に出された。頭が朦朧として足がふらつく。修道女に支えられながらお風呂に連れていかれ、冷たい水をぶっかけられた。ミラには文句を言う元気は残っていなかった。
体中を隅々まで洗われ、また白い服を着させられてしまう。どうやらそれで完成のようだ。
椅子にすわってぐったりしていると、なにやら豪華な儀式用の道具を持った人が大勢現れ、一言「時間です」と言った。
「なに。ごはん?」
「いいえ、式典の準備が整いました」
(あ、この人トルナバさんか)
もはや知り合いの顔もあいまいだ。
「食事は夜に。これより式典を執り行います」
悪夢の始まりだった。
まずは王立国教会が誇る国内最大の大聖堂でありがたいお言葉を三時間賜り、その後はフラーチャと主神の像にそれぞれ一時間ずつお祈りを捧げ、清めの水やらなんやらを体中に振りかけられた。その後ミラの名前を石に掘り込むのだが、これがなんの罰ゲームだと言いたくなる苦行だった。
なにしろ固い石板に尖った石で掘っていくのだ。ミラは震える手を懸命に動かし適当に掘った。これがいつまでも残るのかと思うと憂鬱になるが、今はどうでもよかった。飯を食わせろ。
これで終わりかと思ったら、なんとこれからお城へ向かうと言う。そこで国王に列聖を報告し、互いに尊敬の念を交換するのだが、なんと移動手段は徒歩である。城までは馬車でも二〇分はかかる。
「ふざけるな。消し炭にするぞ」
「我慢なさい。あなたは今、人ではなく天と繋がる神聖なる存在です。馬車という人の手で作られた乗り物に乗ってはそれが失われるのです。あなたは今だけ、神に祝福を受けた国王陛下と同じ地位に就いています。二つの聖なる存在は、一時同じ部屋で過ごし、城、王都、王国へとその聖気を広め、同時にあなたの神聖を確かなものとします。それが終われば夜には食事です。下界で育った食物を取り入れることで、あなたは神聖を宿しながら人へと帰る。聖人とは、天と人とを繋ぐ存在なのです」
(知るか。大体、あんたら神に会ったことないだろ。神さまって結構適当だからな? 見た目も中身も。多分今もわたし見て笑ってると思うぞ)
そんなミラの内心など無視して儀式は進む。すべては予定通り、つつがなく。
(いいや、不満を言っても夕食が遅れるだけだ。今は我慢……。社会に必要なのは忍耐と体力なのだ)
そう自分に言い聞かせながらも、顔はもの凄いしかめ面だ。とても聖女には見えない。どう見てもすねた子供だ。……事実だが。
そんなやさぐれたミラも、教会を出るとその目を丸くせずにはいられなかった。
なにしろ、そこにあったのはどこまでも続く人の海だ。広い大通りを挟んで人々が手を振っている。なぜか泣きながら祈りを捧げる老婆も見える。
「……ごめん、ちょっと忘れ物」
回れ右をしたミラを、トルナバダコタとクロイス神父が捕まえた。
「聖女さまには、その聖衣羽衣以外なにも身につけさせていません。さあ、行きましょう」
「聖女さまをレンファ村から輩出できたのは、我々の誇りです。さあ、行きましょう」
多分、クロイス神父はこのために呼ばれたのだ。ミラが逆らえないと知っていて。ミラは仕方なくどこまでも続く人の海へと乗り出した。
その瞬間、それまでの喧騒が嘘のようにやみ、ミラが通る側から膝をつき、祈りを捧げて行く。ここの人たちホントお祈り好きだなとミラは思った。
いつもは馬車や馬で賑わう大通りも、今日は歩行者天国だった。と言っても、中央を歩くのはミラと高位の聖職者の一団、そしてなんのためにいるかわからない修道女たちが後ろに並んでついてくるだけだ。一般市民は両サイドに鮨詰め状態だ。
「ねえ、トルナバさん。みんなをもっと近くに呼ぶことって、できない?」
「シッ。お静かに」
「いいじゃんちょっとくらい。トルナバさんってば~」
「ああもう、なんですかな⁉」
トルナバダコタが半ば自棄になって答えた。それでも小声なのだから恐れ入る。大人の男性に怒られるのは怖いが、今は我慢だ。
「トルナバダコタ神父、どうか気を静めて、ミラの話を聞きましょう。でないとこの子……この方は、城につくまで口を閉じることはないでしょう。昔からそうでした」
「言い方が気になるけど、ありがとう、クロイス神父。ねえ、トルナバさん。町の人をもっと近くに……ていうか、広い道を有効に使おうよ。みんな苦しそうだよ。ほら、あの子なんてデッカイ男の人に挟まれて、ほとんど潰れてるもん」
「これ以上は混乱を招きます。聖女さまにもしものことがあったらどうするのです」
「暗殺とかされた人がいるの?」
「口を慎んで。それはありませぬが、とある聖女が誘拐されたことはありました。幸いすぐに発見し連れ戻すことができましたが、余程つらい目に遭ったのか、泣きながら教会には戻らないと暴れたそうです」
「それって逃げ出したんじゃないかな? かわいそうに……」
ミラは溜息をついて、その不幸な聖女のことを思った。きっと連れ戻された彼女は絶望したに違いない。
(さて、どうしたもんかね)
通りに詰めかけた人たちの前には、槍を持った兵が等間隔で並んでいる。特にロープなど張られてはいないが、一歩でも彼らより前に出たらどうなるかは、想像に難くない。
「トルナバさん。少しだけ我儘聞いてくれる?」
「食事ならダメです」
「違うよ。後ろにいる女の人たちに、お願いしたいことがあるの」
ミラは「お願い」を話して聞かせた。
「……まったく、あなたのような聖人は初めてだ。そもそも、列聖中に祈り以外を口にする方など、滅多にいないのに」
「それは不便そうだね。それで、やってくれる? ホントなら、わたしが自分で頼みたいんだけど、わたしってこの儀式の最中、立ち止まったり引き返したらダメなんでしょ?」
「その通りです。なので、このわたしにお任せを。クロイス神父、協力願えますかな?」
「もちろんですとも」
クロイス神父は笑顔で了承すると、トルナバダコタと共に来た道を引き返し始めた。
周囲が奇妙な行動に首を傾げていると、二人は列の後方へと向かい、面食らう修道女たちに指示を出した。その指示はとても簡単なものだ。
「兵の手をとり、五歩前へ」
である。修道女たちは困惑しながらもトルナバダコタの命を忠実にこなした。
突然歩み寄って来た修道女に兵は混乱したようだが、そっと手を握られ「五歩前へ」と言われて逆らう者はなかった。
そもそも、この立ち位置は正確に決められたものではないのだ。元より歩道と車道の区別などないので、目算で聖女が安全と思われる距離を保っていただけだ。
たった五歩の距離だが、効果は大きかった。成人男性の歩幅の平均は約七〇センチ。修道女に手を引かれていたのでかなり縮んだが、それでも五〇センチは下らない。
五歩で合計二五〇センチ、両側合わせて五メートルになる。
この大通りは、たった五メートル狭くなったくらいでは使い切れない道幅がある。
ほっと一心地ついた様子の人々を見て、ミラは今日初めて笑顔を見せた
次回、ミラはまたあの人と対面します。




