5:イノリとネカフェと、水戸黄門
一番大きな宿に運ばれると、慌てた様子で出てきたちょっと恰幅のいいおばちゃんが、腕ぐらいの太さの革紐をわたしの足の裏に回した。そのままぐいっとアキレス腱を巻き込むような形で足首にまわす。そのまま足首に巻きつけてもずり落ちるだけなんじゃあ、と思いかけたが、足首のところで交差した先はそのまま、足の甲をすべらせるような形で足裏からアキレスに向かう部分の革紐をすくい上げる。そのままぐっと引っ張り上げられて、ささっと結び付けられた。
「え、え。何これ」
「うちの旦那が山登り好きでねえ。それであたしもこんなの覚えちゃったのよ」
真横から見たら、足首と土踏まずを、前側の部分で90度の角度に革紐が巻きついていた。なんか雰囲気だけ見ると、足首と足の甲の二箇所だけで固定したグラディエーターサンダルただし靴底なしって感じだ。
しかも、これで足首が結構がっちり固定されている。テーピングのできそうなテープなんてないだろうなあと思っていたから、ちょっと驚いた。
「へえー、これならあまり動かさないですみますね。ありがとうございます」
「……あれ? ん? あんた」
感謝の声をあげたわたしの顔を見て、おばちゃんが首を傾げる。
その目が丸くなった瞬間に、ロンゴイルさんがそのおばちゃんの肩をぽんと叩き、人差し指を口の前に当てながら下手なウインクをした。
意図が伝わったのか、おばちゃんも壊れた赤べこみたいな勢いで首を振る。
「え、ええと……お披露目の時、あたしも神殿の方に、見に行っててね」
それでも、気がついたのだということを一生懸命伝えてくるおばちゃんに、悪い気はしないけれど苦笑が隠しきれない。
「まだこの辺りを知らぬとのことで、地域を視察してもらっているところです。
できれば日常をそのまま知りたいとのことですので、どうか内密に」
「はいはいはい、あたしも伊達に長年、宿の女将はやってませんからね。
大丈夫ですよ、ええと……ねえ、オネエサンも安心してくつろいでくださいねぇ」
「ノーマ、で構いません」
ちょっと控えめに、よかったら握手してくれるかい、と言ってきたおばちゃんにそのまま手を預けると、ものすごいありがたがられながら渾身のシェイクハンドされてしまった。
ロンゴイルさんの方を伺い見ると、穏やかに笑っているが――綺麗に取り繕えているけれど、ちょっと張り付き気味だ。わたしはため息をつかないように、ゆっくりと深呼吸した。
天使、ねえ。
そんな存在がいたとして、滑って転んで足首捻挫するようなどんくさい天使にどれだけのご利益があるものだか、ちょっと疑問を持たれそうなものだけれど。
おばちゃんはベル君に言われて用意していたのだろう革の袋を持って、わたしの足にあてる。
およ。この袋は空っぽみたいだけれど。
「ちょいと力を貸しておくれよ、っと」
何か、ごにょごにょと。おばちゃんは石をひとつ握りしめると、そう言って袋の中に放り込む。途端に、きぃんとした冷たさが革袋の中に拡がった。
「これって……精霊術、だっけ」
「そうですよ。あたしはこれを使えるってんで、重宝されてましてねぇ」
にっこりと笑うおばちゃんは、どことなく誇らしげだった。
「ああ、申し遅れました、あたしはウィノリ。この宿の、女将をやってますよ。
ここにいる間は、何かあったらあたしに言ってくださいね」
「はい、よろしくお願いします、イノリさん」
「あらら、なんか可愛らしい音ねその響き。いいねぇ、イノリでいいよ」
ウィノリ、って音が結構言いにくそうなので、言い換えてみる。
イノリもそのあたりはあまり気にしない人のようで、にこにことわたしを部屋へと誘導してくれた。
通された部屋は、たぶんすごく良い部屋なのだと思う。調度品が揃っていて、宿の部屋というよりはどこかの書斎のようでさえある。本はないけど。一人部屋のようで寝台はひとつだけど、それもだいぶ大きい。
「ウィノリ、ここは自分がいつも借りている部屋では」
「あのねえ、領主様といえど、たまには部下と一緒に部屋を使っちゃどうだい」
大型犬がうなだれているさまを想像してほしい。お気に入りの玩具をちっちゃい犬に持って行かれちゃったんだけど、怒ったりしたら大変なことになるから強く出られないしなあ、としょげている様子。今、まさにロンゴイルさんがそんな感じだ。
なるほどね、この部屋はスイートルームみたいな存在なわけだ。
「まあ、それは冗談なんだけどね。
本当のところはさ、今ひとりだけの客に貸せる部屋ってのがここくらいしかないんだよ。女性なんだから雑魚寝部屋ってわけにもいかないだろ? 寛大な心をお持ちの領主様なんだから、それくらい譲ってやんなさいな」
イノリがそう言って、ぱしんぱしんとロンゴイルさんの背中を叩いた。
「ここくらいしか?」
「ああ……まあ、領主様から聞いてないかい?」
『なんのことでしょう』
思わず聞いたわたしに、イノリはちょっとだけ渋い顔をする。
疑問に答えたのは、ロンゴイルさんだ。
「事件があったと、お伝えしましたね。
その宿はそのまま、誰も出入りしないようにと伝えてあるのです」
「んで、あっちの宿を使うはずだった客をみんな、ここで預かってるのさ、領主様の頼みでね」
むこうは木賃宿、こっちは旅籠。あちらと同じ値で貸してるからもう大赤字だよ、と。おばちゃんは少しうんざりした顔でロンゴイルさんを睨む。大柄なロンゴイルさんが、申し訳無さでだいぶ小さくなっているように見えた。
「きちんやど?」
「寝るための、屋根のある場所を貸すだけの宿のことです。
料理や寝具は別料金ですが、それらの用意を持って旅をする者には重宝されるのですよ」
そういやそんなの、弥次喜多道中にもあったっけか。ついでに旅籠はわからなくもない。水戸黄門にも出てきたりしたよね。越後のちりめん問屋のご隠居が使っててもおかしくないようなしっかりしたお宿、と。確かにその差は激しそうだ。ネカフェと旅館の違いみたいなもんだろう。




